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2. 第一回目のループ

英語で言うところのwet nurseを乳母(乳を与える者)、dry nurseをナニー(ガヴァネスが来るまでに面倒を見る者。wet nurseのように乳をあげるのが終わればお役目御免とはならない)として書き分けています。

この表現は独自のものなので、あまり参考にはされませんように…。わやわやナーロッパとしてお楽しみください。

「あう……」


「赤ちゃんって全然喋られないものなんだね!それに歩くことも出来ないし!ところでその状態はいつまで続くの?1週間?」


 鼻の先に落ちてきた羽がくすぐったくて、不快感に眉を寄せる。手を伸ばして取ってしまおうとしても、この短い手では届かない。抗議をするにも言葉が圧倒的に足りない。

 何もかもが未発達。


 悪役令嬢としてあの冷たくて狭い牢で一生を終えるはずだった私は、私を“幸せ”になるまでループさせてくれると言った天使によって、再び最初からやり直せることになった。


 ───文字通り、最初から。


 つまりは赤ちゃん。生まれるところから始まった。

 いつから私は喋り始めたのだろうか、いつから私は1人で動けるようになったのだろうかとナニーの言葉を思い返してみて──私は結構成長の早い方だったと言われたぐらいしか思い出せず──。

 それなら普通の赤ちゃんの場合はと考え、少なくとも1年は歩き始めるのにかかり、歩き始めるといっても16歳だった私からしたらあまりに短い距離すら歩けず、それに1年?──1年もかかるの!?とくらくらする。


「う〜!!」


(まだ産まれてから2ヶ月しか経っていないのよ!自分だけで行動できるなんてまだまだ先よ…!)


「ええっ!人間って他の動物と比べて成長遅いんだね…!」


 驚いているようだけれど、天使の顔ははっきり見えない。ぼんやりとしている。ちゃんと前みたいに見えるようになるのか、見えるようになるのは今から何ヶ月後なのか、何もかも不安で仕方ない。

 全てまだまだ成長途中で、この状態では何も出来ない。泣いて、乳を飲んで、寝て。それだけしかすることがない。あまりに長い。永遠かとすら思われてしまう。


「赤ちゃんの一日って、まだまだちっぽけな人生に占める割合がとても大きいから長く感じられるんだってね!」


 天使はそんなどうでもいい雑学は知っているのに、なぜ赤ちゃんとして何も出来ない期間がとても長いことを知らないのだろう、とため息をつくにもつくことができない未熟な体。ねえ!と天使に頭の中で呼びかける。


(私がいつ歩き始め、いつちゃんとした言葉で話し始めて、いつ1人の人間として尊重されるぐらいには思考がはっきりしたのか、その具体的な日付が知れたらそこまで頑張ろうと思えるのだけれど…天使様は知らないの?)


 一縷の望みはあっという間に砕かれる。予想通りなのでそれほどダメージは受けないけれど。


「そんな全知全能の存在じゃないからね〜!いつどこで災害が起きますよとかなら分かるけど、さすがに命ひとつの歴史は分からないなあ」


 まあそうだろうなとは思った。分かっていたら赤ちゃんにタイムリープさせるなんてことはしないと思う。

 次があるとしたら、赤ちゃんまで戻すのはやめてとお願いしておく。私が赤ちゃんで何も出来ずにいるのは天使にとっても暇なのか、オッケー!と軽い返事が返ってきた。


 あまりに大変だわ……と思っていると、腹の方に違和感を感じた。もしかして、と嫌な予感がする。


 もしかして……空腹?と思った瞬間、この体はけたたましく泣き始める。空腹とおしめの違和感には、この体は異常に反応する。


「あらあら、どうかしたのかしら」


 うええん、と泣いているとナニーに抱き上げられた。ナニーの顔を見るだけで湧き上がってくる喜びも、空腹の前では弱すぎる。

 おしめかしら?と言うナニーに手足をバタバタさせる。おなかが空いたのかしら、と私の方へと歩いてくる乳母に手を伸ばす。お腹がすいたの!はやく!



 ───ケプ。


 元気だね〜という天使の言葉を無視する。16歳まで生きた私は──最初はこんな感じで醜態を晒してしまうことに耐えられなかったけれど。この小さな体は感情の制御がうまくいかないものだと、特に生きようとする勢いには勝てないものだと、諦めをもって納得した。

 抑えられるはずの感情があっというまに外に出て、すぐそれが涙に変わってしまう。それが赤ちゃんというもの。泣いていようと許される存在なのだから、気にしない、気にしない。

 にこ〜っとしてるであろう天使の顔が見えなくて、心底良かったと思った。ふらふら〜と漂ったあと、あ、と天使が聞いてくる。


「エリーザベト、ちなみに君これからの人生の予定はどんな感じ?」


(ちょっと、赤ちゃんの体には刺激的すぎるその話題はやめてって言ったじゃない!)


 ループを始めると決めた、私の、殺意。

 ──自分の感情だというのに、自分の1番大切な動力だというのに、無垢でやわらかなこの小さな体はそれに怯えてしまう。

 自分の体なのに、感情と体とがちぐはぐなせいか、この小さな小さな赤ちゃんにそんな思いをさせてはならないと、思ってしまう。無垢で怖いものなど何も知らないままでいてほしい、と。


「うえぇん…」


「まだ無理なの?仕方ないなあ、君の頬でも満喫しよっと」


 ふにふにと頬を押される。ひんやりとしてやわらかい。泣きそうになった体は、すぐにキャッキャと笑い始める。


(早く成長したい…)


「ちなみにこのぷにぷにはいつまで続くの?楽しいからしばらく触ってたいんだけど〜」


(赤ちゃんの時ほどでなくても私の肌はいつもやわらかいわ──じゃなくて!自分で動けるようになったら私には触らせないわよ!)


「え〜」


 天使って案外理想とは遠いものね…と思いながらゆったりと波のように訪れる眠気に身を任せる。

 あらあら、おねむなのねと乳母とナニーのゆったりとした優しい声が響く。優しい優しい子守唄が天から降るかのように聞こえてくる。


「よく飲んでよく寝て、そればっかりで飽きないの?」


(もうとっくに飽きてるけどどうしようもないのよ)


 人間って大変だねえ、としみじみと天使が言うのをぼんやりとした頭で聞いていた。

 ああ早く成長したい。この体が悪へと堕ちるのも、聖女を殺すのも、躊躇わないくらいに成長したい。


 ーーーーー


「こう見えて僕ちゃんと赤ちゃんのこと勉強してきたんだ!君が寝てる間にね!」


(ああそうなのねそれはありがとう!次は話しかけてはいけないタイミングというものも勉強していただけないかしら!)


「うぅぅ〜…うぁ〜…」


「お願いします神様、フリーア女神様、私の可愛い赤ちゃん、エリーザベトを、どうか、どうか、死なせないでくださいませ…!!」


「あれえ具合悪い?頬が熱いね」


(見ての通りよ!)


 公爵令嬢なので、というより貴族の子供はどこでもそうなのだけれども、お母様とお父様と会える時間は短い。赤ちゃんの頃は乳母とナニーに任せるのが常で、私が一人前として、つまりは小さな大人として認められるようになってようやく両親と共に過ごすようになる。

 ──と、いうことは、もちろん知った上で。この小さな小さな赤ちゃんの体では会いたいという気持ちが抑えられない。帰ってしまうととてつもなく寂しくなり、ずっと泣いてしまう。


 だからそんな場合ではないのだけれど、辛い苦しい熱いという気持ちと、お母様に会えて嬉しいという気持ちがせめぎあっている。


「そっか〜でも君が16歳まで成長できたってことは死ななかったってことでしょ?もっと楽にしてよくない?」


(そんなことは分かっているけど!この小さな体には負担が大きすぎるのよ、苦しいの!)


 弱々しく泣く私に、お母様がどうかどうか連れていかないでと祈る。旦那様ももうすぐ来られます、という声をぼんやりと聞いていた。

 乳母とナニーの声はいつもの数倍ぐらいうるさく聞こえて、頭がガンガンする。苦しい。痛い。痛いよ助けて。




 ───苦しむと、同時に、こんなにも愛されているのだという──愛を得られず死んでいった私が歓喜している。

 ……これを愛だと、この人たちに愛されていることこそを“幸せ”だと、そう思えればいいのに。

 私はどうしても貴方の愛が欲しい。貴方の愛以外は、小さな“幸せ”としか感じられない。ぽっかり空いた心が埋まらない。


「エリーザベト!無事か!?」


 お父様の声がすっごく遠くで聞こえる。


「エリーザベト、死んだら僕が巻き戻してあげるから気にしないでよ〜とりあえず寝たら?」


 ──死にたくない。

 こんなにも愛されているのに。愛を向ける人がいるのに。死ねない。



 ………私は、一番最初の人生でここにいる全員を悲しみに追いやってしまったのかしら。いっそ、あんなやつは家族ではないと思ってくれていたらと祈る。

 私は、再び大切な人たちを絶望へと落とそうとしているのかしら。愛の復讐は悪いこと、である、きっと。


 それでも、それでも私は…。

 聖女の死を望まずにはいられないのだった。あの媚びた顔が苦痛に歪む姿を、細い首をへし折るその瞬間を、悦びをもって考えてしまうのだった。


 眠りにつくその瞬間まで、あの女の苦痛を祈ってしまうのだった。

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