8.うっかりすると死んでしまう、やべぇ本
目覚めると、薄暗い寝室の片隅に、無言で佇む女の姿があった。
(――っ!?)
一瞬、幽霊かと思い、ぎょっとしたが、そもそもここは魔界だ。
悪魔と幽霊は並び立つのか? ――いや、そんなことよりも、例え魔界で幽霊と遭遇したとしても、悪魔ほど恐ろしいとは思えない。
なぜなら、幽霊は人間のなれの果てだが、悪魔は人知を越えたやべぇ奴らだからだ。
(――っていうことは、幽霊じゃなくてホッとするのも変だな。幽霊ではないのなら、彼女は悪魔だ。やべぇ奴らの一員なわけだから、むしろ、ぎょっとして正解なのかも)
ベッドの上で体を起こすと、その女が声を発した。
「おはようございます」
「サビナ?」
「はい」
「おはよう」
彼女がラウムの言っていた信用できるメイドなのだ。
きちんと結い上げ、まとめられた灰色の髪。黒いロングスカートのメイド服には皺ひとつなく、その立ち姿は整然と美しい。
人間であれば、三十代後半くらいの年齢だろうか。若くはないが、けして老け込んでいるわけでもなく、薄く化粧を施した顔は、ややきつい印象ではあるが、美人の分類に入るだろう。
「洗顔の支度をさせて頂きます」
そう言うと、サビナは隣の部屋からベッドテーブルを運んできて、寝台の上に置いた。
そして、そのテーブルにガラス製の洗面器を置き、水差しを傾けて水を注ぎ入れる。
促されて洗面器の水を両手で掬い、顔を洗うと、サビナにタオルを差し出された。
「朝食のご用意ができております」
顔を拭き、促されて寝台から足を下ろすと、サビナが足元に布製のルームシューズを置いた。
それを履いて寝室を出ると、隣の部屋のテーブルに料理が並んでいる。
バターロールのようなパンが平皿に三つ乗せられ、オレンジジュースに見える飲み物がグラスに注がれている。
何かの卵のスクランブルエッグとベーコンのような加工肉が乗った皿。レタスっぽい野菜のサラダに、ブルーベリーっぽい果物が盛り付けられた器がある。
「頂きます」
朝食を食べながらサビナの気配を追うと、彼女は寝室に戻り、寝台を整え直しているようだった。それから先ほどの洗顔用具を手に持って寝室から出てくると、そのまま魔王の部屋を出ていく。
彼女が再び部屋を訪れたのは、テーブルの上の料理をあらかた食べ終えた頃だった。
「お下げしても宜しいでしょうか?」
「うん、お願い」
サビナは廊下からワゴンを運び入れて、てきぱきと食器をワゴンに片付けていく。
(なるほど)
ラウムが信用できると言ったのは、その働きぶりも然ることながら、彼女が無駄口を叩かないからだ。
余計なことは言わないし、聞いてこない。
(できれば、もう少し笑ってくれたら文句なしなんだけど)
表情筋が死滅しているかのようにサビナは、にこりともしない。それとも、無表情の仮面でも被っているのだろうか。
食後の紅茶――『ほぼ紅茶』を飲み終えたタイミングで、サビナが抑揚を感じさせない声で言った。
「お召替えの手伝いをさせて頂きます」
それはつまり、食べ終わったのだから着替えろ、ということか。否はないので椅子から腰を上げると、寝室を通って衣装部屋に向かった。
「サラシを巻かれますか?」
後ろから付いて歩きながらサビナが聞いてくる。
「あー」
問われた言葉の意味を考えながら、長く息を吐くように低い声を出す。
(そうか。魔王は術で体が女のようになってしまったことになっているんだった)
おそらくラウムはサビナに、なんらかの術を行おうとして失敗し、魔王が女体化してしまったのだが、しくじりを周囲に知られたくないから協力して欲しいとか何とか話したに違いない。
サビナが魔王の体を隠そうとしてくれている気持ちが伝わってきたので、こくんと頷いた。
「うん。巻こうかな」
「かしこまりました」
衣裳部屋の鏡の前で立つと、ネグリジェを脱ぐ。両腕を上げるよう言われて、その姿勢で待っていると、サビナが手早く胸にサラシを巻いてくれた。
それから、サビナが選んでくれた魔王の服に着替える。
ブレー《ゆったりとした長ズボン》を穿き、膝丈のチュニックを頭から被るように着ると、ベルトを締める。サビナに支えて貰いながら膝下まであるブーツを履くと、ブレーの裾をブーツの中に押し込んで、最後に漆黒のマントを羽織った。
不意に視線を感じたような気がして顔を向けると、鏡の中の自分と目が合う。
黒々と輝く瞳に、闇に溶けるような髪。
――なんだろうか、この違和感は。
(私の顔って、こんなんだったかなぁ)
昨日も鏡を見た時に感じた違和感が再び胸をざわつかせる。――とその時。
「おはようございます。陛下、お目覚めはいかがですか?」
ノックとほぼ同時に扉が開いて、ラウムの明るい声が飛び込んできた。続いて、つかつかと部屋の中を歩いて来る足音が聞こえ、すぐにラウムの姿が衣装部屋に現れた。
「まあ! 素敵です、陛下!」
ラウムは、魔王の衣装を身に着けた人間の姿を発見すると、ファッションチェックをするかのように、その周りをぐるりと一周した。
「完璧です」
「そお?」
「はい!」
にこにこしながら力強く答えたラウムの顔が、不意に真顔になって近付いてきた。
唇の端に柔らかい感触がして、チュッと音が響く。ぱっと逃げるように離れた唇を目で追いながら、次第に目を見開く。
(は?)
唖然としてラウムを見やれば、頬を赤く染めてもじもじと体を左右に揺らしている。
「しても良いとおっしゃいましたよね?」
「……」
(言ったわぁーっ!)
――ひと晩、寝てすっかり忘れてたけどね!
照れてるラウムにつられて、こちらまで気恥ずかしくなりそうなので、彼女から目を反らして衣装部屋を出る。
寝室を抜けて手前の部屋に行くと、ラウムも慌てたように追ってくる。テーブルの上にティーセットが残っているのを見ると、言った。
「もう一杯いかがですか?」
「いや、いいや」
少し遅れてサビナが魔王のネグリジェを抱えて寝室から出てきたので、テーブルの上を片付けて貰った。
サビナは一礼すると、食器を乗せたワゴンを押しながら部屋を出ていった。
「――で? 今日はどう過ごせばいいの?」
「そうですねぇ。お城の中を散策してみますか? お部屋でゆっくり過ごされても良いですし」
「散策ねぇ……」
椅子に腰を下ろし、綺麗に片付けられたテーブルに頬杖をつく。
兄のゲームでは、ここで選択肢が三つあったはずだ。
部屋で過ごす。
魔王城を冒険してみる。
そして、執務室に向かう――である。
執務室に向かえば、オセがいて、二人で政務を行うことになるので、オセの好感度が上がり、オセとのイベントが起こりやすくなる。
それ以外の二つの選択肢は、どちらを選んでもべリスが現れて、殺されるか、生き延びるかの更なる選択肢が出てくることになる。
昨夜いろいろあって、オセと顔を合わせるのは気まずいが、べリスに遭遇するのは危険だ。まだ死にたくはない。
「執務室に行こうかなぁ」
「えっ、政務をなさるんですか?」
「そんな驚くこと?」
「我が君でしたら、まずその選択はなさいませんから」
「仕事、嫌いだったんだね」
(魔王の政務は責任が重すぎて、私も好きじゃないが、死ぬよりはマシだ)
ゲームで何度もべリスに殺されたことを思い出して、ぞっと背筋が冷たくなる。
切り刻まれ、焼かれ、首をもがれ、それから、口から下腹部に向かって串刺しにされたこともあった。トラウマ級のバッドエンディングである。
ゲームですらギリギリなのに、自分の身に起こるかもしれないとなれば、何が何でも回避したい!
そのために、まずべリスとは会わないことが一番だろう。
(べリスと言えば――)
昨夜の晩餐の時のことを思い出して、ラウムに振り向いた。
「執務室に行く前にいくつか確認したいことがあるんだけど」
「なんですか?」
ラウムもテーブルを挟んで向かい側の椅子に座ると、両手を膝の上に置いて小首を傾げる。
「シトリーって、魔王の名前?」
驚いたように大きくなるラウムの瞳。
「そうですが、なぜご存知なのですか?」
「昨日、ベリスが……」
「なんて無礼な!」
ぐわっと眉を吊り上げて、ラウムは怒気を露にする。最後まで言わせてもくれない。
そこまで怒ることかと怪訝に思うが、昨日一日ラウムと話していて感じたのだが、彼女は極力、他の悪魔の名前を呼ばないようにしている。
オセとベリスは除くが、皇帝や帝王、大公、ベリスの父親、そして、魔王の名前を口にしないように気を付けている節がある。つまり、悪魔たちにとって名前を呼ぶという行為は、特別な意味があることなのだ。
そう推測して尋ねると、ラウムは深々と頷いた。
「当然です。我々、悪魔の間では、相手の名前を呼ぶことは不敬にあたるのです。それは単に無礼というわけじゃないんですよ。地獄耳という言葉があるじゃないですか、まさにそうなのです」
「ん? つまり?」
「我々は自分の名前を呼ばれると、意識をそちらに持っていかれてしまうのです。どんなに距離があろうと関係がなく、自分のことを話していると感じると、その会話が耳に入って来てしまうのです」
「めんどくさっ!」
「そうなのです! とてもやっかいなのです! でも、やっかいなのは、聞く方も然り、聞かれる方も然りで。――とにかく、礼節を知る者は、極力、他の者の名前は口にしないように気を付けます」
「なるほど。――でも、あれ? 今のここでベリスやオセの話をするじゃん? 思いっきり名前を出しちゃってるよね? 二人に聞かれちゃってるってこと?」
「大丈夫です。基本的に上の者の会話は下の者には聞こえないようになっています」
「それは、つまり?」
「わたくしがオセ様の名前を呼んでも、伯爵であるわたくしの方がオセ様より上位なので、オセ様がわたくしの話を盗み聞きなさることはできません。一方、ベリス公はわたくしよりも上位なので、本来、ベリス公と名前を口にすれば、ベリス公に会話を聞かれてしまう恐れがあるのですが、ここは我が君の城。我が君のテリトリーでは、我が君よりも下位であるベリス公に話を聞かれることはありません」
「なぁんだ。じゃあ、城の中にいる限り、大丈夫ってことね」
「あくまで、王よりも下位の者に限りますので、くれぐれも気を付けてください」
はいはい、と軽く返事をすると、ラウムは片眉を下げて苦笑を漏らす。
そんな彼女のこれまでの言動で不思議に思ったことがあって、ついでに聞いてみる。
「ラウムって、オセのことを様付けして呼ぶよね? でも、オセよりもラウムの方が上でしょ?」
「そうですよ。爵位においては上位です。だからこそ、様を付けるんです。嫌がらせですよ」
ふふふっとラウムは笑う。
「想像してみてください。上の者から様付けされて呼ばれたら、とっても居心地が悪くなりません?」
「……まあ、そうかもね」
想像してみたが、いまいちピンと来なかった。
例えば、なんの実績も経験もなく、地位も名誉もない女子高校生な自分が、天皇や総理大臣から様付けされるようなものだろうか?
総理大臣はともかく、天皇からの様付けは嫌かもしれない。総理大臣からの様付けも十分に気持ちが悪いが、天皇からの様付けは、たしかに居心地が悪くなりそうだ。
――とはいえ、どちらも現実味が無さ過ぎて、それが相手への嫌がらせになるのかどうかというと、しっくりこない。
オセの名前が出て来て、ラウムに頼もうと思っていたもうひとつのことを思い出した。
「あと、この城の見取り図が見たいんだけど。ある?」
「おそらくあるかと思いますが、どうしてですか?」
「ほら、迷子になったじゃん? 城の中で遭難するとか、シャレにならないし。またオセに迎えに来て貰うなんてことになったら、なんて言うか……。とにかく、必要な場所だけでも、ひとりで行って帰って来られるくらいに知っておきたい」
「分かりました。探しておきます。他には何かございますか?」
「あと……」
そうだなぁと呟くように言って、ラウムの黒曜石の瞳を見やる。
「あればでいいんだけど、魔界の勢力図みたいなのが見たい。相関図みたいなのとか、人物事典みたいなの。人間界風に言うと、タレント名鑑みたいな」
「すみません。タレント名鑑が分かりません。でも、あの本でしたら陛下のご希望に添えるかもしれません」
「あの本?」
「上級悪魔たちの基本情報が詰め込まれた本ですので、どの家庭でも一冊は持っているという魔界のロングセラー本です。この部屋の本棚にもあるはずですよ。しばしお待ちください」
すっと立ち上がると、ラウムは部屋の壁面に設置された本棚に向かう。
高い天井に届きそうなほど大きな本棚にぎっしりと詰め込まれた本。その中から分厚い一冊を手に取ると、ラウムは戻ってきた。
「この本は、魔界では誰もが持っている本なのですが、実はとても危険な本なんです」
「――と言うと?」
「下手したら死にます」
「は!? 死ぬの!?」
「はい、死にます」
「でも、一家に一冊はある本なんだよね?」
「そうですよ。なので、子供の手の届かない場所に保管して、大人でも慎重に扱わなければならない本なんです」
「意味わかんないけど、やべぇ本だ」
ラウムは重たそうに本をテーブルの上に置く。両腕に抱えるほどの大きな本は、厚みも十五センチくらいありそうだ。
「いいですか? この本の中には上級悪魔たちの名前が書かれています。その名前を絶対に声に出して読んではいけません。死にます。先ほど話した通り、悪魔は自分の名前を口にされると、そちらに意識が向きます。それって、わたくしたちにとって、本当に煩わしいことなんです。なので、くだらないことで名前を呼ばれることを嫌います。心底イライラするんです。――例えばですよ、『ねぇねぇ、なんでもなぁ~い』を百万回繰り返されたら、どんな温和な人でも終いには激怒しますよね?」
「うん、するね。百万回繰り返される前にキレるね」
「そういうことなんです。わたくしたちはもうすでに百万回繰り返された状態なので、用もなく名前を呼ばれたら、大抵の悪魔はキレます。名前を呼んだ相手が自分よりも下位で、しかも、この本を持っていた時点で碌な用ではないと判断して術を放ってきます。力の弱い悪魔ならそれで瞬殺です。燃え尽きて塵となって消えるか、全身の穴という穴から血を流して死ぬか。とにかく死にます!」
(ひぃぃぃぃー。死ぬ以外の選択肢がない!)
「先ほども話した通り、この城は我が君のテリトリーですから、我が君よりも下位の悪魔でしたら名前を口にしても大丈夫なのですが、誤って上位の悪魔の名前を口にしてしまう危険があります。なので、この本に載っているどの悪魔の名前も絶対に口にしないようにしてください」
珍しく真剣な眼差しで念を押すように言ったラウムに、これは本気で危険なのだと理解して神妙に頷いた。
「分かった。気を付ける」
「では、表紙をめくりますね」
言って、ラウムは分厚い本の表紙の角を摘まんでゆっくりと開いた。
それから、あっ、と短く声を上げて、言い忘れましたと表紙を元に戻す。
「この本の著者は、大公殿下です」
表紙に金字で『魔界図鑑』と書かれていて、その下に『A大公』と書かれている。
「人間界には人間が書いた魔術書が何冊もありますよね。それらを読んだ大公が大笑いなさって、我々については我々の方が知っているのだからと、四百年くらい前にお書きになったのです」
再びラウムが表紙をめくる。最初のページには地図が描かれている。馴染みのある人間界の世界地図とは似ても似つかないその地図は、大陸がひとつしかない。
その大陸の形は、どれに似ているかと言えば、一番ユーラシア大陸に似ている。適度に南北に広がりつつも、東西には長く広がっている大陸だ。
「中央が帝都です。我が君の『ふたつ月の国』は大陸の東方に位置するのですが、これは四百年前の地図なので現在とは多少異なっていて、我が君の領地は描かれていません」
「えっ、どういうこと?」
「魔界は常に変化を繰り返しています。新たな土地が急に現れたり、あったはずの土地が消えたりするんです。そのため勢力図もころころ変わります。『ふたつ月の国』は160年くらい前に現れた比較的新しい土地で、この新しい土地に王として封じられたのが我が君です」
「えー、じゃあ、魔王になったのは160年前ってこと? それまでは何だったの?」
「君主ですね」
「プリンス? 王子?」
「ええ、王子とも呼ばれていらっしゃいました。ですが、王子と言っても、皇帝陛下や帝王陛下、他の王の息子というわけではございません。王に封じられるにはまだ青いという意味での王子です。我が君がまだ王子だった頃は、ご自身の領地もお持ちではなかったので、兄君の領地に館を立てて暮らしていらっしゃいました」
「えっ、お兄さんがいるの!?」
「はい、いらっしゃいます」
「載ってる?」
魔界図鑑を指差すと、ラウムはこくんと頷いた。
「もちろんです」
「どこ?」
地図のページから数ページめくると、上級悪魔たちを紹介するページが始まる。そのトップバッターを飾るのは、当然、魔界の皇帝だ。
『皇帝』の見出しの下に、左のページに悪魔の姿絵が描かれ、右のページにはその悪魔についての文章が書かれている。文章の始まりは、悪魔の名前からだ。
皇帝の名前については、次のように書かれていた。
『光を掲げる者』『炎を運ぶ者』『天界の玉座の右に座していた者』『かつて天上で最も輝いていた者』『稲妻のように天から地に堕ちた者』『暁の子にして、この世で最も罪深き者』
(――すなわち、彼の者の名は、ルシファー)
ぞくっと身の毛がよだつ。
声に出していないはずだ。心の中だけでその名を呟いただけなのに、背後に視線を感じる。何者かが背後に立っているような、そんな気配がした。
はっと顔を上げてラウムを見やれば、彼女の顔も青ざめていて、慌てるようにラウムがページをめくった。
「早く他のページに」
「――っていうか、魔王のお兄さんのページを開いてよ」
「兄君は36番目に載っているはずなので、ええっと……、こちらのページです」
背後の気配に気が付かなかったことにしたくて、慌ててラウムに開いて貰ったページに視線を移すと、左側に梟のような鳥の絵が描かれている。だが、梟にしては足が異様に長い。
その悪魔の名前は――。
(ストラス)
魔界の大君主であると書かれている。
「この『大君主』というのは?」
「魔界において『君主』とは、『王』を名乗ることを承認されていませんが、実力的には『王』に匹敵する者のことで、『王子』と同義語です。そして、『大君主』は領地を持った『王子』です。皇帝陛下の承認がないだけで、ほぼ、ほぼ、王であり、そのほとんどが自称の『王』です」
「ええーっと、つまり……」
これまでの話を要約すると、魔王シトリーは元々、領地なしの王子で、領地ありの自称『王』である兄のもとで暮らしていたが、数百年前のある時、新しい土地が出現したのをきっかけに、兄を差し置いて王になってしまったということだ。
「もしかして、魔王って、お兄さんと仲が悪い?」
「兄弟と言っても、悪魔の家族関係は特殊で、我が君と兄君に血の繋がりはございません」
「親が違うってこと?」
「そもそも我が君に産みの親はいません。悪魔の誕生の仕方はいくつかあるのですが、我が君は、人間の悪意や浅ましい欲が実体化した結果、誕生されたのです。そのように誕生した悪魔は、その誕生を最初に見つけた悪魔が家族になります。息子や娘、弟もしくは妹として庇護下においたり、夫や妻にして共に生きることもあり、それを決めるのは見つけた者であり、その者の権利です」
つまり、とラウムに尋ねながらストラスのページを指先でトントンと軽く突く。
「この悪魔が、誕生したばかりの魔王を最初に見付けて、弟にしたっていうわけだ」
「はい。そして、我が君が幼いうちは庇護下に置き、いずれご自身の右腕にと考えていらっしゃったのですが――」
「自分を越えて王になってしまったと」
うわぁーっと思わず仰け反る。
それは恩を仇で返すような行為だ。憎まれていても仕方がない状況ではないか。
「ですから、最初に申しましたでしょ? 我が君の死が周知されてしまえば、王位を巡って血で血を洗う争いが起きると」
【メモ】
サビナ
ラウムが選んだメイド。下級悪魔。
口数が少なく、表情がほとんど変わらない。
灰色の髪。黒いロングスカートのメイド服。三十代後半くらいの年齢。
薄く化粧を施した顔は、ややきつい印象ではあるが、美人の分類に入る。