「7月、文、筆、紙」4.迷わない羊
ひっつーの喜びを、優月も一緒に味わう。
それなりに時間がすぎてから、ひっつーが基本形に戻った。
優月は口を開く。
「ひっつーさんが嬉しくて、こちらとしても嬉しいです。それと、穂風さんは、羊のぬいぐるみが無事手元に戻りそうとわかり、とてもほっとなさっているそうです」
『そうでしょうっ、そうでしょう。この、羊のぬいぐるみ、綿菓子もしくは綿あめひっつーは、穂風さんの大切な仲間の一員ですから……』
ひっつーが、得意げながらもしみじみとした口調で言う。
『穂風さんとパートナーの風実さん。風実さんは絵に関係したお仕事を、いろいろとなさっています。穂風さんと風実さんには娘さんがいらっしゃって、穂風さんと風実さんと娘さんと娘さんのパートナー、四人で仲よく暮らしていらっしゃるのですが』
四人とも遠出仕事や長く家を留守にしての仕事がそれぞれ多く、穂風一人のときも多いのだという。
穂風はそれを、茶目っ気まじりに、でも何割かの本音込みで、寂しがってみせることもあったのだとか。
もちろん穂風は、自分を含め、それぞれが活躍できていて、元気に活動できていることを、大切にも嬉しくも思っている。その気持ちは寂しさよりずっと多くある。
筆のひっつーのことも心強い仲間と感じている。
それらを家族も知っている。
『誤解を招いては困りますからね、そこは明言いたしますっ』
「はい」
力強く言うひっつーに、優月もしっかり返す。
『はっきりとしたお返事ありがとうございます。続けますっ』
言ってから、クッションマットを右手でたたき、ぽふふんとリズムをとるひっつー。
優月は微笑みつつ頷いた。
『この羊のぬいぐるみを娘さんが穂風さんにプレゼントなさったとき、一緒に行動する仲間に加入、どう? っと。穂風さんもノリよく受けとりましてっ。わたくしである筆と、羊のぬいぐるみを、プレゼントのひっつーコンビと』
ひっつーが楽しそうに笑う。
『外出時にも袋に入れ、ひっつーと綿菓子ひっつー、くじの結果によっては綿あめひっつーでしたが、さぁ出かけようと、明るくっ。だったのですが……』
幸せそうに、懐かしそうに語っていたひっつーの雰囲気が、急にしんみりしたものになる。
『……そのコンビが、形のある物としては片方になってしまいました。しかもわたくしが、羊のぬいぐるみにいる状態で、複雑な状況で……』
心なしか、ボディのふわふわ感まで急に減ったようなひっつー。
様子を窺いつつ、優月はそっと切り出した。
「……穂風さんが、相談なさりたいことの内容なのですが。ひっつーさんにも深く関係することですし、明日の穂風さんとの面談の進め方にも関わってきますので、お話ししようと思うのですが」
『はい。お伺いしますっ』
ひっつーは、届いてはいないが、手でぐしっと目をこするような仕草をしてから、基本形で姿勢を正した。
ボディのふわふわ具合も、同時に気持ちで戻したようだ。
「壊れてしまった筆について……そうおっしゃったあとで、テイクは、不思議なことについても相談に乗ってくださるのですよねと、穂風さんは確認なさったそうです」
『なんとっ、それは……』
瞬時に若干のけぞって驚き、続いて考え込むような声とともに、わずかにうつむくひっつー。
少ししてから、基本形に戻ったひっつーが、ゆっくりと話しだす。
『……筆に、なんらかの存在がいると、穂風さんは感じていらっしゃるかもしれない。そう思ってもいたのです。うまく言えないのですが……』
実際になんらかの反応を示すかもしれない相手に接するような。実際に見聞きしている存在がいることを前提としているような。
筆に対して、そういった言動がたびたびあったのだという。
筆も羊のぬいぐるみも大切にしている。態度も、親しい相手に向けてのもの。
ただ、羊のぬいぐるみのことは、大切で親しい物、そのものとして見ているよう。
一方、筆に対しては、そのものではなく、その中、そこにいるなにか、誰かを意識しているような感じもある。
どう言い表すか、ゆっくり言葉を選びつつ、ひっつーが話す。
『とはいえ、穂風さんが、なんらかのことを、はっきりとおっしゃったわけではありません。わたくしも……実は話しかけてみたことはあるのですが、聞こえないようでしたので、特にはっきりと存在をアピールしないままで。急に動いて字を書いたら、さすがに穂風さんもびっくりなさるでしょうし』
ひっつーが少し笑う。
『筆がすらすらと自ら文字を書く。そういう姿を思い描くこともありはしましたが。穂風さんと、ともに活動する日々は、それ以上に素敵でございましたっ』
ぐすっと泣き声まじりになったが、誇らしげな響きも、そこに確かにあった。
呼吸を整えてから、ひっつーが落ち着いた声を出す。
『不思議なことについても、と言葉にして、筆について相談……。穂風さんは、わたくしが思っていたよりもはっきりと、なにか気づいていらっしゃったのかもしれません……』
「……そうなりますと、明日、穂風さんと、どういった方向でお話ししましょう……できる限りこちらからは、ひっつーさんの存在については伏せるのか、それとも……。今回、連絡段階では、ひっつーさんの存在については触れていません。穂風さんに伝えたのは……」
言って、優月は続ける。
テイクが穂風への連絡時に伝えたのは、以下のようなことだ。
穂風さんと羊のぬいぐるみが一緒に写っている写真を目にした。
今日、拾ったぬいぐるみが、それと似ている。
ぬいぐるみを拾ったその市で、昨日、穂風さんが仕事をしたという情報を得た。
拾ったのは駅への道だし、もしかしたらと思い連絡をしてみた。
だいたいの内容としては、そういった感じである。
実際、写真も仕事の情報も、ネットでたどり着けるものだ。
穂風がひっつーの存在をわかっているか、はっきりとしていない現段階で、いきなりひっつーの存在について伝えることはしないほうがいい。
だが、今後のことを考えると、ぬいぐるみを匿名で穂風に送りつけて終わりという選択はしたくない。
そういった理由から、あり得そうな状況の説明をつくって連絡をした。
そしてその後のやりとりも、ひっつーの存在については触れないままでおこなった。
その一連の流れを聞いたひっつーが、きゅっと体を縮めるようにした。
『……ですよねぇ、そうなりますよねぇっ。複雑な事態を持ち込んでしまい申し訳ないです。具体的に伺いますと、ひしひしと実感がっ』
「いえ。ひっつーさんと出会ったのは私ですし、関わることをお願いしたのは私含むテイクです。連絡に関しても、こちらの判断での行動ですので」
優月は、そう返した。
ひっつーの存在ゆえのこととはいえ、ひっつーが悪いわけではない。そして、決めて行動したのはテイクである。
『ううむ……しかしあれですねっ。目の前にどう考えてもある事実をどうにか伏せるため、それに触れないようにいろいろと考えて話を進めるのは、なんだかとっても、骨が折れそうですねっ。そしてややこしいっ』
「えっと……」
優月、返事に困る。
『それが必要な場があることも否定はいたしませんがっ。今回、穂風さんにはもう、わたくしのことを、すべて明かしてみていただけますか?』
「その方向でいきますか?」
『はいっ。……筆が無事で、筆がわたくしのまま、これまでのままなら、はっきりさせないままも、それはそれでありだったかもしれませんが』
いったん言葉を切ったのち、ひっつーは続ける。
『今回、大きく状況が変わり、しかも複雑になりました。なにもお話ししないまま、再び穂風さんのおそばにというのは、どうにもっという気持ちになっております』
「そうですか」
『はいっ。状況をお話しして、穂風さんのお気持ちなどをお伺いしたいです。これからは、優月さんを始め、テイクの方々のサポートを得られますし、その点も、これまでとは違います。穂風さんにも本当のことを知っていただいて、そのうえで、これからを考えていきたいですっ』
話しつつ両足でバランスよく立ち上がったひっつーから、強い決意が伝わってくる。
両手はそれぞれ、気分としては握りこぶしになっていそうだ。
どういう展開になるかはわからないが、ひとまず進んでみる方向は決まった。
「かしこまりました」
応じて優月はお辞儀をし、体を起こした。
『明かしても、もし、穂風さんが信じきれないようでしたら、わたくし、穂風さんにお伝えしたいことがございますっ』
基本形に戻ったのち、ピッと右手を挙げてひっつーが言う。
『わたくしが知っている、穂風さんのちょっぴり恥ずかしい秘密。これをわたくしが話しましたら、わたくしの存在を信じていただけるのではないかとっ。穂風さんは、どなたにもお話しになっていないはず。そして状況的に、わたくしなら知っていると、おわかりになるはずですっ』
「あ、では、明日の面談時、基本的には私が穂風さんに、ひっつーさんの言葉をお伝えしますが、五十音表やタブレットなど、なにかを使っての会話もできるよう、用意いたします。秘密はそちらでお話しください。私は秘密を知ってしまわないよう、聞かず、距離もとりますので」
穂風にとっては、ちょっぴりかどうかわからない恥ずかしい秘密を、優月が知ってしまっては気まずい。
『わかりましたっ。お願いしますっ』
かしこまりましたと応じ、このあとの予定説明に入る。
このあとひっつーを、村内にあるモノハウスに案内する。
明日、穂風との面談前に優月がひっつーを迎えに行くので、それまでモノハウスですごしていてほしい。
五十音表やタブレットなども、まずそこで使ってみることができるようにしておく。
モノハウスは結界内にあり、安心して動いたり話したりすることができる。
モノハウスには、モノの声が聞こえる何人かのメンバーが、モノハウス担当として住んでいる。
そういったことを話すと、ひっつーが弾んだ声を出した。
『そのような場所がっ。お世話になりますっ。案内と明日迎えに来ていただくことについても、お願いいたしますっ』
「かしこまりました」
優月はまず返事をし、続いて、確認をすることにした。
「ところで、ひっつーというお名前は、筆と羊のぬいぐるみと、どちらもひっつーであるという理解でよいのでしょうか」
『はいっ。先に娘さんがプレゼントしたのがわたくし、羊毛筆っ。筆の漢字から、ひつ、ひっつーと、穂風さん、風実さん、娘さんでお決めになりましたっ』
ぽふんぽふふんと右手でリズムをとりながら、すぐに答え始めてくれるひっつー。
優月は見つめて耳を傾ける。
『そしてのちに娘さんがプレゼントしたのが、羊のぬいぐるみですっ。羊を選んだのは、娘さんの幼い頃のエピソードが関係しているそうですっ』
白い毛の、羊毛筆。けれど使われているのは山羊のもの。穂風と風実の娘が、それを毛糸などのほうの羊のものだと思ったことがあったそうだ。
その出来事をきっかけに、娘は穂風の仕事に、そして風実の仕事にも、興味を持った。穂風と風実も楽しく教えた。家族の間で、あたたかい思い出の一つとなっているのだという。
次は羊のなにかにしようか。そう思っていたところに、羊のぬいぐるみとの出会いがあり、穂風にプレゼント、となったそうだ。
『つながりのあるものだし、ひつじのひっつーとも言えるし、とのことで同じ名前になりましたっ。穂風さん、風実さん、娘さんと娘さんのパートナーでお決めにっ』
そして、呼んでいる相手がわかりやすいよう、筆のほうはひっつー、羊のぬいぐるみのほうは、綿あめひっつー、もしくは、綿菓子ひっつーと呼ぶことになった。
『そういう次第でございますっ』
ぽふぽふぽふんとリズムをとりつつ答えたのち、そう結んで、ピッと右手を挙げたひっつー。
「教えてくださってありがとうございます」
ピッと右手を挙げ返しつつ、優月はお礼を言った。
お読みくださり、ありがとうございます。
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【短編2作品投稿済みです】
「とある宿泊施設の怪、談・コトハ」
「とある宿泊施設の怪? 談話・コトハと優月」(※こちらはホラーではありません)
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