14.ぷんぷんなので、お風呂です
※GL要素あり。
「いやあああああーっ!」
部屋に戻るなり、ラウムの叫び声が響く。
両手で耳を塞ぎながらラウムから逃げるように寝室に向かった。当然、ラウムも追ってくる。
「なんなの、もう!」
「だって、オセ様の匂いがぷんぷんなんですぅ。いったい二人で何をしていたんですか? 普通にしていたら、こんな移り香なんてあり得ません!」
「そんな匂う?」
「ぷんぷんです。なので、お風呂に入りましょう!」
風呂と聞いて、あっと声を上げた。
「私、昨日お風呂に入ってない! なのに、オセに吸われたーっ!」
ガガーン、と膝を折って両手を床に着く。
「ええーっ! 吸われたって、どういうことですか! どこですか? どこを吸われたんですかぁ?」
「……もういい。お風呂に入る」
よいしょと小さく掛け声を口にしながら立ち上がると、おたおたしているラウムに振り向く。
「あのお風呂さ、広すぎて怖いから一緒に入ってくれる?」
「え、良いんですかっ」
「うん。――っていうか、こっちが頼んでる。一人で入るの、怖い」
「分かりました!」
ぱあっと笑顔になってラウムはぴょんぴょん跳ねながら浴場への隠し通路を開く。
「あ、でも、その前に晩餐をどうされますか? べリス公がご一緒にと言ってきていますけど?」
「なんかさぁ、ああいうちゃんとした食事って時間がかかるじゃん? もっとパパッと簡単に食べたいんだけど。もちろん、ひとりで」
「べリス公はお断りですね」
「朝食みたいに隣の部屋のテーブルで食べられないの?」
「構いませんよ。では、そのように手配しますので、お風呂ちょっと待っていてくれますか?」
「うん、わかった」
忙しなくパタパタと廊下を駆けて行くラウムを見送ると、ブレーのポケットに飴玉を入れておいたのを思い出した。
ラウムには毒かもしれないと言われたが、この飴の美味しさを知っているので、たとえ毒でもまあいいかと思えてしまった。
包み紙を開くと、ぽいっと口の中に放り込んだ。
甘い。飴玉の表面をコーティングしているザラメがざらざらと舌を刺激する。
(懐かしい味)
頬が緩んで、なんでもないのに楽しくなってしまう。
良いことが起こりそうで、わくわくした気分だ。
ラウムに取り上げられてしまった飴玉はオレンジ色だったが、今日ハウレスから貰った飴はピンク色で、ほんのりイチゴ味だ。
口の中も、息も甘くなって、悪戯をしたい気分になってくる。
(そうだ。ラウムを待っている間に調べちゃおうっと)
下手したら死んでしまう本の存在を思い出して、隣の部屋に取りに行く。分厚い本を両腕に抱えて戻ると、寝室のラグの上に置き、腹ばいになってその本――『魔界図鑑』を開いた。
(まずは誰からかな。……やっぱりシトリーかな)
シトリーは比較的に前の方に載っていた。
ページを開いて真っ先に目に飛び込んでくるのは、シトリーの挿絵だ。翼の生えた豹の姿が描かれている。
(本当に豹なんだ)
ゲームで必殺技を出す時の姿と同じである。
人間界でどんなイメージを持たれているのかの文章があって、それを読むと、愛欲? 情欲? とにかく、そちら系の悪魔だと分かる。
(60の軍団を持つ? 60って、多いのか少ないのか分かんないなぁ)
そもそも軍団ひとつで何人なのかも分からない。
(次はオセを見てみようかな。オセ、どこに載ってるかなぁ)
なにやら秘密の本を手に入れて、みんなの秘密を読んでいるかのような気分だ。ドキドキする。
オセのページを開くと、豹の絵が描かれている。
(あれ? オセも豹なんだ)
他にもいろいろ書かれているが、オセは人間に教養学を教えてくれると書かれていた。
(何それ! めっちゃいい悪魔じゃん! 教養学って、具体的に何なのか分かんないけど。そういうのを学びたい人間にとっては、いい悪魔なのでは? ――というか、私の書かれ様とまったく違う! オセ、ずるい!)
軍団数は30らしく、そこは勝った、と溜飲がやや下がる。
(グイドやサビナは載ってないから、次はハウレスかな)
グイドもサビナも皇帝から授かった爵位も地位も持っていないので、元女神の大公が書いた本には載っていないのだ。
(あれ?)
ハウレスのページを見付けて、大きく開くと、またまた豹の挿絵である。
(軍団数が20って書いてある。もしかしてシトリーの60はすごい方なのでは?)
ベリスはどうだろうか。軍団数が気になって、ベリスのページを探す。
(26!)
ふふっと思わず笑みが零れてしまった。口の中の飴玉が飛び出しそうになったので、ガリガリ噛み砕いて小さくしてしまう。
よくは分からないが、軍団数と爵位に関連性はなさそうだ。そして、個の能力とは別に、大勢の兵士を抱えているという点で、軍団数が多ければ多いほど戦争になれば強そうである。
(おや?)
べリスを描いた挿絵を見ると、人間とほぼ変わらない姿が描かれていた。
そう言えば、ゲームでも必殺技を出す時のべリスの姿はほとんど変わっていなかった。頭にキラキラと輝くサークレットが現れるくらいだ。
あのサークレットはいったいなんなのだろうと思っていたが、べリスのページを読んで、余計に分からなくなる。
(金の冠を被り、赤い衣を身に着け、赤い馬に乗った兵士の姿で現れる? なんで?)
兵士の姿なのに冠? 謎だ。
(うわぁ、あらゆる金属を黄金に変える力を持つって書いてあるー! ホントなの、これ! いいなぁ。今度やって貰いたい!)
釘とかクリップとかも黄金になるのだろうか。なんなら財布の中で邪魔している1円玉とか5円玉とか、小銭をすべて黄金に変えて貰いたい。
ベリスすごいなぁと思いながら読み進める。
(べリスは『ベリト』とも呼ばれているのか。んで、『バルベリト』と同一視されることが多い……って、バルベリト?)
どんな悪魔だろうかとページをめくって探すと、『契約の主』の二つ名を持つ悪魔を見付ける。
(べリスのパパだ!)
そう言えば、今朝、オセが言いかけた名前の三文字も『バルベ』だった。あの時、あと二文字で『バルベリト』の名前が完成していたのかと思うと、ゾッとする。
バルベリトのページを読むと、シェケムの神であるバアル・ベリトが智天使として天界に迎え入れられたが、ルシファーと共に堕天したと書いてある。
(へぇ、べリスのパパって、元は神様だったのかぁ。『バアル』は『ロード』という意味であるから、『バアル・ベリト』は『ロード・ベリト』、『ベリト神』を意味する。また『べリス神』とも呼ばれる……って、これは同一視されてもしょうがなくない?)
次はラウムのページを見ようと、ぱらぱらとページをめくる。本の真ん中くらいのページにラウムが載っていた。
カラスの挿絵が目に入る。そう言えば、べリスが何度もラウムのことをカラスと呼んでいたなと思い出す。
(30の軍団を引き入る大伯爵。……え、大? 伯爵に『大』がついてる。って、ええっ! 都市を破壊する能力を持つ……? はぁ!? やばくない、ラウム!)
ちょっと読んではならないものを読んでしまった気分だ。都市を破壊する能力って、なんだ?
どぉーん、ばぁーん、ずごぉーんっと高いビルも家も人も何もかも吹っ飛ばして大爆発を起こしているイメージが脳内に駆け巡る。
(こえぇー)
しかし、ラウムの恐ろしさはこれだけではなかった。
(は? 元座天使? 座天使ってなんだっけ?)
べリスから天使の階級について聞いたが、一番上が熾天使で、一番下が天使で、次が大天使っていうところしか覚えられなかった。熾天使の下から大天使の上までの間がさっぱりわからん。
(いや、そんなことよりも、ルシファーと共に堕天したって書いてあるんだけど。……もしやラウムって、ルシファーが起こした天界の戦いの経験者? ――ってことは、かなり長く生きてるってことで、かなりの歳? シトリーやべリスよりもずっと年上ってことなのか?)
あんな見かけで、あんなしゃべり方をしているから、てっきりシトリーと同世代なのかと思っていた。
(うわぁー、見る目が変わるわー。いや、年齢うんぬんっていうよりも、都市を破壊できちゃうラウムに対しての見る目ね。悪魔にとって年齢差なんて大して意味がなさそうだし……)
「陛下?」
ラウムのページが衝撃的で扉の開閉音にまったく気が付かなった。突然声を掛けられたように感じて、びくっと肩を揺らした。
「わっ、ラウム。戻って来たのか」
慌てて本のページを変える。そして、さもそのページを読んでいましたという顔をしてラウムに振り返った。
「調べものですか? 気になっていることをお聞きしてもよろしいでしょうか? お力になります」
「あー、じゃあ……」
執務室でのことを思い出して、せっかくなので『囁きの森』の主とやらのことを聞いておこう。
ゼロを二つも安く提示してくるだなんて、その裏に隠された思惑が、ハウレスやグイドの言う通り、気持ちが悪い。シトリーに対する執拗な想いを感じる。
どうにかして己の手の内にシトリーを掠め取ろうとしているようで、つまり、穀物を取りに行ったら最後、無事に帰って来られるわけがないとハウレスもグイドも言っているのだ。
「ええっと、『囁きの森』の主って、分かる?」
「分かりますよ」
あっさりと答えてラウムはラグの上にちょこんと正座すると、上体を傾けて腕を伸ばし、本のページをめくる。
「こちらの方です」
「どれどれ?」
ラウムが開いたページを覗き込むと、鳥の絵が描かれている。なんの鳥だろうか。ツグミだろうか。
(カイム)
その悪魔の名前を心の中で呟く。
「元天使?」
「ええ、天使の階級の一番下位の天使だったみたいですね。今は総裁の地位にありますから、よほど努力された方なのだと思いますよ。普通、天使だった頃の階級が高いほど堕天後も高い爵位を頂けますから」
「そういうもんなんだ?」
「それにたしか、その方は大戦後しばらくしてから堕天しているいらっしゃるかと」
ラウムの言葉の意味を測りかねて首を傾げる。
「どういうこと?」
「ざっくり言いますと、堕天組と魔界で誕生した者に分けられます」
シトリーやべリスは後者の魔界で誕生した方だ。そして、シトリーには親がいず、人間の悪意の塊から生まれたが、べリスには親がいる。
親のいる悪魔でも、べリスのようにひとり親の分身として誕生した者と、両親から産まれた者がいる。
これに対して堕天組とは、元は天界で暮らしていた天使だった者のことだ。
「皇帝陛下と共に堕天した方々は、天界における大戦の経験者です」
「うん」
「ですが、堕天使というのは尽きないものなのですよ。大戦後も様々な理由で堕天して悪魔になる天使がいるんです」
「つまり『囁きの森』の主もそのタイプってことね」
「そうなんですが、まあ、その方は天使軍として魔界に侵略してきた時に捕虜になって、翼を切られたタイプですね」
「は?」
さらっと言われたが、さらっとは聞き逃せず、いくつか確認しておきたい。
「天使軍として魔界に侵略してきた? どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。時々、天使たちが魔界に攻めて来るんです。ほんと迷惑なんですけど、定期イベントみたいなものです」
ラウムはにこにこして答えるが、かなり嫌な定期イベントだ。
「捕虜って? 翼を切られたタイプって、どういう意味?」
「侵略して来た天使軍と戦うじゃないですかぁ。だいたい天使たちが天界に逃げ帰って終戦となるんですが、逃げ切れなかった天使や死に切れなかった天使が魔界に残っちゃうんです。こちらとしては殺したつもりでも死んでなかったっていうことがあるんです。そんな天使たちを天界に帰してあげたいと思っていも、こちらから天界に行く術はないですし。仕方がないので捕虜にするんです」
「天界に帰してあげたいとか、まったく思っていないだろう」
「でも、捕虜にすると、魔界の空気が天使には合わないみたいで、狂っちゃうんですよねぇ。そして、遅かれ早かれ、堕天しちゃうんです。天使が堕天すると、白い翼が腐り落ちるので、堕天することを翼を切られたっていうんです。実際に翼を切り取ると、天使は通常よりも早く堕天するみたいですよ」
ラウムの口調が明るいのでそんな気はしないが、冷静になると、なかなか怖い話をされている。
天使が魔界で囚われて、狂い、翼が腐り落ちて、悪魔に変貌していく話だ。
「ちなみに」
ラウムがいったん本の表紙を閉じると、再び開いて、地図が描かれている最初のページを見せる。
「この辺りが『囁きの森』です。我が君の『ふたつ月の国』は載っていませんが、だいたいこの辺りかと」
ラウムの指先が地図の上で滑らかに動く。
「近くなんだね。『荒れの入江』っていうのはどこなの?」
「海の方なので……この辺りです」
「ちょっと離れてるんだね」
輸送費を考えても『荒れの入江』で穀物を買うよりも『囁きの森』で買うことができたら、かなりの経費が浮きそうだ。
カイムとかいう悪魔が得体の知れない奴ではなかったら『囁きの森』から穀物を買うこともできたかもしれないのに、残念だ。
ぱたんとラウムが、がっしりとした作りの本の表紙を空気を巻き込んで閉じた。
「さあ、お風呂にしましょう。オセ様の匂いを落とさなければなりません」
「はいはい」
促されてラグから立ち上がると、ラウムと共に隠し通路から浴場に向かう。
脱衣所で手早く服を脱ぐと、タオルで体を隠す――なんて恥じらっていたのは最初だけだった。
隠していたら体は洗えない。どうせ体を洗う時に取ってしまうのに、いちいちタオルで胸とお尻にタオルを巻き付けるなんて面倒臭い。浴室に移動したとたんにタオルは取ってしまった。
第一、今ここには自分とラウムしかいないのだ。
「お背中、流しましょうか?」
「自分でやるからいいよ」
「えぇー、わたくしがやりたいですぅ。やらせてくださーい」
「あ、そう。どうぞ?」
そんなにやりたいものなのかどうか分からないが、やりたいと言うのでラウムに任せると、ラウムがタオルで寄せたおっぱいをぷるぷる揺らしながら背中を洗ってくれた。
どうやらラウムはまだ羞恥心を持ち合わせているらしい。ムチムチな体をちょっぴり寸足らずなタオルでピチピチに巻いて隠している。
そんなこんなで体を清め終えると、浴槽の湯に浸かる。膝を伸ばして、浴槽の床に座ると、何とも解放された気分だ。
はぁーっと息を深く吐き出す。ゲームのやり過ぎでガチガチになった肩が癒されていくようだった。
ラウムも少し遅れて湯の中に入って来て、せっかく無駄なほど広い浴槽なのに、わざわざ隣に座った。
そして、ぐいぐい顔を近付けて来る。
「それで、オセ様にどこを吸われたんですか? わたくしも吸いたいですぅ」
「は?」
「どこですか? 首ですか? 肩ですか? まさか胸!? ああ、口ですね。キスしましょう、陛下」
「……」
一瞬、言葉を失ってしまった。
(いやいやいやいや! キスしましょうって、なんだこの流れ)
よく分からないが、ラウムが小首を傾げてこちらを下から上目遣いに見上げて来る。
「キス、だめですか? じゃあ、胸もみますか?」
「ぶふっ!!」
思わず吹き出して、ラウムから僅かに距離を取る。
(出たよ、パワーワード!)
今、ラウムの胸を揉んだら、直揉みである。服を着ていないからね!
(ど、どうする? 揉んどく? せっかくだから揉んどく? ……揉んどくか)
ラウムと向き合うと、ラウムが体に巻いているタオルをちょこっとだけ下にずらした。
彼女の肉まんみたいな胸に両手を触れさせる。肉まんの下半分はタオル越しだが、上半分は生おっぱいである。
(――って! いいのか、これで! 兄貴のゲームって、全年齢だったよなぁ。生おっぱいを揉んでて全年齢なんだろうか!?)
少年週刊誌レベルなおっぱいならばセーフだろうか。
揉んだらアウトか? だが、しかし、少年誌にはラッキースケベという言葉もある。これはつまり、ラッキースケベで、おっぱいを揉んでしまったという事例で……。
いや、待て。これはラッキースケベと言えるのか?
自らスケベを求めたわけじゃないから、ラッキーには違いないとは思うのだが……。
「陛下、考え事ですか?」
揉まれながらラウムが小首を傾げて来る。
「あー……うん。全年齢とは如何に?」
「おっしゃっていることの意味が分かりません」
「だよねー。そろそろ上がる」
「はい」
ラウムから手を放して浴槽の縁を掴むと、ざばりと水を立てて湯から上がった。
脱衣所でネグリジェを身に着けると、隠し通路の階段を上がって寝室に戻る。隣の部屋から物音が聞こえて覗きに向かうと、サビナがテーブルの上に料理を並べていた。
「お食事のご用意ができております」
「ありがとう。喉が渇いたから、先に冷たい飲み物が欲しいな」
「かしこまりました」
テーブルの料理を眺めながら椅子に腰を下ろすと、ラウムが隣に立ってサビナから赤い飲み物が入った瓶を受け取る。
それをワイングラスの上で傾けて、赤い液体を注ぎ入れた。
「それ、何? 飲んで大丈夫なやつ?」
「いわゆる、ブドウジュースです」
「オーケー! 飲めるやつ!」
むしろ風呂上りには大歓迎な飲み物だ。しかも、直前まで氷の入った器で瓶ごと冷やされていたため、ガンガンに冷えている。
さっそくそれを飲み干して、ひと息つく。
「美味しい」
「お好きだと思っていました。もっと飲みますか?」
「うん」
空になったグラスに再び瓶の口を傾けてラウムがジュースを注いでくれた。
テーブルに並んだ料理は、肉料理が一皿、魚料理が一皿、スープとバケット、それからカラフルに彩られたサラダだ。
デザートは後から出て来るようで、ワゴンの上にティーセットと共に残されているのが見えた。
「頂きます」
一品、一品、食べ終えるのを待ってから次の料理が運ばれて来るのも良いのだが、いっぺんに全部の料理がテーブルに並べられているのを見ると、とっても豪華だ。
どれから食べようかと、わくわくしてしまう。
そして、恐ろしいことに魔界の料理が美味しすぎて、この生活も悪くないかもと思えてきてしまった。
「ねえ、ラウム」
お肉を頬張りながら隣に立つラウムを見上げる。気が付くと、サビナの姿がない。またもや、いつの間にか部屋を出て行ったようだ。
「私って、いつまでシトリーの振りをしてなきゃならないの? そろそろラウムの手紙が皇帝に届いた頃なんじゃないの?」
ラウムの配下の者が皇帝の居城までたどり着くのに数日かかると言っていた。
もう届いたか、そろそろ届くのか。それくらいの時間は経ったはずである。
そうですねぇ、とラウムは小首を傾げる。
「そろそろ帝都に着いた頃かもしれません。ですが、皇帝陛下と謁見できるほどの身分の者ではありませんので、人伝に手紙を皇帝陛下に届けて頂くことになるかと。なので、もう数日はかかるかもしれません」
「そっかー」
ひと通り料理を食べ終えると、ラウムがワゴンからデザートを取ってくれる。
それは、リング状のシュー生地にナッツを混ぜ込んだクリームが挟まれており、ア-モンドスライスと粉砂糖をまぶしたデザートだ。
食べてみると、ナッツが香ばしいシュークリームという感じである。
「紅茶でーす」
「ありがとう」
差し出されたティーカップを受け取って、湯気を吸い込むように香りを楽しんでから、そっと啜る。
そう言えば、とラウムに視線だけを向けて、カップを両手で包み込む。
「晩餐を断ってしまったけれど、べリスはなんて?」
「ふて腐れていらっしゃいました」
「わぉ、目に浮かぶ」
――だとすると、明日あたりべリスが突撃してくるかもしれない。
彼は、今日は我慢できても、明日も我慢できるタイプではないのだ。
何かしらべリスとの時間を持たないと暴れるかもしれない。だが、どうやって過ごす? またゲームでもするのか?
どう過ごすにしても、次にべリスと会う時には言動に気を付けなければならない。慎重に。相手のペースにのまれないように。そう決意し、そっと耳たぶに触れる。
指先が赤い石のピアスに触れて、それがまるでお守りであるかのように、俄かにざわついた胸が徐々に凪いでいった。
【メモ】
バルベリト
べリスのパパ。『契約の主』
帝王の側近であり、帝都の長官。文官の長。大公爵。
べリスと同一視されることが多い。自身の分身をつくり、それを息子とした。
息子しか見えていないことが多々ある。べリスが傷を受けると、自分も痛みを感じる。
シェケムの神であるバアル・ベリトが智天使として天界に迎え入れられたが、ルシファーと共に堕天。