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召喚魔王 ~召喚されたので乙女ゲームの世界で魔王やってます~  作者: 海土 龍


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29/50

29.ヒグマなの? サメなの?

※流血・自傷描写あり



 

 カイムが部屋を出ていくと、部屋の中は音を奪われたかのように静まり返る。

 シャックスもいないので話し相手もなく、やることもない。今なら自ら進んで政務でも勉強でも何でもできそうだ。

 椅子の背もたれに寄りかかって部屋の中に視線を巡らせる。大きな本棚が視界に飛び込んできた。


(あの本、あるかなぁ)


 ラウムが言うには、一家に一冊必ずあるというロングセラー本らしい。この本棚にもあるかもしれない。

 椅子から腰を上げて、本棚の正面に立つと、行儀良く並んだ本の背表紙にざっと視線を流す。


(歴史本が多いのかな)


 きっとシトリーの好みに合わせてカイムが用意したのだろう。

 言語はさまざまで、日本語の本もあるが、英語の本もある。だけど、ほとんどの本は悪魔の文字で書かれていた。


(やっぱりあった。『魔界図鑑』発見!)


 大きくて分厚くて重さのある本なので、本棚の下の方に入れられていた。

 ならば、カイムの話に出てきた『東方の首座』と呼ばれる悪魔がいったい誰なのか調べてみたい。

 そう思って『魔界図鑑』に手を伸ばした時だ。その隣の本に目を奪われる。


(地獄の辞典?)


 そちらの本もかなりの厚さだが、タイトルから察するに『魔界図鑑』と似たような内容の本だろうか。

 つと、指先を移動させて『地獄の辞典』とタイトルが書かれた本の背表紙を人差し指で引っ掻けて、その本を本棚から抜き取った。

 すぐに重さがずしりと伝わってきたので、両手で持ち直す。テーブルまで運ぶと、椅子に腰かけて本をテーブルの上に置いた。


(コラン・ド・プランシー?)


 どうやらこの本を書いた人間の名前らしい。

 表紙を捲って最初のページに悪魔の文字で、プランシーという名のフランス人が1818年に悪魔学に関する内容を本に記して発表し、この本は1863年に発表された第6版の写しである、と解説が書かれていた。


 さらに解説を読み進むと、地獄や悪魔のことばかりが書いてあるのではなく、妖精や精霊、なんと日本の狐や天狗についてまで紹介されているらしいと分かる。

 他には悪魔と関係のある人間の紹介やら、降霊術のやり方、占いや呪い、迷信についても書かれているようだ。


(面白そう)


 さらにページを捲って、あー、と長く呻いた。

 細かく書き記された文字がまったく読めなかったのだ。おそらくフランス語だ。


(どうせなら、全文を悪魔の文字に訳して欲しかったよ。なぜ本文は原文のままなんだ)


 残念な気持ちでさらにページを捲ると、悪魔を紹介したページが目に入った。

 雰囲気は『魔界図鑑』と似ている。だが、そのページの挿絵に惹かれて、次々にページを捲った。

 最初のページの解説文によると、挿絵を書いたのは、ルイ・ル・ブルトンという名前のフランス人の画家のようだ。

 奇怪で恐ろしく、それでいてユニークで、思わず笑ってしまいそうになる悪魔たちの姿が迫力のある銅版で描かれていた。

 これは文字が読めなくとも絵だけで十分に楽しめそうである。


(絵は素敵なんだけど、誰を描いたのか、まったく分からないところがウケる!)


 あははっと、ひとりで笑い声を部屋に響かせた。

 悪魔たちは基本的に獣と人間を合わせた姿で描かれている。例えば、胴体は人間で顔は馬とかである。

 なんとなく開いたページの絵は、胴体は人間で、顔は梟、素っ裸で犬っぽい獣に跨がっていた。

 これはストラスを描いた絵なのかなと思ったが、別のページで異様に脚の長い梟の絵があったので、おそらく、こちらこそがストラスだろう。


(王冠、被ってる……)


 ストラスの王位に対する執着心の表れのように思えて、そっと次のページを捲った。

 次の絵は、ガチョウの頭と足、胴体はライオンで、ウサギの尻尾が生えている。いくつかの獣を混ぜ合わせた姿だが、直立していて、どことなく人間のように見えるから不気味だ。

 次々にページを捲っていくと、王冠を被って馬に乗っている男の絵があった。たぶん、ベリスだ。

 そう直感した瞬間、お腹が捩れるくらいの笑いが込み上げてきた。


(ぶぶっ!! 誰だよ、このおっさん!)


 絶対にベリスではない! だけど、きっとベリスだと思って描かれている!


(ヤバイ! ウケる!)


 さらにヤバいものを見付けた。たぶん、この絵がヤバさ最強だと思う。

 そのページには鳥の絵が描かれている。パッと見、普通の鳥なのだが、翼の先から鳥の足がもう一組生えていて、まるでそれが手であるかのように抜き身の剣を持っている。

 どこかで見たような絵だと思えば、カイムの軍旗に描かれていた鳥の絵と似ていた。とすると、このページはカイムのことが書かれたページなのだろう。


 さあ、ここからが問題である。

 カイムのページには、鳥の絵とは別にもうひとつ挿絵があった。鳥の頭の被り物に鳥の着ぐるみを着て、孔雀の尾羽をお尻につけた男の絵だ。


(だはっ!! 何これ! シュール!! ヤバい! ヤバすぎるでしょ、カイム!)


 ヤバいのはカイムではなく、こんなシュールなおっさんをカイムだと思っている人間の方なのだが、面白すぎてお腹が痛い!

 ひーひー言いながら、椅子に座っていられなくなり、床で転げ回る。


(カイムが部屋に戻ってきたら、絶対あの絵がカイムと重なる! 思い出して絶対笑うわ!)


 あははと散々笑って、はたと仰向けに転がる。手足を大きく投げ出して天井を見上げた。


(あー、笑った)


 笑いを止めれば、とたん、虚しさと寂しさが押し寄せてくる。


(何を調べようと思ってたんだっけ?)


 ああ、と思い出して、カイムが語ってくれた話が仰向けに横たわった体の上に伸し掛かってきた。


(『東方の首座』が誰なのか調べて、もし、そいつがとんでもなく悪いやつだったら、どうしよう……)


 カイムが己の地位を上げるために、意にそぐわないことをさせられていたら?

 ひどく痛め付けられていた過去があったと知ったら、自分はどうするのだろう。

 もちろん、そんな過去などないかもしれない。だけど彼は言ったのだ。何でもした、と。


(気まぐれで捕虜の檻の前に通りかかった? 本当に? 気まぐれなんかではなく、捕虜を物色しに来たのだとしたら?)


 カイムは『生を請い、残った片翼を切って頂いた』と言っていたが、わざわざ切らなくとも、早かれ遅かれ魔界に残れば堕天したはずだ。

 物理的に翼を切り落とせば堕天するまでの時間が早まるらしいが、ラウムは『翼を切られた』という言葉には『堕天する』という意味があると言っていたので、そのままの意味ではない意味を指してカイムは語っていたのかもしれない。

 狂うような苦痛を味わうことなく天使が堕天する方法をラウムから聞いている。


 ――ものの1時間ほどで堕天使の完成です。しかも、とっても幸せそうな顔で堕天してくださいます。


 ラウムの声が脳内で再生されて、ふとひとつの想像が頭をよぎる。

 そう、これはあくまで想像だが、東方の首座とやらが酷く悪趣味な悪魔で、己の手で天使を堕天させていくことに楽しさと喜びを感じるタイプかもしれない。


「……」


 勝手に想像しておいて、ゾッと背筋が冷える。

 ぞわぞわと全身の毛が逆立つような感覚。そして、想像のあまりの醜悪さに吐き気がした。


(やめた! 終わり! おしまい!)


 ありもしないカイムの過去を勝手にあれこれ想像するのはやめよう。

 カイムの過去はカイムが語ってくれたこと、それがすべてだ。それでいい!


「――で?」


 無音の部屋に自分の声を響かせる。たった一文字の音は一瞬で消えて、再び無音に包まれた。

 大の字で床に転がったまま、自分のこれからについて思いを馳せる。


(迎えは、いつ来るんだ?)


 そう言えば、とシャックスの幼くて可愛い姿を思い浮かべる。


(シャックスって、この場所、分かってるのかなぁ)


 分かっていない可能性に気が付いて不安になってきた。

 シャックスはシトリーに喚ばれてこの館の部屋に瞬間移動して来た。そして、去る時はべリスに喚ばれて瞬間移動していった。

 館にいる間は、あの部屋から一歩も出歩いていないので、館の他の部屋や廊下はおろか、館の外観さえ目にしていないはずである。

 この館が『囁きの森』のどこにあるのか分かっていない可能性が高い。


(わぉ。うっかり!)


 なんということか。これでは迎えが来ないではないか。

 シャックスが何も指摘して来なかったことを考えると、シャックスがどうにかしてくれる可能性もある。

 だけど、頼みのシャックスがノープランだったら、どうする?

 ベリスがシャックスに向かって、ぎゃんぎゃん怒ってる姿が脳裏に浮かんだ。


 ――シトリーはどうした? なぜお前だけ逃げて来たんだ!


 そんな声が聞こえてくるようである。


(これはマズイ)


 シャックスの途方にくれた顔を思い浮かべて、すぐにでも別の手を打たなければならないと思う。

 だが、自分に何ができるだろうか。

 あなたはシトリーだと言われても、今の自分には魔力がほとんどない。記憶もない。

 鍵を閉められたら部屋から出ることもできないし、カイムが張った結界も破れない。

 自分の顔の前で両手を広げて、自分の無力さを深く実感する。

 だけど、何かしなくては。

 ただひたすら待っているだけでは、いったいいつ迎えが来るのか分からない。


 オセに会いたい。

 ベリスに心配を掛けていると思うと胸が痛い。それに何より、ラウムに聞かなくてはならないことがたくさんある。


 広げた手のひらを眺めていると、左手の親指の腹にシャックスの血が茶色くこびりついているのが見えた。

 ほんの微かに落ちずに残った血の汚れを見て、不意に、オセの言葉を思い出した。


 ――陛下の血の臭いがしましたので。


 ベリスとゲームで遊びながら迎えた朝に、コントローラーのボタンを一生懸命に押しすぎたせいで親指の皮が剥けてしまったのだが、それを指摘されて言われた言葉だ。

 あの時、オセは同じ城の中にいたとは言え、別の部屋にいた。

 血の臭いがと言われたが、親指の皮が剥けて少し血が滲んだ程度だ。


(今更だけど、よぉーく考えたら、オセの嗅覚が半端ない)


 嗅覚が鋭いと言えば、犬というイメージがあるが、犬の6倍の嗅覚があるとされているのが熊だ。ヒグマは3km先の臭いを嗅ぎ分けられるという。

 それから、血の臭いを嗅ぎ分けられるという話であれば、サメである。サメは血の濃度を100万分の1に薄めても感知することができるのだという。


(オセ、ヒグマなの? サメなの?)


 滲んだ程度で臭いが分かるのであれば、ガッツリ流血すれば――どれだけ遠くにいるのか知らないが――オセに気付いて貰えるのではないだろうか。

 ガバリと勢いをつけて起き上がる。そうと決まれば、さっそく試してみよう!


 シトリーの剣は、昼食と一緒にカイムが前の部屋からこちらの部屋に運んで来てくれていた。小箱と共にテーブルの上に置かれている。

 木製の小箱の中は既に空になっているのだが、カイムはそのことに気付いていないようだ。

 立ち上がると、テーブルの上から剣を手に取る。柄は黄金で、剣身は水晶のように透き通った細身の剣である。

 その切れ味の良さは、実戦を経て、よく理解している。肉も骨もまるで豆腐のように切ることができるのだ。

 柄を握り締めて鞘から剣身を引き抜いた。これまでうっとりと見惚れていた美しさが、今は鳥肌が立つ思いだ。


(どこにしよう)


 切り付ける場所のことだ。

 手首を切るのが一番流血しそうだが、想像するだけでゾッとする。

 足はどうだろうか。太腿や脹脛は? ――ダメだ。動けなくなるのは頂けない。

 やはり腕がいい。腕の内側ではなく外側だ。そう思って、左腕を上げて肘を曲げると、右手に持った剣の刃を近付けた。


(豆腐のように切れる。だから、加減が大事だ。そっと、そっと。ちょこっと刃を押し当てるだけ)


 痛いだろうな、いっぱい切れたら嫌だな、そう思うと怖くて怯んでしまう。だから、何も考えてはいけない。怖いと思う前にやってしまおう。


(大丈夫。やれる!)


 そっと押し当てると、透明な刃はひやりと冷たく、ピリリと肌が引き攣ったような感覚がした。

 思ったよりも痛くない。薄くしか切れなかったのか。それでは血が出ない。


(もう少し引いてみるべき?)


 柄を握り締めている右手を少しだけ引いてみようかと思った時だった。つーっと腕に赤が流れる。

 切ったとも、切れたとも感覚がないまま剣を下ろすと、刃を当てていた腕の皮膚が縦にぱっくりと割れていた。


(痛ーっ‼)


 激痛と共に赤々とした血液がダバダバと吹き出して、あっという間に床に血だまりをつくる。


「うっ。……わっ…あっ」


 痛い。

 痛い。

 熱い。


 右手で左腕の傷口を押さえるが、出血はとまることがなく、右の袖を赤く染める。左の袖なんてとっくに真っ赤で、コバルトグリーンのドレスがクリスマスカラーみたいになっている。


(ぶぶっ。クリスマスカラー!)


 そう思ったら、少しだけ余裕が出てきた。

 ドレスの緑。フリルとヴェールの白。シトリーの髪が金。そして、流れ続ける血の赤。

 魔界でクリスマスを感じるというユーモアに、腕は痛いが、大丈夫な気がしてきた。


(止血しなきゃ)


 十分に血は流れたはずだ。立っているのが怠く感じて、剣から手を放してその場にしゃがみ込んだ。

 ヘッドドレスを頭から取ると、そのヴェールを左腕にぐるぐるときつく巻いて腹の前でぎゅっと抱え込んだ。


(あー。ダメだ。頭がくらくらしてきた。横になろう)


 ベッドに移動する余裕はないので、床にうつ伏せに倒れた。

 左腕に縦に入った切り傷に沿って、ズキン、ズキンと跳ねるような痛みが走る。まるで心臓の位置がそちらに移動したかのようだ。

 目の前が白くチカチカしてきた頃、廊下の方からバタバタと足音が近付いて来た。すぐにバタンと扉が開いてカイムが部屋の中に飛び込んで来る。


「あんた、何やってんだ!」


 答えようと口を開いたけれど、うまく言葉が出ていなかったと思う。それでも自分は懸命に何かを言ったような気がするが、自分の耳には聞こえてこなかった。



 △▼



 ――吐きそうだ。


 頭が重く、覚醒はしていたが、瞼を開く気にはなれなかった。

 近くに気配を感じる。たぶんカイムだ。

 ベッドに寝かされているのだと気付いて、その枕元に付き添ってくれている彼のために瞼を開かなければと思った。


「気が付いたのか」

「……うん」

「なんであんなことを?」

「たぶん必要があったから」


 左腕を上げて傷口を見やれば、あんなぱっくりと開いていたものが綺麗に塞がって細い白い線になっていた。


「手当してくれて、ありがとう。回復魔法でも使ったの? すごい。まったく痛くない」

「しばらく跡が残るぞ」

「そのうち消えるのならいい。消えなかったら、見られるたびにオセに怒られる」


 怠いなと思いながらも上体を起こせば、また服を脱がされていた。

 表情を読んだのだろう。カイムが眉を寄せながら言った。


「血まみれだったからな。服を用意してやる」

「あー。うん。できれば、ゴテゴテしていないのがいいな。最初のやつとか」


 おそらく次の衣装には、マリーアントワネットが着ていたようなロココ時代のドレスが出てきそうで、先手を打っておいた。

 カイムは少しの間をつくると、分かったと言って立ち上がり、衣装タンスに向かう。その後ろ姿を目で追いながら、図星だったかと思う。


(変な間があったし)


 ロココ時代のドレスといえば、レースのフリルやリボン、花柄の刺繍がてんこ盛りで、華やかで可愛いドレスだ。

 現代人がイメージするドレスと言ったらこの時代のドレスなわけだが、上半身をコルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられるので、今の自分にはしんどい。

 カイムにあれこれ着せられたが、結局、いつものチュニック《筒型衣》が楽だという結論に至った。


 カイムに出して貰ったブレー《ズボン》を穿き、膝丈のチュニックを頭から被るように着ると、ベルトを締める。

 ベッドから両足を下ろすと、ブレーの裾を中に押し込むように膝下まであるブーツを履いた。

 あとは黒いマントを羽織れば魔王スタイルなのだが、マントは手渡されなかった。


「ところで、今、何時?」

「腹が減ったのか? 朝食を用意しよう」

「朝食? じゃあ、朝なの?」

「一晩、意識がなかったからな」

「ひぇー」


 部屋の中央のテーブルに視線を向けると、その下はまだ血で汚れていた。

 カイムにはそこを掃除する余裕がなかったみたいだ。付きっ切りの看病をさせてしまったのだろう。


「カイム、あのさ」


 傷は塞がっても体から失われた血は戻っていないみたいだ。立ち上がると、体がふらつく。

 支えようとカイムが腕を伸ばして来た。その手を途中で掴んで、背の高い彼の顔を仰ぎ見る。


「嫌だったら断ってくれていいんだけど」

「なんだ?」


 嫌な予感でもするのか、カイムは顔を引きつらせた。たぶん彼の予感は当たっている。

 これから自分はろくでもないことを言おうとしているからだ。


「あのさ、私と友達になってくれない?」

「……」

「私さ、カイムのことが嫌いじゃない。時々ならおしゃべりしに来てもいいよ。着せ替え人形にもなってやってもいいし。私も服飾史に興味がないわけじゃないし、むしろ、いろいろ着られるのは楽しいから」


 とは言え、装飾品をしつこく付け外しさせられるのは勘弁して欲しい。


「あと、今後はシャックスに仲立ちを頼まなくていいよ。会いたいと言ってくれれば、会えるように『ふたつ月の国』に招待するし、手紙を書いてくれればちゃんと私のもとに届けるように命じとく」


 どうかな? と首を傾げながら尋ねれば、カイムは表情を無くして、ただ、ただ、シトリーを見下してきた。

 ああ、やっぱり無理かと寂しく思う。いかにも自分勝手で、無神経なお願いだという自覚はあった。

 だけど、他に彼になんて言えば良いのか分からない。

 応えられないからと彼の気持ちを無視し続ければ良いのか。でなかったら、冗談を言って誤魔化し、逃げ続ければ良いのか。


 不意にべリスの顔が脳裏に過る。

 幼馴染の関係に甘んじて、ずっと特別な友達でいて欲しいと我が儘を言っているのは、他の誰でもない自分だ。

 本当はもっと早く彼の気持ちも突っぱねるべきだったのに。


(寂しいだなんて我が儘だ。結局、自分だけが可愛くて、傷つきたくなくて、私はすごくズルい)


 はあー、とカイムが深くため息を漏らした。

 何かと思って肩を揺らすと、カイムが掴まれていた手からいったんシトリーの手を外して、その手を掴み返してきた。


「俺、あんたを好きだと言ったか? 一度でもあんたに愛の告白をしたか?」

「……してない?」

「してない」

「じゃあ、好きじゃないの?」


 なんだとホッとする気持ちと、勘違いしたのかと恥ずかい気持ちが胸の中で交差する。

 それから、わっと顔が赤らんで、カイムから顔を背けて俯いた。

 だが、カイムの翡翠色の瞳から目を逸らしたのは誤りだった。猛獣の闘争心に火が付いたように彼の顔つきが変わり、掴まれていた手をぐっと引かれた。

 よろけた体がカイムの体にドンッとぶつかり、俯いた頭を彼の左手に鷲掴みにされると無理矢理に顔を上に向かされる。


「――っ‼」


 大きく瞳を見開けば、焦点の合わない距離にカイムの顔がある。唇を塞がれて、頭の中が真っ白になった。

 いったい何が起きたというのか。

 どうしてカイムが自分にキスなんてするのか、さっぱり分からない。彼はいったいどういうつもりなのか。

 唇が離れた後も頭の中の混乱が続き、カイムの顔を凝視したまま身動きすら取れなかった。

 それでも、どうにか絞り出すように言葉を口から零れさせる。


「どうして……?」


 カイムは怒りに似た感情を宿した瞳をすっと細めて、シトリーの耳元に顔を寄せて低く声を放った。


「あんたが好きだ。――友達にはなれない」




【メモ】


『魔界図鑑』

 表紙に金字で『魔界図鑑』と書かれていて、その下に『A大公』と書かれている。

 ラウムが敬愛する大公が人間が書いた魔術書グリモワールを読んで大笑し、四百年くらい前に書いた本。

 『ふたつ月』の大地は、160年前に現れた新しい土地なので、本の地図には載っていないし、シトリーも『王』ではなく『君主』と記されている。

 上級悪魔の基本情報が詰め込まれた本なので、どの家庭でも一冊は持っているという魔界のロングセラー本。



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