41.さようなら、特別な友達
※流血描写あり。
切り結ぶと、ラウムの細剣が大きくしなる。
まるでムチのように柔らかく自在で、攻撃をすべて受け流していた。
それでいて、ラウムは隙さえあればシトリーの体を突こうと細剣の鋭い先端を前に突き出してくる。
(やりにくい!)
いつも自分よりずっと体の大きな相手と剣を交えてきた。
力はなくとも素早く動いて相手の隙をつく戦い方は、シトリーもラウムも同じだ。だからこそ戦いにくい。
回転して剣を横に払うと、ラウムはシトリーが背中を向けた瞬間に細剣を前に突き出してくる。
次の回転で細剣を払い退けようとすれば、細剣は大きくしなってから元の直線に戻ろうと、跳ね返ってきた。
ピッ、と細剣の先端がシトリーの襟元に引っ掛かり、布地を裂いて左肩が露わになる。
あと少し細剣の剣先が右にずれていたら、喉を裂いていた。そう思い、ぞっとする。
ラウムは右手で細剣を扱いながら、左手で空中に円を描き、黒く光る円盤を生み出すと、それを空を切るように投げ付けてきた。
右腕で払い落とそうとしたが、いざ、円盤が目の前まで飛んでくると、嫌な予感がして、咄嗟に身を捩って躱した。
ぶんっ、とシトリーの耳のすぐ横を黒い円盤が飛んでいく。そして、飛んでいった先の壁に深々と食い込んだ。
(はっ!? 何あれ!? やばっ!! 避けてなかったら、腕、切断されてたかも!)
〈シトリー〉
心配そうなシャックスの声が頭の中に響いて、ちらりとシャックスの方に視線を向けた。
(大丈夫。手を出さないで)
魔剣だという自分の剣を、ぐっと握り締めて、再びラウムに切り掛かった。
回転して切り付けて、跳んで振り下ろして、すぐに回転して横に薙ぎ払う。ラウムの細剣の動きを目で追いながら、確実に同じ場所ばかりを狙って剣の刃をぶつけた。
ぶつけて、少し引いて、叩きつけて。同じ場所を何度も狙う。そこは、細剣の中心よりもラウムの手元に近い一点だ。
細剣の根元付近は先端よりも肉厚に造られているので、時間はかかってしまうだろうが、ラウムの細剣がシトリーの魔剣よりも頑丈だとは思えない。
肉も骨も豆腐のように切る魔剣だ。きっとやれる!
それにラウムの細剣は、本来のレイピアよりも剣身が短く、軽々と扱っているように見えた。正しくはレイピアではないのかもしれない。
本来、レイピアの剣身は1メートルほどある。だが、ラウムの細剣は90センチもない。80センチ、いや、70センチもなかった。
両刃だが、フェンシングで使われる剣のように大きくしなり、レイピアほど頑丈には造られていないように見えた。
もしや、レイピアを起源とし、さらに細く短く軽量化したスモールソードと呼ばれる細剣なのかもしれない。
それは17世紀の半ばから18世紀に、西洋紳士が『紳士』の象徴として身に着けた装飾具だ。
さらにラウムの細剣は、柄のグリップ《握り》やガード《鍔》に金細工が施され、小さな宝石が埋め込まれている。その装飾性の高さから、スモールソードの中でもドレスソードと呼ばれる儀礼用に特化したものかもしれない。
つまり、実用性が低い、ファッションのための剣だ。
(――折れる!)
思惑に気付かれないように3回に1回は別の場所に切りかかる。左腕。左の太腿。右肩。それらすべてをラウムは細剣で防ぎ、左手で黒く光る円盤を投げつけてきた。
至近距離で投げられた円盤を体を捻って避ける。ガシャンッと天井のシャンデリアに当たって、半分が砕け、均等を失った残りは床に落ちて粉々に砕けた。
(まだか)
ガツン、ガツン、と剣を交らわせ、回転して、また打ち込んだ。
再び円盤が飛ぶ。すぐに判断して避けた。
ラウムは右手の細剣を防御に使い、左手で魔力を円盤の形に実体化させて攻撃してくる。やっかいなのは左手の攻撃だ。
(先に左手をどうにかするべきか)
迷いが生じた時だった。ラウムの細剣が小さな悲鳴を上げた。
すかさず、シトリーは床を強く蹴って跳び上がり、ラウムに向かって剣を振り下ろす。ラウムは、はっとした表情でシトリーの動きを目で追い、細剣を頭上で掲げる。
二本の剣が打ち合った瞬間にラウムが体と共に細剣を横に流し、シトリーの攻撃を受け流そうとした。
だが、その時だ。
―― パキンッ! ――
ラウムの黒曜石の瞳が大きく見開かれた。
シトリーの剣は、左に躱そうとしたラウムの右肩を捉え、右肩の上から左の脇腹までスッと深く肉を断ちながら滑らかに通った。
ラウムの右手には折れて短くなった細剣の柄が握られていて、剣身は弾け飛んで遥か彼方で柱に突き刺さっている。
「陛下」
信じられないと言いたげな表情でラウムが呟き、次の瞬間、右肩から左脇腹にかけて斜めに入った線から血を噴き出させた。
ブシュ、ブシュッ、と数度に分け、ラウムの鼓動に合わせて赤を溢れさせ、その体を濡らす。
ラウムは膝を折って床に蹲ると、崩れ落ちるように体を横たえた。その床に血だまりができて、みるみると広がっていく。
「ああ、ああ、ああああ……」
痛そうというよりも、熱そうに、苦しそうにラウムが呻き声を漏らした。
「ラウム!」
シトリーは手の力を失ったかのように自分の剣を落とすと、ラウムに駆け寄った。
ラウムが血の気の失せた顔を上げてシトリーを見やる。
「陛下、お見事です」
「ラウムが本気を出していなかった」
「いいえ、今のがわたくしの本気です。かつてほど魔力もなく、体も動けていませんね」
ラウムの言う『かつて』がどれほど昔を差しているのか分からないが、かつて天界で座天使の位にいた彼女だ。
堕天した後も、都市を破壊する能力を持つとされ、大伯爵の爵位を持つ。そんな彼女が、王とはいえ、魔力を封じられたシトリーに負けるはずがなかった。
しかし、ラウムはやっとの思いで首を横に振る。
「手加減なんて……。わたくし、本当に、陛下が、欲しかった…んです。自分のものに、したかった…んです。手加減なんて、する…はずが…ありま…せん……」
「……うん」
やはり苦しいのだろう。息も絶え絶えに口にしたラウムの言葉を否定することはできなかった。
ラウムは床の上で体を仰向けにさせ、震える手で自分の服を捲って腹を見せる。彼女のへその下あたりには、野球ボールサイズの球が埋まっている。
球の半分は体内に、半分は露出しており、その露出したガラス玉のような球の中で金色の輝きが渦をつくり、シトリーのことを呼んでいた。
シトリーの魔力の核と記憶を封じられている封珠である。
シトリーはラウムの傍らに片膝をついて屈むと、呼ばれるままに封珠に手を伸ばした。まさにガラスに触れているかのような、ひんやりとした感触が手から伝わってくる。
指先に力を込めてラウムの腹から封珠を抜き取ろうとしたが、びくともしない。そうこうしている間にもラウムの体からは赤々とした血液が流れ出てきてシトリーの手も赤く染めた。
「陛下、抉り…取って……くだ…さい」
ラウムは折れて短くなった細剣をシトリーに向かって掲げた。だが、もはや力が入らないのだろう。掲げようとした右手はぴくりと動いただけで、実際には少しも床から離れてはいなかった。
「ひと思いに…やって……くだ…さい」
この時間が長引けば長引くほどラウムが苦しむだけだ。
彼女の生暖かい血が床を伝わってシトリーの膝も赤く染める。シトリーはラウムの右手から彼女の細剣を受け取った。
ラウムの苦しさが伝わってきたかのように、はあ、はあ、と浅い呼吸を繰り返して、細剣の柄を逆手で握る。
彼女の体と同化しているかのようにしっかりと埋まっている封珠に沿うように折れた刃を当てた。
ぐっと力を込めて剣身を肉に沈めれば、ブツブツと肉が切れる感触が細剣を通してシトリーの手に伝わってくる。
封珠の直径を予測しながら剣身をラウムの体に対して直角に深く沈めていき、10センチを越えた深さまで刺し進めたところで細剣の柄を横に強く押し倒した。
「うっ」
ぐぐっ、ぐぐっ、と封珠が体内から押し出され、癒着した肉を引き千切る。一度では取り出せず、別の場所に刃を入れ直すと、もう一度、柄を倒して剣身で封珠を掻き出した。
ゴロン。
ラウムの体を伝って床に落ちると、封珠はゴロゴロと床を転がっていく。
ぽっかりと穴があいた下腹部から、新たな血液が溢れ出た。
「ラウム」
「……」
「ラウム?」
「……」
「ラウム!」
「………………」
何度呼び掛けても返事は戻って来なかった。
顔を覗き込めば、彼女は光を失った瞳でぼんやりと天井を眺めている。
だけど、聞こえた気がしたのだ。いつものように明るい彼女の声が。
――陛下、もうダメですよ。ちゃんと受け取ってくださらなきゃ。大切な大切な陛下の魔力の核と記憶なんですからね。
転がった封珠の行方を追って視線を巡らせると、べリスに拾われて、彼の手で自分のもとに運ばれて戻ってきた。
「ほら」
差し出された封珠を受け取ると、両手の中に包み込む。
「これ、どうすれば?」
「封じられた魔力の核も記憶もシトリーの中に戻りたがっているはずだ。戻ってこいと呼んでやれ」
念じればいいのだろうか。
封珠の中で金色に渦巻く輝きを見つめながら、戻って来い、戻って来い、と繰り返し心の中で呼んでやる。
すると、シトリーのへその下あたりが、ぽっと暖かくなった。シトリーの体内に残された核の欠片が、奪われた核を呼んでいる。
金色の輝きを膜のように覆っていた表面が、パリンと、まるでガラスが割れるように砕けて、輝きが溢れ出した。
輝きはシトリーを包み込み、やがてその体内に吸い込まれるようにキラキラと輝く欠片が、手に、腕に、肩に、頭に、全身の肌にぶつかって奥深くに入り込んで来る。
やがて、へその下が熱を帯び、がらんどうのようだったそこが満たされたように感じた。小さな塊と大きな塊がぶつかるように合わさって、ひとつの完璧な姿に戻った。
「シトリーが眩しい」
「輝きが二割増し……いや、四割増し。……五割増しだな」
二人が言いたいことは分かる。自分でも、自分の周りに金粉が撒かれているかのように、キラキラしているのを感じた。
「魔力、戻ってる?」
「戻ってきてる。すぐに全回復するはずだ。記憶は?」
「うーんっと。……分からない」
「既にだんだんと戻ってきてたもんな」
「追々実感がわいてくる」
べリスとシャックスの言葉に頷いて、それから再びラウムに視線を戻した。すっかり血の気を失った顔は土色になり、唇は青い。
血だまりに浸かった、ふたつ分けて結んだ長い黒髪。
自分と彼女は、彼女が植え付けた偽物の記憶のような友人になれたはずなのに。――いや、自分だけはずっとそのつもりだったのに。
だけど、それでも、自分は彼女だけのものにはなれない。彼女のことを大切に思うが、彼女だけが大切なわけではないからだ。
彼女も、彼女の望み通りの記憶を植え付けられるのなら、友人ではなく、恋人だという記憶をシトリーに植え付ければ良かったのだ。
なぜそうしなかったのかと考えれば、おそらくという推測しかできないが、彼女の中にはシトリーに対する情欲がなかったからだと思う。
ただ、ただ、独占したかった。――それだけだ。
見開いたままのラウムの目の上に右手をかざした。そっと瞼に触れて目を閉じさせる。
「失礼いたします」
静まり返った広間に細い声が響いた。
驚いて顔を上げれば、ラウムが開いたままにしていた扉の影に背の高い女の姿がある。
「誰だ!」
べリスが大剣を構えて剣先を女に向けたが、女は恐れることなく広間の中に入ってきた。
女は黒髪を頭の高い位置で結び、背中まで長く流している。質の良さそうなチュニックにブレー、その上にマントを羽織った装いをしており、その背の高さから男装をしているようにも見えた。
「お初にお目にかかります。わたしは伯爵の家令です。主の亡骸を引き取らせて頂いてもよろしいでしょうか」
「ラウムの家令? うん、ラウムをお願い」
おそらくラウムを彼女の復活場所に連れていくのだろう。遺体の損傷が激しいと、そのぶん復活までに日数が掛かるのだが、ラウムのこの状態ではどのくらい掛かるのだろうか。
そんなことを考えていると、ラウムの家令が続けて言った。
「それから、主よりこちらを預かっております。ひとつは陛下の兄君からの手紙です」
「えっ」
思わずべリスとシャックスに振り向く。二人にとっても思いがけなかったようで、それぞれ驚いた表情を浮かべていた。
恐る恐るラウムの家令から差し出された紙切れを受け取る。嫌な予感しかしない。
それは一枚の紙で、四つ折りにされていたので、びくびくしながらその紙を開いた。
――『来い』――
たったひと言。
開くと、A3サイズくらいの大きさになった紙切れに、それだけが大きく殴り書きされていた。
(……)
ぱたりと、ぱたりと、もう一度、紙を折り直した。
「……うん、確かに受け取った」
ラウムの家令は表情をちらりとも変えずに、もう一つ、何かを差し出してきた。こちらも紙切れだ。
「こちらは伯爵領の通行許可証です」
ストラスの領地に行くなら、ラウムの領地を通って北上する必要がある。
おそらくラウムはストラスの手紙の内容を見て、通行許可書を用意してくれたのだろう。
「それから、こちらの館は自由に使ってくださって構わないと仰せでした。客室を整えております。お使いください」
「ラウムは私があの魔方陣を使ってここに来ると分かっていたの?」
「おそらくお分かりだったのだと思います。わたしは主に命じられたことを行っているだけですので、確かではありませんが」
ラウムと『ふたつ月の国』の政務の内容について話した覚えがあるが、コルリス区で事件を起こしている女の話は、ラウムに話した覚えはない。
執務室に入った時にシトリーの机の上に置かれた書類を見たのだろうか。それとも、シトリーの性格を把握しており、必ずコルリス区の事件に首を突っ込んでくると予想したのだろうか。
ともあれ、魔力を取り戻した今、王都に帰るにせよ、ストラスに従って彼のもとに行くにせよ、ハウレスやセルジョ、二百の護衛が追い付いてくるまで動くことができない。
ラウムの言葉に甘えて、今夜はこの館に泊るしかないだろう。
ラウムの家令はラウムの亡骸の横で片膝をついて屈むと、その亡骸を両腕で抱き上げた。家令が立ち上がると、亡骸からボタボタと赤が伝って床に滴り落ちる。
「急ぎますので、これにて失礼させて頂きます」
「待て。聞かせろ。ここはどこだ?」
「主の別邸のひとつで、『墨染めの館』です」
そう答えると、ラウムを抱いたまま家令は丁寧にお辞儀をした。そして、入ってきた時と同じ扉から広間を去って行った。
目の前からラウムの姿が消えてしまい、シトリーは取り残された気分になる。まるで迷子の幼子のようだ。
「シトリー、じいに鳩を飛ばそうと思うんだが……って、うわっ! なんで泣いてるんだよっ!」
「ハト?」
驚愕して叫んだべリスに振り向き、シトリーは首を傾げる。
「なんで、鳩?」
シャックスが、つつっと傍らに寄り添ってきて懐から取り出した白いガーゼ素材のハンドタオルで、そっとシトリーの目元を押さえた。
「鳩に手紙を持たせて飛ばす」
「伝書鳩! ――だからさ、携帯電話を普及させるべきだと思うんだよ!」
思わず声を上げると、べリスは肩を竦める。
「鳩でどうにかなるんだから構わねぇじゃん」
「でも、伝書鳩って、決められたところに帰るだけだからね」
「伝書鳩じゃねぇよ。だから、命じたところにちゃんと向かう。シャックス、鳩を出せ」
べリスに言われてシャックスがハンドタオルを取り出した場所と同じ辺りに右手を差し込み、むんずと何かを掴み、それを漆黒のマントの中から取り出した。
鳩である。ただし、魔界生まれ、魔界育ちの鳩だ。
羽の色合いこそ人間界の鳩と同じだが、目つきが悪く、嘴も鋭利だ。脚の爪が鷹のように鋭く、そうと思えば、嘴もどこか鷹に似ている。
「――それで? なんで泣いているんだ?」
シャックスに紙とペンも出させると、べリスは紙に自分たちの居場所を書き記す。
それから状況を簡単に書くと、紙を小さく千切って筒状に丸めた。
「なんだかさ、寂しくなってしまって」
「寂しい?」
シャックスに小さな筒と紐を出させると、べリスは筒の中に紙を入れて、その筒を紐で鳩の脚にしっかりと固定した。
だって、とシトリーはべリスの手元を眺めながら言う。
「友達がひとり、いなくなってしまった」
「はっ」
べリスが鼻で嗤う。
「そんなもん必要ねぇよ。俺にもお前とシャックスしかいねぇし」
べリスは広間に視線を巡らせ、窓辺に寄る。鳩が通れるほどの隙間を開けてやると、鳩はべリスの手の中から飛び出して、隙間を抜け、窓の外へと羽ばたいていった。
二人のもとに戻ってきたべリスに、シャックスが唇の端をニヤリと引き上げて笑みを浮かべる。べリスは、ぎょっとして立ち尽くした。
「何だよ、気色悪いな」
「シャックスは喜んでいるんだよ。俺にもお前とシャックスしかいねぇし? ――シャックス、ちゃんとべリスに認めて貰えているよ。良かったね」
「うん」
「けっ」
べリスは吐き捨てるように言って、そっぽを向いた。これは、非常に分かりやすい照れ隠しである。
「でもさ、べリス」
「あ?」
「べリスは言ったよ。特別な友人は、おしまいだ、って」
「あー、言ったな。悪かったよ。そういうつもりで言ったんじゃ――あ、待てよ。だいたい『友人』やら『友達』やら、そんな言葉の型に入れられるのが気に入らねぇ」
「ええっと、それはどういうこと?」
シャックスが首を傾げてシトリーの顔を覗き込み、ぺたぺたと軽く押し当てるようにシトリーの頬をハンドタオルで拭ってくる。
「だから、俺たちの関係はそういうもんじゃねぇだろってことだ」
「え……」
「つまり、シトリー」
シトリーの目元や頬に涙が残っていないことに満足すると、シャックスがシトリーとべリスの会話に口を挟んだ。
「我はシトリーとべリスを特別に想う。べリスはシトリーと我を特別に想っている」
「あー」
べリスが呻くように長く声を出して、指先で己の頬を掻いた。
「ああ、うん。そういうことだ。だから、シトリー。寂しがる必要なんかねぇよ。お前には俺たちがいる。――って。シャックス、てめぇ。勝手に俺の想いを口にすんな。しかも、ちゃっかり自分を入れてんじゃねぇ。恥ずかしくねぇのかよ?」
「我よりもべリスの心の声の方が恥ずかしい」
「ああ?」
剣呑な声を響かせたべリスにシャックスは、ささっとシトリーの体の後ろに隠れた。ほとんど隠れ切れていないのだが、可能な限り体を小さくして、べリスの視線から逃れようとしている。
だが、その時。
シャックスが、突然、はっとした表情を浮かべた。
何事かとべリスは大剣の柄を手に握り、シトリーも素早く辺りに視線を巡らせた。
広間には自分たち三人の他には、床に伏せて気絶している蜘蛛女しかいない。三人が口を閉ざせば、辺りは、しんと静まり返った。
そんな中、シャックスがべリスに視線を向け、それから、シトリーに向き直って言った。
「プリンを食べよう」
【メモ】
ラウムの家令
男装した女性。黒髪を頭の高い位置で結び、背中まで長く流している。質の良さそうなチュニックにブレー、その上にマントを羽織った装いをしている。背が高い。
ラウムのことを敬愛しており、主が望むことを可能な限り叶えようとする。
ラウム曰く、優秀。ラウムが長く領地を留守にしているので、代わりにいっさいの政務を行っている。
ラウムがシトリーに入れ込んでいることが、内心、気に入らない。
蜘蛛女のことも不快に思っているため、死んでくれて良かったと思っている。
蜘蛛女
蜘蛛族の女。色白で、ゾッとするほど美しい。黒髪黒目。
赤い唇。長いストレートの髪。
ラウムのことを敬愛している。彼女を慰めようと、或いは、自分に関心を抱いて貰おうと、もしくは、ラウムに媚びるために、少女たちを拐かし、剥製にした。