「7月、文、筆、紙」1.羊で山羊で
七月の午後。広めの和室。
ラビィが、リズミカルなピアノの音に合わせて、足を上げたり腕を振ったり走ったりと、元気に体を動かす。
ラビィは薄いピンク色をした、うさぎのぬいぐるみだ。
毛足が長くふわっとした見た目で、ロップイヤー。耳を抜かした部分は高さ二十センチほどといったところ。
物に精神が生じた、モノである。
ラビィの家族は人間で、三十代前半の育生とゆかり、その二人の娘である五歳の、ゆな。
ゆなにはまだラビィの正体は明かされていない。ゆなにとってラビィは、大切な家族で、ぬいぐるみだ。
育生とゆかりにとっては、ラビィは大切な家族で、娘の一人。ラビィが姉、ゆなが妹である。
ラビィたち花山一家は、ラビィのことをテイクに相談するため、今年の四月に初めて珠水村を訪れた。
それから各月、少なくとも月に一回、都合がつけば数回、家族で珠水村に来ている。
いろいろと必要なことや希望したことをするため、毎回、村滞在中のスケジュールは、ぎっしりだ。
ラビィの正体を知らないゆなは、村内でラビィとは別行動となることも多い。
花山家の面々は、用件や時間などごとに、いろいろな組み合わせですごしている。
今、ラビィが体を動かしているこの広い和室は、結界内にある日本家屋の中の一室だ。
使用許可を得ている存在かどうかで、見聞きしたり使用したりできるものが違う、等。いろいろな作用が結界内にある。
超常的存在であるモノたちが、安心して動いたり話したりする場としても使用されることが多い。
村内何か所かに、こういった場がつくられている。
今日ラビィは、今いるこの結界内に、ゆかりと来た。
ナチュラルベーシックな服装に柔和な顔立ちのゆかりは、育生と服装も顔立ちもよく似ている。
ゆかりも育生も、ともに仕事は音楽関係だ。
今ゆかりは、持参したロールピアノを低めの机に置いて演奏中である。
『えいっ』
元気に動いていたラビィが、声とともに、かなり高めにジャンプ。空中ですばやく前回り。そして見事足からうまく着地した。
前方宙返りというものだろう。
できるようになってみたいと何度も練習していて、とうとう成功だ。
『「おおー!」』
その場にいた者が口々に言いながら、拍手や、拍手を思わせる動作をし始めた。
曲が華やかなものになり、その場が更に盛り上がる。
ラビィが真上に大きくジャンプ。着地とともに、演奏が終わった。
浅めながらお辞儀のような動作をしたラビィが、体を起こす。
『えへへ。できましたっ』
ぬいぐるみであるラビィの表情は変わらない。
けれど、普段はソフトで落ち着いた声が、今は嬉しそうに弾んでいるし、雰囲気が誇らしげだ。
ゆかりの近くにいる、モノである文字書き人形の文が、すかさずラビィの言葉をタブレットに入力する。
それを見たゆかりが、できたわね、おめでとう! とラビィに言いながら嬉しそうに笑った。
ラビィの声と、ゆかりや育生の声は、普段からよく似た感じだ。
そして今、ゆかりの声も楽しげに弾んでいる。
育生もゆかりもモノの声が聞こえず、ラビィの声が聞こえない。
ラビィの言葉は、モノの声が聞こえる者が言ったり入力したり書いたりして伝えたり、ラビィが自分でタブレットなどを操作して入力等をすることで伝えたりしている。
今日この結界内ですごす時間中は、文が、ゆかりにラビィの言葉を伝える役割を担っている。
文自身の言葉を入力して、ゆかりに伝えている場面もあった。
この時間中、ほかのモノたちの言葉を入力して、ゆかりに伝えるのは、モノである茶運び人形の茶だ。
こちらも、ゆかりの近くにいる。
文茶コンビは、モノたちが扱えるよう機能付与されたタッチペンを器用に操る。入力スピードも見事なものだ。
優月は正座の体勢から身を乗り出した。
「ラビィさん、成功おめでとうございます」
笑顔でラビィに声をかける。
テイクの所属員であり、モノの声が聞こえる優月は、花山一家を担当している者の一人だ。
花山一家の村滞在時に、育生やゆかりやラビィと、一緒の時間をすごすことも多い。
『ありがとうございます! そして、こんにちは。初めまして』
優月にお礼を言ったラビィが、優月の隣を見るように少し顔を動かしてから挨拶をした。
先ほど入室し、今、優月の隣にいるモノは、羊のぬいぐるみだ。
綿菓子のようなふわふわの白いボディは、握りこぶし大といったところ。
ベージュの顔。まんまるの黒い目。顔の両側に耳とベージュの丸い角。ベージュの短い手足、しっぽ。
羊のぬいぐるみは優月の横で、うまくバランスをとって足で立ち、拍手風に両手を動かしている。
『ややっ、ご挨拶もせず、見入っておりましたっ。初めてお目にかかる場で、このような素晴らしい動きを拝見できるとはっ』
羊のぬいぐるみが、少年を思わせる声で話す。
普段から語尾に、っ、が付くことも多い話し方だが、今は加えて気分も興奮している感じだ。
『ありがとうございます。カタカナでラビィです』
ラビィが名乗ってから軽くお辞儀のような仕草をし、体を起こした。
『ラビィさん、初めましてっ。わたくしは、ひらがなで、ひっつー、と申しますっ。お辞儀をするとたいてい前転してしまうので、心の中でのお辞儀で失礼します。ころころ連続前転で、我ながら身軽なところを披露できるとは思うのですが、またの機会にっ』
『はい。拝見したいです。ちなみに、私もあまりお辞儀をしすぎるとバランスが』
『そうなのですねっ』
言葉を交わす、ラビィとひっつー。
片や宙返りを披露し、片や連続前転と口にする。
モノが結界内で動く場合、活発に動き回らなければいけない、というルールはない。
ないのだが。
スピードを極めようとする文茶コンビ。
曲に合わせて動きながら、どんどんアクロバティックな方向へ進もうとするラビィ。
鳥の物の姿になり、いろいろな体勢で飛びまくるコトハ。
……。
モノの物は生身の人間よりはるかに丈夫だから、いろいろと思いきってやってみることができるというのもあるだろう。
軽く思い浮かべるだけでも、活動的な面々の、すごい動きが頭の中によみがえる。
ゆかりが、文茶コンビとともにラビィの隣に来て、会釈をしてから口を開く。
「ひっつーさん、ラビィの家族のゆかりです、初めまして」
『初めまして、ゆかりさんっ。大変素敵なピアノ演奏でした』
「まぁ! ありがとうございます」
ひっつーの言葉を茶に伝えられ、ゆかりが笑顔でお礼を言う。
『またぜひお聞きしたいですっ。羊や山羊や筆などに関係した曲もできましたら』
「羊さんだけでなく?」
『はいっ。わたくし、現在は羊のぬいぐるみですが、もともとは白い毛の筆、山羊の毛を使用した羊毛筆でしてっ』
「えっと、羊さんで山羊さんで筆さんなんですね」
『そうなのですっ。ゆかりさんとラビィさんがよろしければ、自己紹介も兼ねて、テイクと出会った経緯などを、語らせていただければと思うのですがっ。お時間いただいてもよろしいでしょうか』
ひっつーが訊くと、茶を通してひっつーと会話していたゆかりが、ラビィを見る。
ラビィが頷く。
ゆかりは、結界内から出る予定の時間を口にし、その時間までならぜひ、と答えた。
『ありがとうございますっ。語るにあたり、実際は後日、説明などによって知った部分も、その場で把握しているかのように語るかもしれません。ご了承くださいますよう、お願いいたします』
『わかりました』
まずラビィが返事をし、茶から伝えられたゆかりも頷いた。
『では、お好きな姿勢でお聞きください。あれは、三年前の夏のことで、ございますっ』
左手と両足を使って安定した状態をキープしながら、右手で畳をたたいてリズムをとりつつ、ひっつーが語り始める。
三年前の夏。優月が二十歳になる年度の夏のこと。
ひっつーとテイクの出会いに、優月も深く関わっていた。
ひっつーの声を聞きつつ、優月も頭の中で、そのときのことを思い返し始める。
お読みくださり、ありがとうございます。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
次の投稿は、8/24(土)夕方~8/25(日)朝あたりを予定しています【2024年8/17(土)現在】
予定変更の際は、お伝えできる場合は活動報告でお知らせします。
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【短編について】
投稿のタイミングの関係で、後書きで報告させていただくのが遅くなってしまいましたが、短編2作品を8/13(火)夜に投稿しました。
「とある宿泊施設の怪、談・コトハ」
※公式企画、夏のホラー2024参加作品です。
「とある宿泊施設の怪? 談話・コトハと優月」
※こちらはホラーではありません。
※コトハが語った怖い話を聞いた優月とコトハのやりとりです。
※やりとりの話のほうのみを読んだ場合も、内容はわかります。
読んでくださった方、いいねをしてくださった方、ありがとうございます。
この後書きを読んで知ってくださった方、作品のほうも、どうぞよろしくお願いいたします。