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19.ゲームで倒した天使が現れたけど?


 ガルバが送った伝令と行き当たったのは、それからしばらく進んだ後のことだった。直に月がひとつ西の地平線に沈む。 

 ガルバの伝令は前方から馬で駆けて来て、軍団の先頭を行くプロブスの前で止まると騎乗したまま何事か報告をして、それからフォルマの元に駆け、おそらく同じ報告をすると、オセの方に向かって駆けて来た。


「報告します。ガルバ将軍が大公殿下と合流いたしました。深緋こきあけの公爵もご一緒です」


 深緋の公爵とは、べリスのことだ。

 赤毛で赤目、その上、赤い鎧を身に着けていたら、そのような二つ名が付くのも仕方がない。


「天使軍は?」

「それが、ソルム平野で陣を敷いていた別軍がいたようで、ガルバ将軍が到着した時には、深緋の公爵の軍団と戦闘状態にあったとのことです」

「別軍? まさか、いったいどこから……」

「別の場所にも穴があいていたのかもしれませんね」


 オセと伝令の会話にラウムが口を挟んだ。そんなラウムの方に身を乗り出して、こそっと小声で尋ねる。


「ソルム平野って?」

「ソルムの街のすぐそばにある平野です、陛下。考えられることとして、ソルム平野にも時空の穴をあけられていたのかもしれません」

「ハウレスとべリスは、そこで戦っているということ?」

「そのようです」


 伝令はオセに向かってさらに言葉を続けた。


「大公殿下の軍団も各地からソルム平野に結集しております。大公軍と公爵軍が別軍と戦闘状態にあるところ、カマエル軍が加わり、さらにその後方からガルバ将軍が軍団を率いて到着し、カマエル軍を攻撃しております」

「それで別軍の指揮官は? どのくらいの軍団だ?」

「マスピエルとタグリエルです。それぞ16の軍団を率いています。それから、ルヒエルの姿があります」

「ルヒエル……」

「ルヒエルですか……」


 意味深に押し黙るオセとラウム。


(ちょっと待って。みんなでエルエル言い過ぎだから! ちっとも分からないよ。どのエルが、なんのエルなの!? そして、そのエルはヤバいの? ヤバくないの? なんなの!? 説明してー、ラウムーっ!!)


 ラウムに振り向き、縋るように強く見つめながら、両手をわなわな動かしてアピールを繰り返すと、すぐにラウムが気付いて、くすくすと笑った。


「すみません。ちょっと絶句しちゃいました」

「それはなんの絶句?」

「ちょっとヤバいかなぁ、の絶句です」

「ヤバいの?」

「メンバーがちょっと……。カマエルは別として、他のメンバーがちょっと」

「ちょっとって何? ちょっとちょっとの悪魔になってるよ。はっきり言って!」

「えー、ちょっとちょっとの悪魔ってなんなんですかぁ? おもしろいんですけどぉー」

「面白くない!」


 早く言えと急かすと、ラウムは笑顔を表情の奥深くにしまい込んで、眉を顰めた。

 ちらりとオセに視線を向け、彼が口を挟んでこないことを確認すると、ラウムはふっと表情を緩ませて、にこにこ笑顔を浮かべながら言った。


「ラファエルが来ていそうな予感です」


 無意味に、そして、無駄にハートマークが語尾についていそうな口調だ。

 たぶん少しでも不安感を煽らないように彼女なりの心遣いなのだろうけど、まったくの逆効果で、ラウムのにこにこ笑顔を見つめていると、不安感しかない。


 そわつくような不安に駆り立てながら進み続け、やがて夜の月が昇ったので、本日の進軍を終えた。

 次々と天幕が張られていく。――と言っても、天幕の数は限りがあり、ひとつの天幕をひとりで使えるのはオセと将軍くらいだ。


 下の者たちは地位によってひとつの天幕に押し込められる人数が決まっており、一番下っ端の兵士たちの天幕は寝返りもできないくらいにぎゅうぎゅうだ。

 そのため、天幕の外で寝る者も少なくない。この辺りの夜はさほど寒さを感じないので、虫にさえ気を付ければ、天幕の中で眠るよりも外で寝た方が快適らしい。


「あー、お風呂に入りたい」


 ラウムと同じ天幕で夕食を終えた後の第一声である。ラウムが困ったように眉を下げた。


「水は貴重なので」

「分かってる。ちょっと言ってみただけだから、無理を効かせて用意しようとしなくていいからね。――でもさ、私、におってない? 二日も入ってないじゃん? 大丈夫かなぁ」

「大丈夫です! 陛下はとてもいい匂いです!」


 強めの圧をかけてラウムは言ってくれるが、髪がベタついてきた気がしてならない。それに何より、ネムスの街の臭いが体に纏わりついていて気持ちが悪い。

 しかし、それは皆、同じなので、自分だけが我が儘を通すわけにはいかなかった。

 ため息をつくと、ラウムが整えてくれた寝台の上に腰を下ろした。


「それで、なんでこんなところで野営してるの? あとちょっとなんだから進んじゃって、ガルバたちと合流すればいいじゃん」


 もう少し先に進むと、ガルバがカマエル軍の後方と戦っている場所にたどり着くばずである。


「陛下、戦況は刻々と変化していくものなのです。伝令の情報はおそらく半日前の戦況です。カマエル軍は、ハウレス大公とべリス公の軍勢を抜けて、マスピエル軍とタグリエル軍に合流したはずです。彼らは飛べますからね。文字通り、おふたりの頭の上を飛び越えていると予測されます」

「べリスの悔しがる顔が目に浮かぶね」


 基本的に悪魔たちは飛べない。

 天使は階級に応じた翼を持っていて空を飛べぶことができるが、悪魔はかつて天界の戦いで負けた際に翼をもがれ、多くの悪魔たちはそのまま空を自由に飛ぶ能力を失った。

 その後、魔界で生まれた悪魔たちの多くも翼を持たず、有翼種と呼ばれる一部の悪魔のみが天使とは異なる翼を持っていて、空を飛ぶことができた。

 しかし、残念ながらべリスはこれに当てはまらない。


(シトリーは飛べるんだよね)


 べリスと遊んだゲームで、シトリーの背中に翼が現れたことを思い出す。ならば、きっと本物のシトリーも翼を持っているはずだ。

 あのゲームはシトリーの兄――ストラスが並々ならぬ拘りを持って作っていて、かなり正確に悪魔たちを描写しているのだ。

 ちなみに、翼の有無は爵位や魔力の高さとは関係がないので、下級悪魔の中にも有翼種がいる。そして、彼らは軍団の中で重宝される存在らしい。天使との戦いの際に、空中戦が必要となる場合があるからだ。


「間に挟まれる形になっていたカマエル軍が前方に抜けたということは、その後ろを追っていたガルバ将軍はハウレス大公とべリス公に追いついたはずです。今頃、一緒にご飯でも食べているかもしれませんね」

「もう食べ終わってるでしょ。こっちはとっくに食べ終わってるわけだし」

「いいえ、わたくしたちが早めに食べたんです。明日は夜明け前に出発するので、早めに休むようにとオセ様が言っていたじゃないですか」

「あー」

「おそらく夜明けから数時間後には戦場に到着するはずです。その頃には、両軍は正対して陣を敷いているはずですよ」

「じゃあ、明日の戦いが始まる前に着ける?」

「始まる前か、始まったばかりか、とにかく間に合うと計算してここで野営しているのだと思います。――さあ、そろそろ休みましょう。明日、陛下が疲れた顔をしていたら、兵士たちの士気に関わります」


 そうかもしれないと思って、ラウムの言葉に素直に頷くと、寝台の上で横たわった。



▲▽



 夜明けの数時間前である。

 ――と言っても、魔界には太陽が昇らないので、そもそも朝の定義が曖昧だ。昼間とは何かと問いたくもなる。

 寝足らない顔をしているのは自分だけではないことをアリスに跨がって、その背の上から辺りを見渡して知る。

 欠伸を嚙みしめながら歩き進む兵士たちと共に南へと進軍を続けた。


 わぁーっと歓声が上がったのは、それからしばらく経った後のことだった。

 先頭を行くプロブスの軍団の重装歩兵たちが突槍の柄で丸い盾の縁を叩いて、ガンガンと音を鳴り響かせる。

 いったい何事かと背筋を伸ばして前方を見ようとした時、自分のすぐ近くで軍旗が上がった。

 その白い軍旗には、翼の生えた黄金の豹が描かれている。


「陛下、ハウレス大公とべリス公はあちらです。ようやく合流できましたね」


 言いながらラウムが双眼鏡を差し出してきた。なんて準備が良いんだろう!

 彼女が指差す方向に双眼鏡を向けると、直立した大きな豹が描かれた灰色の軍旗と赤地に剣と王冠が描かれた軍旗が見えた。あそこに二人がいるということだ。

 ハウレスとべリスの兵士たちからもシトリーの軍旗が見えたのだろう。地響きかと思うような歓声が大きく響いて聞こえる。

 そして、ラウムの推測通り彼らの軍勢と正対するように天使たちが布陣しており、両軍の先陣は既に戦闘を開始していた。


 上空から矢を放つ天使たち。

 それを撃ち落とそうと、弩を構える悪魔。

 落ちてきた天使を剣で切り裂き、胸を突き刺してトドメを刺す。

 上空から槍で突いてくる天使もいて、仲間が体を貫かれている隙に天使の横腹を槍で突き返して仇を打つ悪魔の姿もある。

 天使と悪夢が乱れ合いながら、血を流し、殺し合っていた。


「陛下、あそこにガルバ将軍がいます」


 覗き込んでいた双眼鏡の向きを変えると、大きな熊のような男が大きな笑い声を上げながら、右手で大剣を振り回し、左手に天使の首根っこを掴んでは放り投げ、また掴んでは放り投げている。

 ガルバの動きは荒々しく、激しく戦場を移動していたが、彼に倒された天使の体が彼の周囲で常に吹き飛んでいたので、いつでもガルバがどこにいるのか一目瞭然だった。


「すごく楽しそうだ」

「天使をぶち殺すために生まれてきたような方ですからね。本領発揮できて嬉しいのでしょう」


 ハッハッハッハッ! と戦場をガルバの笑い声が高らかに響き渡っている。

 縦に伸びていた軍勢を横に広げて布陣すると、戦場をよく見渡せるようにラウムと共に軍団の先頭に向かった。

 すると、そこでオセがプロブスとフォルマに命令を下していた。


「プロブスは敵の右翼を攻撃しろ。フォルマ将軍は弓兵でプロブスの援護を、騎兵はガルバ将軍の援護に向かわせてください。そして、伝言をお願いします。ガルバ将軍のお好きに動いて結構です、と」


 オセの言葉にフォルマは、ニヤリと笑みを浮かべた。


「ガルバ将軍が大喜びで天使どもを血祭りにあげてくれますね」

「オセ様はガルバ将軍に甘過ぎます」


 プロブスは眉を顰めると、自分の軍団を率いるために馬を駆けさせた。

 そして、すぐにプロブスの重装歩兵が重々しい足音と鎧の金属音を響かせながら敵陣右翼に向かって歩みを進めて行く。

 そちらで待ち構えているのは、マスピエルの軍勢だ。


「マスピエルって、どこかで覚えがある名前だなぁと思っていたけど、思い出したよ! 私、マスピエルを倒したことがある!」


 きらっきらに瞳を輝かせて得意げに言うと、ラウムは死んだような目をしながらも、実に器用に、にこにこと笑みを浮かべて言った。


「陛下、それはゲームの話ですね」

「うん、ゲームで倒した」

「ゲームですからね」

「……う、うん」

「ゲームを楽しんで頂けて良かったですぅ」


 ふふふっ、と不気味に笑うラウム。


(うん、分かったよ。ゲームは所詮ゲームだって言いたいんだろ。実際のマスピエルを私ひとりで倒すなんて無理な話だって。ちゃんと分かってるってば!)


 フォルマが軍団を三つに分けて、弓兵はプロブス軍に、騎兵はガルバ軍に援軍を送る。残った重装歩兵と軽装歩兵は待機の命令を下して、彼はオセの隣に馬を並べた。


「もう少しガルバ将軍に援軍を送りますか?」

「いえ、兵が多すぎるとガルバ将軍の妨げになってしまいます。それよりも、様子を見てプロブスの方に送ります。マスピエルを先に討ってしまいましょう」


 天使軍の左翼はタグリエルだ。オセとフォルマの会話から察するに、タグリエル軍はハウレスとべリスがどうにかしてくれると信じて、中央のカマエル軍はガルバに任せ、プロブス軍でマスピエルを倒す作戦のようだ。


「あまり時間をかけると、ガルバ将軍がもちません」

「体力と腕力だけが取り柄の方ですが、何事にも限界がありますからね」


 オセもフォルマも涼しげな表情で戦場を眺めている。彼らの隣に馬を並べると、ふたりは振り向いて、それぞれの顔に笑みを浮かべた。


「陛下、ご安心を。マスピエルは16軍団。勝てない数ではありません」

「でも、カマエルは24軍団でしょ?」

「ネムスでガルバ将軍とプロブスがかなり削ってくださった様子です」

「攻撃しても見向きもされなかったようなので、こちらにはまったく被害がなく、5軍団近く削ったとの本人談です」

「なので、カマエル軍は20軍団弱くらいでしょうか。まだまだ多いですが、どうにかできない数ではありません。ただ、不気味なのは――」


 オセが僅かに俯いて言葉を切った。彼が何に言葉を詰まらせたのか、ピンと閃いて彼より先に口にする。


「ルヒエル?」

「ええ、そうです。ルヒエルの居場所が掴めません。軍団を率いている様子もなく、どこかに潜んでいるようです」

「ルヒエルって、いったい何者なの?」


 べリスと遊んだゲームでは、ルヒエルなんて天使は出て来なかったと思う。

 首を傾げて尋ねると、ラウムが横から口を挟んできた。


「ルヒエルは『風の天使』と呼ばれていて、ラファエルの副官です」

「副官がひとりで戦場に来るってことは?」

「ないことも無いですが、ルヒエルの場合は、未だかつて無いです」

「今回が初めての単独行動というわけでもない限り、ラファエルも来ている、もしくは、来ると考えた方が良いと思います」

「ですから、ラファエルが姿を現す前にマスピエルとカマエルを討つ必要があります」


 できたらタグリエルも、とフォルマが付け加えるように言った。


「だったら、ここでしゃべっていたらダメじゃん! みんなで戦わなきゃ!」


 ガルバとプロブスの軍団の兵士たちは全員、戦いに身を投じているが、フォルマの軍団は半数近くこの場で待機している。

 ここも戦場と言えば戦場だが、実際に血が流れている場所は、この場所よりも1㎞ほど先なのである。


「みんなで戦うって、陛下も戦われるんですかぁ?」


 こてんと首を傾げてラウムが言ったので、ぎょっとして彼女を振り向いた。


「陛下は総大将です。総大将をひとり残して戦えません」

「つまり、私がここにいるから、これだけの兵士がここに残っているの?」

「はい」


 その通りですけど、何か? 的にラウムがにっこり笑顔を浮かべて答えた。


(うーわー、そういうことなのか)


 自分を護るための兵士が5軍団ほど、ここで待機させられているのだ。

 からくりが分かったような心地になり、カッと胸が熱くなる。


「じゃあ戦う! 私もあっちに行く!」

「ええーっ! 陛下、やめましょうよ。絶対に戦わないって言ってたじゃないですかぁ。無理無理無理無理! って」


 数日前の自分の口調を真似される。


「でも、私がもう少しあっちに移動したら、今ここにいる兵士たちもみんなあっちに移動できるじゃん」

「もう少しあっちって、どのくらいあっちですか?」

「ええっと、それは、もう少しだよ。ギリギリな感じで」


 戦うと言ってみたものの、やっぱりどう考えても女子高校生には無理そうだ。

 ネムスの街でも、焼け焦げて炭化した遺体を見ただけで吐きそうになっていたというのに、戦えるわけがない。

 だって、戦うっていうことは、相手の命を奪うということなのだ!

 ほぉら、とラウムが勝ち誇ったような笑顔を浮かべる。


「陛下はここでおとなしく見ていましょうね。その方がわたくしもラクができて嬉しいですし」

「……」


 結局ラウムの言う通りにおとなしく遠くから戦況を見守っていると、次第に雲行きが怪しくなってきたのが、素人目にも分かった。

 ガルバの動きが鈍くなっている。ならば、一刻も早くマスピエルを討たなければならないのに、プロブスとマスピエルの兵力は拮抗しており、膠着状態に陥っていた。


「フォルマ将軍、4軍団をプロブス軍のもとへ。貴方が率いてください」

「承知した!」


 フォルマは手綱を引いて馬首を返すと、己の兵士たちに向かって剣を掲げて出陣の合図を出した。

 応えるように4軍団の兵士たちも己の武器を掲げて雄叫びを上げ、進軍を開始する。

 魔王の側には1軍団――つまり、六千の兵士のみが残された。

 その六千もフォルマが連れて行ってくれたら良いのにと思ったが、そういうわけにはいかないのだということは理解している。


 それにきっとこの六千という数は、オセにとって妥協できるギリギリの数字なのだろう。本当なら、もっと多くの兵士で魔王の周りを固めたいと思っているに違いない。


「もう少し兵力が欲しいですね。ガルバ将軍がもちこたえてくれると良いのですが」


 ガルバを気遣うような言葉を口にしながらも、どこか他人事のようにラウムが言った。――その時だ。

 フォルマが突然、進路を変えた。プロブスのもとではなく、ガルバの方に向かって進軍している。


(どういうこと?)


 わぁーっと歓声が上がり、南東の方角――マスピエル軍の左斜め後方に軍影が見えた。


(新たな敵? もしかしてラファエルが現れたの?)


 そうではないと分かったのは、すぐだった。軍旗が見えて、ラウムがはしゃぐように言った。


「コウノトリの軍旗です! シャックス侯です、陛下!」

「シャックスが来てくれたの!? えっ、なんでコウノトリ? コウノトリって、赤ちゃんを運ぶ鳥だよね?」

「えー、今それ説明しなきゃいけませんか? 陛下、戦況を見守ることに集中してください。ほら、あそこ! シャックス侯ですよ!」


 シャックスが率いて来た騎兵がプロブス軍とマスピエル軍が入り乱れる中に突っ込んで行く。

 新手の敵に天使たちは混乱し、その隙をついてシャックス軍が次々に天使たちを切り捨てて駆け抜けていった。

 戦況が一気に動いたのを感じ取り、気が付くと、両手で拳を握り締めていた。


(すごい)


 シャックス軍の弓兵が矢を放ち、バタバタと天使たちが地上に落ちて来ると、軽装歩兵が素早く群がって、天使たちの首元を短剣で切り裂く。

 シャックス軍は騎兵も歩兵も実に身軽で、素早さを重視した戦い方をしていた。

 ふと、ラウムに言われて視線を向けると、戦場にありながらまるで自室で寛ぐような格好をしたシャックスが馬に跨っている。


 彼は隣に馬を並べている副官を指先で呼ぶと、何やら支持をする。

 シャックスの副官は槍を右手で持ち直すと、高く掲げ、シャックスが指差した方角に狙いを定めた。


 スッと槍が空を切るように飛ぶ。

 ――と同時にシャックスが右手を払い、魔力を槍に向かって飛ばした。


 槍は光の速さで真っ直ぐに飛び続け、そして、上空に浮かぶ天使の胸を貫いた。

 その天使は一瞬、目を見張り、槍を投げた者の方を振り向く。そして、体を傾け、悪魔たちが待ち構えている地上へと落ちて行った。

 うわぁぁぁぁぁぁーっと、凄まじい歓声が沸き起こった。その騒ぎの中、マスピエルを討ったという言葉が混ざって聞こえ、ラウムと顔を見合わせた。


「陛下、マスピエルを倒したそうです!」

「うんうん! すごいね! やったね!」


 喜びを溢れさせるのもほどほどにしてガルバの方に視線を転じれば、フォルマが4軍団を率いてガルバに近付こうと、周囲の敵を切り倒していた。

 マスピエルが倒れたのでプロブス軍の援護に回っていたフォルマ軍の弓兵が続々と向きを変えて、カマエル軍に矢を放つ。


 プロブス軍は指揮官を失って恐慌状態にあるマスピエル軍に追い討ちをかけて、天界に逃げ帰ろうとする天使たちの背に槍を突き立てている。

 そして、シャックスの騎兵は天使たちを蹴散らしながらカマエル軍へと突き進んでいった。


 わぁぁぁぁぁぁーっと再び歓声が大きく上がった。それは自分たちの場所よりもずっと西の方――敵陣左翼――タグリエル軍の方から聞こえた。


(いったい何が……)


 双眼鏡を握り締めると、ラウムが戦場を駆け抜ける赤い人影を指差して声を上げた。


「ベリス公です!」


 見ると、赤いマントを靡かせ、馬を駆けさせるベリスの姿があって、彼の左手には天使の首が掲げられている。


「ベリス公がタグリエルを討ったんです!」

「すごい!」

「はい、さすがベリス公です!」

「まったく見てなかったけど、ベリスでかした!」


 これで残すは、カマエルと未だ所在不明なルヒエルだ。

 いったい、ルヒエルはこの戦場のどこにいるんだろう? マスピエルとタグリエルが討たれた今が姿を現す時なのではないだろうか。


「陛下」


 くいっとラウムに袖を引かれて振り向くと、彼女は目線だけで語りかけてきた。

 その目線の先には、南方からこちらへと向かってくる巨大な軍影が見える。


(何あれ? あれは味方? それとも……)


 オセとラウムの軍団が到着したのだろうか。

 いや、違う。彼らの軍団が南からやって来るはずがない。王都に寄ってからこちらに向かっている軍団は、北から姿を現すはずだからだ。


 ――それにしても数が多すぎる!


 まるで地平線を埋め尽くそうとしているかのように、それは横に横に広がって、ズシン、ズシン、と板金鎧の重そうな音を鳴り響かせて進んで来る。


(鳥?)


 近付いて来る軍勢の上空に無数の鳥が飛んでいる。

 大きな大きな鳥だ。


(違う! 鳥じゃない。天使だ!)


 上空の天使たちは、地上を進軍する兵士たちを見守るように空を舞っている。

 それでは地上を進軍している軍団は、天使の軍団なのだ!

 オセのもとに兵士が駆けて来て叫ぶように、手に入れてきた情報を報告する。


「ルヒエルです! その数、およそ110軍団!」


 オセの隣でその報告を聞いて耳を疑った。


「は? 嘘でしょ! 110軍団って、それって、つまり何人だよ!」

「ざっくり66万でしょうか」


 それに加えてカマエル軍も健在だ。

 対して、こちらは45万に届かないくらいだろうか。負傷者も出始めている。


「ねぇ、ヤバいんじゃないの?」

「ヤバいと言えば、ルヒエルにあのような大軍を率いるだけの能力がないはずなのに……っていうところです」

「どういう意味? 実際、あの大軍を率いているのはルヒエルなんでしょ?」

「マスピエルとタグリエルの16軍団、カマエルの24軍団、そして、目の前の110軍団。それらすべての総大将となれば、座天使がやってきたと考えるべきでしょう」

「座天使? ――つまり?」

「ラファエルです」


 あの軍勢のどこかにラファエルがいると、ラウムは言った。

 ファーン、とラッパの音が鳴り響く。

 ルヒエル軍の上空を飛び回る天使のひとりがラッパを吹き鳴らし、それに応えるようにカマエル軍の上空を飛ぶ天使のひとりもラッパを吹いた。 


 ラッパの音を合図に、まるで波が引くようにカマエル軍が後退を始める。

 すかさずオセが片手を上げて銅鑼を鳴らすように指示を出した。ゴンゴンと銅鑼が鳴り響くと、悪魔たちも天使軍の後退に合わせるように自陣へと引く。


「本日はここまでのようですね」


 西の空を指差してラウムが言った。

 月がひとつ西の地平線に沈み、もうひとつの月も北の空を低く漂っていた。




【メモ】


ガルバ

『ふたつ月の国』の三代将軍のひとり。シトリーの家臣。中級悪魔。熊族。『陛下』『オセ殿』

 がっしりとした体躯の男。顔の大半を濃い髭で覆われている。40歳前後の外見。栗色の瞳。

 板金鎧を身に付けた騎兵と、革鎧を身に付けた歩兵と弩兵で編成された軍団を率いる。

 好戦的で天使嫌い。シトリーが『雷雪と宵の国』にいた頃からシトリーの配下で、護衛だった。



フォルマ

『ふたつ月の国』の三代将軍のひとり。シトリーの家臣。中級悪魔。狐族。『陛下』『オセ殿』

 三将軍の中で一番年若い。20歳くらいの外見。親しみやすい顔立ち。

 短く切り揃えた栗毛色の髪。悪戯好きそうな赤茶色の瞳。

 シトリーが『ふたつ月の国』の王に即位したばかりの頃、王城に盗みに入った盗賊。

 魔界で最も美しく価値のある宝石を盗み出そうとして、シトリーと出会い、捕らえられ、処刑されそうになっているところシトリーに面白がられて救われる。

 前列に重騎兵、その後ろを重装歩兵、軽装歩兵と続き、兵糧を乗せた荷車とそれを囲む騎兵、最後に再び重装歩兵の列。

 魔王の場所は重装歩兵と軽装歩兵の間で、魔王の四方を騎乗した近衛兵が固める。



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