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「7月、文、筆、紙」2.綿あめ、綿菓子、アイスクリーム


 優月ゆづきが二十歳になる年度の夏。



 昼下がり。優月は駅に向かって歩道を歩いていた。

 車道はひっきりなしに車が行き来しているが、歩道を歩くのは、ほぼ優月のみ。

 ときどき、自転車がかなりのスピードで歩道を行く。


 ただ今、優月は仕事中。

 いくつかの用事を無事に済ませたので、このあと駅からバスに乗り、珠水村しゅすいむらに戻る予定だ。


 しかし、あつい。

 強い陽射しがあつい。

 グレーのパンツスーツのジャケットを脱いで腕に掛けているが、触れている部分がほかほかあつい。

 仕事用の大きめの肩掛けカバンも、体に当たっている部分がじっとりあつい。

 自分の周りの空気全部があつい。


 あついが優月の頭の中で、どんどん勢力を拡大していく。

 こういう場合、それぞれ、暑いなのか、熱いなのか。

 考えようとしたが、気力がわかない。

 もう今は全部、あついでいいや、ということにする。


 そういえば、前にコトハが言っていた。

「あつい、をいっぱい並べた中に、あいつ、ってあっても気づかなそうよね。あっでも並べるのもあるのも、あいす、のほうがいいわー」


 頭の中の勢力争いに、アイス、参戦。

 ソーダ味が優勢になりかけたところで、優月の視界に、ふわっとソフトクリームが。

 車道との間にある植え込みの陰。


 優月は近寄って立ち止まり、それを見る。

 握りこぶし大の、白いふわふわ。

「ソフトクリームじゃない。綿あめだ」

 コトハが言うところの、素敵な、さとう仲間。


「いえ、綿あめはたぶん先月ですっ。聞こえていらっしゃらないとは思いますが」

 少年のような声が優月の耳に届く。

 おそらく、視線の先の、白いふわふわな物から声がしている。

 自分の声は聞こえないだろうと話す、物。


 少年のような声が続ける。

『今日が何月何日かによりますが、おそらくまだ今月、今月は、くじの結果、綿菓子になりましたっ。どちらの名前も素敵なので月ごとに決めようと、すいふうさんが。ですので今月だとしたらこちら、綿菓子のような、ふわふわボディの羊のぬいぐるみでございますっ。……と言っても聞こえないですよね……』


 いえ、聞こえています。それと確かに、ぬいぐるみですね。

 優月は心の中で返答し、あつかったので認識が、と言い訳も内心でつけ加える。


 白いふわふわボディ。ベージュの顔、丸いつの、手足。耳、しっぽ。

 そして、話す、羊のぬいぐるみ。


 超常的存在に出会ったという、この状況。

 あついのだが、今はこちらだ。

 どうにか集中して羊のぬいぐるみを見つめる優月の耳に、羊のぬいぐるみから、更なる声が届く。


『聞こえてもまずい気はしますが、この状況、わたくしだけでは……。いっそ、この方の前で動いてみましょうか。いえ、それは危険ですよねっ。いえしかしっ、わたがっしっ。……はぁ。心配すぎて、無理にでも明るくしなければ沈み込みそうです。……すいふうさん、ご無事でしょうか。わたくしはどうすればっ』


 羊のぬいぐるみから、次々と言葉があふれ出す。

 内容がなかなかに追いつめられている。


 テイク用端末でもあるスマホは、警告を発していない。

 今現在、要警戒な超常的存在ではないということだ。


 本当は見聞きされない安心な場で会話をしたいけれど、羊のぬいぐるみを勝手に持ち上げて連れていくわけにはいかない。

 優月はスマホを手に持ち、イヤホンも用意しつつ、モノ発声をするために物と心の準備をした。


 物に精神が生じた、モノ。

 その、モノが発している声を、人間が発することができる。それが、モノ発声ができるという能力。

 優月には、その能力もある。


 モノ発声での声は、モノかモノの声が聞こえる能力者にしか、基本的には聞こえない。

 モノ発声という言い方は、テイクが決めて使っているもの。人間が普段話している話し方は、人間発声と言っている。


 今のところ優月は、さぁするぞ、と思ってしないと、モノ発声ができない。

 自分が今モノ発声をしているのか人間発声をしているのかは、自分でわかる。

 人間発声で話すときのように口を動かさないと、モノ発声でも話せない。

 そういう能力使用状況だ。


 イヤホンを使っていれば、ぱっと見一人で、声を出さずに口を動かしていても、音楽を聴きながら声を出さずに歌っている風を装える。

 スマホを手に持っていれば、なにか用事で立ち止まっていると思ってもらいやすい。

 つい、人間発声で声を出しても、通話中の振りなどもできる。


 さて、では。この声が聞こえたら、モノの確率が高い。

 かがんだりしゃがんだりしたいけれど目立つので、立ったまま優月は口を動かす。


『えっと、こんにちは。立ったままの姿勢で失礼します。おそらく今月は綿あめではなく綿菓子の、羊のぬいぐるみさん。お話しするお時間、いただけますか?』


『えっ? えっ? それはわたくしが先ほど話した内容……! わたくしの声、聞こえるのですかっ?』


 優月のモノ発声での言葉が聞こえたようだ。羊のぬいぐるみから、すぐに声が返ってきた。

 興奮を表すように、羊のぬいぐるみの右手が、パンパン地面をたたいている。


『羊のぬいぐるみさん、手、手。動いちゃってます。できるだけ周りを気にしてはいますが、それでも急に人が通るかもしれないので』

 優月は少しあせって声をかけた。


『はっ! ついっ』

 羊のぬいぐるみが、ピタリと手の動きを止める。


『……わたくしの声を聞いてくださる方。わたくしが動くのを見てしまわれた方。……こうなりましたらもう、わたくしはあなたにお願いしたいっ。どうか、すいふうさんのところへ、連れていってくださいっ』

 少年のような声が、強い気持ちとともに優月に届く。


 こちらも気持ちとしては、すぐにでも頷きたいのだが。

 思いながら、優月は口を開く。


『お願いにお返事をする前に、お伝えしなければならないことがありまして』

『なんでしょう? はっ、まさか、すでに、すいふうさんは……』

『すいふうさんという方については、現時点で、私にはなにもわかりません』


『そっ、そうですかっ。ではいったい……』

 首をかしげていそうな声に応え、優月は説明を始めた。


『今、私が話している声は、羊のぬいぐるみさんの声が聞こえる存在にしか、基本的には聞こえないと思います』

 まず、それを伝えてから続ける。


 さまざまなことに対応する組織、テイク。超常への対応も役割のうち。

 優月は所属員であるため、この状況を報告する必要がある。


 相手の許可がなくてもしなければいけないが、できれば同意を得ておこないたい。

 また、今後継続して関わらせてもらうことをお願いもしたい。


『私だけで話をとどめることはできませんが、テイク全体で対応するため、いろいろな方向からのサポートが得られます。話すことや関わることを許していただきたいのですが』


『あのっ、わたくしっ、先にお願いをしておいてなんですが、わたくし自身が使えるお金を持っていません』


『お金に関しましては、超常関連の対応では、対応対象の方たちに負担していただく分は基本的には少ないですし、どなたがどう払うかも、大変なことにならないよう考えますので』


『でしたら、わたくしはかまいませんっ。この件を含め、今後のサポートを、よろしくお願いいたします』


『ありがとうございます。よろしくお願いいたします。申し訳ありませんが、状況の都合上、お辞儀や笑顔は今は心の中でいたします。私は優月と申します。漢字で、優しい月と書きます』


『はいっ。優月さんっ。わたくしも動作は今は心の中で。わたくしは、ひらがなで、ひっつー、です』

『教えてくださりありがとうございます。ひっつーさん』


 テイクに話す、テイクが今後も関わる、どちらも同意を得ることができた。自己紹介も、お互いにできた。

 さて次にすることは。


 炎天下なうえ、見聞きされるおそれのある状況。

 だが、テイクに連絡するにも、いったん村に行くにも、どこかに場所を用意するにも、その前に訊く必要のあることが、いろいろとある。


 今後、カバンに入れておくのは、雨用の折りたたみ傘ではなく、晴雨兼用のものにしよう。

 陽射し対策だけでなく、雨天時以外に使用していても不自然ではないことも多いから、人目対策に使いやすい。

 そういったことを思ってから、優月は、ひっつーに質問を開始した。


『入力しつつ、いくつか伺いたいのですが、まず、すいふうさんのお名前は漢字で書きますか?』

『はいっ。すいふうさんは、稲穂の穂という漢字に、風で、すいふう、ですっ』


『こちらで合っていますか?』

 スマホに、穂風、と入力し、画面をさりげなくひっつーに向ける。

『はい、そうですっ』


 返事を得て、画面の向きを戻しつつ、優月は口を開く。

『ありがとうございます。ご年齢、ご住所、普段なさっていることなど、ご存じのことがあれば伺いたいのですが』


『お年は五十をこえていらっしゃいます。住所は、細かい部分は自信が持てないのですがっ』

 ひっつーが、ある市町村名を口にした。

 穂風の自宅は、今いるこの市や珠水村と同じ県にあるようだ。


『普段は、書道関係のことを、いろいろとしていらっしゃいますっ。自宅で教えたり、いろいろな場所に出かけて、出張書道教室などもっ。あのっ、ところで今日は何月何日でしょう』

 ひっつーに訊かれ、優月は答える。


『でしたら昨日ですっ。昨日も、お出かけして、いくつかお仕事に関係したことをして、帰り道までは、わたくしも一緒だったのですが……』


 うつむくような声音になったひっつーに、優月は静かな口調で問いかける。

『帰り道で、なにがあったのでしょう』


『実際に見聞きしていない部分もあるので、あくまでもわたくしが、こうだったのでは、と思っていることですがっ』

 前置いたひっつーが説明を始めた。


『聞こえた音からも考えますと、穂風さんはおそらく、昨日の夕暮れどき、この歩道を歩いている際、自転車にぶつかられたか、ぶつかられそうになったか、したのではないかとっ。そしておそらくその拍子に、持っていた袋類がどうやら車道へ』

『車道へ……』


『はいっ。その中には、わたくしだった筆と、この羊のぬいぐるみも入っていました』

『ひっつーさんは筆だったのですか?』


『はいっ。ただ……急に本体の筆が壊れたようで、わたくしのみ、空間に漂いまして。見ましたら、次々とタイヤに踏まれていく壊れ果てた筆が』

『あ……それは……』


『気遣ってくださっているお声で、ありがたいですっ。大変動揺はしましたが、痛みなどはありませんでしたから、そこはご安心くださいっ。続けますね』

『お願いします』


『道路上には羊のぬいぐるみも。そちらはまだ、無事のようでした。筆もぬいぐるみも、娘さんからもらった、穂風さんにとって大切な物なのですっ。せめて、羊のぬいぐるみだけでも安全なところへ運びたくっ』

『はい』

 力強く語るひっつーを、優月は見つめる。


『中に入って動ければ、と羊のぬいぐるみに近づき入ることを試みましたら、成功しました。車の風圧で転がった振りで逃げましてっ。なんとかここまで来たところで気を失ったらしく……。気がついて、どうしようと、しばらくしていましたところに、優月さんがっ』


『そうだったのですね……。あの、穂風さんは、ひっつーさんの存在をご存じですか?』

『もしかしたら……。ですが、はっきりとは』

『そうですか……』


 説明や返答への礼を述べたあとで、優月は調べものを始めた。

 穂風や書道で検索をする。結果はすぐに出た。

 いくつかページを見たのち、まずは写真をひっつーに見せる。


『ひっつーさんがおっしゃっている穂風さんは、この方ですか?』

『はいっ。そうです。大変凛々しい感じに写っていらっしゃいますっ』


『では、調べたことが活かせそうです。発信されている情報によりますと、今日の午後の出張書道教室は、予定どおり、おこなわれているようです』

『では、穂風さんは無事でいらっしゃるっ?』


『その可能性が高いのではないかと。確認を含めいろいろと対応が必要ですから、いったんテイクに連絡を入れさせてください』

『はいっ。お願いします』


 入力内容をまとめ、送信したあとで、ひっつーを見る。

『ひとまず返信を待ちます。あ、ですが一つ。穂風さんがお持ちになっていた袋類の中に、ひっつーさんのほかに、ひっつーさんのように意思のある方は、いらっしゃいましたか?』


『いなかった確率が高いかとっ。少なくとも、穂風さんの持ち物から、わたくしのような存在を感じたことはありません。気づかなかっただけかもしれませんが』

『答えてくださり、ありがとうございます』


 車道の物は、すっかり片づけられているようだ。

 これらのことも追加でテイクに伝える。


 さて、いろいろとテイクからの返信待ちだが。

 テイクの対応はすばやいから、優月が溶けだす前に連絡が来ることだろう。




お読みくださり、ありがとうございます。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。


次の投稿は、8/31(土)夕方~9/1(日)朝あたりを予定しています【2024年8/24(土)現在】

予定変更の際は、お伝えできる場合は活動報告でお知らせします。


――――

【短編について】


読んでくださった方、いいねをしてくださった方、ありがとうございます。

読もうかなと思ってくださっている方、読んでいただけましたら嬉しいです。


「とある宿泊施設の怪、談・コトハ」

※公式企画、夏のホラー2024参加作品です。


「とある宿泊施設の怪? 談話・コトハと優月」

※こちらはホラーではありません。


――――

【2024年8/31(土)に改稿】

変更後は以下になります。よろしくお願いいたします。


・ 超常的存在に出会ったという、この状況。

 あついのだが、今はこちらだ。


・『今、私が話している声は、羊のぬいぐるみさんの声が聞こえる存在にしか、基本的には聞こえないと思います』

 まず、それを伝えてから続ける。

【さまざまなことに対応する組織、テイク。の前に追加】


・『(前略)わたくし自身が使えるお金を持っていません』

【いません、よりあとの『』内の文を削除】


・『中に入って動ければ、(中略)ところに、優月さんがっ』

『そうだったのですね……。あの、穂風さんは、ひっつーさんの存在をご存じですか?』

『もしかしたら……。ですが、はっきりとは』

『そうですか……』

 説明や返答への礼を述べたあとで、優月は調べものを始めた。


――――

【2024年9/22(日)に改稿】

変更部分の変更後の文章は、以下のものになります。よろしくお願いいたします。

(それと、角につのとルビを追加しました)


 いくつかページを見たのち、まずは写真をひっつーに見せる。


『ひっつーさんがおっしゃっている穂風さんは、この方ですか?』

『はいっ。そうです。大変凛々しい感じに写っていらっしゃいますっ』


――――

【2025年9/8(月)に改稿】

・前書き文を削除しました。


――――

以上です。お読みくださりありがとうございます。



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