42.ビーカーと計量スプーンで食べるプリン
「はぁ?」
「ああ?」
聞き間違えか、空耳か、さもなければ、シャックスの思考回路がぶっ飛んでいるんだ。
シトリーもべリスも不意を突かれて、二の句が継げない。
なぜ、プリン?
どうして、プリン?
プリン。
――どこから飛び出した言葉なのか。攻撃力は低そうだが、繰り出してくる特殊効果は抜群そうだ。
「冷蔵庫で冷やしていたプリンが良い頃合いだ」
「いやいやいや! そうかもしれないけど、唐突すぎるし!」
「我のプリンを食べたい気持ちは、いつも唐突だ。シトリーは違うのか?」
「はぁ、もう、いいんじゃねぇ? プリン、出せよ」
シトリーよりもべリスの方があっさりとしている。というよりも、いちいち突っかかっていては、疲れるのだろう。
べリスの許可を得たと、シャックスは漆黒のマントの中にごそごそと右手を差し入れる。
マジシャンかっ! とツッコミを入れたくなる鮮やかな手つきで、マントからプリンを次々に取り出すと、シトリーの分、べリスの分、と差し出してきた。
「ありがとう。――って、以前から気になってたんだけど、そのマントどうなってんだ?」
「マントじゃねぇよ。その下のジャケットのポケットだ」
シャックスは漆黒のマントの下に、軍服に似せたデザインの黒いジャケットを着ている。
それは、銀ボタンの装飾がたくさん付いていて、肩や袖には銀糸の細やかな刺繍が施されているジャケットだ。
べリスの言ったポケットとは、どれのことだろうか。胸元には左右それぞれに大きめのポケットがついていて、左右の袖の肘に近い辺りにもポケットがついている。
ボトムスの方は、シャックスの脚の細さを際立たせるようなぴったりとした黒のパンツで、その裾を入れるようにジャングルブーツを履いている。
ちなみにべリスの服装は――と言うと、この頃、シトリーに合わせて近代化されていた。
以前は、やはりシトリーに合わせて中世の西洋風といった感じで、チュニックを身に着けていたが、今はシャツの上にウエストコート《ベスト》を着ている。
ただし、ボトムスはブリーチズ《半ズボン》ではなく、スラックスで、ハーフブーツを履いている。
(ベリスって合わせてくるけど、私がTシャツを着て、ハーフパンツを穿いたら、べリスもTシャツを着て、ハーフパンツを穿くのだろうか)
――純粋に疑問である。
それで、と声を出してシトリーはべリスとシャックスの顔を交互に見やる。
「どのポケット?」
「全部」
「全部? えっ、でも、全部に入れたって、プリンを3つも入れたり、ロープを入れたり、鳩を入れたりできなくない?」
「仕組みは知らねぇけど、小さくして入れるんだってよ」
「すぐに出す物は腕のポケットだ。生物は左胸に。冷蔵庫は右胸だ」
「ええーっ。冷蔵庫ごとポケットに入れていたの? 通りでプリンが冷えてると思ってた!」
以前、シャックスが手にしていたフライパンを異空間に消したことがあったが、あれは消したのではなく、腕のポケットに小さくして仕舞ったのだという。つくづく、マジシャンのように手先が器用だなぁって感心する。
続いて、シャックスは腕ポケットからスプーンを取り出し、シトリーとべリスに差し出した。
それを受け取りながら、べリスが思いっ切り顔を顰める。
「おいっ、なんていう物でプリンを作ってやがる!」
「ビーカーだね」
科学の授業で登場しそうなガラス製のビーカーである。
ちなみに、スプーンだと手渡された物は計量スプーンで、スプーンには違いないが、なにやらモヤる。
「あと、ごめん。ここで食べるのは、ちょっと……」
広間のあちらこちらには、氷漬けから溶けた小さな蜘蛛の残骸が濡れた埃のようにたくさん落ちているし、14人の少女たちの剥製も佇んでいる。
蜘蛛女も床に転がっているし、大きな血だまりもある。
(ここで、プリンを食べる? いや、無理。プリンっていう気分になれないし!)
べリスも同意してくれて、いったん広間から出ることにした。
「おい、シャックス。そこの女に睡眠魔法を強めにかけておけよ。プリン食っている間に目を覚まされたら、嫌だろ?」
「了解した」
シャックスが蜘蛛女に歩み寄り、その頭上で片手を振って、女を、迷宮のごとく容易くは出口に辿り着けない深い眠りへと誘うのを待ってから、三人で広間を出た。
入った扉からエントランスホールに戻ると、ホールの左右を半円で囲むように二階へと続く階段があるので、左側の階段に三人はそれぞれ腰を下ろした。
「頂きまーす」
製作者であるシャックスに向かってひと言告げてから、計量スプーンでビーカーの中のプリンを掬って、ぱくんっと口に含んだ。
ちょうどよい甘さが口に中に広がる。少し硬めのプリンで、気泡も入っているが、そこがまた手作り感があって美味しい。
美味しさが心を満たしていくと、不安感や寂しさ、悲しい気持ちが和らいでいく。
幸福感とまではいかなくとも、ホッとして、お腹の下の方がずっしりと重くなり、足元が確かになったような心地がした。
「シャックス、ありがとう」
「うん」
シャックスも計量スプーンでプリンを掬って食べている。たぶん、あれは大匙だ。シトリーには小匙を渡し、自分とべリスには大匙を渡したようである。
「べリスも食べて。美味しいから」
「仕方がねぇな」
べリスとしては、ビーカーも計量スプーンもあり得ないのだろう。なんだかんだ言っても、上品に育てられているからだ。
口の悪いさは、反抗期を拗らせているだけであることを、シトリーもシャックスも知っている。
いかにも嫌そうにビーカーから計量スプーンでプリンを掬って食べると、べリスは自分の様子をじぃーっと見つめている二人に気付いて顔を上げた。
「なんだよ?」
「美味しい?」
「あー。ああ。まあ、プリンだな」
「美味しいって。良かったね、シャックス」
「うん」
表情筋をほとんど動かさずに、こくんとシャックスが頷いた。だけど、シトリーには分かっている。シャックスがちゃんと喜んでいるということを。
シトリーは、ふふっと笑みを浮かべて、再び計量スプーンでプリンを掬った。
さて、これからどうすべきか――である。
ハウレスのもとに鳩を飛ばし、自分たちの居場所と現状を知らせた。その鳩がハウレスのもとにたどり着けば、きっと兵を率いて自分たちのもとに来てくれるはずだ。
それを待つべきか。
自分たちがコルリスの街に戻るという選択肢もあるが、馬がない。
ここからコルリスの街まで徒歩でどのくらい掛かるのか分からない上に、蜘蛛女を連れて移動しなくてはならない。やっかいな移動になりそうだ。
来た時に使った魔方陣はどうだろうか。
調べてみたところ、どうやら一方通行のようで、エントランスホールは出口でしかないようだった。
おそらく、この館の別の場所にコルリスの蜘蛛女の家に繋がる魔方陣があるのだと思うのだが、それを捜すべきだろうか。
「ところで、兄ちゃんからの手紙にはなんて書いてあったんだ?」
べリスがスプーンの先をシトリーに向けながら言った。
「来い、ってさ」
シトリーは先程の紙切れをべリスに差し出した。受け取ると、べリスはすぐに四つ折りにされた紙を開く。
「うわっ、マジだ」
「来いしか書いてないって、不気味じゃない?」
「お前がそれ言うか? お前だって『好き』しか書かなかったじゃねぇか」
オセへの手紙のことだとすぐに気付いて、あれはっ、と裏返った声を上げる。
「ドルシアがそう書けばって言ったから!」
「俺は今、お前とお前の兄ちゃんとの兄弟らしい共通点に深く感じ入っている」
「はぁ?」
「それはともかく、どうすんだよ? 行くのか?」
「うーん」
――正直、帰りたい。
ラウムと会うことができて、魔力の核と記憶を取り戻すという目的は果たしたわけだし、もう一週間もオセと会えていない。
カイムに拐われた時にもこれくらいオセと離れていたが、そのうちの五日間は意識がなかったのだから、シトリーの感覚では三日くらいなものだ。それが今回は既に七日も経っている。
そろそろオセの顔が見たいし、声が聞きたい。ぎゅっとされたいし、口寂しい。
シトリーはプリンを掬っていた手を止めて、むーと眉間に皺を寄せた。その顔を見てシャックスもビーカーと計量スプーンを膝の上に置く。
「シトリーがストラス様のもとに行かないと言うのなら、我はシトリーの自由を奪ってストラス様のもとに連れて行かなければならない」
ぽつぽつと言葉を置いていくようにシャックスが言った。それが苦しげで悲しげで、べリスさえ口を閉ざしている。
「……そっか」
シャックスはストラスに借りがある。それは、寝床と食事、そして、教育を与えて貰った恩でもある。
だから、シャックスはストラスに逆らえない。配下でも弟でもないが、養って貰った借りがいつまでも返せないままシャックスはストラスに囚われ続けていた。
「我はべリスが羨ましい。いつでも、どんな時でも、シトリーの味方でいられる」
「大丈夫。シャックスが敵にならないように私が気を付けるから。兄上の城に行くよ」
シトリーがそう言うと、シャックスはこくんと深く頷いた。
「そしたら、ここから更に北に進むことになるな」
であるのなら、自分たちがコルリスの街に戻るという選択肢はなくなった。ここでハウルスたちを待つしかないようだ。
「食い終わったら、館の中を見て回ろうぜ。食料と寝床を確保しなきゃならねぇだろ」
「うん、そうだね」
――その時。
不意に辺りが淡い光に包まれて、エントランスの大きな扉の方に気配を感じた。
一瞬前まで何もなかったはずの空間に、急に人影が現れる。それは二人。よく見知ったシルエットである。
「じい!」
思わず立ち上がってシトリーは大声を上げた。
驚いた顔がシトリーに振り向いた。そして、破顔する。
「陛下! 記憶を取り戻されたのですか!」
ハウレスが顔をくしゃくしゃにして笑顔を浮かべ、両腕を広げてシトリーの方へ歩み寄って来る。
シトリーはにこにこしてハウレスの両腕の中に飛び込んだ。
「じい!」
「陛下が眩しいくらいに輝いておられて、じいは感極まっております」
「おいっ、じい。俺が飛ばした鳩はどうした? 受け取ったのかよ?」
「おや。鳩を飛ばされたのですか。まだ到着しておりませんね」
「ほら! やっぱり携帯電話が必要じゃん!」
すかさずシトリーがハウレスの腕の中から出てべリスに言えば、べリスは、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「べリス公、鳩にはなんと?」
「この場所の名前を記した」
「では、わたしが受け取れずとも、あちらに残してきたセルジョが受け取り、兵を率いてこちらにやって来るでしょう」
「陛下……。あのう……」
ハウレスと共に魔方陣で移動して来たのは、リヌスだった。
彼は恐る恐る辺りを窺い、危険がないことを確認し終えると、ようやくシトリーに話し掛けて来た。
「それで、例の女はいったいどこにいるのでしょうか? 少女たちは無事ですか?」
シトリーは、ふっと表情を曇らせてリヌスを見やり言った。
「女は向こうで気を失ってる。シャックスの魔法でしばらくは目覚めないから安心して。それで、その、少女たちは……」
「リヌス、てめぇの目で確かめて来い。みんな、あっちにいるからさ」
言いづらそうにしているシトリーに代わって答えると、べリスは広間の方を顎でしゃくった。
「この館はラウム伯の別邸ですな。昔はよくここで舞踏会が催されておりましたぞ」
「そうなんだね」
昔を懐かしむように話し始めたハウレスにシトリーは気のない相槌を打つ。
「いつの頃からか、ラウム伯は舞踏会を主催されなくなり、他の者の舞踏会にも姿を見せなくなりました」
「ラウムに何かあったの?」
「はて。わたしには分かりかねますが、ラウム伯が陛下のもとにやって来て、傍から離れなくなったのと、ちょうど同じ頃だったのではないかと。なので、あれは百年ともう少し前くらいですかな」
「じゃあ、私が理由?」
「これは推測ですが、寂しさを紛らわす必要がなくなったのでは?」
「どういうこと?」
分からないと首を傾げると、ハウレスもシトリーを真似るように首を傾げた。
「寂しい者は華やかな場所に身を置きたくなるものだからでしょうか? 自分が主催すれば、自分が中心でいられる。だが、その必要がなくなったのなら、何も大変な労力を割いてまで舞踏会を主催する必要もありません。そういうことだったのではないでしょうか?」
言いながらハウレスは広間の扉を両手で押すようにして開いた。
「陛下はきっとラウム伯の寂しさを取り除いたのでしょう」
そして、とハウレスは広間の惨状に目を細めて、付け加えるように言った。
「きっと別の寂しさと苦しみをラウム伯に与えてしまっていたのかもしれませんね」
そう言って口を閉ざしたハウレスが扉の前から退くと、代わってリヌスが扉を通って広間の中に入って行った。
「これは……っ」
14人の少女たちの末路を見て、彼は言葉を失った。
「なんて残酷な……っ」
「リヌス、その女のことを頼んでいいかな。コルリスで処罰することが難しいようなら、王都で裁くから連れ帰って欲しい。それから、少女たちも……」
「はい、必ず彼女たちを家族のもとに帰します」
「うん、頼んだ」
その後、リヌスはコルリスの街に待機させている部下に向けて鳩を飛ばし、14人の少女たちを連れ帰り、蜘蛛女を護送するために、コルリスの街の常駐軍を借りてこちらに向かうようにと指示を送った。
それから二日後にセルジョが、シトリーが王都から連れて来た二百の兵士たちとドルシアを含む使用人たちを率いて到着する。
セルジョはハウレスの読み通り、鳩を受け取り、すぐにあの村を出発してくれたらしい。
彼はシトリーの無事の姿を見ると、オセに殺されずに済んだと言って、膝から崩れ落ちるように床に伏して喜んだ。
それからドルシアとも再会を果たす。ドルシアはシトリーの破れたシャツに気付くと、顔を青ざめさせ、衣装箱をひっくり返し始めた。さっそく新しい衣服に着替えさせられる。
一段とフリルの多いシャツにウエストコートとフロックコートだ。
そのさらに半日後。
百人ほどの兵士たちが14台の荷車と、蜘蛛女を乗せるための檻車を運んできた。リヌスが借り受けたコルリスの街の常駐軍の兵士たちだ。
彼らが少女たちを白布に包み、丁重に荷車に乗せている間、セルジョと共に到着した料理人たちがさっそく料理をしてくれて、シトリーたちは食事を取ることになった。
その席で、ハウレスが今後の予定について確認してくる。
「つまり、ストラス殿下の領地に向かわれるということでよろしいのですね?」
「うん、呼ばれてるからね。じいは先に帰っていいよ?」
「とんでもない。じいもお供致しますぞ。万が一の時にストラス殿下を止められるのは、このじいだけかもしれませんし」
頷いて、次にシトリーはセルジョに視線を向ける。
彼は同じ食卓には着かず、まるで衛兵のように食堂の入口で立っている。
「セルジョはどうするの?」
シトリーに問われてセルジョは驚いたように一瞬、目を見開き、それから僅かに眉毛を吊り上げて答えた。
「もちろんお供させて頂きます。わたしの任は陛下を無事に閣下のもとに届けることですから。閣下の許可なくお側を離れることはできません」
――だというのに、魔方陣の制限のために二日間もシトリーの側から離れてしまったことが、不本意で堪らなかったと彼は暗に言っている。
これからしばらくは、一秒たりとも側から離れないつもりで、常に付きまとってくるかもしれない。
久しぶりのちゃんとした食事に満足してシトリーはナイフとフォークを皿の上に置いた。
料理人たちが到着するまでの二日間、ラウムの別邸の調理場を借りてシトリーたちは自分たちで食事を用意しなければならなかった。
しかも、そのメンバーときたら、シトリーとべリスとシャックスとハウレスとリヌスである。
このうち、調理器具を握ったことがあるのはシャックスだけだという恐ろしさ。
食材は豊富とは言えないものの、とりあえずあったので、シャックスのふわっとした指示のもと、どうにか喉を通過可能なものを作り、二日間を乗り切った。
(いやぁ。館にいながら、とんだサバイバルだったわー)
調理に慣れた者がつくる安全な食事がいかにありがたいことか、実に深く身に染みた。
食堂からエントランスホールに戻ると、出発の準備を終えたリヌスがシトリーたちを待っていた。
シトリーたちはもう一晩この館で休んでから北に向かうので、先に出発するリヌスたちを見送るため、リヌスと一緒に玄関の外へと出る。
「陛下、この度はお力を貸して下さり、ありがとうございました」
リヌスはべリスとシャックスにも順に礼を言うと、再びシトリーに視線を向けて言った。
「これよりわたしはコルリスの街に戻り、今回の事件の後処理を行います。それを終えてから王都に帰還するつもりです。陛下は、さらに北に進まれるとお聞きしました。道中くれぐれもご無事で。そして、必ず王都でお目に掛かりたく思っております」
「うん、リヌスも気を付けて」
リヌスは一礼をすると、待機させていた兵士たちのもとに向かう。
14台の荷車と1台の檻車。それらを護衛する兵士たちと共にリヌスはコルリスの街へと戻って行った。
【メモ】
軍団数
シトリー…60 オセ…30 べリス…26 ラウム…30
ストラス…26 シャックス…30 カイム…30 ハウレス…20(かつては、36)
軍団数は爵位と関係がない。たぶん、魅力値? 統率力? 領地の広さなどが関係している。