30.違う方向に振り切れてしまったようだ
(えーっと?)
二人とも口を閉ざすと、この部屋は無音になる。窓がなく、外界の音が伝わって来ないからだ。
きっといるはずの館の使用人も離れた場所で己の仕事をしているようで、自分たち二人の他に人の気配がない。
(私、ふられた?)
友達になってと言って、友達にはなれないと断られたので、たぶん、ふられたのだろう。
ががんっ、と古典的なショック顔をつくってから思わず大声を上げた。
「ふられたー!」
「ふられたのは、俺だ!」
アホかーっと速攻でツッコミが入る。
「告白される前にふるとか。あんた、本当にどうかしてるよ。ちょっと目を離しただけなのに、部屋はめちゃくちゃだわ、血だらけだわ。黒豹の苦労が察せられる」
「ご、ごめん」
「俺には、あんたは手に負えない」
そう言いながらもカイムは両腕に力を込めて苦しいくらいに抱きしめてくる。
今はカイムのしたいようにさせた方が良いような気がして、おとなしく彼の腕の中で息を殺した。
「攻略失敗だな」
「え」
しばらくして、不意に聞こえてきた言葉に反射的に聞き返す。そして、自分が散々話して聞かせた乙女ゲームの話だと気が付いた。
好きだと言って、好きだと返事を貰えたら、攻略できたということで、ハッピーエンドなのだと説明した覚えがある。
うん、と頷いて苦笑を漏らした。
「私もだ。攻略失敗した」
「こういう場合どうするんだ? バッドエンドだろ?」
「うーん、そうだなぁ。スタートからやり直したり、セーブしたところからやり直すかな。間違えたところが分かっているのなら、そこで違う選択肢を選べばいいし、どこで何を間違えたのか分からなければ……、うーん、とにかく前とは違う選択肢がないか気を付けてやり直す!」
やり直しなぁ、と言ってカイムが頭の上に顎を乗せてきた。頭を顎置きにされて、重いし、カイムの顎の骨がちょっと痛い。
「俺はどこからやり直すべきか。やはり天使軍のひとりとして魔界に攻めて込んだ時か。――あんたはどこからやり直す?」
「カイムを攻略するために? それならたぶん一番最初に『囁きの森』という地名を聞いた時かな。あそこで違う行動を選んでいたら、違っていたかも」
もし、あそこではないのなら、今の自分ではなく、ちゃんと記憶を持ったシトリーがやり直さなければならないだろう。
シトリーが真面目に政務を行い、広い視野を持って行動をしていたら、もっと早く『囁きの森』のカイムの存在に気付いたに違いない。
そうしていたら、シャックスを通じてカイムと出会っていた可能性もある。
だけど、それでシトリーがカイムを攻略できたとしても、それでもやっぱりカイムが望むようなハッピーエンドにはならないと思う。
「ごめん、カイム。私はカイムを『友達』になるために攻略したいけど、カイムは違うんでしょ? だとしたら、カイムがどのくらい前に戻ってやり直しても、何回やり直してもダメだと思う」
「ダメ? なぜダメなんだ?」
「カイムの方がオセよりも早く出会っていたら、もしかしてと思うこともないんだけど、でも……、私、4歳の時からオセが好きだ」
「はっ、4歳っ⁉」
カイムは裏返った声を発してから絶句する。彼はシトリーの肩を両手で押しやるようにして体を離し、まじまじとシトリーを見やった。
彼が言葉を失うくらいに驚くのも無理がない。自分だって驚いている。
だけど、シャックスの言葉を思い出したのだ。
――シトリーが能力に目覚めたのは、4歳の頃。オセ殿に対して能力を発動させたのが初めてだった。
つまり、4歳のシトリーは能力に目覚めるくらいに強くオセを求めたのだ。この男が欲しい、と。
そして、自分でその言葉を口にしてみて思い知る。好きなのだ、オセが。
シトリーの記憶はない。もちろん、4歳の頃の記憶だってない。その時にどれくらい強い想いでオセのことが好きだったのか、それからずっと一途にオセのことだけが好きなのか、そんなこと、ちっとも覚えていない。
だけど、今、シトリーの記憶を持たない自分が焦がれているのは、オセだ。
(オセが好きだ)
最初は、その外見が好みだと思った。背が高くて、かっこいい、と。
綺麗な顔立ちをしていて、纏っている雰囲気が穏やかで、一緒にいると安心できると思った。
長い指が好き。包み込んでくる体温が好き。優しい匂いも好き。
オセを想うと、会いたくなる。
顔が見たい。声が聴きたい。触れたい。触れて欲しい。
彼のあの瑠璃色の瞳に見つめられたい。
もし本当に自分がシトリーなのだとしたら、記憶を失っても再びオセを好きになったことになる。
ならば、きっと、何度記憶を失っても何度でも自分はオセを好きになるだろう。
「――なので、無理ゲーです」
「はぁ」
ため息をつきながらカイムは三歩後ろに下がって距離をつくった。
だが、彼は右手を自身の顎に触れさせると、親指で顎の輪郭をなぞりながら言った。
「何回やり直してもダメ。つまり何回やり直しても同じ結果になる。――ということは、ここまでは間違っていない、やり直す必要がないということではないか?」
「んー?」
カイムの言っていることの意味を測りかねて小首を傾げる。
何回やり直してもダメっていうことが、なぜ間違っていないということになるのか、理屈が分からない。
だが、カイムの中では筋が通っていることのようで、彼は表情をぱっと明るくして言った。
「要するに、俺はここからだ。ここがスタートなんだ」
「カイム、何言ってんの?」
「俺は今から、あんたを攻略する」
「はぁー⁉」
――意味がわからん‼
「待って。さっき自分で言ってたじゃん。俺には手に負えない、って。がっつり諦めモードっていうか、さっぱりと吹っ切れた感じだったよ。なんでそうなった? おかしいよ!」
両手を前に突っぱねて、近付こうとしてくるカイムから逃げるように後ろに下がる。
『頭がおかしい!』というくらいの意味合いで言ったのに、カイムは顔をニヤニヤさせている。吹っ切れたのは確かだが、違う方向に吹っ切れた――と言うか、振り切れてしまったようだ。
「よく考えたら、ひと目惚れというやつだった。俺はずっとあんたの容姿しか知らなかったし、見ていなかった」
「そ、そうだね。うん」
それはうすうす自分も感じていたことだ。カイムはシトリーの外見を飾ることに夢中になっていたように思う。
事実、彼はシトリーに会うことを欲しながら、同時にシトリーの身を飾るための衣装や装飾品をたくさん集めていた。それこそ、まさにシトリーの容姿に並々ならぬ執着がある証拠だ。
一応、容姿以外のこともストーカーのごとく情報収集をして、シトリーの好みに合わせて本棚を整えてくれたようだが、それにしても、だ。
(ひと目惚れした相手が、実は、ちょっと目を離した隙に部屋をめちゃくちゃにしたり、自傷行為をするメンヘラだったら、ドン引きじゃない? どんなひと目惚れも一瞬で冷めそうなのに)
――なぜ冷めない!?
伸ばされるカイムの手を掻い潜って、テーブルを間に挟むようにその向こう側に回った。
逃げられたと分かると、カイムはますます楽しそうにニヤニヤと笑って捕まえようとしてくる。なんだか怖い。
そうか。これは危険な鬼ごっこだ。捕まったら何をされるのか分かったものではない!
(わぉ。カイムがますますストーカー染みてきたー!)
頭がおかしいカイムは、もしかして、目を離すと危ないからずっと自分が側にいて守ってやらねば、とかいう変な庇護力を抱いてしまったのだろうか。
(ヤバいなぁ。――っていうか、途中まで良い感じだったのに、なんでこうなった?)
こうなると、俄然、迎えが待ち遠しい!
オセもベリスもシャックスも、いったい、どこで何をしているのかっ!
―― ドゴォーン!! ――
(――っ!?)
すぐ近くで轟音が鳴り響く。
鼓膜が破れたのではないかと不安になるほどの音だ。身が竦み、まるで小さな獣になったかのような心地で辺りを窺った。
シトリーが動きを止めたので、すぐにカイムが隣に並んで、突然の異常事態から守ろうとするかのように肩を抱かれた。
轟きは隣の部屋から聞こえた。不安に駈られながら石壁を見つめていると、ドカッ! と音が響き、一度大きく盛り上がってから、ガラガラと石壁が崩れ落ちた。
濛々と白く煙った隣の部屋から、石壁に大きな穴を開けた人物がこちらを睨み付けている。
館の外壁を爆破でもしたのか、火薬の煙のようなモヤが隣の部屋の中を漂い、それが晴れた隙間から燃えるような炎の髪に柘榴石の瞳が見えた。
「ベリス!」
ベリスの姿を見るや、カイムの胸を両手で押し退けてベリスの方に駆け寄ろうとした。
だが、素早くカイムの手がシトリーの手首を掴む。
きっとそれは咄嗟の反応だったのだろう。はっとしたようにカイムが呟く。
「深緋の公爵。なぜ、ここが……?」
その一瞬の隙をついてカイムの手を払い、数歩を飛び退くように逃げた。
だが、ふと思い直して、くるりと彼に振り向いた。
「迎えが来たから約束通り、穀物、安く売ってよね!」
「……ああ」
半ば茫然とした様子でカイムは頷いた。
ピシリと部屋の空気にヒビが入ったような気配がしたのはそれからだ。カイムの結界が外から破られたことを知る。
廊下から扉が開き、シャックスが現れた。
その姿は、残念なことに幼くはない。いつも通りのごろつきのように目付きの悪いシャックスだ。
「シャックス! ごめんね、ベリスに怒られなかった? 私、うっかりしてた!」
次にシャックスと会ったら、第一声は謝罪だと心に決めていた。すると、シャックスは仮面のような無表情で深く頷いた。
「怒鳴られた」
「ああ、やっぱり……」
「シトリーが謝ることじゃねぇ! シャックスが悪い!」
ベリスが穴を跨ぐようにしてこちらの部屋に入って来ると、すかさず声を荒げたので、すぐに言い返す。
「違うよ。私の作戦がずさんだったから」
「シャックスは、自分が移動してきた方向が分かるって言ったんだ。シトリーの居場所が分かるって。なのに、それがホント大雑把で、なんとなくこっちだ、とか言いやがる!」
ズンズン歩いて近付いて来ながらベリスは続けて言った。
「こいつの『なんとなくこちらだ』や『なんとなく、そちらではない気がするが、そちらに限りなく近いあちらだ』とか、わけの分からない言葉に散々振り回されたんだ。んで、オセのやつがシトリーの血の臭いがするとか言い出して、ひと晩、馬を駆けさせてやっとたどり着いたんだぞ」
血……と微かに呟いてカイムがテーブルの下の床に振り向いた。
「それであんな無茶を――」
信じられないとばかりのカイムの視線を受けて、シトリーはいたずらっ子のように肩を竦めて小さく笑みを浮かべた。
そして、歩み寄って来たべリスを労おうと両腕を広げた。べリスは、むっと口を閉じてその両腕に大人しく収まった。
「来てくれてありがとう」
「ああ」
素直に頷くと、べリスも両腕をシトリーの背に回してぎゅっと抱き返す。
そう言えば、と体を離すと、確かめるようにべリスの腹に右手を這わせた。
「べリス、お腹の傷は?」
「とっくに治ってる」
大丈夫だと言ってべリスに右手をそっと退けられると、次にシャックスに振り向く。
両腕を広げると、シャックスの方からぺたぺたと不思議な足音を鳴らしながら歩いて来て、ぎゅっとシトリーの体にしがみ付いて来た。
「頑張ったね。ありがとう」
「うん」
かぁーっとべリスが不満の声を上げる。
「シトリーはシャックスに甘い! 昔っから甘い! しかも、こいつ、今回、本当に役に立っていないからなっ!」
「そんなことない! シャックスは頑張ってたよ。私はシャックスがいてくれてすごく助かった。それに、シャックスは私にとって弟みたいなものだから、甘くていいんだよ!」
「うわっ、今! 今見たかよ! こいつ、俺に、あっかんべぇってしたぞ」
「見てない。シャックスはそんなことしない。もし、してたとしても可愛いから許す!」
ぐっとシャックスを抱き締める腕に力を込めて言えば、べリスは憤慨して地団太を踏む。
「俺は許せねぇー。しかも、シャックスが可愛いとか、目が腐ってるぞ、シトリー!」
べリスの声がぎゃんぎゃんと響く中、廊下からいくつもの足音が響いて近付いて来る。そのひとつに聞き覚えがあって、シャックスから体を離すと扉に視線を向けた。
知らず知らず、胸がドキドキと期待しているかのように高鳴る。扉の影から背の高い青年の姿が現れた時、思わず、はっと息を呑んだ。
(こんな綺麗な顔をしてたっけ? こんな背が高くって、足が長くって、ヤバいくらいに格好良かったっけ?)
数日前に戦場で最後に見た時よりも百倍くらいキラキラと輝いて見えて、めちゃくちゃ格好良くて、胸が苦しくなるくらいに抱き着きたいと切望する。
一秒でも早く、その瑠璃色の瞳で自分のことを見つめて欲しくて、オセ、オセ、と何度も彼の名前を呼びたくなった。
オセは部屋の中を一瞥すると、すっと瞳を細めてカイムに向かって口を開く。
「館を占拠させて頂いた。使用人はすべて捕らえ、館の周りは武装した兵士で囲んでいる」
オセの言葉にカイムは無言で頷いた。
何やら雰囲気が、脳内のお花畑を一瞬で凍り付かせるほどに重い。そして、やたらと緊迫している。
どうやら数日ぶりの再会に歓喜して、抱き締め合いたいと思って浮かれていたのは、自分だけだったようだ。
困惑しながらオセとカイムの顔を交互に見上げた。
「貴公の仕出かしたことは、戦争にもなりかねないことだと理解されよ」
「代償は払う」
「では――」
冷ややかな眼光でカイムを見据えながらオセが剣を抜いたので、慌てて声を張り上げる。
「待って! 穀物を貰う! そういう約束なんだ。すごく安く売って貰うっていう……」
すっと細められた瑠璃色の瞳がこちらを向いた。あんなに見つめて欲しいと願っていた瞳がひどく冷たく、全身に震えが走るほど怖い。
(めちゃくちゃ怒ってるーっ!)
そうだよね、と自分の行いを振り返った。
総大将でありながら敵陣深くまで突っ込み、護衛を振り切って、ラファエルと剣を交えたのだ。べリスと一緒だったとは言え、ガルバを振り切ってしまったのは、まずかったかもしれない。
結果、カイムに誘拐されて――、今に至る。
もちろんオセはカイムに対して一番怒っているのだろうけど、みすみす攫われたシトリーに対しても憤りを感じているようだ。
そして、シトリーを奪われ、その居場所さえ把握できなくなったオセは、どんなに不安を感じて、自身の無力さに打ちのめされていたことだろう。
結局、彼は彼自身に対しても怒りを感じているのだ。
(だけど、ここは引けない!)
怖くて怖くて仕方がないが、剣を抜いたオセに正面から向き合う。カイムを背中に庇ったかたちになって、オセはますます怒りに眉を吊り上げた。
「そこを退いてください」
「退けば、カイムを殺すでしょ?」
「当たり前です!」
――ほら、やっぱり!
上級悪魔は復活するからと、殺すハードルが低いに違いない!
ムカついたから一回殺しておくか、とかいうノリなのかもしれないが、オセがカイムを殺す? ――そんなの、嫌だ!
だって、カイムにはシトリーのことで、これ以上、傷ついて欲しくない!
そして、オセにもカイムを殺させたくない。
カイムを目の前で殺されたら、その光景が今後ずっと自分の脳裏に強く焼き付いてしまう気がするからだ。
「オセ」
オセの能面のような顔を見つめながら、ふるふると頭を左右に何度も振った。
少しずつ、少しずつ、歩み寄って、一歩ずつゆっくりと距離を縮めてようやくオセに手が届く距離まで来ると、彼が羽織っている濃藍のマントを両手でぎゅっと握り締めた。
「オセ、いやだ……」
ひゅっと息を呑む音がオセの喉から聞こえた。絞り出したかのような声が頭上から降ってくる。
「許せません」
「オセ……」
「わたしがどんなに――っ」
「ごめんなさい! 謝るから。いっぱい謝るから! ――私が嫌だと思うことはするな!」
「……っ!!」
オセの瞳が揺らいだのを見て取り、すかさず、ぎゅっと抱きついた。
ぎゅう、ぎゅうと、両腕に力を込めて必死にしがみ付けば、やがて頭上にため息が落とされた。
「分かりました。穀物を頂いて帰りましょう」
「オセ」
ぱっと顔を上げてオセの顔を見上げれば、オセは未だカイムを睨み付けていて、抑え切れない怒気を放ちながら言う。
「ですが、いずれ必ず殺します」
「オセ……」
「さあ、長居は無用です」
行きますよ、と左手を取られて、はたとオセが動きをとめる。オセの視線の先には、テーブルの下の床――血の汚れだ。
「怪我はどこですか?」
「もう治ったよ」
「見せてください」
「あー、えーっと、左腕」
これは見せるまで、見せろと言われ続けるパターンだと思って早々に降参して答えると、オセは握っていた左手を目線の高さまで引き上げると、左腕を注意深く確認した。
傷口はすでにカイムが塞いでくれたので、左腕には白い線が残っているだけだ。それも元々白い肌なのに加えて、細い線なので、ほとんど目立たないはずである。
それにしても、返す返すも、あれだけの流血で、ぱっくりと大きく裂けた傷をすぐに治してくれたカイムには本当に感謝しかない。
なのに、オセときたら、カイムを殺そうだなんてするなんて!
ひどいなぁ、とか思っていると、突然、ベロリと左腕に濡れた感触がした。
(は!?)
目だけをキョロリと動かして自分の左腕を見やると、オセがそこに顔を近付けていた。
(ぎゃあああああああああーっ!)
舐めている。
舐めている。
舐めている!
オセが傷痕を舐めている。
(うああああああああああああああーっ!)
腕の肘の方から上へ――手首に向かって、犬か猫みたいに舌を出して舐めている。
「おおおお、おせっ、オセっ。オセってば!」
舌を長く出したオセの瑠璃色の瞳と目が合う。ふるふると頭を左右に振ると、オセが舌を口の中にしまった。
「治りました」
「……え」
言われて傷跡におそるおそる視線を向けると、白い線が跡形もなく消えていた。
「あ、ああ、うん。ありがとう」
ここはお礼を言うべきところなのか?
正直、分からなかったけれど、とりあえずオセにお礼を言っておいた。
貧血か、疲労か、頭がくらくらして体がだるくなってくる。
おそらく精神的疲労が一番の原因なのではと思うのだが、ふらりと体が揺れたのをオセに見られて、さっと抱き上げられた。
そして、そのままオセはカイムに振り向いて、すっと瞳を冷ややかに細めて言い放つ。
「十日以内に穀物を届けろ。さもなくば、軍を率いて攻め込む」
「――承知した」
カイムの表情は見えなかったし、短く答えた声からも感情を読み取れなかった。
最後に一言、お別れを言いたいと思ってオセの腕の中で身を捩った時、カイムの声が部屋の中に響き渡った。
「ここがスタートだ! 攻略してやるから待ってろよ!」
オセの腕に力が込められたのを感じて、カイムのその言葉には何も返さなかった。オセに抱えられながら、窓のない部屋から出た。
【メモ】
東方の首座
『色欲』を司る悪魔。大王。
堕天する以前は智天使で、マオン《第五天》に幽閉されていた。
人間の両親から産まれ、智天使として天界に迎え入れられた後に幽閉され、ルシファーと共に堕天したという謎の経歴。
両親は血の繋がった兄妹である。捕虜になったカイムを引き取り、騎士に取り立てた。




