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「7月、文、筆、紙」8.ひっつーは筆である


「大変! ティッシュ? ハンカチ?」

 続いて響き渡ったのは、けいの声だ。

「景さんこれらを」

 すかさずマサジが、自身の持ち物を景に差し出す。


「あっ、そのままで」

 優月ゆづきは急いで止めた。

 その言葉に、黙って動きだしかけていた風実ふうみ含め、対処しようとしていた面々が動きを止める。


「落ちにくくなっちゃうかも」

 腰を浮かしたままの景に早口で言われ、優月は頷く。


「はい。そうかもしれませんが、どういった現象か調べるために、そのままにしておく必要があるかもしれませんので。こちらの意向ですから、落ちにくくなっても大丈夫です」


「申し訳ありません」

『喜んでいてしまいましたが、申し訳ありませんっ』


 ひっつーを持ったまま驚いて固まっていた穂風すいふうが、再起動したかのように動きだして姿勢を正し、謝った。

 ひっつーも身を縮めているらしく、少し小さくなっているように見える。


「想定外の事態でしょうし、謝っていただく必要はありません。お気になさらず、楽になさってください。みなさんも、どうぞおかけください」


 優月が言うと、穂風が会釈をし、少し楽な姿勢になった。ひっつーのサイズも戻ったようだ。中腰になっていた風実や景やマサジも座り直す。


「ひっつーさんがお喜びになっていて、私も嬉しく感じました」

 ひっつーに言ったあとで、優月は、字が書かれたあたりからのひっつーの言葉を、穂風たちに伝えた。


「なんと。……自分の物ではないところに書いてしまったこと自体は申し訳ないですが、それは、私も喜びたいですね。……それに、思い返すと、ひっつーの本体だった筆のときと、私も同じ感じを覚えたような……いったいなにが……」


 いくつかの感情と疑問がまざるような穂風に、優月は切り出す。

「どういった現象なのか調べたいのですが、同意していただけますか?」


「それは、私としてもお願いしたいですが……」

 穂風が言い、ひっつーや風実たちを見る。ひっつーも風実も景もマサジも頷いた。


 穂風が優月を見る。

「同意します」

「ありがとうございます」

 お礼を述べてから優月は端末を取り出した。テイクに状況を連絡し、対応を依頼する。


「あ、すまん。つかんだままだった」

 穂風がひっつーに言う。慎重に手を動かして向きを変え、ひっつーの手先を見た。

「垂れないですし、なにもついてないですね。ええと……」


「再びマットの上にいていただいて、大丈夫です。字の上ではない場所にお願いします」

 ちょうど、それらの件に関してテイクから返事を得た優月が言う。


 穂風がひっつーをそっと、ローテーブルに置かれたクッションマット上に戻した。

 場所としては穂風と優月の間あたりに斜めに、景やマサジのほうに顔を向けるような置き方だ。


 ひっつーはすぐ、両足で立った。

 ほんのわずかの間静止していたが、少しして動きだす。

 気になるようで、右手をいろいろな角度から見始めた。


『穂風さんのおっしゃるとおり、動かしてみても出てくるわけでもなく、黒くもなっていませんし……なんとも不思議でございますっ。こちらの手はどうでしょうっ……んんーどちらも特には……あっ』

「「「「「あっ!」」」」」


 両手を高く挙げて手先を見ていたひっつーが、後ろに体重をかけすぎたらしくバランスをくずした。

 ひっつーの後ろには、あまりローテーブルのスペースが残っていない。このまま後転したらすぐ落ちる。

 そう、見ているほうは思ったが。


『たっ、ほいっ、よよよっとぅ』

 ひっつーは、後転しかけたところで勢いをつけ、なんと前転へと移行した。何度か転がったのち、見事に止まる。

 ちなみに、書かれた字の上は通っていない。


『つい、夢中で手を見てしまいましたっ』

 ひっつーは言いながら、立った姿勢で歩いて戻り始める。


 景がほっとしたように息をついた。

「落ちるかと思ってあせったぁ。丈夫だし、大丈夫な場面も多いって知っても、つい、わわ! ってなっちゃう」

「ですね」

 景とマサジが言葉を交わす。


 ひっつーは先ほどいた位置に戻ったが、立ったままでいる。転がっているときも、全然手を使っていないように見えた。手がなにかにしっかり触れることを、ためらっているようだ。

 優月は声をかけた。


「ひっつーさん、なにかついてしまっても大丈夫ですので、お好きな体勢でいてくださいね。タッチペンやタブレットも、これまでどおり、お使いください」


『ありがとうございますっ。ではお言葉に甘えましてっ』

 優月に顔を向けて言ってから、ひっつーが基本形になる。


「こちらこそ、お声がけが遅れて申し訳ありません。お気遣いくださり、ありがとうございます」

 優月は言って、会釈をした。

 そして、ここまでのひっつーの言葉を、穂風たちに伝える。


 少しして、調査が開始された。

 メンバーが入室し、必要なことをおこない、退室し、文書を作成する。

 端末で優月が文書を読み、場合によっては更にやりとりをする。


 しばらくそういった時間が流れ、ある程度、内容がそろった。

 優月は、そろそろ説明ができそうだと、ひっつーや穂風たちに言う。


 ひっつーが、説明を聞くために向きと位置を調節し、ひっつーの希望を聞きながら、優月がタブレットの置き場所を変えた。


 結果、ひっつーは現在、ローテーブルの中央よりも奥で、優月のほうを向いている。前にはタッチペンとタブレット。

 穂風、風実、景、マサジは、これまでと同じ配置でソファに座っている。


 それでは、説明開始だ。


「この現象は、ひっつーさんに生まれた能力によるものですが、穂風さんも大きく関わっています」

 言って、こちらを見つめる五人に向かい、優月は説明を足していく。


 ひっつーの精神体が本体としている物を、穂風が筆として扱い、書く動作をする。

 すると、字を書くことができる。かつて本体だった筆で書いていたときの感覚を、ひっつーも穂風も味わえる。

 そういう能力。


 最初の鑑定時にはなかった能力なので、それよりあとに生まれた能力。

 ひっつーの思いに、穂風の思いと行動が重なり、それがキーとなって生まれ、発揮されたという線が濃厚。


 思いや行動があれば、いつでもなんでも新たな能力が生まれるわけではないが、生まれることもある。前例はある。

 生まれた能力が消えることは少ないが、内容が変化することはある。


 現時点では、ひっつーと穂風の組み合わせで、発揮される能力。

 ひっつーが違う物を本体としても、穂風がおこなうならば発揮される。


 穂風が、今は筆とする、そして書く、と意識したうえで書く動作をしなければ書けないので、意図しないのにどこかに書いてしまうのではと心配しなくていい。


 実物の墨が、本体の物体内にあるわけではない。本体が黒くなるとか、本体から垂れるとかはないし、墨が足りなくなるということもない。


 線の太さは、穂風がイメージすることで、ある程度調節可能。同じ太さを維持することもできる。

 書くときに本体の物体が接している面積や、かつて本体だった筆の太さより、基本的にはイメージが優先される。


 その場合も、感覚としては、かつて本体だった筆のときの感覚に、うまいこと変換される。

 覚えている感覚と、結果として書かれる字を、かつて本体だった筆のときと一致させたい場合は、イメージよりそちらを優先することもできる。


 墨で書かれたものではあるが、実際に墨で書いたときよりも、くっきりと見える。

 実際は墨で書くのには向いていないところにも、わりとはっきり書くことができる。

 落とせないわけではないが、実際に墨で書いたものよりも保ちはよい。


『〈わたくしは筆の体でなくても、穂風さんにとっての筆でいられるのですねっ。発揮する場面はよくよく選ぶ必要があるでしょうけれど……でもっ、嬉しいですっ〉』


 バランスをくずさないようにしながらも、前のめりで説明を聞いていたひっつー。

 優月がひととおり説明をし終えたと口にした途端、タッチペンを手にとり、そう入力した。

 そして、まとう雰囲気でも、喜びいっぱい、と語る。


「ああ。俺も嬉しい」

 穂風も同意し、笑う。


「なんか、びっくりすることが次々とだよぅ」

「まぁでも嬉しいものが多いわよ」

「それは同感ー」

「広がった世界の、高さと深さがどんどんと……という感じですね」

「だねだね」

 景と風実とマサジが明るく会話をしている。


「場面は選ぶ必要があるが……ひっつー、これからも、筆としてもよろしくな」

『〈はいですっ。よろしくですっ〉』

 穂風とひっつーは、二度目の握手をした。


「ふふっ。穂風さんも、ひっつーちゃんも楽しそう」

 風実が優しく見守るような表情で口にする。


「握手いいなー」

「いいですね。それに、タッチペンを持ったままでも、うまく握手を」

 景とマサジも、にこにこしながら穂風とひっつーに視線を向けた。


 優月は嬉しい気持ちで五人を見る。


 少しして、それぞれの雰囲気が落ち着いてきた。

 今回の調査のことで、説明することはまだある。

 優月はそちらに話題を移すことにした。


「実は、ひっつーさん、もう一つ能力が生まれています」


『〈はいっ? それはいったいっ〉』

 入力してタッチペンを持ったまま、ギュインと首を前に伸ばすような勢いで顔を突き出し、優月を見るひっつー。


「「「「どのような」」」」

 グリュンと首と顔を大きく動かし優月を見る、穂風、風実、景、マサジの四人。


 羊姿のひっつーに、カメの姿がかぶさって見える気がする。四人の動きには、伝統芸能が頭に浮かんだ。

 若干圧倒されつつ、優月は説明を開始する。


「ひっつーさんは、ひっつーさんと穂風さんだけが見ることができる文を、出すことができます」


『えっ?』

 自身のいろいろな箇所を見ようと、すばやく動くひっつー。

 グリュンといっせいにひっつーを見る穂風たち四人。


 だが、よくわからなかったのだろう。

 更なる説明を求めるように、四人は再びグリュンと優月のほうに顔を向け、ひっつーも、ぐいぃーと顔を前に出した。


 柔軟性の高い方たちだ。

 思わずそんなことを考えつつも、優月は能力について説明を加えていく。


 出すことができるのは一文ずつ。


 頭の中でしっかり文をつくってから、文出現スイッチとなる言葉を頭の中で言う。

 すると、文が現れる。


 頭の中だけでおこなうのがやりづらければ、実際に口に出して言ってもいい。ものすごく早口でも問題ない。


 スイッチの言葉も、いつも同じでなくてもかまわない。ひっつーの中で、そのときにそれが、スイッチとなる言葉という認識であればいい。


 一回に出せるのは一文だが、続けておこなうことで、いくつもの文を出すこともできる。


 実物としてあるものではないので、文はどこにでも出せる。

 出た文は、ひっつーと穂風にしか見えない。

 ひっつーや穂風でも、その文を撮影することはできない。


 文の位置や向き、字の大きさ、字の色や明るさなどは、まずは穂風が見やすいように、ある程度自動で調節される。

 周りが暗くても見えるというように、状況を問わず、文を見ることができる。

 ひっつーや穂風が、出た文に対して指定することで、変更することも可能。


 ひっつーか穂風が、文が消えるよう指示することで文が消える。

 どちらも指示しなくても、いずれは消える。


 本体の物がなんであっても、ひっつーならば能力を使える。


『〈やってみますっ〉』

 入力しタッチペンを置いたひっつー。基本形で、トテトテトテトテっとローテーブル上をすばやく歩き、穂風の前に行く。


 少しして。

「おおっ。文だ」

 穂風が興奮気味の声を出した。

 視線の感じからすると、穂風とひっつーの間に文が現れたようだ。


 ひっつーが基本形で、再びローテーブル上を歩きだす。穂風から離れていく方向だ。

 中央付近も通り過ぎ、ローテーブルの向こう端近く、穂風から、けっこう距離をとった。


 ひっつーは静止し、穂風に背を向けたまま。

 わずかに間があり。

「ひっつー、これもちゃんと読めるぞー」

 穂風が口の横に手をそえて、少し大きな声で言った。


 向きを変え、基本形でトテトテとタブレットの前に戻ったひっつーが、タッチペンを持つ。

『〈初使用成功ですっ〉』


 その文を読んで、風実と景が弾む声で、おめでとう、と口にする。


「なんていう文だったの? って訊いてもいいのかな」

 景の問いに頷くひっつー。


 穂風も頷き、口を開く。

「最初のは、穂風さんひっつーですっ、遠くからも試しますっ。次のは、遠くからこういう向きで出しても読めますかっ」

『〈ですっですっ〉』

 ひっつーが入力しながら大きく頷く。


「おおー! 教えてくれてありがとう」

 景が笑顔で言った。


「ひっつーと会話できる方法が増えたな。ひっつーと俺にしか見えないから、使える場所も多いんじゃないか? それに、見た文を俺が伝えることで、みんなとも、この方法でも会話できる」

『〈ですねっ、ですねっ、ですねっ〉』


「広がった世界が、宇宙空間に飛び出た気がします……」

 少しポカンとした顔でマサジが言う。


「すごい。脳内宇宙旅行じゃん。でもちゃんと帰ってきてね」

「はい。もちろん」

 景の言葉に、マサジはしっかりとした表情になって頷いた。


「ひっつーちゃん、二つとも素敵な能力ね」

 風実が柔らかく笑う。


『〈はいっ。嬉しくて踊りたい気分ですっ〉』

 はやくも踊りだしているようなリズミカルな動きで、入力するひっつー。


「「「「よっ、めでたい!」」」」

 穂風、風実、景、マサジ。

 四人の陽気な声が、ひっつーを包んだ。




お読みくださり、ありがとうございます。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。


次の投稿は、10/12(土)夕方~10/13(日)朝あたりを予定しています【2024年10/5(土)現在】

予定変更の際は、お伝えできる場合は活動報告でお知らせします。


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【2024年10/6(日)に、7月5を改稿する予定です。以下のように変更する予定でいます。よろしくお願いいたします】


 やがて、ノックの音がした。ひっつーが基本形で動きを止める。

 優月は立ってドア近くへ。端末で案内担当のメンバーとやりとりをし、ロックを解除した。


 ドアが開き、穂風が入室する。


【2025年2/20(木)に7月8を改稿しました。よろしくお願いいたします】

・『穂風さんのおっしゃるとおり、動かしてもみても→『穂風さんのおっしゃるとおり、動かしてみても




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