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第四話


         ****


『大丈夫よ、あたしの言う通りにしていれば、誰にも怒られることはないから。これから大勢の人が此処に来るけれど、鬼粕……あなたは黙って隣に座っていればいいのよ』


朱香から、そう言われた鬼粕は彼女の言いつけどおりに黙ったまま地面に額をつきつつ突伏している。


小屋の外へ出された柑は物言わぬ屍となりて【白帯・かすみ】の生涯において、たった一度きりしか身に付けられない上等品の白麻の衣を纏いつつ、胸の上に両手を組んだ形で仰向けに寝かされている。

 更には命を終えた際に生じる独特な香りを誤魔化すための措置とはいえ、この日にのみ異国から取り寄せた茉莉花の香水をつけているのが分かる。


鬼粕は事前に朱香から『ただ黙って座っているだけでいい』と言われてはいたものの、普段は目にすることはない特別な周りの状況にに釘付けとなってしまった。


まず【赤帯・寒つばき】の人々が身に纏っている上等な色柄付き着物に好奇心を抱き、更には【白帯・かすみ】に属する者には生涯において許可されない魅惑的な化粧にも目が引かれてしまう。


特に唇を彩る艶やかな紅に鬼粕の心は鷲掴みにされてしまう。

 彼女達が一歩ずつ前へと進む度に、爽やかな風に乗って甘い香水の香りが地面に突伏している鬼粕の鼻を刺激してくる。


同じ華子に属してはいるが、遥か上の立場にある《寒つばき》に対しては自分から話しかけるのはおろか、目すら合わせるなと厳しく命じられているため《かすみ》に属する華子達は頭を下げて彼女達が柑のいる小屋に到達するのを、ひたすら待っているのだ。


(でも、気になるべさ……おら達と寒つばきは何が違うのか__)


頭を上げることは許されないため、鬼粕は目を出来るかぎり動かしつつ、《寒つばき》の行進が自分達の前を過ぎようとする様子を観察していく。


(ああ……綺麗な……くつ、だべ___)


以前、尹花から【赤帯・寒つばき】や【桃帯・ひなげし】が足に履いているものが靴ということを教わっていた鬼粕は無意識の内に彼女達が異国から取り寄せたであろう豪華な装飾が施されたそれを見続ける。


「きゃ……っ…………」


「芙葉殿……大丈夫でございますか?」


ふと、目の前を歩いていた【赤帯・寒つばき】の内の一人の声が聞こえてきて思わず顔を上げてしまう。どうやら、先頭を歩いていた寒つばきに属している芙葉が土が盛り上がっていた場所で躓いてよろめいてしまい、そのまま前方に転びそうになってしまったため、側に付き従っていた白守子によって支えられた。


その白守子は、先日一悶着あった柑の父親だ。


すると、その拍子に芙葉の靴についている星を模した金色の飾りがころころと転がり落ちていき、ちょうど鬼粕の前に止まったため気付かれないように拾い上げる。


隣にいる朱香が見ていたが、即座に顔面蒼白になり、慌てて鬼粕の手から靴の飾りを取り上げようと試みる。

 


しかし、朱香はすぐにそれを諦めてしまうことになった。


芙葉から容赦なく平手打ちされた柑の父親が、自分達の前に勢いよく倒れ込んできたせいで、それどころではなくなってしまったのだ。

 


「ちょっと、汚い手で不躾に触らないでちょうだい!!黒守子である世純殿や、その部下達ならまだしも――白守子如きに触れられるなんて虫唾が走るわ。お前如きが、あたくしの名前を呼ぶだなんて何を考えているの?ただでさえ、汚らしいお前の娘の葬式に来てやっているというのに____」

 

芙葉が周りいる全員に聞こえるくらいの大声で柑の父親の失態を責めると、それにつられてて彼女の後ろに連なる他の【赤帯・寒つばき】達までもがくすくすと一斉に笑い出す。

 更に、柑の父親に対する悪口までもひそひそと囁く様子を目の当たりにして遂に鬼粕はある行動を取る。


あろうことか、すっくと立ち上がるとそのまま躊躇なく芙葉の前まで駆けて行き、満面の笑みを浮かべながら右手を差し出す。その中には、靴の飾りを握り締めていた。


鬼粕にしてみれば、ただ単に【赤帯・寒つばき】である彼女達と柑の父親に笑って欲しかっただけだったし、芙葉へ靴の飾りを返したかっただけだった。


しかしながら、芙葉は鬼粕のその行動に対する動機を善い方へと考えることはなく、不快そうに眉を顰めると彼女の頰を容赦なく折り畳まれた扇子ではたきつける。


幸いにも、鬼粕の頬は少し赤くなった程度で痛みも然程ないものの、流石に【赤帯・寒つばき】の華子達は息を呑んでしまい、たちまち無言となったため先程とはうってかわって静寂に包まれる。


だが、芙葉だけはこのまま黙り込む気などなく怯える鬼粕の体を、軽くとはいえ突き飛ばしてしまう。

 そのせいで、鬼粕は尻もちをついてしまい遂には泣き出してしまった。


「まあ、何て情けないのかしら。いいこと、よくお聞き?そこにいる、みすぼらしい中年男も……それに、お前も最底辺の白守子と白帯として働いているからこうなったのよ。恨むのなら、お前達みたいなのを産んだ母親を恨むべきね」


芙葉は、これ見よがしに異国から特注で取り寄せた香水をわざとらしく吹きかける。更には鼻をつまむ素振りをしながら楽しそうに微笑むと、ふいに目線を鬼粕の方から少し逸らす。


「この男の母親は、とっくにこの世にいないだろうけど、おまえの親ならそこにいるじゃないの。本当に汚らしくて、みすぼらしいったらありゃしない。親も親なら、子も子よねぇ……」  


芙葉に嘲笑されながら指差された太白と千扇は、咄嗟にさっと目を逸らしてしまう。それでも、千扇は芙葉の侮辱の言葉に対して何か思うところがあるのか、真っ青になりつつも目に大粒の涙を溜めつつ、鬼粕を救うべく身を乗り出して駆け寄ろうと試みる。


だが、太白は必死で妻を制止しようとする。


彼らの横にいる尹花が、余りにも度が過ぎる芙葉の態度に憤りを感じ、流石にこのまま彼女を放置する訳にはいかないと考え、一歩進み出た直後のことだ。


「芙葉の方上華子よ、貴女の言い分はそれだけか?」


ふと、今まで列の最後尾を歩いていた赤い帽子を被っている男の声が聞こえてくる。至極冷静な声色で、表情からも彼が今どのような感情を抱いているのか一目見ただけでは分からない。


「か……っ__燗喩殿。あたくしは、当然なことを言っただけに過ぎませんわ。この妃宮――いいえ王宮に住む上層の者達は皆が口を揃えて白守子やかすみ達を罵るのですから……何も、あたくしだけが悪い訳ではありませんのよ」


その男の声を聞いて、一瞬で芙葉は焦ってしまう。

 何故なら燗喩と呼ばれた男は、守子において一番上に位置する赤守子に属しており、当然ながら自分と同じ考え(白守子達と、かすみ達は最底辺なのだから悪く言われても仕方ない)を持っていると思い込んでいたからだ。


「成る程、確かに貴女の言い分も一理ある。では、こうしてみるのは如何か……」


そう言って、燗喩はあろうことか躊躇なく赤帽子の紐を普段から持参している鋏で切ると、そのまま無造作に泥濘んだ地面へ放り投げてしまう。


これには、その場にいる誰もが呆気に取られてしまい、芙葉ですら何も言えずに固まったまだ。


「燗喩殿……っ……説明してくださいませ。何故に、このような行動をなさったのです?まさかとは思いますが、赤守子になることを目標とされている世純様への侮辱でございますか?」


むしろ、この燗喩の常軌を逸した行動に対して激しい怒りを抱いたのは、世純の後ろについていた眠赦であり、何故かその目には涙が浮かんでいる。



「いやはや、眠赦殿……そちらこそ何を言ってるのです?黒守子の中において、極めて優秀な世純殿を侮辱するつもりなどあるわけがないに決まっているではありませんか。俺は、ただ……芙葉の方上華子と交流を通じて教育の話をしたいだけなのだが____」


あろうことか帽子を放り投げただけに留まらず、今度は自らの手を泥で汚しながら、燗喩は眠赦に責められたにも関わらず、あっけらかんと言い放つ。




『魄児のくせに……っ____よくも世純様を……っ……』

  

「口を慎むのだっ___眠赦よ、お前は私の顔に泥を塗るつもりか……っ……!!」


眠赦は誰にも聞こえないような小声で燗喩に対して悪口を吐き出したつもりだった。

 《魄児》とは、教養の足りていない母親から産まれ落ちた子どもの総称なのだが、むろん堂々と口に出すことは憚れるような差別的な言葉であり、街や村で過ごす者だろうが王宮で暮らす者であろうが身分など関係なく口にすべきでないのは暗黙の了解とされている。


「く……っ___燗喩殿、申し訳ございませんでした」


世純から叱られた眠赦は、唇を噛みしめつつも謝罪の言葉を口にする。


そして、世純はというと一番信頼している部下の眠赦の為を思い、燗喩へ深々と頭を垂れる。


「失礼――燗喩殿。眠赦には、私から後できつく叱っておきます。だが、それはそれとして貴殿は今――芙葉の方上華子に対して教育に関しての話をしたいなどと言われましたな?」 


「ああ、確かにそう言ったが__俺はそう感じたゆえに申したまで。それとも世純殿は、何か不満でもお有りですか?」


世純は、ちらりと芙葉の方へ目線を向ける。


「いいえ、不満とは少し違いますな。芙葉の方上華子に対し、そのような戯言を申すとは実に浅はかだと思ったまでのこと。やはり、貴殿とは馬が合いそうにありませぬ。そもそも、何故にこの状況でまるで童子のように泥に手に突っ込むという奇怪な行動をなさるのか……まったくもって理解できませぬ」


呆れた表情を浮かべつつ、世純は泥に塗れた燗喩の手元へ目線を下ろす。すると、燗喩は世純の問いかけに答えることなく鬼粕がいる方へ歩みを進めていく。


「済まぬな、かすみの別嬪娘よ。俺と、握手を頼む」


「な……っ……何でだべ……!?」



燗喩は、今起きている事態を理解できず恐る恐る顔を上げ呆然とするしかない鬼粕の両手を取ると、白い歯を見せつつ豪快に笑いかけてから、そのまま彼女の手を握り締める。


その直後、ひときわ甲高い声が辺りに響き渡る。


「……っ___世純様の言う通りですわ。何故、守子の中でも最上位素晴らしい身分にある貴方が、この汚らしい白帯如きの手を握り締める必要があるのか是非とも説明して頂きたいんですの」



突然のことに困惑しながらも、何故か手を引っ込めようとしない鬼粕の様子を目の当たりにして、今までは黙っていた芙葉だったが、とうとう我慢の限界に達して勢いよく二人の前へ飛び出してくる。


「芙葉の方上華子――気を悪くしないで頂きたい。何をもって、この……かすみの別嬪娘が汚らしいと言ってるのか説明して頂けないだろうか?この世においては、何事にも根拠というものが存在する。むろん、殆どの者が白帯は汚らしいと言っているからという根拠は除く。そんなものは、唯の個人の感想でしかないゆえ__。俺としては、もっと納得できる答えが欲しい」


「そ……っ___それは……白帯が日々行う仕事が汚らしいものばかりだからですわ。ああ……口にするのも悍ましい。体中にこびりついているに決まってますわよ……色々なものが___」


芙葉が答えるなり、燗喩はつかつかと彼女の方へ歩み寄る。そして、何も言わずに泥塗れの手で彼女の手を握り締める。


流石に驚いた芙葉だったが、自分よりも立場が高い赤守子である燗喩の手を振り払ってしまう訳にはいかない。


そのため為す術なく、仕方なしにその行為を受け入れるしかないのだ。


「泥に塗れた汚らしい筈の俺の手を振り払わないということは、身分によってころころと態度を変える実に醜き心の持ち主ということか。もう、興味が失せた。もはや貴女の考えなど、どうでもいい___」



そう言い放つと、今度は鬼粕の顔を見つめる燗喩。


「して、白帯かすみの別嬪娘__そなたは名を何という?」


「き、はく___」



蚊の鳴くような、か細い声で燗喩へと答える。もじもじしているのは、燗喩の態度に対して困惑しているのと少しばかりの気恥ずかしさを感じているせいだ。

 


「あ……あの……っ___燗喩様。この子は、鬼の粕という字で《きはく》と呼びます。この子は、桃帯ひなげしの、あたしと同じくらいに学問に興味があるのです」


「成る程……だが、そなたは誰だ?」


「失礼ながら、あたしの名は朱香と申します。桃帯・ひなげしの纏め頭として日々働く者です。以後、お見知りおきを___」


「そなたも、別嬪ではないか。なるべく覚えておくとしよう」



その言葉を聞いて、頬を赤らめつつ目線を落とす朱香。



しかしながら、直後に尹花が手を叩く音が辺りに響く。


一斉に、皆が彼女の方へ目線を向ける。



「皆さん、そろそろ宜しいでしょうか?よいですか……ここは立派に役目を果たした柑の葬式を執り行う場であって、和気あいあいと話をする場ではございません」


少しばかり怒りの込められた尹花の一言によって、気を引き締めた一同は、黙々と柑の住んでいた小屋へ足早に向かうこととなるのだった。



         ****
























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