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3.スキップ機能を活用して飛ばした場面

 

 ふふっと笑みを零しながら、上機嫌な様子でラウムがワゴンからティーカップを手に取る。執務机の上にコトリと置かれたそれには茶色い液体が注がれていた。

 香りや色を見る限り紅茶らしい。だが、念のため聞いておこう。


「これは?」

「ほぼ紅茶ですわ」

「ほぼ!?」

「人間が飲んでも死にません」

「うん、それが聞きたかった。一番大事」


 紅茶だろうと、ほぼ紅茶だろうと、死ななければいいやと思う。

 それに考えてみれば、自分を召喚し、魔王の身代わりをさせているのがラウムである限り、ラウムには自分を殺す理由がないので、ラウムが提供してくれる食べ物で死ぬことはないだろう。


 銀のフォークを握ると、そのフォークでケーキを一口サイズに切り取った。ぱくりと口の中に押し込むと、たちまち甘さが口いっぱいに広がる。

 生クリームはしゅわしゅわ溶けるようだし、スポンジはふわふわ。歯なんて必要がないくらいに口のなかで解れて消えた。


「美味しい」

「まあ、良かったです。愛情たっぷり入れて焼いた甲斐があります」

「え、ラウムの手作り?」

「もちろんです。――と言いたいところなのですが、わたくしの監修のもと、この城のシェフが作りました。晩餐の料理もわたくしがしっかりと目を光らせて作らせますのでご安心くださいね」


 さもないと、人間には食べられない食材が混ざるかもしれないということか。


 それにしてもと呟くように、言ってティーカップを手の中に包むように持つと、ほぼ紅茶という飲み物を啜る。


「魔王って地味に仕事するんだね。――っていうか、悪魔が働いていることが意外っていうか。魔界ってもっと無秩序かと思ってた。あとさ、魔王って魔界の王様なんでしょ? 魔界で一番偉いんだよね? そんな感じがしないのはなんで?」


 ラウムやオセから受ける扱いが、なんと言うか、雑なのだ。

 二人とも口調こそ丁寧なのだが、非常に気安く、とくにオセに関して言えば、腕を掴んで引きずるし、王様に対する扱いとは思えない。

 すると、ラウムは事も無げに答えた。


「魔界で一番偉いのは、皇帝陛下ですよ」

「あ、そっか。皇帝陛下に手紙を送るとか言ってたっけね。そっか、皇帝がいるのかぁ。――じゃあ、魔王は二番目?」

「いえいえ、帝王陛下がいらっしゃいます」

「は? 帝王? 皇帝と別物なの? 何が違うの?」


 まさかのワンクッション的な存在に驚いて聞き返すと、ラウムは、ええっとですね、と言葉を選びながら説明する。


「帝王も王も、侯爵も伯爵も、すべて皇帝陛下から授けられる称号のひとつなのです。称号を授けられた者は、皇帝陛下に領地を保証されて、自身の領地を治める権限を持っています。ですが、帝王陛下に限っては常に帝都にいらして、皇帝陛下の代わりに魔界のすべてを統治なさっています」

「皇帝陛下の代わりにって……、なんで皇帝が自分で統治しないの?」

「皇帝陛下は天界から落っこちた際に地獄の最下層まで落ちてしまい、そのまま捕らわれていらっしゃるからです」

「つまり?」

「最下層の中心部で氷漬けにされているので動けないということです」

「わぉ」

「でも、時々、霊体になってあれこれされているみたいですよ。人間を誘惑したり、人間をそそのかしたり、人間を堕落させたり」

「動けてるじゃん」

「そうなんですけど、とにかく帝王陛下が魔界の均衡に目を光らせつつ、皇帝陛下の直轄領を治めていらっしゃいます。ご自身の領地と込みなのでかなりの広さです」


 じゃあさ、とケーキを頬張ってから、ほぼ紅茶のお代わりを求めてラウムにティーカップを差し出す。


「帝王がナンバーツーなら、スリーは?」

「大公殿下でしょうか」


 自身の口で言いながら、ラウムは自信なさげに首を横にこてんと傾けた。


「他の方が力を持っていた時代もあったのですが、大公殿下は華やかな方ですので、何かと目を惹きますし、発言力もおありです。帝王陛下とも親しくされていらっしゃるので、他の方とは別格という感じが致しますね」

「その次は?」

「その次は――」


 にっこりと微笑むと、ラウムは差し出されたティーカップにポットを傾け、ほぼ紅茶を注ぐ。


「いよいよ陛下の番ですわ。大王や王の称号を皇帝陛下から頂いている方々です」

「方々? ということは、もしかして魔王っていっぱいいるの?」

「ええ、いっぱいいらっしゃいます」

「えー、じゃあ、魔王なんてぜんぜん偉くないじゃん」


 つまらんと言いながら注がれた分だけ重みを増したティーカップを口元に運んで啜った。


「ぜんぜんというわけではありませんよ。王の下には、公爵、侯爵、伯爵、総裁、騎士と続きますから」


 このへんの悪魔の階級についての解説はゲームでもあって、ラウムがざっくりと説明してくれるのだが、読むのも理解するのも面倒臭そうなので、一回目では流し読みをして、二回目以降はスキップ機能を使って飛ばしてしまった場面だ。


 ゲームをクリアするにあたっては世界観を完璧に理解する必要はなく、なんとなくでやれたわけだが、今は生命が掛かっている。

 理解していないことでミスをすれば、死ぬかもしれない。ちゃんと理解するつもりで聞いておこう。

 ティーカップを執務机にカタンと置いて机の傍らに立つラウムを見上げる。


「公爵、侯爵、伯爵っていうのは、貴族なんだろうなぁと分かるんだけど、総裁って何なの?」

「分かりやすく言いますと、組織のトップです。ちなみに、オセ様がこの地位にあります」

「オセが? 何かの組織のトップなの!?」


(いったい何の組織……?)


 悪魔の口から組織と聞くと、どうも怪しげな組織しか想像できない。


「何かって、嫌ですわ、陛下。この国の政府機関のトップに決まっているではないですか。この国の政治に関して最終決裁権を持つ者という意味ですよ」

「なるほど。そっちか!」


 そっちも、どっちもないのだが、とりあえず、闇の組織ではなかったことに安堵する。

 それから、オセの執務机の書類の山に視線を向けて納得して頷いた。オセの仕事が魔王よりも大変そうなのは、そういうことだからか。


「ですけど、オセ様は陛下の家臣ではありませんからね。オセ様は元々、大総裁の地位にあって、皇帝陛下よりご自身の領地を賜っていたのですから。それなのに、我が君の領地と併合させて、我が君と共同統治をなさっています。――と言いますか、ほとんどオセ様が統治していらしゃいます」

「だよね。そんな感じがするよね。書類の量が物語っているよ。なんつーか、君臨すれども統治せずみたいな魔王なわけね」

「皇帝陛下がまさにそれなので、サインをしているだけ陛下は統治していらっしゃると思いますよ」


 なるほど、とラウムの話を聞いて首を小さく縦に動かして、オセの気安い態度を理解した。

 家臣ではなく、仕事上のパートナーというわけだ。とはいえ、片や王様なので完全に対等とはなりえないが、オセが望めば元々の自分の領地ごと魔王の元から去ることもできる関係らしい。

 なぜなら、魔王もオセも自分の領地を保証してくれる皇帝の臣下だからだ。


(オセが去ったら、この国たぶん終わるな。絶対に回らなくなる)


 やや遠い目になってしまう。しかし、すぐに、はたと気が付いてラウムの顔を見やる。


「私、よくオセに偽者だってバレなかったよね。いつもこの部屋で二人っきりで仕事しているんでしょ? 魔王が仕事をサボりたくて逃げ回っているらしいけど、それでもオセとはよく一緒に過ごしているわけで……」


 かなり近しい関係であるはずだ。

 でなかったら、オセが自分の領地を差し出して、同じ城で暮らすはずがない。


(うわぁー、よくバレなかったなぁ)


 偽者だとバレてもおかしくない状況だったと思う。かなり長い時間、同じ部屋に二人っきりでいた。

 もしかしたらオセが書類ばかり見ていたおかげで助かったのかもしれない。でなかったら、ちょっとした仕草にも疑問を持たれていたかもしれないのだ。


(オセの仕事がてんこ盛りで良かった!)


 兄のゲームでは、基本的に偽者だとバレてしまうと殺されてしまうのだが、オセの好感度が高くなってから偽者であることを打ち明けると、殺されずに済む。

 そして、打ち明けなければ攻略することができないので、殺されないように接しながら好感度を上げて、打ち明けるタイミングを見計らわなければならない。


(ゲームだったら、好感度の数値を確認できるんだけどなぁ)


 残念ながらリアルな世界にそんな機能はない。ゲームで起こるイベントを追体験して、ゲームで成功したタイミングで打ち明けるのが一番安全そうである。


 ところで、オセと言えば、先ほど誰かが訪ねて来たとかで出迎えに行ったわけだが、このタイミングでやって来るのは、あいつだと思い出してラウムの方に視線を向けた。


「さっきべリス公が来たって言ってたよね? 公ってことは、公爵?」

「そうです。皇帝陛下から公爵の称号を与えられ、公爵領を賜っていらっしゃる方です。この国と隣接していますので、何かとすぐにお見えになるんです」


 面倒な方なんですぅ、とラウム。


「ええと、じゃあ、ラウムは? オセからラウム伯と呼ばれていたよね?」

「はい、伯爵の称号を賜っております」

「――っていうことは、伯爵領も持っているわけだ」

「そうですね」

「自分の領地があって、自分の城もあるわけで、私やオセがさっきまでやっていたような仕事をラウムも自分の領地でやらなきゃならないわけだよね?」

「ええ、そうですね」

「ラウムも、オセ同様、魔王の家臣ではないわけだよね?」

「はい、家臣ではありません。皇帝陛下の臣下です」

「だったら、なんでここにいるの? しかもメイドの格好をしているし。自分の領地が心配じゃないの?」

「わたくしの家令は非常に優秀なんです。それに、わたくしがいなくては陛下が困るじゃないですかぁ。あなた様が偽者だってバレないように、わたくし、精いっぱいフォローしているんですよ」


 そうね、食べ物に関してはね。他はいろいろ雑だ。

 そんなことよりも、とラウムの顔が真顔に変わったのはその直後だ。何事かと思わず姿勢を正した。


「なぜ急にベリス公がお見せになったか……ですわ」

「ちょくちょく来る人なんでしょ?」

「煩わしいほどにお見えになる方ではあるのですが、ここ五十年はお見えになられていなかったのです。それなのにこのタイミングはおかしいです」

「五十年⁉ ここ五十年って言った? 時間の単位がおかしいけど、まあそこはいいや。何がどうおかしいの?」 

「昨晩、陛下がお隠れになって、今日はその翌日。五十年間いらっしゃらなかった方が、よりにもよって、そんなことがあってすぐにお見えになるなんて、陛下の身に起きたことをご存じなのかもしれません」


 魔王が死んだことは、ラウムと彼女の手紙を皇帝に届けに行った彼女の配下の者しか知らないはずだ。

 もし、そのことを何らかの手段を用いてベリスが知り、魔王城にやって来たのだとしたら――。


「あんたの魔王は突然死んだとか言ってたよね? 死因は?」

「それがまったく分からないのです」

「病気? まさか殺された可能性があるってこと?」


 その可能性をラウムは視野に入れていたらしく、彼女の瞳がギラリと妖しく光った。


「外傷はございませんでした。病気とは考えにくいです。我が君は、ずっとお元気な方でしたから。おそらく毒か呪いか……。もしかしたら、べリス公は何かご存知なのかもしれません」

「ベリスを疑ってるの?」

「疑う余地があればすべてを疑います。わたくしは我が君を害した者をけして許しません」


 言葉を強くしてラウムは言うと、彼女は両手を伸ばしてきて、がっしりと強く両手を握ってきた。


「くれぐれもベリス公やオセ様に偽者だと知られませんように。敵はどこに潜んでいるのか分かりません。もしかしたら、べリス公ではなくオセ様かもしれません」

「え、オセが? なんで?」


 あの柔和な微笑みを浮かべるオセが魔王を殺しただなんて考えられないと思うのだが、そう思う理由が笑顔が素敵だからとしか説明できないので、握られた両手とラウムの黒い瞳を見比べながら首を傾げる。


「だって、オセ様ったら、陛下よりもずっと政務をされています。この国はオセ様が握っていると言っても過言ではありません。陛下、この国に必要ですか?」

「うわっ。それ言っちゃう?」


 ぶっちゃけ、オセがいれば魔王がいなくてもこの国は治まってしまうだろう。


「オセ様はこの国を乗っ取ろうとしているのかもしれません。ご自身の領地と我が君の領地を併合したこの国をすべて自分のものにしようと」

「それってつまり、オセが魔王を退けて、自身で王を名乗りたいってこと?」

「だって、既に今も魔王の政務をされているようなものですよ? ほぼ王です。それなのに、王と名乗れないなんて、悔しいと思うと思いませんか?」


 それはそうなんだけど。なぜだかその考えには賛同できなくてラウムの顔をまじまじと見つめていると、瞳の中に映る自分と目が合ってしまう。


(――っていうか、顔が近い)


 互いの息が触れるくらいにラウムの顔が近くて、ぎょっとして彼女に握られていた両手を自分の方へ引き抜くと、彼女の両肩を両手で押しやる。

 二人の間に物理的な距離ができると、ラウムは不満げに頬を膨らませて唇を尖らせた。


「とにかくです。敵は陛下を殺したと思っています。ところが、目の前にご無事な陛下の姿があれば必ず焦り、行動に出るはずです」

「なるほど。もう一度殺そうと試みるかもしれないわけだ」

「捕らえるチャンスは、その時です」

「いや、待って。もう一度殺そうとやって来られて、私が殺されたら嫌なんだけど」

「我が君を殺した犯人を捕まえられない方が嫌ですぅ」

「いやいやいやいや! あんた、私をフォローしてくれるって言ったじゃん。死なないようにフォローしてよ!」

「善処します」

「信用ならんわ」


 ケーキを食べ終え、ほぼ紅茶も二杯飲んだというのに、オセが執務室に戻って来ない。三杯目を飲む気になれなかったので、空の食器をラウムに渡すと、ラウムはそれをワゴンに片付けた。


「オセがいなくともできそうだから続きをやるよ」

「まあ、素晴らしいですわ」

「それで、ちょっと分からないことがあるから教えてくれる?」

「あら、何でしょうか?」


 一枚の嘆願書を執務机の上に広げると、ラウムはにこにこしてそれを覗き込んで来る。


「カンプス区では穀物が不作だっていうこれなんだけど、次の収穫のためにマリティアの種を多めに欲しいって書いてあるじゃん? マリティアの種って? 不作なのと関係があるの?」


 ああ、とラウムは頷いた。


「マリティアの種というのは、肥料になるんです。魔界には太陽が昇らないじゃないですかぁ」

「えっ、太陽、昇らないの!?」


 当たり前のように言われたが、当然、初耳だ。びっくりして聞き返すと、ラウムも驚いた表情を浮かべる。


「昇らないですよ。でも、月は昇りますよ。魔界の月は人間界の太陽の光を反射して輝きます。この辺りでは夜はひとつ、昼間はふたつの月が昇るので、『ふたつ月の国』とか『ふたつ月の森』とか『ふたつ月の谷』とか、そんな風に呼ばれています。ですから、我が君は『ふたつ月の王』と呼ばれたりもしますね」

「へぇ、ふたつ月の王かぁ」


 ちょっぴり格好良さげだと思っていると、ラウムがさらに続けて言う。


「あと他にも『男女の愛欲を燃え上がらせる美しき者』とか『愛と性を支配し、高らかに嘲笑する美しき者』とか。あと、そうですねぇ、シンプルに『秘密を暴く者』とか『快楽に耽る者』とも呼ばれたりしますね」

「いや、何それ。そんな二つ名いらんわ」

「そんなわけで、月は昇りますが、魔界に太陽は昇りません。だって、太陽がさんさんとしている魔界って想像できます?」

「無理だね」

「太陽の光が当たらない上に、土が痩せていて、植物が育ちにくいんです。そこでマリティアの種を蒔きます。すると、土が肥えて作物が実るんです」

「でもさ、種を蒔いたら芽が出るんじゃないの? 育てたい作物の栄養をマリティアっていう植物が奪ったりしないの?」

「マリティアの種は人間の心に植え付けない限り芽吹かないんですよ」

「え……」


 ちょっと待って。嫌な予感がしてきた。

 マリティアの種というものの正体が薄っすらと見え始めてきて、俄かに胸がざわめく。


「人間が誕生すると、すぐに植え付けるんですが、芽吹くまでに早くて一年くらいかかります。その後、花が咲くか、実を結ぶかは、その人間次第で、花が咲いて実が成れば収穫できるんですが、その前に枯れてしまったりするんです。でも、枯れたと思っていたら復活して実が成ったり、何回も収穫できちゃう人間もいて、その時はみんなでほくほくしています」

「ほくほく……?」


 悪魔たちが嬉しそうに楽しそうに謎の作物マリティアの実を収穫している光景が脳裏に浮かんだ。


「収穫した実は乾燥させると、からからに干からびて真っ二つに割れるんです。それが種が成熟した合図なので干からびた実から種を取って、次の種まきに必要な分は保管し、残りは畑に蒔いて肥料にするんですよ」

「へぇ」

「マリティアの種が欲しいというのなら、出稼ぎ部隊を人間界に派遣して、種まきと収穫をしなければならないですね」

「ねえ、そのマリティアの種って、すべての人間の心に植え付けられるものなの? 絶対?」

「当然です。種を植え付けられなかったら、負の感情のない人間になってしまいます。絶対に必要なことなので必ずひとつは植え付けます」


(うわっ、やっぱり感情に関係する種なんだな。心に植え付けるとか言ってたし。んで、悪魔が心に植え付けるんだから、負の感情に関係するわけで……。んん? ひとつは?)


 二つとか、三つとか、複数の種を植え付けらえてしまう人間もいるのだろうか。

 そうラウムに尋ねると、ラウムはにこにことして答えた。


「人間だって田畑に小さな種を蒔く時、二、三個同じところに蒔いたりするじゃないですか。同じですよ。ただし、種の数に余裕がない時は慎重にひとつひとつ植え付けます。――でも、赤子の時にマリティアの種をいっぱい植え付けられた人間は、その分たくさん花が咲く大人に育つ可能性が高くなるんです。そういう人間には大人になっても新たに種を植え付けます。収穫を見込めますからね。死ぬまで何度も種を植え付けて、何回も収穫します。出稼ぎ部隊が見付けるのは、そういった人間です」


 蒔いても実を結ぶか分からない赤子に種を植え付けるよりも確実に収穫を見込める人間に種を植え付けた方が種が無駄にならないとラウムは説明した。


「――で。マリティアの種って、いったい」

「悪意ですわ」

「だと思った!」


 悪魔は人間に悪意を植え付け、悪意が育てば収穫し、自分たちの糧にするのだ。

 ということは、と執務机の上に広げた嘆願書に視線を落とす。

 この書類にサインをすれば、多くの悪魔が人間に悪意を植え付けるために人間界に向かうということだ。恐ろしい。


 不作で困っているんだ、大変そう、助けなくっちゃ、と思ってサインしようとしていたわけだが、無知って、本当に怖い。

 とりあえず『保留』の箱に嘆願書を入れて、筆ペンを指先でくるくると回す。次の書類に手を伸ばしながら、ふとラウムが運んできたワゴンに視線を向けた。


「カンプス区と言えば、ケーキの材料にカンプス産の物があったよね?」

「トリティクムとガルスの卵のことですね。スポンジの材料です」

「ガルスの卵は、まあ、想像つくから置いておいて、トリティクムって、何? 人間界にある物に例えて、ほぼで言うと何?」

「ほぼ小麦粉ですわ」

「はぁっ!? 小麦粉!?」


 穀物が不作と訴えている地域の小麦粉でケーキを作るって、どうなの⁉ パンならともかくケーキって!


「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない的な王様になっちゃうじゃん!」

「おっしゃっている意味がわかりません」


 ――いや、絶対に分かっている。

 分かっていてやってるとしか思えないにこにこ笑顔を浮かべて、ラウムはひらりとメイド服のスカートを翻すと、ワゴンを片付けに執務室から出て行った。




【メモ】


マリティアの種

 魔界は太陽が昇らないので、その代わりとなる植物の栄養。肥料として田畑に撒く。

 枯れた果てた大地に撒き続ければ、苔が生え、そのうち草が生え始め、草原となる。

 マリティアの種は人間の心に植え付けない限り芽吹かない。人間が誕生すると、その心に植える。

 植えてから1年くらいで芽吹き、その後、花が咲くか、実を結ぶかは、その人間次第。

 花が咲いて実が成れば収穫できるが、途中で枯れてしまう場合もある。

 たくさんの収穫が見込める人間には、何回も種を植え付け、何回も収穫する。

 種の形と大きさはヘチマの種に似ている。花はダリアのように大輪で、実はまん丸。

 ひとつの実から、たくさんの種が取れる。


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