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召喚魔王 ~召喚されたので乙女ゲームの世界で魔王やってます~  作者: 海土 龍


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17/50

17.イカれた天使たちの炎の夜


 馬の蹄の音が変わって、岩地から砂地へと変化したことに気が付く。

 魔王城を出発してからしばらく経つが、相変わらず緑の乏しい大地が続いていて、大地も大気もひどく渇いていた。


 軍団は西へ西へと、月を追うように進んでいる。

 ひとつの月が西の地平線に落ちたのは、少し前のことだ。もうひとつの月も西の空を漂うように浮かんでいて、橙色の怪しい光を放ちながら、かろうじて沈みそうで沈まない高さを保ちながら少しずつ少しずつ北へと移動しているように見えた。


「陛下、危ないです。ちゃんと座ってください」


 エクウスを隣に並べてラウムが呆れたように言った。

 埃っぽい砂を蹴るように脚を運ぶアリスは実に賢い馬で、乗り手がどんな姿勢であっても、けして振り落としたりしなかった。


 出発早々、ずっと手綱を握り締めていなくても平気だということに気付き、その後しばらくすると、背筋を伸ばして姿勢良く座り続けていなくても大丈夫だと気が付いた。

 そして、ついに! 鞍の上で胡坐をかいていてもアリスは黙々と歩みを進めていくことを知った! これは自分史上の大発見だ。


「だってさ、ずっと足を開いているのって疲れない? しかも、股が鞍で擦れて痛くなってくるじゃん」

「分かります。分かりますけど、アリスちゃんから落ちますよ」

「落ちない。私はアリスを信じている!」

「よくそんなことが言えますね。あんなに顔のことでディスってたじゃないですか」

「他のエクウスと比べて見たらさ、私のアリスは涎を垂らしていないし、目も血走っていないから美人だと思う」


 多くのエクウスは、鋭い牙と青黒くて長い舌が口の中に納まり切れていないので、薄く開いたままになっている口から涎が溢れているのだ。

 対して、アリスは他のエクウスに比べて牙も舌もさほど長くないのかもしれない。涎を垂らしていないので、それだけで綺麗な顔立ちをしているように見えた。


「アリスは美人で賢いから、絶対に私を落とさない」

「わかりました。もう申しませんけど、馬上で居眠りだけはダメですよ」

「はいはい。――ところで、まだ着かないの? こんなにゆっくり進んでいて大丈夫なの?」


 天使の梯子が人間界の空に現れたら、その半日後に天使軍が魔界に降り立つのだという。

 午前9時に梯子が現れたという報告だ。人間の感覚だと半日はおおよそ6時間なので、午後3時に天使軍がハウレスの領地を襲うということだろうか。


「今、何時? 昼前に城を出発してからずいぶんと進んだよね?」

「おやつの時間が過ぎた頃ですね。陛下にケーキと紅茶をお出しできなくて悲しいです」

「じゃあ、もう天使軍は魔界に着いているってこと?」


 ラウムの暢気すぎる発言はガン無視しながら質問を重ねると、ラウムは小首を傾げて、そうですねぇ、と答えた。


「先陣は到着しているかもですね。天使たちもいっぺんに、どっと押し寄せてくるわけではないんですよ。時空の穴は大きいほど開けるのが大変になりますから。それに、人間界から魔界に穴を開けるわけで、天使としては大きな穴を開けたくないんです」

「つまり、少しずつ穴を通って魔界にやってくるわけだ」

「はい、なので、それなりに時間がかかるんです」


 悪魔たちもかなりの時間を掛けて進軍をしているが、攻めて来る天使たちものんびりしたものだと思う。

 てっきり、魔法か何かで戦場に瞬間移動したり、背中に翼を生やして飛んで移動するのかと思いきや、実際は馬に乗ってひたすら歩きのスピードで移動するのみだ。歩兵なんぞ、まさに歩いて進軍している。

 そのことをラウムに指摘すると、彼女は小首を傾げて答えた。


「瞬間移動ですか? 条件が揃えばできないこともないのですが、それなりに魔力を使うので、下級悪魔にはできません。兵士のほとんどは下級悪魔なので、軍団ごと瞬間移動させるなんて不可能ですね」


 悪魔なんてファンタジーの住人なのだから、ばんばん瞬間移動してたって、まったくおかしくはないと思うのに、このゲームの世界の悪魔は妙に制限が多くて、絶妙なところでリアルで、そして、少し人間臭い。


(兄貴の考えたゲームの世界だから、仕方がないかぁ)


 悪魔同様、天使にも様々な制約があるようで、彼らが天界から魔界に瞬間移動できないことが救いだ。

 わざわざ人間界を通って、小さな穴を開け、その穴から押し合いへし合い魔界にやってくる天使たちの姿をイメージすると、滑稽にさえ思えてくる。


「――ちなみに、天使って、どのくらいの数が来るの?」

「うーん、そうですねぇ。率いてる天使が誰かによって変わってきますけど、指揮官が能天使ならおよそ10万、座天使ならおよそ100万ですね」

「ひぇー。100万!」


 ひとつの軍団の兵数は六千だから、シトリーの30の軍団というのは18万ということになる。

 ベリスやハウレス、それに、オセやラウムの軍団が加わる計算とはいえ、100万に届くだろうか。

 当然、ベリスたちも全軍団を出陣させてはいないだろう。自分の領地のためにいくらか軍団を残しているはずだ。

 不安感がそのまま表情に出たのだろう。ラウムがにこにこしながら、大丈夫ですよ、と言った。


「座天使なんて、めったに魔界には来ません。座天使以上の天使は、天界に引きこもっていて、人間界に降りてくることさえ稀です」

「でも、絶対にないこともないんだよね?」

「そうですねぇ。過去に一度、イオフィエルが攻めてきたことがあったんですが、あの時は魔界が崩壊するかと思いました」

「イオ……え? なにエル?」

「イオフィエルです。智天使なんですけど、503軍団を率いて来たんです。さすが天使! 頭イカれてるぅ!! って思いました」


 にこにこしながら話しているが、おそらくその時のラウムは、にこにこする余裕もなく、ぶちギレながら戦っていたに違いない。

 そして自分としては、503軍団とは、どのくらいの数なのかを計算する気にもなれない。とにかく、ヤバい数だ。魔界の空が天使で覆い尽くされて真っ暗、――いや、その翼で真っ白になったことだろう。


「どんな指揮官が来るにしても、天使軍の主力は能天使です。能天使を能天使長が率いてくるのか、能天使を座天使が率いてくるのかで、兵数が変わってきますね」


 なるほどと頷いて口を閉じた。できることなら、能天使を能天使長とやらが率いて来ることを祈った。

 それから更に西に進軍して、北西を漂っていた橙色の月がついに北の地平線に沈んだ。

 すると、東の空に新たな月が昇る。この月こそ夜空に浮かぶ月で、人間界の月と同じように満ち欠けを繰り返しながら、東の空から西の空へと移動するのだという。


「陛下」


 隊列の前の方からオセが馬を駆けさせてやってくる。城を出発した時には隣にいた彼だったが、進軍しながらあらゆる報告を受けたり、多方面に指示を出したりと忙しく、昼過ぎの進軍からは先頭のフォルマと馬を並べていた。


「この先で進軍を停止して野営します。お疲れでしょうが、もう少し頑張って下さい」

「今日中には着かなかったわけか。あとどのくらいなの?」

「半日くらいの距離かと」


 夜中も進軍を続ければ夜明け前には到着する距離だが、到着したら戦わなければならない。無理な進軍をして戦う前に疲れ果てるわけにはいかないのだ。


「分かった。――分かったけど、今どういう状況なのか教えて。ハウレスは? ガルバはハウレスと合流できたの?」

「ガルバ将軍もプロブス将軍も大公領に入ったそうですが、未だ大公とは合流できていないようです。それから、わたしの軍団とラウム伯の軍団が王都に到着したとの報告が入りました。明朝、共に大公領に向けて王都を出ます」

「天使は?」

「ネムス上空に現れたとの報告を受けています」

「ネムス?」


 聞き返すと、ラウムがこそっと耳打ちしてくる。


「大公領にある、なかなか大きな街です」


 街に天使が現れたって、どんな天使が?

 どのくらいの数がいるの? それで、戦いは?


 聞きたいことは山ほどあったが、その前にアリスが歩みを乱れさせた。

 何事かと思って座り直し、手綱を握って前方を見やれば、フォルマが定めた野営地に到着したらしい。

 既にあちらこちらに天幕が張られている。アリスから降りると、その姿を見付けてフォルマが駆け寄って来た。


「陛下、お疲れでしょう。陛下の天幕はあちらにご用意させて頂きました」


 そう言うと、彼は天幕のひとつに案内をしてくれた。

 フォルマは三将軍の中で一番年若い将軍で、親しみやすい顔立ちをしている。短く切り揃えた栗毛色の髪に、悪戯好きそうな赤茶色の瞳だ。


(フォルマって、確か、軍事演習がてらティグリスを退治するとか何とか書いてあった書類に名前が出てきた将軍だよね?)


 すぐにでも退治した方が良さそうな魔獣だったのに、天使軍が攻めてきてたせいで、後回しにされてしまったのだ。


(きっとティグリスだけじゃないよね。いきなり始まった戦争のせいで、行われるはずだったことがもっといろいろたくさん延期になったり中止になったりしているんだろうなぁ)


 ――だとしたら、戦争なんて一刻も早く終わって欲しい。ううん、違う。終わらせなければならないのだ。


 天幕に入ると、簡易的な寝台が用意されていた。他には、小さな机と椅子が2つある。

 どかりと寝台に腰を下ろすと、ラウムが天幕の中に入ってきた。


「陛下、お水です」


 ラウムに木器を差し出されて、そういえば、しばらく水分を取っていなかったことを思い出す。

 器を受け取って、その中で波打つ水を見下ろすと、急激に喉が渇いてきた。ぐっと喉を鳴らして、ひと息に飲み干す。


「んんっ?」


 空になった器をラウムに返しながら顔をしかめた。


「なんか苦くない?」

「そうですか?」

「うん。今の飲んだ水、苦かったよ」

「変ですね、城で汲んで来たいつもの水なんですけど。やっぱり紅茶の方が良かったですよね。茶葉とティーセット一式を持ってくるべきでした」

「いやいや、こんなところで優雅に紅茶なんて飲んでいられないでしょ。それより、お腹へったなぁ」

「ただいま火を起こして食事の支度をしていますから、もうしばらくお待ちくださいね」

「うん。じゃあ、その間に地図を見たいんだけど、ある?」

「もちろんです」

「どうやって移動してきたのか、あとどのくらい進むのか地図で確認したい」


 ちょっと待っててくださいねと言って、ラウムは一度天幕から出ていくと、すぐに戻って来て机の上いっぱいに羊皮紙を広げた。

 羊皮紙には大きくシトリーの国が描かれている。

 『魔界図鑑』に載っている地図は四百年前のものなので、『ふたつ月の国』は描かれていないのだとラウムは言っていたが、なるほど、シトリーの国を中心に描いたことを考慮しても、四百年前の地図とはかなり異なった地図だと言える。

 魔界は常に変化するというのは、本当らしい。


「ここが王都です」


 二人で向かい合うように椅子に座り、一緒に地図を覗き込んだ。ラウムの指先が地図の上で滑るように移動する。


「今日はこのように進軍して、今はここです」


 王都から西へと移動して、ハウレスの領地の一歩手前でラウムの指先が止まった。


「ハウレスの領地とは西で接しているんだね。ベリスの領地は? ハウレスの領地と接しているんだよね?」

「ベリス公の領地は、王都の南西の方角です。こちらです。その隣、つまり王都の南方にシャックス侯の領地があります」


 そして、シャックスの領地と東で接している土地には、『囁きの森』と書かれている。


「じゃあ、ラウムの領地は?」


 わたくしの領地は、と言ってラウムは、ふふっと笑みを溢した。自分に対して興味を抱かれたことが嬉しくて堪らないといった様子だ。

 にこにこして地図の上で指先を動かす。


「王都の北方です。そして、わたくしの領地とハウレスの領地の間にあるのが、オセの領地です」


 ふーんと鼻を低く鳴らして地図を眺める。地図には政務の際に書類で目にしたことのある地名がいくつも書いてある。

 なるほど、ここがセプテントリオ区か、カンプス区はここなのかと、じっくりと見入ってしまう。

 すると、ふと疑問がわいてラウムの顔に視線を向けた。


「ねえ、オセの軍団はなんで王都に寄ってからハウレスの領地に向かうの? 直接ハウレスの領地に向かえばいいじゃん。その方が早く着くでしょ?」

「ええーっとですね。それは、オセ様とハウレス大公の領地の境に山脈があるからです。山越えとなると、時間も掛かりますし、体力も削られてしまいますので、これを迂回します」


 地図の上でラウムの指先がぐるりと半円を描くように動いた。


「この山脈は我が君の領地にも続いていて、山脈を避け続けて行くと、結果、王都に近付くのです。なので、王都に立ち寄って、しっかり休息を取ることにしたのだと思います。オセ様の軍団が王都に入れば、王都の犯罪抑制にもなりますし」

「なるほどね。――あと知りたいのは、みんなの軍団数。誰がどれだけの兵士を出陣させてるの?」

「それはですねぇ、わたくしが集めてきた情報によりますと、皆様、15軍団ですわ」

「ラウムも?」

「わたくしは10軍団です」

「え、微妙に少ない」

「だって、オセ様が領境の兵を退けてくれないんですぅ。わたくし、信用がないんですよ。だから、オセ様ったら、わたくしの領地との境に砦をつくって、そこに2軍団を配置しているんです。なので、わたくしも領境から兵を動かせないんです」

「あんたたち、あんまり仲が良くないなと思ってはいたけど、領境が一触即発状態なのね」


 ヤバい、ヤバいと頭を左右に振る。


「それなのに、王都からは一緒に進軍して来るんでしょ? 不思議だ」

「ぜんぜん不思議じゃないですよ。楽しく一緒に来るわけではなく、お互いに見張り合いながら来るんですぅ」

「あー。信用ならなくて見張るのね」


 そっちだったかぁーと額をぺしりと自分の手のひらで軽く叩いて、そのまま額を抑えて、ぐっと視線を落とす。

 自分にとってオセもラウムも一緒にいて楽しい相手だから、なぜそんなに二人の馬が合わないのか不思議でならない。


(お隣同士なわけだし、仲良くやればいいのに)


 なんて思っていると、ラウムがすくりと椅子から立ち上がって、食事を持ってくると言い残し、天幕を出て行った。

 しばらく地図を眺めながら待っていると、ラウムがトレイを両手で持ち、天幕に戻って来た。

 トレイの上には簡単な食事が乗せられている。城で出される料理に比べたら、それは実に質素で、品数も少ない。

 いや、少ないどころか、パンとスープのみだ。


「それ、なに? パンだよね?」

「堅く焼いたパンです。堅く焼くと、日持ちするんですよ。――陛下、わたくしもご一緒してもよろしいでしょうか?」

「一緒に食べるの? もちろんいいよ」


 質素な食事ならばなおのこと、ひとりで食べるよりも誰かと一緒に食べた方が楽しいに決まっている。

 地図を畳んで寝台の上に放ると、小さなテーブルの端と端に自分とラウムのパンとスープの器を置いた。


「そしたら、頂きます」


 ラウムがテーブルを挟んで正面の椅子に座ったのを見て、食前の挨拶をしてからパンを手に取った。

 パンの大きさはロールパン程度で、形もそれに近いが、見るからにカチカチでパサパサしている。

 端を少し噛ってみると、ビスケットを砕いたような音がして、塩気のあるパンの味が口に広がった。


(うーん、これは、パンはパンでも、乾パンだな)


 日本では非常食または保存食としてお馴染みの乾パンの味と食感がする。美味しくないわけではないが、もしずっと乾パンだけの食事が続くのであれば、テンションはだだ下がりだろう。

 そこで重要なのがスープだ。せめてスープが美味しければ、元気が出る気がする。


 一度パンから手を放し、スープが注がれた木器を手に取って、啜ってみた。

 ほのかに温かいスープにはベーコンのような肉とキャベツっぽい野菜がたくさん入っている。

 野菜はくたくたに柔らかくなるまで煮込まれ、独特の甘味さえ感じた。それに加え、ベーコンの塩気がよく出ていて、なかなか美味しいスープだ。


「陛下、パンをスープに浸して食べるといいですよ」

「そうなんだ? やってみよっと」


 ひと口大にちぎってからスープに浸そうと思ったが、堅すぎてパンをちぎることができない。仕方がないので、そのまんまスープの中に突っ込んだ。

 からっからに乾いたパンはみるみるスープを吸い込んで、一回り膨らんだように見える。

 重みも増したパンを指先で摘まんで口の中に入れた。その次の瞬間、瞳を大きく見開いた。

 じゅわりとパンからスープが染みでてきて、口の中に肉と野菜の旨味が広がる。

 そして何より、カチカチだったパンがふやけて柔らかい!


「美味しい。これなら、飽きずに食べられる」

「ですね」


 にこにこしてラウムが頷き、二人でせっせとパンをスープに浸して食べた。

 それから食事を終え、防具を外して身軽になると、寝台に寝転んだ。


「陛下、わたくしもこの天幕で休ませて頂いてよろしいですか? 天幕の数が足りていないようで……」

「そうなんだ? うん、いいよ」


 ――とは言っても寝台はひとつだ。詰めて寝れば二人で使えなくもないけれど。


(まあ、ラウムだし、いいか)


 むしろ、天幕で眠ったことなんてなくて、ひとりでは不安だったから、ラウムが一緒にいてくれるのは心強くて助かる。


(これがラウムじゃなくてベリスなら、お断りだけどね!)


 ベリスに夜這いを掛けられ、撃退したのは昨夜のことだ。

 ラウムが相手なら、キスや胸揉み以上のことにはなるまい。

 そう思って、ラウムのために寝台の端に寄り、スペースをあけようとした時だった。ざわざわと天幕の外が騒がしくなる。

 布一枚しか隔てていない外と内なので、多少の音はずっと聞こえていたが、それどころではない騒がしさだ。


 カッカッカッカッと馬が近くを駆け抜けて行く音が響き、隣の天幕の前で下馬した弾みで鎧がぶつかり合う音が大きく響いた。

 すぐに隣の天幕の入口の幕が上がる音が聞こえ、オセの声が響いた。


「報告を!」


 問われた者がオセに向かって何かを告げている。でも、よく聞こえない。


(何か起こったんだ!)


 ざわりと不安感が押し寄せて、跳ね上がるようにして寝台から降りた。

 天幕の外に飛び出すと、外には六万の悪魔たちがいたが、その誰もが西の空を見上げている。


(いったい何が……)


 皆の視線を追うように自分も西の空を見上げた。


「なっ!?」


 西の空の下がまるで夕焼けのように真っ赤に燃えている。

 不安を煽るような異様な赤だ。その赤から逃げ惑うように鳥たちがこちらに向かって飛んでくる。その羽ばたく音がバサバサと次第に大きくなって聞こえ、カアカア、ギャアギャアと狂ったような鳴き声も響いてきた。


「オセ、何が起きたの?」


 オセの姿を見つけて駆け寄ると、オセはこちらに視線を向けて息を呑んだ。

 オセが言葉を選んでいる気配を感じて、オセの前に跪いている兵士に視線を向けた。おそらくその兵士が報告のために馬を駆けさせてやってきた者なのだろう。


「オセにした報告をもう一度繰り返して!」


 兵士に向かって言うと、彼は戸惑いの表情を浮かべてオセに視線を向けたので、苛立ちながら声を荒げた。


「お前の王に報告をするんだ!」

「はっ」


 兵士はびくりと肩を震わせてから、魔王シトリーに向き直って声を響かせた。


「報告します。ネムス上空に現れた天使軍が、ネムスの街に上空から油を撒き、火矢を放ちました。そして、逃げ惑う民に向かって杭を投げ付けたとのこと。上空の天使から投げ付けられた杭が、まるで雨のように降り注いでいるとの報せを受けたのを最後に、街の中にいた仲間との連絡が途絶えました」

「上空から油……。んで、火をつけて、火から逃げ惑う者たちに杭?」


 それが天使のやることなのか。愕然として言葉がうまく出て来ない。


「ハウレスは? べリスは? ガルバやプロブスはどうなったの? ネムスの街は!?」

「連絡が取れません。ネムスの街は壊滅。街の中にいた者は全滅したと思われます」


 あまりのことに喉がひゅっと音が鳴る。指先が震えて、ひどく冷えている。


「すぐに進軍を再開しよう。ネムスに急ぐんだ」

「いけません、陛下」

「なんで!? 急いで行かなきゃ!」

「今から行っても間に合いません」

「間に合うかもしれない。誰か助けられるかもしれない!」

「いいえ、誰も助けられません。今から出発しても到着は夜明け前です」

「でも」

「徹夜で歩き通した状態で、もし天使軍と遭遇してしまったら、我々まで全滅してしまいます。今は休むのです。しっかり休んで、明日、予定通り出発します。ネムスの街には明日の昼過ぎに到着するでしょう。その頃までには大公の消息が掴めるはずです」

「……」


 オセの言っていることは理解できる。だけど、今、あの赤い空の下で苦しんでいる者たちがいると思うと、とてもやりきれない。

 瞬間移動ができる上級悪魔だけでもネムスの街に助けに行けないのだろうか。

 上級悪魔とは『魔界図鑑』に名前が載っている悪魔を言うので、この場においては、オセとラウムしかいないが、もし二人が先にネムスの街に行くことができたなら……。

 そんなことを考えていると、目の前で跪いている兵士が報告を続けるために口を開いた。


「ネムスの街に降り立った天使軍の指揮官は、能天使カマエルです」


(カマエル? 何者?)


 べリスと遊んだゲームで、必殺技を出して倒した天使の名前はカシエルだった気がする。

 一文字しか違わないが、カシエルとは別の天使なのだろう。

 後を追って天幕から出て来たラウムが後ろから、そっと耳打ちをしてくれた。


「カマエルは能天使の長で、能天使で構成された24の軍団を率いています」

「24って……」


 今回率いて来たシトリーの軍団は30だ。これを人数に計算すると、18万人である。

 天使軍もひとつの軍団が六千人だとしたら、24軍団とは14万4千人だ。

 その数だけを聞くと、勝てない相手ではないように思えるが、それは30の軍団を10ずつに分けでいなければの話だ。

 実際には今、10の軍団――つまり、6万の兵力しかない。


 6万の兵を率いて向かっても勝てる見込みが薄いというのに、オセとラウムが二人でネムスの街に瞬間移動できたとしても、カマエルの軍団を前にいったい何ができるというのだろうか。

 それがどんなにか無謀であるかを悟り、今ここにいる自分たちにできることは休むこと以外に何もないのだと知る。


(オセの言う通りだ)


 ――ああ、空が赤い。まるで血のように。

 鳥たちのわめき声がネムスの街の民の悲鳴のように聞こえて、いつまでも耳にこびりついて離れなかった。




【メモ】


エクウス

 肉食の魔獣。ほぼ馬。

 顔が恐ろしく凶悪。口に収まり切れない鋭い牙や長過ぎる舌から涎がだらだら垂れている。

 眼球は赤く血走り。体毛はなく、鰐のような固い鱗で覆われている。


アリス

 シトリーの愛馬。シトリーのためにストラスが特別な調教を行ったエクウス。

 とても賢く、シトリーがどんな座り方をしても背から落とさない。

 仔馬だった頃にべリスから、とても良い肉を貰っていたため、べリスに懐いている。

 シトリーとべリスしか乗ることができない。

 他のエクウスに比べて牙も舌も短く口の中に収まるため、涎を垂らしていない。


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