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34.二週間の留守がカオスを生み出した

 

 おはよう、と言って執務室の扉を開くと、先に政務を始めていたオセが自分の席に座ったまま、こちらを振り向いた。


「おはようございます、陛下。疲れは取れましたか?」

「うん……って、ちょっと、オセ! すごいことになってるよ!」


 オセの机が混沌カオスだ。

 あれをすべて処理しなければならないのかと思うと恐ろし過ぎて震えがくるくらいに、書類が机の上にてんこ盛りである。

 ひとつの机には乗せきれなかったらしく、オセの机の隣に机と同じサイズのテーブルが並べられていて、その上にも隙間なく書類が積み重ねられていた。


(ひぇー。仕事が溜まりまくってるー!)


 二週間あまり城を留守にしていたのだから仕方がないと言えば、仕方がないのだろう。だけど、オセひとりの仕事としては量が半端ない!


(怖い。怖い。この仕事量を見ると、つくづく、この国って、オセ頼りなんだなぁって思うよ)


 オセがいなくなったら、国が滅びること間違いない。

 そして、オセは今も『ふたつ月の国』のために、視線を伏せて黙々と書類に羽根ペンを走らせている。

 なんの助けにもならないだろうけど、自分も自分の机に向かって仕事を始めることにした。


(あれ?)


 自分の椅子に腰を下ろしたところで、何か大事なことを忘れていることに気が付いた。


(んー? ……そう言えば、昨日、オセって、私の部屋に来るとか言ってなかったっけ?)


 風呂に入った後、うっかりベッドに寝転んでしまったのが最後。そのまま朝までぐっすりと寝入ってしまったので、結局、オセが自分の部屋にやって来たのかどうか分からない。

 オセに視線を向けて、その横顔を眺めながら、ねぇ、と声をかけた。


「オセ、昨晩、私の部屋に来た?」

「はい。よくお休みでしたね」


 オセは書類に視線を落としたまま、抑揚のない声で答えた。

 シトリーは、さっと顔色を変える。


「ごめん、うっかり寝ちゃってた! 起こしてくれて良かったのに! ――何か用だった?」

「……」


(えー。なぜ、そこで無言?)


 むーと眉を寄せて、対抗するようにこちらも無言でオセに視線を送り続けていると、オセが降参したかのようにため息をついた。


「すみません。少しだけ拗ねました」

「拗ねた? えっ、オセが?」

「てっきり陛下もわたしと離れがたいと思ってくれているものだと」

「あー」


 自分から離れて行こうとするオセのマントを握り締めたのは、シトリーだ。

 たしかにあの時、自分は不安でいっぱいになって、寂しさと恋しさに狂いそうだったのだ。


「お疲れだったのでしょう。仕方がありません」

「ごめんって。――今夜はちゃんと起きてるから」

「仕事が山積みなので、当分行けません」

「はぁー?」


 これは本格的にへそを曲げている。すみませんは口だけで、拗ねましたと過去形で言っているが、本当は現在進行形だ。

 もういいや。どうせ、後でオセの目を見つめてキスをねだれば、機嫌なんて簡単に治るに決まっている。

 機嫌の悪いオセなんて放っておいて、やるべきことをしようと、シトリーは自分の机の上に視線を向けた。

 シトリーの机の上には箱が3つ並んでいる。『未』と書かれた箱以外は空箱である。

 さっそく『未』の箱の一番上の紙をペラリと摘まんで机の上に広げた。


 一枚目は、テツラ区でのティグリスについての続報だ。ついに村人を襲ったらしい。

 帰城したばかりで申し訳ないが、早くフォルマに退治して貰わないとならないだろう。

 羽根ペンを手に取って、書類にサインをしてから『決』と書かれた箱に入れた。


 二枚目は、コルリス区で少女を攫って喰っていた女がモンス区に逃げたとの報告書だ。この報告書はリヌスという者が書いている。

 彼は特別調査員としてコルリス区に派遣されたのだが、彼がコルリス区にたどり着く前に例の女は逃げてしまったのだという。


(ええー、何それ! ヤバくない?)


 少女をさらって食べている時点で既にヤバい案件だが、逃げられたとなると、解決するまでに時間が掛かるだろう。その間に被害者がもっと増えそうだ。


(コルリス区とモンス区って、どの辺だっけ?)


 モンス区も聞き覚えのある地名だ。

 国境の近くであるため常に不穏だという嘆願書を目にしたような気がする。


(国境というと、誰かの領地と接しているんだろうな。誰だろう?)


 そう言えばと視線を上げると、執務室の本棚が視界に飛び込んできた。

 それは、オセが政務を行うために必要な資料や過去の事案を集めたファイルが並べられた壁面本棚だ。

 その中に地図帳が1冊くらいあるのではないかと、椅子から立ち上がって本棚の前に移動した。


 床から天井までズラリと本が並んでいる。地図帳のような通常よりもサイズの大きな本は下の方に仕舞われていることが多いので、 膝を折ってしゃがみ込むと、一番下の段に視線を向けた。


 右から左へと本の背表紙に視線を流すと、それらしき本を見付けて本棚から引っ張り出した。

 その場で表紙を捲ると、思った通り、魔界の地図だ。

 床に本を開いて、その上に被さるような姿勢で地図に目を落とす。


 最初のページは魔界全体の地図なので、『ふたつ月の国』は親指で隠せてしまうくらいの大きさしかない。これでは用をなさないので、ページを捲った。

 帝都の地図。帝都付近の地図。帝都よりも北方の地図。それから西方。そして、東方の地図のページになって、さらに何ページか捲ると、ようやく『ふたつ月』周辺の地図が出てきた。


(あった。あった。……ん?)


 ページの下の方に、小さな文字で何か書いてある。読むと、『ふたつ月』という土地についての文章だった。

 その文章によると、元々、内海が広がっていた場所に海底が隆起して陸地ができたのだとか。

 しかも、それが1860年代後半のたった数年のうちに起こったらしい。


(マジか。そんな短期間で地殻変動が起きたのか。人間界だったら、ヤバすぎて人類が滅びるわー)


 ラウムから『ふたつ月』は新しい土地だと聞いていたが、なるほど、この地図帳によると、160年ほど前にできたばかりの土地らしい。確かに新しい。


(1860年っていうと、江戸時代の終わりくらいかな?)


 人間界の出来事は魔界に直結する。おそらく魔界の東方は、日本周辺のアジア諸国の影響を強く受けていると考えられる。

 つまり、1867年、江戸幕府は終わりを迎え、そこから日本という国が急速に近代化を進めたことが魔界に影響を与えたと予測する。

 近代化の過程で、日本は、日清戦争、日露戦争へと突き進んでいったからだ。


(――で、コルリス区とモンス区はどこだ?)


 うっかり当初の目的を忘れるところだった。

 地図上の『ふたつ月の国』を人差し指でなぞりながら『コルリス』と『モンス』の文字を探す。

 人差し指は地図の上の方で止まった。さらに上に指を動かせば、ラウムの領地に入ってしまう。


(コルリス区はシトリーの領地の最北端で、モンス区はオセの領地の最北東。どちらもラウムの領地のすぐ近くだ)


 ラウムの領地は、シトリーの領地と北方で接している。つまり、コルリス区の北がラウムの領地である。

 オセの領地はシトリーの領地の北西で、『ふたつ月の国』の一部という扱いだ。

 モンス区はオセの領地内にあり、コルリス区の北西の端と接しながら北に伸びた地域である。


(なるほど。モンス区が不穏だというのは、オセとラウムの領境だからか)


 めちゃくちゃ納得した。

 その時、執務室の扉をノックする音が響く。パッと顔を上げて扉を見やった。

 グイドが顔を出す時間にはまだ早い。彼ではないとしたら、いったい誰だろうか。

 オセが入室を許可すると、扉が開いて燕尾服の男が執務室に入ってきた。どこかで見た顔である。


「珍しいな。お前が表に出てくるとは」


 男を見てオセは明らかに驚いていた。対して、男の方はシトリーが床に突っ伏して地図を眺めていることに、ギョッとした様子だ。

 部屋の中に一歩踏み入れたところで、体を強張らせて動けなくなっている。


「ブルーノ?」


 オセが怪訝そうに男の名前を呼んだ。

 男は、はっとして視線をオセに向ける。


「お忙しいところ申し訳ございません。ひとつ、オセ様にお願いがございまして、無礼を承知でこのようなところまで来させて頂きました。陛下の側仕えに関することです」


 陛下の、と聞いてオセは手にしていた羽根ペンをペン立てに戻した。

 シトリー自身も床に肘を立てて頬杖を付きながら燕尾服の男を見上げる。


「これまで陛下の側には伯爵がいらっしゃいましたが、伯爵が去り、陛下のお世話が十分にできておりません。そこで、伯爵の代わりとなるような侍女を探してはいかがでしょうか?」


 男が言う伯爵とは、ラウムのことだ。

 オセが視線をちらりとこちらに向けてきた。しかし、無言で男に視線を戻す。


「必要だろうか?」

「はい。万が一、伯爵が戻って来ようとした時のために、別の者を陛下の側に置いておく必要があります」


 オセは僅かに考える様子を見せてから、ひと言、ブルーノに向かって言った。


「任せる」

「承知致しました」


 ブルーノがオセに向かって一礼し、そのまま執務室を出て行こうとしたので、慌てて彼を呼び止めた。

 体を起こして床に胡坐をかくと、ムッとしながらブルーノを見上げる。

 どこかで見た顔だと思っていたが、驚いた表情で振り向いた彼の顔を見て思い出した。べリスと晩餐を共にした時に食堂にいた男だ。

 食堂の入口でラウムの同席を断ったのが、彼だった。

 その時の態度や今の発言からして、彼がラウムに対して良い印象を持っていないことは明かだ。


 それもそのはず。彼はシトリーの家令であり、シトリーの私的な財産のいっさいを管理している。当然、私邸の管理と私邸で働く使用人たちの監督も彼の仕事だ。

 ところが、ラウムが強引に彼とシトリーとの間に割り込んできて、勝手にメイドを連れ込んだり、シトリーの身の回りの世話を始めたり、シトリーの食事に関してまで口を出したりと、彼はラウムにとことん職域を侵され続けてきたのだ。


「――っていうか、なんで私の家令なのにオセに許可を求めるの? おかしくない?」

「申し訳ございません。陛下のご意見もお聞かせください」


(……も?) 


 若干、引っ掛かりを覚えるが、とりあえず謝罪を受けられたことに満足して、そもそもの話から始める。


「メイドと侍女って、どう違うの? メイドならいっぱいいるよね? 今朝も誰が来たよ。見覚えのない顔だったから、名前も分からないけど」


 尋ねると、ブルーノは滑らかに語りだした。


「城においては、あまりメイドとは言いません。女中、或いは、下女です。どちらも炊事や洗濯、清掃が主な仕事ですが、下女や下男は陛下の目には触れないような場所で働いています。陛下がメイドだと思われたのは女中と呼ばれる者たちで、彼女たちは基本的に陛下とは口を利けません。問われれば答えるでしょうが、陛下の前で不必要に口を開くことを禁じられています」

「へぇ」


 そんなこと露とも知らず普通に接していた。


「それなら、侍女は? おしゃべりしてもいいの?」

「侍女の主な務めは、主の身の回りの雑務をすること、そして、話し相手になることです」

「いいね! 侍女、欲しい!」


 ラウムがいなくなって、胸にぽっかりと穴が開いてしまったかのようだった。

 自室でひとり過ごすのも、お風呂にひとりで入るのも、寝る前に『おやすみ』を言う相手がいないのも、本当に寂しい。


「侍女には教養を必要とされますので、きちんと教育を受けた娘が選ばれます。要するに、有力者の娘です」

「というと?」

 首を傾げると、ブルーノは更に詳しく言い直してくれる。

「たとえば、街の政務官の娘などです」


 ぽんっとシトリーの脳裏に一人の顔が思い浮かぶ。


「ドルシアだ!」

「ぶっ」


 どこかで吹き出した音が聞こえたような気がした。

 ちらりとオセに視線を向けると、彼は素知らぬ顔で書類を読んでいる。シトリーとブルーノの会話など聞こえていないかのような様子だ。

 ブルーノが眉を寄せて聞き返して来た。


「ドルシアと申しますと? どちらのご令嬢でしょうか?」

「シルワの街の政務官の娘だ。父親の名前は、ええっと……キケロだ!」

「シルワの街に滞在されたと聞きました。その時にお気に召されたご令嬢なのですね」

「えー。それはどうだろう? お気に召されたっていう感じではないかなぁ……」


 大きく体が傾くくらいに首を傾げると、ブルーノは瞬時に怪訝顔になった。


「陛下、ドルシアというご令嬢はいったいどのような方なのですか?」

「えっ、それ聞いちゃう? ドルシアは裸でベッドに潜り込んでいたんだ」

「はい?」

「今年一番の衝撃だった。いや、ここ十年で一番の衝撃だと思う」

「陛下、そのような娘を侍女に迎え入れるのですか?」

「なんかさ。後からじわじわ来てて。思い出すと、笑えてくるんだよね。インパクトやばかった!」


 ブルーノは押し黙る。それから諦めさえ滲ませて彼は首を横に振った。


「シルワの街のキケロの娘、ドルシアですね。侍女にしてみて駄目そうでしたら、家に帰せば良いだけですから、迎え入れる支度を整えておきます」

「うん、面白いことになりそう!」

「わたしは面白さを求めておりませんが、陛下のご希望に沿いましょう。それでは失礼致します」


 ブルーノは再び頭を下げて、今度こそ執務室から出て行った。

 床の上に開いた地図帳を手に取ると、本棚のもとの場所に片付けながら、ふふふっと笑みを零す。何やら、ひとつ悪戯を成功させたような気分だった。

 うきうきしながら自分の机に戻ると、机の上に広げたままになっていた書類にサインを書いて『決』の箱の中に入れる。そして、『未』の箱に手を伸ばしながら、オセの方にちらりと視線を向けた。

 すると、オセもこちらに視線を寄越してきて、抑揚のない声で言う。


「楽しそうですね。そんなにドルシアが城にやって来るのが楽しみですか?」

「そうかも」

「なぜ彼女を? 面白そうという理由だけではないのでしょう?」

「うん。ちょっと可哀想だったな、と思って。だって、あんな大勢の前で大騒ぎしちゃったでしょ? あげく王都に連れて行って貰えなくて、ぶっちゃけ、恥だよね」


 ドルシアが王のベッドに裸で忍び込んだ話は、おそらくシルワの街中に知れ渡ってしまったに違いない。

 それで成功していれば少女たちの羨望の的になれただろうが、失敗してしまったとなると、ただの恥さらしだ。下手したら、今後、嫁ぐことさえ難しくなるかもしれない。

 ふいっとオセはシトリーから視線を逸らし、書類の山から次の書類を手に取った。


「オセ?」


 名前を呼ぶと、オセはこちらを見ずに答える。


「陛下の侍女ですので、陛下のお好きなようになさってください」


 突き放されたような言い方に、ドキリと胸が跳ねる。


 ――怒ってる? まだご機嫌ななめなのだろうか。


 拗ねているところに、さらに気に食わないことが起きたという感じである。

 おそらく機嫌が良い時なら、ドルシアのことなど、まったく気に留めなかったはずだ。

 仕方がない。そろそろご機嫌取りでもしてやるかと椅子から立ち上がると、机の周りを回ってオセの横に立った。

 彼の手元を覗き込むようにしながら、ねえと話し掛ける。


「それは何の書類?」

「戦死者の遺族に送る弔慰金についてです。階級によって金額が異なるので、誤りがないか確認しています」


 他にも負傷者に渡す見舞金に関する書類、消耗した矢などの武器の補充を求める書類、薬剤や兵糧をどれほど消費したかを記した書類などがある。

 それらの数字が妥当であるか、不正はなかったか、最終確認するのがオセの仕事のようだ。

 これがシャックスが言っていた戦いの後に処理すべきことなのだろうか。大変そうだ。


「――オセ、膝に乗りたい」


 伏せられていた瑠璃色の瞳がゆっくりと見開かれて、オセが書類から顔を上げた。

 お互いの瞳が合わさって5秒。椅子を引いて体と机の間に空間をつくると、オセが、ふっと笑みを溢した。


「どうぞ」

「うん」


 ――ほらね。ちょろい。


 オセの肩に手をついて、その膝の上に太股を乗せる。向き合うようにオセの体を跨いで膝に尻を落とすと、広くて頼りがいのある胸板にぎゅっと抱き付いた。

 オセの背中に両手を這わせ、オセの胸板に頬をくっつけて、収まりの良い場所を見付ける。

 オセの方もシトリーの背を左手で支えながら椅子を引き寄せて座り直すと、机に向かう。そして、再び羽根ペンを手に取って書類に視線を落とした。


 オセの邪魔する気はないので、瞼を閉ざしてオセの心音に耳を澄ませていた。

 眠気を誘うその音に心地よくなっていると、オセの左手がシトリーのチュニックの裾の下に潜り込んできて、優しく素肌を撫でる。

 薄く瞼を開き、ちらりとオセの顔を盗み見ると、顔と左手は別人のものなのではないかと思うくらいに、オセの表情は真顔だ。


(ぶぶっ!! どうなってるんだよ、オセ。顔と左手が合ってない!)


 肌のきめ細かさを味わうように背中を撫で回す左手はこんなにも不埒なのに、オセは何食わぬ顔で書類にサインを書くと、次の書類に右手を伸ばした。

 コンコンコン。

 軽い音が響いてオセの返事を待たずに扉が開く。こういう登場の仕方をするのはグイドだ。

 日焼けしたような浅黒い顔がひょっこりと扉から覗いた。


「おや、取り込み中でしたか。追加分をお持ちしましたよ」


 聞いておきながら取り込んでいないことは扉をノックする前から分かっていたに違いない。遠慮なく部屋の中に入ってくる。


(――というか、追加分って言ったか? 鬼だな、グイド。悪魔だけどさ)


 鬼なグイドの顔を見てやろうと、オセの胸板に手をついて膝から降りないままグイドに振り向いた。

 おっ、とグイドが目を丸くして大袈裟に驚く。


「陛下、起きていらしたんですね。てっきりお休みなのかと思いましたよ」

「グイドこそ、オセが留守にしている間、サボってたんじゃないの? オセの机がこんなになるのは、おかしい」

「おかしいですか?」

「留守の間はグイドが代わりにオセの仕事をするんじゃないの? なんもやってないじゃん」


 非難するように言えば、グイドは大きくため息をつく。


「はぁ、オセ殿。陛下に仰ってくださいよ。わたしだって精一杯働いていたんです。オセ殿だけではなく、大公もいらっしゃらなくて、本来の自分の仕事もありますし、戦時中ならではの緊急を要する案件も次々に出てきます。分身したいくらい大変だったんですよ」


 オセに言えと言いながら、すべて自分自身で弁明すると、グイドは持ってきた書類を追加分としてオセの机に置いた。


「ところで、大公が先ほど帰城されました」

「何?」


 ようやくオセは書類から顔を上げてグイドを見た。


「一昨日、受け取った報せでは、まだ時間が掛かると」

「オセ殿、陛下の魔力と記憶のことを大公に報せましたよね? それを読んで、単身で馬を駆って帰ってこられたそうです」

「そうか。それで、今どちらに?」

「ここだ」


 ハウレスの重りのように低く響く声が聞こえて、はっとオセが扉の方に視線を向けた。

 ハウレスは旅の埃を落として、身だしなみを整えてから執務室にやってきたようだ。

 糊のきいたシャツにグレーのベストを着て、同じ色のジャケットをボタンを閉めずにお洒落に羽織っている。

 ベストとジャケットのボタンは焦げ茶色だ。そのボタンと同じ色のネクタイを締めている。

 ハウレスはオセを一瞥すると、その膝にオセと向き合うように座っているシトリーに視線を向けて言った。


「陛下、報せを受けて仰天しましたぞ。すぐにラウム伯を追いましょう」

「えっ」


 耳を疑って、オセの胸板をぐっと押しやりながら大きくハウレスの方に体を向ける。


「ラウムに会いに行ってもいいの? すぐ?」

「はい、すぐです。一刻も早く魔力を取り戻さねばなりません」

「うん」


 オセよりも断然話が早い。

 ハウレスとちゃんと向き合って話をしようと、オセの膝から降りようとすれば、それを妨げるようにオセの左腕がシトリーの腰に絡み付いた。腰を抱くその左腕には、ぎゅっと、かなりの力が込められている。

 困ったように眉を寄せてハウレスを見上げると、ハウレスはオセに向かって咳払いをした。


「オセ」


 一度だけハウレスがオセの名前を呼んだ。

 オセの腕がするりとシトリーの腰から離れたので、オセの膝から降りると、ハウレスに駆け寄った。


「でも、どうして? オセはかなり渋ってたよ」

「まったく浅はかな愚息で申し訳ございません。陛下、魔界は下剋上でございます。強い者が上に立ち、弱い者を支配する。魔力がなければ上には立てないのです」

「つまり?」

「陛下の魔力の核が損傷していると知られれば、陛下の王位を狙う者が現れるかもしれません」

「それは困りましたね。嫌ですよ、わたしは。この『ふたつ月の国』を気に入っておりますから、陛下以外の者を王として迎えるなんて考えたくもありません」


 グイドの言葉に、うんうんと大きく頷いてハウレスは続けた。


「わたしもオセも全力で陛下をお守りいたしますが、陛下が『ふたつ月の国』の王でいられるのは、陛下にそれだけの魔力があると皇帝陛下から認められたからです。その魔力が陛下にないとなれば、陛下の王としての資質が問われ、王位を巡る血で血を洗うような争いが起きることでしょう」

「えーっと……」


 似たようなセリフをどこかで聞いた覚えがある。どこだっただろうかと記憶をたどれば、ラウムの声音で脳内で再生された。


 ――王位を巡って我が君の国は血で血を洗う争いとなってしまいます。


 魔界に召喚されたと思った最初の日に、ラウムから魔王の身代わりになって欲しいと頼まれた時に言われた言葉だ。

 ほとんど同じ言葉をハウレスによって再び言われて、なにやらスタート地点に戻ったような気持ちになる。

 だけど、今度はラウムに頼まれたわけではなく、血で血を洗う争いを防ぐためにラウムを追うことになるのだ。 




【メモ】


ドルシア…『私』『陛下』『総裁閣下』後に『オセ様』『大公様』『公爵様』『ブルーノ様』

 シルワの街の政務官の娘。父親の名前はキケロ。下級悪魔。

 亜麻色の髪。赤茶色の瞳。18歳。165センチ。ヤマネ族。

 自分の容姿に自信を持っていて、その美貌が衰えないように中級悪魔になりたいという願望を抱いている。

 19世紀くらいの服装が好き。フリルたっぷりな服が好き。

 16歳の妹と11歳の弟がいる。


 

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