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15. 夜這いからの、敵襲あり!


 魔王の天蓋ベッドは、ベッドという名の小さな部屋みたいなもので、三畳くらいの広さがある。

 こんなに広いのだから、大量に漫画を持ち込んで、ヘッドライトを付けてゴロゴロしながら読みまくれたら最高だろうなと思うのだけど、サラサラしたシーツと柔らかい毛布に包まれると、眠気を感じていなくとも、ゆっくりと深く夢の世界へと誘われてしまう。


 ちなみに、天蓋ベッドにヘッドライトはついていない。

 代わりに淡く暖かな光を放つランタンを枕元に吊るしていた。


(……ん?)


 気配を感じて夢の世界から舞い戻る。

 サビナだろうか。それでは、もう朝なのか。ぐっすりと深く眠っていたせいか、そんなに時間が経ったとは思えない。

 怪訝に思いながらもゆっくりと瞼を開くと、驚きに見開かれた柘榴石の瞳と目が合った。


「うわあああああああああああーっ! ……うぐっ!!」


 すぐに口を大きな手で塞がれた。

 ランタンの薄明りの中、目を凝らすと、どうやらべリスに体をまたがられ、上から見下(みおろ)されているようだ。


(えっ、ええっ? 何これ? ど、ど、どういう状況!?)


 軽くパニックである。

 たぶん、まだ夜中だ。だって、サビナがまだいない。代わりにいるのは、なぜかべリスだ。

 ここは寝室で、寝台の上で、自分は寝入っていたはずなのに、なぜかべリスが自分の体の上にいる。


(なぜだ、べリス!)


 意味が分からな過ぎて問い質したいのだが、口を塞がれている。このやろう!

 苛立ちを込めてべリスを睨み付けると、彼はそっと手を離した。


「何するんだ!」


 すかさず声を荒げると、べリスは手を離したことを後悔したような表情をする。


「どけ! 重い!」


 重いと言うほど、おそらくべリスは体重を掛けていないのだが、どうしようもなく胸がざわついて落ち着かなかったので、そう言った。

 べリスが未だひと言も話さないことにも不安がよぎった。


「どいて!」


 叫んでも怒鳴ってもべリスの体はびくとも動かず、ランタンの灯りを反射させて柘榴石の瞳は燃えているように見えた。

 ふっとべリスが上体を傾げ、顔を近付けて来た。

 黒髪と彼の赤毛が交わるくらいに顔が近付くと、互いの鼻先がくっつく距離でようやくべリスが口を開いた。


「夜這いに来た」

「は? 今なんて?」

「特別な友人は、おしまいだ」


(はあああああああああああああああー!?)


 言うや否やべリスが口を塞いでくる。今度は、もちろんべリスの口で。

 ぐっと体重を掛けてきて、逃げないようにと体の自由を奪ってくる。


(待って。待って。ちょっと待って! 勝手に友人やめないでよっ!)


 キスから逃れようと必死に顔を背けるのだけど、べリスが追って来て呼吸すら危うい。

 手がネグリジェの下に潜り込んで来る。


(やばい! サラシ巻いてない! これでもし私の体を見て『女⁉ お前、シトリーじゃないな!』となったら、どうしよう! 殺される! ――いや、待って。違うな。『シトリー、女だったのか。やっほーい!』かもしれない)


 どちらにせよ、ピンチである。

 

(――っていうか、こいつ。男相手に夜這いって、どういうことだよっ!)


 べリスはもうシトリーが男でも構わないという極地にたどり着いてしまったのだ。

 魂レベルで愛しているのだから、性別なんて関係がないのだろう。シトリーが同性であることに何ら障害を感じていない様子だ。


(男だから無理って言っても無駄か。もはや、女でも男でもべリスはやる気だ!)


 あるいは、女だと知られることで、シトリーの偽者だとバレる可能性にかけてみようか。貞操だけは守れるかもしれない。だけど、命の危機には陥る。


(――うん、ダメだな。まだ死にたくない)


 とにかく女だとバレてはならないし、全年齢のゲームの世界観も守らなければならない。


(兄貴、ゲームを全年齢で作ってくれてありがとう! 私は負けない。夜這いイベントに屈してなるものかっ!)


 べリスの手がブレーの中に潜り込んできた感覚に、ぐっと右手に力を込めて拳を握る。幸い、右腕の自由は確保できている。


 ――いいぞ、やれる!


「全年齢パーンチ!!」


 ガツンッ!!


 べリスの横面に拳が食い込んだ。自分の右手も痛かったが、べリスの頬も赤くなっている。

 よし! と思ったのはそこまでだった。

 僅かによろけて、体の上から少しだけ退いたべリスだったが、すっと目を細めて冷ややかに見下して来た。


(怒ってる?)


 それはそうだ。殴られて怒らない者はいない。まして、相手は悪魔だ。


(ひぃーっ。おわったわー)


 犯されて死ぬか、犯されずに死ぬかの、死ぬor死ぬの選択を迫られている。


(ひどいっ! 死ぬ以外がない!)


 ベリスの両手が伸びてきて、ぐっと首を絞められた。


「ずっと好きだったんだ。お前だけを愛している」


 首を絞められて苦しいのはこちらなのに、それ以上に苦しそうな顔をしてベリスが言う。

 馬乗りになられたかと思いきや、再び顔を近付けられた。


「どうせ、あのクソ女やオセとやってんだろ。俺にもやらせろ」


 ゾッとするような低い声を耳元で吐かれて、背筋がすうっと冷えた。


(怖い。嫌だ)


 何度も何度もゲームでベリスに殺された。燃やされたり、串刺しにされたり。

 犯されて殺されたことはなかったけれど、この世界では犯されて死ぬのかもしれない。

 びりりりとネグリジェの生地を乱暴に引き裂かれて、血飛沫がいっぱい散って真っ赤になったゲーム画面を思い出した。


(嫌だ。嫌だ。嫌だ! 死にたくないっ!! こんなわけの分からない世界で悪魔に犯されて死ぬなんて嫌だ! ――っていうか、知らねぇわ! オセやラウムとやってんのか、やってないのか、本人に聞けや!)


「あ?」


 その場の緊迫感にそぐわない間抜けな声が上がったのは、その時だった。

 驚愕の表情を浮かべてベリスが体を起こした。

 首からベリスの手が離れてホッとするも、すぐさまベリスがすっ頓狂な声を上げる。


「お、おい、シトリー。お前の胸、膨らんでるぞ?」


 不本意ながら涙の滲んだ瞼を開いてベリスを見上げれば、彼はネグリジェを裂かれて晒された胸元を凝視している。

 ベリスの手が伸びてきて、ぺたりとその胸に触れる。


 むにゅ。


「……」

「……」


 むにむに。


(ああああああああああーっ!!)


 ラウムのおっぱいを直揉みした天罰なのか、今度は自分がおっぱいを直揉みされているー!


「シトリー、やっぱり胸が膨らんでる!」

「違う! これは筋肉だ!」


 女としてそれはどうよ? と思うが、ここは命がけで全否定しておきたい。だって、命が掛かっている! これぞ本当に本当の必死だ!


(いいんだ。どうせ微々たる胸だ! 一見すると無いように見えるAカップですよっ! 頑張ったら筋肉にも見えますよ!)


 心で泣きながら、胸を筋肉だと言い張る。


「ほら、筋肉ムキムキになると、胸が膨らむじゃん? それだよ、それ!」

「筋肉? けど、柔らかいぞ?」

「筋肉も場所によっては柔らかいんだよ。だから、誰がなんて言おうと、これは筋肉だ!」

「あー? うーん? そうなのか? ……ま、いいか。筋肉でも胸が膨らんでいるみたいで、俺としてはラッキーだな」


(おおう、そうきたか)


 今の一幕でベリスに対する恐怖心はすっかりどこかに去ってしまった。いや、そのほんの少し前から逆ギレ気味になっていて恐怖心は克服できていた。

 一方、ベリスの方は未だ混乱の中にいるらしく、隙だらけだ。拘束も甘く、両手の自由を許している。


(――となれば、あれを試してみよう)


 まさかこんな事態になって使うとは思ってもいなかったが、ベリス対策にと探し出しておいて正解だった。

 たしか、左右のどちらでも良いはずなので、右手で右の耳に触れる。耳たぶに通したピアスを親指の腹と人差し指で摘まむと、赤い石をぐっと押し潰した。


 その石はシャックスの血を固めて彼が作ったのだという。ある程度の力が加わると、石は血液に戻り、シャックスの魔力が辺りに溢れ出る。

 そしたら後は声を出して喚ぶだけだ。


「出でよ、シャックス!」


 パッと辺りに紫色の光が溢れる。

 それが空中に魔法陣を描き、そして――。


 ゴンッ!!


 鈍い音が短くひとつ響いた。

 ばったりとベリスが前のめりに倒れてきた。彼の下敷きになってしまったので、なんとか抜け出そうとジタバタ手足を振り回していると、すっと体の上から重みが消える。

 見上げると、ベリスが宙を浮かんでいる。――いや、違う。ベリスの襟首を掴んで、その体を持ち上げている人物がいた。


「シャックス? 本当に?」


 左手にベリスを、右手にフライパンを持った青年がこちらに灰色の瞳を向けている。


(シャックスが来てくれた! すごい! ゲーム通りに喚べたんだ! でも……)


 シャックスの右手を指差す。


「なんでフライパン? もしかして、それでベリスを叩いた?」 

「料理中だった。ベリスは頑丈だ」


(叩いたんだー)


 見ると、ベリスは意識を失っていて、ちょっと心配になるくらいにぐったりとしている。

 シャックスはフライパンをぐるりと回転させると、どこか異空間にフライパンを消す。どういう魔法なのか、手品の類いなのは知らんが、便利そうな術だ。


 そうして空いた右手で自身のマントを脱ぐと、バサッとこちらに投げ寄越してきた。

 自分が胸を晒していることを思い出して、有り難くシャックスの漆黒のマントを羽織らせて頂く。


 シャックスは、マントの下に軍服に似せたデザインの黒いジャケットを着ていた。ボトムスの方は、彼の脚の細さを際立たせるようなぴったりとした黒のパンツで、その裾を入れるようにジャングルブーツを履いている。


「廊下に捨ててこよう」


 呟くように言うと、ベリスを片手で引きずってシャックスは寝室を出ていった。

 その間に衣装部屋に駆け込むと、シャツを適当に掴んで身に付ける。寝室に戻ると、ちょうどシャックスも戻ってきたところだった。


「マント、ありがとう。それから、来てくれてありがとう。――料理中だったの? こんな夜中に?」

「我にとって我が起きている時か昼で、我が寝たら夜だ」


(わぉ。自由だ)


 マントを返すと、シャックスはすぐにそれを羽織った。


「でも、シャックスの城にもシェフがいるでしょ? なにも自分で料理しなくても」

「シェフは寝てた」


(うん、夜中だもんね)


 シャックスは、シトリーやベリスと同じくらいの年齢の見た目だ。

 背丈はベリスより少し低いだろうか、ベリスを片手で持ち上げたとは思えないほど手足が細く、全体的に痩せている。

 闇に溶けるような黒髪で、瞳はほとんど白に見える灰色だ。


「新しいピアスが必要だ」


 シャックスは懐からナイフを取り出すと、その先端を自身の人差し指に押し付けた。

 何をするのかと見守っていると、シャックスの指先から赤い血がぷっくりと盛り上がる。そして、指先の血を丸く固めると、シャックスはその指をこちらに近付けてきて右耳に触れた。

 耳たぶを軽く押された感覚があって、シャックスが指を離すと、そこにピアスがはめられている。


「シトリーが喚べば、我はいつでも応える」

「うん、ありがとう」


 不思議な悪魔だ。彼の周りだけゆっくりと時間が流れているような雰囲気がある。

 話し方のせいだろうか。彼はゆったりと、しゃがれた声で話す。


(ここに来てから一番の危機だったけど、ともあれ、ピアスでシャックスが喚べることが分かったのは、でかい!)


 シャックスはベリスの暴走を止めることのできる貴重な人物だ。

 ベリスが公爵なので、伯爵のラウムは逆らうことができず、オセも同様に強く出ることができない。完徹した朝のあれがオセの限界だろう。

 それに比べてシャックスは、爵位が侯爵でベリスより下位ではあることは変わらないが、幼馴染み故の気安さが爵位の壁を突き破る。

 つまり、ベリス対策として最適の人物なのだ。


「ベリス公は悪い人物ではないのだが、些か直情的でシトリーの意思を無視する」

「うん」

「大丈夫。シトリーには我がいる」


 シャックスは目付きが悪く、表情も大きく変わらないが、おそらく今ほんの少し微笑んだように感じだ。

 さて、と彼はシトリーの寝室を見回し、異常がないと見てから言った。


「我は空腹故、帰る。シトリーは寝るといい」


 シャックスが軽く右手を振ると、現れた時同様に魔法陣が空中に現れて、まるでそれが出入口かのようにシャックスは魔法陣の中に入って行った。

 シャックスの姿も魔法陣も消えて寝室に静寂が戻る。


(あれ?)


 静寂にひとり取り残されて気持ちが落ち着くと、ゲームとの差違に気付く。


(シャックスに偽者だとバレなかった!)


 シャックスの態度は終始、シトリーを相手にするものだった。シトリーに向けた言葉で、シトリーに対する振る舞いをしていた。


(え? なんで? どうしてバレなかったんだろう?)


 ゲームでは心を見透かされてバレるはずなのに。

 結局、考えても分からないとの結論に至って、寝台に上がることにした。

 布団の中に潜り込むと、そのままサビナの気配を感じるまでぐっすりと寝た。



 ▲▽



「おはようございます」


 朝食を終えて身支度も終えた頃、ラウムが部屋にやってきた。


「聞いてください、陛下。ベリス公ったら、陛下の部屋の前で寝ていたんです。廊下ですよ、廊下。なぜあんなところで寝ていたんでしょうか」


 不思議ですよねぇ、とラウムがにこにこしている。


「今日はどうされますか?」

「とりあえず、執務室に行くよ」

「勤勉で何よりです」


 そう言いながら紅茶を入れてくれたので、ラウムのにこにこ笑顔を眺めながら、ゆっくりと紅茶を楽しむ。

 そして、最後のひと雫を飲み干してから執務室に向かった。

 ラウムと廊下で別れ、執務室の中に入ると、オセが自分の机で書類を読んでいる。


「おはよう、オセ」

「おはようございます、陛下」


 オセは視線を上げて、にこーと穏やかに微笑んで迎えてくれた。

 自分の執務机に着くと、さっそく始めようと思って『未決』の箱に手を伸ばす。


(どれどれ?)


 1枚目の書類はテツラ区で目撃されたティグリスについての解決案だ。

 軍隊を派遣して、軍事演習がてらティグリスを退治してはどうだろうかと書いてある。

 指揮する将軍はフォルマという者で、1軍団を引き連れて行くという。


(いいんじゃないの?)


 だから、1軍団って、何人なんだ? と疑問を抱かなくもないが、羽ペンを持って、承諾のサインを書き加え、『決』の箱に書類を入れた。


(次は……んーっと、これも解決案かな)


 コルリス区で少女を攫って喰っている女という案件だ。

 犯人は分かっていても、証拠がなくて捕らえることができないという訴えなので、特別調査員を派遣することにしたらしい。リヌスという者を長に五人が送られる。


(うん、これも良し。リヌス、頑張れ。誰だか知らんが)


 サインをして箱に入れる。


(次はセプテントリオ区の孤児問題だ。これって、難しいよね。どうすんだろう?)


 解決案を読むと、街を彷徨っている孤児は、軍学校の初等部に入れてしまえという内容だっだ。

 軍学校に入れば、寮もあるため寝食を与えられるし、適正があればそのまま士官学校にも進学できるのだという。

 軍学校と言えども、初等部は普通の学校のように学べ、多少の厳しい規律はあるものの、遊びながら体を鍛えられる場所なのだという。


 初等部卒業後、適正がない子供は職業訓練を受けるために別の施設に移ることになるが、そのまま中等部、高等部へと進学し、軍人になってくれれば、軍隊の人数確保にも繋がるのではと期待を込められている。


(高等部で優秀であれば士官学校にも行けて、孤児が将軍になることも夢ではない、と。――いいんじゃない? うん、いいんだけど……)


 ちらりとオセに視線を向けると、オセが気付いてこちらを振り向いた。


「どうかされましたか?」

「うん、セプテントリオ区のことなんだけど。軍学校に入れられたら、逃げる子って、絶対いるよね? だって、それまでは何にも縛られず自由に生きてきたわけじゃん? たしかに大人の庇護がなくて、その日の食べ物にも温かい寝床にも困る日もあっただろうけど、その代わり『あれやれ』とか『これはダメ』とか口うるさく言ってくる相手もいなかったわけでしょ? それなのに軍学校になんて入れられたら、私なら逃げる」

「そうですね、陛下なら逃げますね」


 ふふっと笑みを零してオセが言う。


「しかし、それは致し方がないことです。どんな政策を行おうと、そこから溢れる者は必ずいます。軍学校から脱走する子供がいることも想定内です。しかし、そのような子供が少数であるうちは、まずは多数をどうにかしなければなりません」


 じゃあ、と羽ペンを指先でぐるりと回しながらオセを見やる。


「逃げ出す子が多数になったら?」

「その時は別の政策を考える必要がありますね」

「あと、これさ。ものすごーく予算がかからない? 孤児を寮に入れるんでしょ? もちろん無償で」

「そうなんですよ」


 オセは羽ペンを机に置くと、椅子の背に深く寄り掛かって大きなため息をつく。どうやらこちらが思うよりずっと深刻な問題なようだ。


「寮の部屋の確保、食費、学用品、衣類の提供も必要でしょうし。継続的な予算確保が必要となります」

「うわー、お金かかる」

「そこまでして、結果、孤児たちのほとんどが軍人にはなりませんでしたとなったら、まったく目も当てられません。元が取れませんからね」

「その時は、ドンマイだね。――まあ、でも、セプテントリオ区の治安が良くなればそれで良しと思えばいいじゃん?」

「そうですね。陛下のおっしゃる通りだと思います。――そもそも孤児問題は時間を要する案件です。長い目で考えなければなりません。それでもし、セプテントリオ区で良い前例を作ることができましたら、他の地域への転用もできるかと」


 なるほどね、と呟いて書類にサインを書き加える。

 そして、前の二枚の上に重ねるように『決』の箱に書類を入れようとした――その時だった。


 ―― カーン ――


 鐘を突く音が響いた。

 パッとオセが顔を上げて、体を強張らせる。


 ―― カーン、カーン、カーン ――


 何度も何度も激しく鳴り響き、城のあちこちで鐘を突いているかのように反響して聞こえた。


(なに? いったい何が起きたの?)


 指先から書類が滑り落ち、ひらりと箱を避けると、机の上をスーッと滑って床に舞い落ちた。

 オセが椅子から立ち上がり、落ちた書類を拾い上げてから歩み寄ってくる。

 書類を『決』の箱に入れると、オセは険しい表情で言った。


「天使軍が攻めて来るようです」

「えっ、天使軍?」

「わたしは状況を確認します。陛下は出陣の準備を」

「ええっ、出陣!? 出陣って、ええーっ!!」

「急いでください!」


 オセが机の周りを回ってくる。手首を掴まれて椅子から立ち上がらされると、急いで、と再び言われて執務室を出た。

 廊下は既に恐慌状態で、あちらこちらに怒声が飛び、駆け回る悪魔たちで溢れかえっている。

 オセに手を引かれながら廊下を足早に進んで行くと、向こうの方からラウムが駆けて来るのが見えた。


「陛下!」


 ラウムが珍しく慌てた様子なので、何が何だか分からないが、大変なことが起きたのだと察する。


「ラウム伯。大変不本意ですが、陛下を頼みます」


 そう言うと、オセは手を離して、駆けるように廊下を去って行った。




【メモ】


 セプテントリオ区で孤児が溢れ、治安が悪化。⇒孤児を集めて軍学校の初等部に入学させる。

 カンプス区で穀物が不作。⇒『荒れの入江』から穀物を購入予定。

 モンス区は国境が近いので、常に不穏。

 コルリス区に少女を攫って喰っている女がいるが、証拠がないため捕らえることができない。⇒リヌスという者を長に五人の特別調査員を派遣する予定。

 モンターナ区で、スクロファが田畑を荒らしている。

 シルワ区で、ルプスが群れをつくって家畜を襲っている。

 テツラ区で、ティグリスが目撃された。⇒フォルマ将軍が軍事演習がてら1軍団を率いて退治する予定。


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