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召喚魔王 ~召喚されたので乙女ゲームの世界で魔王やってます~  作者: 海土 龍


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23/50

23.服をよこせ、話はそれからだ

 

 ぱちっと瞼が開いた。

 自分としては映画やドラマの場面が切り替わったような感覚である。つい先ほどまで戦場にいたはずなのに、いったいここはどこだろうか。


 横たわったまま視線だけで辺りを窺うと、ここはどうやらどこかの部屋らしい。

 どこかの大きな屋敷の立派な部屋か、もしくは城の中の客室で、シトリーの天蓋ベッドよりは若干小さいが、それでも十分な広さがある大きなベッドに寝かされている。

 石造りの天井が見えるということは、ベッドに天蓋はない。


(ん? んんん?)


 やけに体がスウスウする。手探りで自分の体を確認すれば、何も身に付けていない。


(はあ!? 服どうした!?)


 飛び起きて、とにかく着れる物を探して辺りをきょろきょろと見渡した。


「目覚めたか」

「――っ!!」


 部屋の中に自分以外の何者かがいたことに驚愕して、慌てて毛布で胸元を隠す。

 声がした方を見やれば、部屋の壁際に置かれたソファに男が腰掛けていた。


「だれ?」


 男は手にしていた本を閉じると、翡翠色の瞳をじっとこちらに向けてくる。

 誰と問われても、その悪魔には名乗るつもりがないのだと察して、すぐに質問を変えた。


「ここはどこ?」

「俺の館だ。あなたを『囁きの森』に連れてきた」

「えっ、囁きの森!?」


 聞き覚えのある地名が突如として現れたので、思わず声が大きくなる。

 悪魔は、すくりと立ち上がり、こちらに歩み寄って来ると、ベッドの端に腰を下ろした。


「もしかして、『囁きの森』の主?」


 翡翠色の瞳がふっと細められた。

 それを肯定だと受け取って、しっかりと胸元を押さえながら彼の方に身を乗り出して言った。


「じゃあ、穀物を売って!」

「なんて?」

「穀物だよ。私が取りに来るんだったら安く売るって言ってたよね?」


 オセたちは安すぎるからと『荒れの入江』から買い取ることに決めたようだったが、その後すぐに天使たちとの戦いが始まったため、おそらくまだその話は進んでいないはずだ。

 だったら、やっぱり『囁きの森』から激安な値段で買えたらその方が良いに決まってる。


(この人が『囁きの森』の主ってことは、確か名前は、えーっと、カイム? ――そう、カイムだ)


 魔界図鑑の彼のページにはツグミという名前の鳥の絵が描かれていた。


(そっか、あの軍旗の鳥はツグミだったのか)


 最後に駆け付けてくれた援軍が掲げていた軍旗のことである。


「――だからさ。私、来たじゃん? ぜんぜん自発的じゃないけど、結果、来たよね?」


 確認の意味を込めながら、かなり食い気味に言うと、カイムは唖然とした表情を浮かべてから、ぶぶっと噴き出した。

 それから、くくくっと肩を震わせて笑う。ヒヨコの毛のように明るい金髪が肩の震えに合わせて、ふわふわと柔らかそうに揺れている。


「わかった。わかった。くれてやる。好きなだけ持っていくといい。その代わり――」

「ちょっと待って。くれなくていい。売って欲しいの。タダほど高いものはないって言うじゃん。後々めんどくさいことになるくらいなら、ちゃんと代価を払った方がいい」


 カイムの言葉を遮って言えば、彼はすうっと笑みを引っ込めて言った。


「なるほど。だが、俺からの条件は、タダで持って行こうと金を払って持っていこうと同じだ。――あなたがしばらくここに滞在すること」

「何日かここにいればいいってこと? そんなことでいいなら私は別に構わないけど……」


 ――オセやラウムと連絡を取りたい。


 あの後、あの戦場はいったいどうなったのだろうか。みんな無事だろうか。べリスはちゃんと治療を受けられただろうか。ハウレスは? シャックスは?

 ガルバやプロブス、フォルマ、ひとりひとりの顔が次々と脳裏に浮かんで、とたん不安感が押し寄せて来る。


 ここが『囁きの森』だというのなら、自分はいったいどのくらい意識がなかったのだろうか。

 あの戦場から『囁きの森』までは、けして近いとは言い難いはずだ。


 ラウムから聞いた話を思い出す。

 たしか、シトリーの居城がある王都を中心に西方にハウレスの領地、南西にべリスの領地、南方にシャックスの領地があり、その東に――つまり王都から見たら南東に『囁きの森』があるはずだ。


 ハウレスの領地から、べリスとシャックスの領地を突っ切って移動したのか、それともシトリーの領地を突っ切ったのかは分からないが、カイムの軍団が騎兵ばかりであったことを考慮しても一日で移動できる距離ではない。


「私、どのくらい眠ってた?」


 カイムの表情を窺うように恐る恐る尋ねてみた。

 すると、彼はなんてことのないようにあっさりと答えた。


「五日だ」

「はっ!? いつかぁーっ!!」


 思いっきり叫び過ぎて、ゴホゴホと咳き込んでしまう。

 それなりに時間が経っているはずだと覚悟していたが、五日とは予想を遥かに超えていた。


(えっ、待って。ど、どういうことだ。衝撃が強すぎて頭がうまく回らないんだけどっ!)


 頭が回らなさ過ぎて何が何だか分からないが、すごくすごくヤバい予感がする。ぞわりと悪寒がして声が震えた。


「ヤバいよ。早く帰らないと。オセがめちゃくちゃ怒っている気がする。ヤバい。ヤバい」

「『ふたつ月の黒豹』か」

「何それ? オセのこと? なんてことだ。ふたつ名までカッコイイのか! ――そうだよ。下手したら、ここにオセが攻め込んで来るよ。今ならちょうど軍団が集結しているわけだし」

「だが、あなたがここにいると報せていない。戦場からは密かに連れ出した。何人かには見られただろうが、黒豹があなたの居場所を知るには時間がかかるはずだ」

「ところがだよ。オセにはすぐ分かるんだよ、私の居場所が!」


 首の後ろにオセの印があって、それが所謂GPSの役割を果たしているからだ。

 ところが、カイムは余裕の笑みを浮かべた。


「ああ、黒豹の印なら戦場から離れる時にすぐ消した」

「えっ、消したの !?」

「あなたに他の男の印がついているなんて、耐えられるわけがない」


 はっと首の後ろを手で押さえながら、カイムの顔を見やる。

 本当に印が消えているのかどうかを自分の目で確認することはできないが、もし本当に消えているとしたら、オセは余計に怒っているに違いない。

 昔からよく言うではないか、穏やかな人ほど怒らせると怖いって。オセはまさにそれだ。


「カイム、オセに殺されるよ」


 真面目に言ったのに、カイムは冗談を言われたかのようにくくくっと笑った。


「いや、ほんと。冗談じゃないからね。オセって、一見、普通そうに見えるけど、突然ヤバいこと言い出すから」


 天使との戦いの最中、天幕の中でオセに言われたことを思い出す。

 それはつまり、欲情の対象がシトリーだけという言葉だ。

 それがもし本当だとしたら、オセが抱くシトリーへの想いとは、いったい何に分類されるのだろうか。


(欲情するってことは、好きっていうこと? でもさ、そんなに好きじゃなくても、欲情する場合もあるよね?)


 どちらにせよ、特別に想われているだろうことは分かった。

 本当にオセがシトリーにしか欲情しないのだとしたら、シトリーがいなければ、オセは修行僧並みの禁欲生活を永久に送ることになるからだ。

 それに、常にシトリーの居場所を把握していたいと言うくらいに、きっとオセはシトリーに対して強い執着心を抱いている。だとすると、オセは必ずシトリーを取り返すために、ここにやって来ることだろう。


(――それにしても、五日かぁ)


 五日も経っているとなると、もしかしたら自分を巻き込んでいた状況に変化が起きているかもしれない。

 つまり、ラウムの配下が皇帝に手紙を届け終えて、皇帝の命を受けてラウムのもとに戻っているかもしれないのだ。


 そろそろ配下が帝都に着いた頃かもしれないという会話をラウムとしたのは、シトリーの自室で夕食を食べた時だ。その夜にべリスから夜這いを受け、翌朝には天使たちの襲撃を知らせる鐘が鳴ったので、よく覚えている。

 あの夜は、魔界に召喚されてから三日目の夜なので、ラウムの配下が王都から帝都まで移動するのに、少なくとも三日はかかると考えられる。多く見積もって四日、あるいは、五日だろうか。


 帝都に着いてから手紙が皇帝のもとに届くまで時間が掛かるとラウムが言っていたので、一日、あるいは、二日がさらにかかるとする。

 そこから帝都に来た時と同じ時間を掛けて王都に戻ると考えると、事が最速で進んだ場合は既に王都に戻っている可能性もあるが、戻っていない可能性も捨てきれない。


(要するに、どちらも可能性があるから、さっぱり分からんってことだ)


 では、ラウムの配下が皇帝の命を受けて、既にラウムのもとに帰還していると仮定する。そうなれば、偽者の魔王なんてお役御免になっているかもしれない。


(お役御免で、私は人間界に帰れる……?)


 それが本当なら、やったーっと喜びたいところなのだが、事態はカイムの登場によって複雑化されてしまった。ラウムのもとに自分がいないからだ。


(ラウムの配下が王都に戻っていたら、当然、オセやみんなに私の正体がバレているはずだから、オセが迎えに来てくれる可能性って……、ある? なし?)


 ――うん、なしだ。

 オセが軍団を率いて来るかもとカイムに言ってしまったし、つい先ほど自分自身でもオセが来ると確信していたが、もし自分が偽者だったと知られてしまったら、オセは自分を探そうとはしないかもしれない。きっとベリスもだ。

 人間が魔界のどこで彷徨い、野垂れ死のうと、悪魔たちの知ったことではないからだ。


(ラウムの助けに期待するべきか……)


 彼女が最初の約束を覚えていることに賭けるしかない。身代わりをやり遂げたら人間界に帰すという約束だ。

 ラウムのにこにこ笑顔を思い出すと、なぜか陰鬱な気分になった。頼れるのか頼れないのか、当てにして良いのか駄目なのか、掴み所がないのがラウムなのだ。


 所詮、悪魔との口約束。ラウムが約束を反故にする可能性は十分にある。

 たかが口約束のために、どこにいるのか分からなくなってしまった人間を、労力を割いて捜して人間界に帰してやろうという気持ちになれるだろうか。


(私なら、正直、めんどくさいって思う)


 ――となると、残された希望は、シャックスである。


 そっと指先を耳たぶに触れさせる。丸い小さな石の感触に、ホッと息をつく。


(良かった。ピアスは外されていない)


 丸裸にされていたので、一瞬、ピアスも外されてしまったかと不安になったが、ピアスだけは無事だった。

 シャックスから貰ったピアスがある限り、シャックスをぶことは可能だ。そして、彼を喚べば、ふたつ月の国の状況を知ることができて、自分の正体がバレているのかいないのか分かる。

 場合によっては、シャックスにすべてを打ち明けて助けを求めればいい。


 兄がつくったゲームの中のシャックスならば、女主人公が人間だと知っても問答無用で殺しにかかってくることはないし、うまくいけば、シャックスが自分を人間界に帰してくれるかもしれない。

 元の世界に戻れるのならば、べつにラウムでなくとも良いのだ。


(シャックスだ。シャックスを喚ぼう)


 希望を見出したところで、目下の問題に立ち向かうべきだ。

 ところで、と口を開いてカイムに振り向き、彼の瞳を見つめながら尋ねた。


「私の服は?」

「捨てた」

「はぁ!?」


 自分の服というより、シトリーの服であり鎧なのだが、それを捨てたと聞かされたら驚愕しかない。


「どうして捨てるの!」

「血や埃で汚れていたからだ。体を清めるのに邪魔だったから脱がして、そのついでに捨てた」

「ついでで捨てるなっ。――っていうか、体を清めたって? えっ、カイムが服を脱がしたの?」

「他の者に触れさせるわけがない」


 ――ということは、カイムが体を拭いてくれたということだ。


「えっ、待って。どこまで見た? どこまで拭いたの?」

「全部」

「ぜんぶってぇーっ!?」


 言葉通り全部なのだろう。だって、毛布で隠した体は全部脱がされている。


(ううっ。泣きたい)


 怒りよりも、情けなさとか悔しさとかぐちゃぐちゃな感情が溢れ出て来て涙腺を刺激する。

 見られて減るようなものではないし、ラウムのような見て得した気分になれるようなおっぱいでもない。

 体を拭くついでに傷の手当てもしてくれたらしく、肩に負ったはずの切傷が綺麗になくなっている。

 むしろカイムに感謝するべきなのではないかと、ぐちゃぐちゃな想いをぐっと抑え込んだ。


「とりあえず、服を着たいんだけど。捨てた服の代わりをくれる?」


 そう言うと、カイムは立ち上がり、ベッドの隣に配置された衣装タンスを開いた。そこから服を選んで戻ってくる。

 差し出された物を受け取ると、その中から薄手の短パンみたいな下穿きを見付け、毛布の中でごそごそ隠れながら脚を通した。

 肌触りの良い白絹のチュニックを頭から被ると、ようやく毛布の中から出た。


「履物はこれを」


 ベッドから足を下ろした先に、カイムがサンダルを置く。

 サンダルと言っても、トイレで履くようなものではなく、足の甲から足首まで何本もの細い革バンドで覆ったサンダルで、所謂、グラディエーターサンダルという物だ。

 古代ローマ人が履いていたカリガ《軍靴》がモチーフとなっているらしい。


(うわっ、履くのめんどくさっ)


 カイムが用意したグラディエーターサンダルは、厚底なのは良いが、足首どころか膝下まで革紐を編み込むタイプだ。

 うんざりした気持ちが顔に出ていたのか、カイムが膝を床に着いてサンダルを手にする。


「履かせてやる」

「あ、うん」


 おとなしくベッドに腰掛けて、カイムに脚を差し出した。

 手早く革紐を編んで結んでいくカイムの指先を眺めながら、オセのように指が長いと思った。

 それにカイムはオセと同じくらいに背が高くて、歳もオセと同じくらいに見えた。

 オセのように優しく笑うけど、オセとは違って口調は丁寧ではない。


 オセは口調は丁寧だけど、扱いはちょっと雑で、小言が多くて、時々嫌味も言う。

 シトリーの意思を尊重しているようで、結局は自分の思い通りにしようとするし、にこーとしながら支配しようとする。

 はぁー、とため息をついてしまう。

 オセのことを考えていたら、ずーんと気持ちが落ち込んでしまった。


(なんで、今ここにオセがいないんだろう)


 もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。だって、偽者を取り返しに来たりしない。――そう思って、ますます心が沈んだ。


 サンダルの革紐を結び終えてカイムが立ち上がる。

 カイムに腕を引かれて自分も立ち上がると、金糸で刺繍が施されたベルトを渡された。

 チュニックの上から腰位置にベルトを締めると、腰から下の布地がふんわりと広がって、まるで膝上丈のスカートみたいだ。


 チュニックの襟元と袖、そして裾にはそれぞれ植物模様の刺繍が金糸で施されている。ベルトの刺繍と合わせて、これだけでも華やかに見えるのに、カイムは首飾りを差し出してくる。

 それも金輪とダイヤが連なったかなり豪華な首飾りだ。身に付けると、ずっしりと重い。

 続いて腕を取られると、そこに金輪のブレスレットを次々に着けられた。

 おかげで、手を上下に動かすだけで、じゃらじゃらと音が響く。しかも、両腕ともじゃらじゃらだ。


「服だけでいいのに」

「次は耳飾りだな。ピアスが邪魔だ。外せ」

「聞いてよ! それにピアスは外さない」


 ピアスと聞いて、咄嗟に自分の耳たぶを指先で挟むように押さえた。そこに存在する小さな丸い石の感触を確かめて僅かに安堵感がわく。


「そのピアス、外そうとしたが、外れなかった。そういう術をかけているんだろう。自分で外して、これを着けてくれ。ピアスから他の者の魔力が感じられて不快だ」


 そう言ってカイムに見せられたのは、でかい雫型のダイヤがゆらゆら揺れる重そうな耳飾りだった。

 ふるふると首を横に振る。


「ピアスの穴がちぎれる。――そう言えば、飴玉がポケットに入っていたはずなんだけど、知らない?」

「ああ、ブレーのポケットに入っていた飴か」

「捨てちゃった?」


 たかだか飴玉だ。捨てられてしまっても仕方がないけれど、ハウレスに申し訳がない。

 最後の一個を食べ損ねた残念感いっぱいに肩を落としてそう尋ねると、カイムは部屋の中央に置かれた丸テーブルを親指を立てて指した。


「小箱の中に入っている」

「え、ほんと !?」


 諦めかけていた宝物が再び帰ってきた嬉しさに、飛び跳ねるようにしてテーブルに駆け寄ると、その上に置かれた小さな木箱の蓋をすぐに開いた。


「ホントだ! あった! 嬉しい。捨てないでくれてありがとう!」


 しかも、テーブルの上には、木製の小箱の他にシトリーの剣も置かれている。この剣もシトリーにとって大事な物なので捨てられずに済んで嬉しい。

 ありがとうの言葉が意外だったのか、カイムは不意打ちを食らったかのような表情を浮かべて言葉を失っていた。

 だが、すぐに眉間に皺を寄せながら口を開く。


「それは普通の飴ではないな。強い魔力が込められている。舐めれば魔力が回復するだろう」

「えっ、そうなの?」


(そうか。だからラウムは毒かもしれないと言ったのか。シトリーには回復アイテムかもしれないが、強い魔力は人間の肉体に変化を及ぼして、最終的には破滅させるって言ってたような気がする)


 ――とすると、もしや自分が戦場において発揮させた運動能力は、ハウレスの飴のおかげかもしれない。


「ほら、ピアスを外して小箱に入れろ」


 再びカイムがピアスについて言ってきたので、あまり頑なに外さないと言い張れば、却って怪しまれるかもしれないと思い、耳たぶに手を伸ばした。


(小箱に入れるだけだ。カイムに取り上げられるわけじゃない)


 両耳からピアスを外し、小箱にコツンと入れる。

 カイムに渡された耳飾りを着けると、丸テーブルの椅子を引かれて、そこに座るように促された。

 おとなしく椅子に腰かけると、カイムが背後に立つ。黒髪を軽く手櫛で梳かれると、金細工のサークレットを頭の上にそっと乗せられた。


「なぜ髪を黒くしているんだ?」

「え? 黒じゃあおかしいの?」


 驚いて首をそらせるようにして背後に立つカイムの顔を仰ぎ見た。

 カイムは僅かに翡翠色の瞳を大きく見開いて、顔の位置を戻すようにと後頭部を軽く押してくる。


「似合っていないわけではないが、元の色の方が俺は好きだ」

「元の色?」

「瞳の色も黒よりも元の色の方がいい。戻していいか?」

「えっ、ええっと、……どうぞ?」


 元の色とはどういうことだろうか。

 ラウムの話だと自分はシトリーとそっくりな顔をしていて、ベリスもハウレスも身代わりだと気付かないほど完璧な偽者だ。


(シトリーの髪と瞳は、黒じゃないの?)


 もしそうなら完全にシトリーと同じだったわけではないのか。ラウムの話とは違う。

 促されるままに真っ直ぐ前方を向くと、カイムの両手が自分の頭の上で掲げられているのを感じる。

 パリンと、まるで薄氷が砕けるような音が耳の奥で小さく聞こえ、自分の髪や顔からパラパラと細かい黒い砂のようなものが剥がれ落ちた。


「戻ったぞ」


 パチパチと数回瞬きをして視線を巡らせてみる。瞳の色が変わったとしても、見える景色の色合いに変化は起きないらしい。

 髪色はどうだろうか。横の毛を指先で摘まんで引っ張ってみる。


(色が薄くなった?)


 おい、と呼ばれてカイムに振り向く。


「鏡ならあそこだ」


 親指を立てて化粧台を指し示す。

 衣装タンスの横に置かれた化粧台の正面の壁に、頭のてっぺんから胸元までを映せる大きな鏡が填め込まれていた。

 飛び付くように化粧台に両手をついて、鏡の中のシトリーの姿を食い入るように見つめた。


「わーお」


 そこには、金細工のサークレットよりも光り輝くブロンドの髪を持った少年王が映っていた。

 ほとんど金色に見える琥珀色の瞳。それは、べリスと一緒に遊んだゲームのアバター通りのシトリーの瞳だ。


「これ、私だ! 私が映ってる!」


 ばんっと両手を鏡に着いて、もっとよく自分の顔を見ようと、化粧台の上に膝を乗せて鏡に顔を近付ける。


「すっごいしっくりきた! 今までなんでか違和感だったんだよね。自分の顔だって言われても、なんか違うなぁって感じで。――でも、ラウムは顔はいじってないって言うし」


 そうか、ブロンドの髪で琥珀色の瞳だったかぁーっと、ようやく腑に落ちた心地になる。

 そして同時に、鏡の中のシトリーがどうしてオセやベリスたちに宝物のように扱われ、焦がれ、欲されているのかが分かった。

 シトリーの容姿は、まるで宝石のように美しく、悪魔であるくせに、まるで穢れのない天使みたいな容貌をしている。

 シトリーのふたつ名にやたらと『美しき者』がつくことにも納得できるし、カイムがシトリーを装飾品だらけにして飾り立てたくなる気持ちもよく分かった。


 そして、『天使みたいな』という形容詞がつくわけには、シトリーが少年のようでもあり、少女のようでもある顔立ちに、ひどく未熟な身体を持ち合わせているからだ。

 謂わば、シトリーは美しい未成熟な子供であった。

 未成熟であるが故に、一見すると、シトリーからは性欲をまったく感じられない。

 まさに穢れのない天使、曇りのない宝石で、その美しい顔を欲にまみれさせることができたら、さぞかし己の心は満たされるだろうと思わせる危険な魅力を秘めていた。

 そう、シトリーは相手の征服欲を刺激する美貌の持ち主だ。


 ――これが、ふたつ月の魔王シトリー。


(んん? あれ? ちょっと待って。この姿って、どう見ても日本人には見えないよね? 私って、ハーフだったのか?)


 そんな記憶はないが、金髪金眼の純血日本人など存在しない。

 自分が確かに日本人であるのなら、髪の色はもっと暗い色であるはずだし、瞳の色が金色だなんてあり得ない。

 そう。それはちょうど、カイムに姿を戻してもらう前の自分のように。


(――これって、どういうこと?)





【メモ】


シャックス……『我』・コウノトリ・黒字に銀で縁取られたコウノトリの軍旗。

 『シトリー』『べリス』『オセ』『ストラス様』

 闇に溶けるような黒髪。ほとんど白に見える灰色の瞳。全体的に痩せた印象の体躯。

 手足が長く見える。目つきが悪く、声がしゃがれている。

 『ふたつ月の国』から見て、南東に領地を持つ。侯爵。

 シトリーやべリスと幼馴染。

 2歳でシトリーと出会い、5歳でべリスと出会う。二人の心の声が聞く気がなくとも聞こえる。

 ストラスには養育された恩があって、逆らえない。

 自分や相手に対して時間を逆行させる魔法が使える。


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