「6月、コトハとサトウとボンボニエール」5.本日のキッチンさん
月乃と名乗ったモノ対応担当者を、テイクの相談者用ページで顔の確認をしてから、優月は部屋にあげた。
ローテーブル前に案内しつつ、優月はそっと月乃を見る。
少しネコを思い出させるぱっちりとした目。キリリと結ばれた唇。
顔の両サイドに残された黒髪ときっちり結い上げられた黒髪。
高い部類に入るであろう背。
張りのある素材でつくられた、黒に近い紺色のワンピースは、きちんとした印象と独創的なカッティングでのおもしろみが、うまく調和している。
優月の勧めで月乃が腰をおろし、正面に優月も座る。
キッチン前のスツールには、今日もタブレットが立てかけられている。
ローテーブルをはさんで座る予定の優月と月乃、今回は両者から画面が見やすいであろう角度に、キッチンが調節していた。
月乃の許可を得て、優月が先に話し始める。
前回、知成と日出海が、お邪魔していますとキッチンに挨拶をしたとき、キッチンが画像で返事をしていた。けれど、優月が意味に気づけず、伝えられなかった。
そのことを知成と日出海に伝えてもらいたくて、言いそびれてしまわないよう、先に頼んでおきたかった。
しっかりとした、少しきつそうな月乃の雰囲気に若干気後れしつつも、優月は話を進める。
教会の画像が、なぜ、挨拶への返事なのか。
その理由を説明した途端、月乃が雰囲気を和らげ、思わずといった感じに口元をゆるめた。
「教会堂、イタリア、ドゥオーモから、どうも、って!」
言っているうちに、どんどんおもしろく感じてきたらしく、月乃が本格的に笑いだす。
しばらくして月乃は、もとのキリッとした雰囲気に近いものに戻った。
けれどもう優月的に、近寄りがたい感じはなくなっていた。
「笑いだすと、止まらないんですよ、私。だからスイッチ入れないように気を張っていたのですが。キッチンさんと、私もお呼びしていいですか? いつか、私と一緒にすごしている三ネコを紹介します。きっと気が合うと思うので」
優月とキッチンを見ながら、月乃が言う。
〈キッチン、でも、キッチンさん、でもお好きに。紹介してくださるの、どんな方たちかしら。楽しみです〉
ポン、という軽い電子音ののち、タブレット画面に文章が表示されていく。キッチンがリアルタイムで入力していっているものだ。
いたって普通の文で表現したのは、月乃の笑いスイッチを入れないよう、気遣ったからだろうか。
「こちらも今、キッチンさんが入力なさっているんですね」
月乃が優月とキッチンを交互に見る。
「はい」
優月は頷き、説明を始めた。
先ほど、教会の画像での返事について話したとき、少し説明をした。そこに追加するイメージで、内容を組み立てていく。
キッチンスペースのあたりのものなら、キッチンは扱えること。
この前の面談のときも、実はずっとキッチンがタブレットを操作し、画像で返事をしていたこと。
キッチンの存在を明かしてからは、知成と日出海に画面について伝えても問題なかったのに、教えないままやりとりをして、面談が終わっていたということ。
そのことにあとで気づいた優月とキッチンは、しなくていい相手と場面で隠しごとを続けてしまったと、気になっている。
できれば知成と日出海に謝罪の気持ちも伝えてほしいと、説明から依頼に話が移ってしまうことに気づきつつも、この機に乗じて優月は月乃に頼んだ。
「事実を知っても、知成も日出海もおそらく気を悪くはしないと思いますよ。ですがお気持ち、きちんとお伝えしますね。もちろん、キッチンさんがなさっていた、お返事のことも」
そう請け合ってくれた月乃が、メモのため失礼します、とスマホを取り出す。
入力作業を終えてから、月乃が再び優月を見た。
「それとこちらからも、今のうちにお伝えします。知成からですが、トウヤに優月さんからのお礼をお伝えしました、とのことです。そしてトウヤからは、丁寧にありがとうございます。どういたしまして、と」
「ありがとうございます」
優月はお礼を言いながら、自然と笑顔になった。
引き受けてくれたことを実行してくれて、それに返事をくれて、それをまた伝えてもらえる。
直接でなく何人か経由しつつも、無事にやりとりしている、できていると示してもらえて、テイクに対しての安心感や信用度が更に増す。
月乃も優月に微笑んでから、キッチンスペースのタブレットを見た。
「さて、では、キッチンさんが、その状態のままでもタブレットを扱えると、わかっていらっしゃることですし、そちらを使って話していただく感じでかまいませんか?」
〈いいですよ。読み上げ機能も使いましょうか?〉
「今回はオフで大丈夫です。この距離で画面の字を見るのは、さほど大変ではないですから」
〈わかりました〉
「キッチンさんの鑑定結果について、優月さんにも伝わる形で話題にしてかまいませんか」
〈かまいません〉
月乃はキッチンのその返事を見てから、ちなみに鑑定結果でも、と話し始めた。
鑑定結果でも、キッチン周りなら物理的に物を扱えると出たそうだが、それをキッチンが認識して実行しているかは、鑑定結果としては不明だったそうだ。
ただトウヤは、ですがおそらく、おわかりになっていて扱ってもいらっしゃるのではと、自分としては思います、とも月乃たちに言ったらしい。
そして月乃は、お訊きしたいのですが、と続ける。
「音声認識はどうですか? 鑑定結果では、不確かなので試してみるよう、とのことなのですが。あ、キッチンさんも優月さんも話しやすい口調でお話しください」
〈ありがとう。音声認識は、喋ってみたけれど認識されなかったわ〉
「そうなんですね。三ネコと同じです。メモなどを貼れるボードを持った、ネコの置物の三人なんですけど。キーボードや画面上を器用に動いて、文を表示させるんですけど、喋っても認識はされないらしくて」
モノの声が聞こえるメンバーによると、かなりしっかり人間の言葉をそのネコたちは話しているというのだが、音声認識はされないし、月乃にも聞こえないそうだ。
「あっでも、私にキッチンさんの声が聞こえるか、念のため試しておきたいですね。ちなみにトウヤは、鑑定の結果、トウヤ自身には聞こえないと言っていましたが。キッチンさん、なにか声に出して喋っていただいていいですか?」
〈いいわよー〉
「キッチンは、きちんとしたことも話せます」
画面で返事をしたあと、空間に、キッチンの声が響いた。
けれど月乃は、無反応だ。
「えっと、キッチンさん、喋りました」
優月が月乃に言う。
「そうなんですね。私には聞こえないみたいです。キッチンさんは、なんて?」
月乃に訊かれて、優月はキッチンの言葉を、そのまま繰り返した。
と、そこに電子音がし、画面に文章が現れる。
〈でも、言葉遊びもしたいところ、…………。〉
文の下には、写真画像。
そこには、少し昔ながらの、キッチンというよりは、台所という表現が合いそうな場所が写っている。
でも、言葉遊びもしたいところ、てんてんてんてん。
でも、言葉遊びもし、だいどころ。
三点リーダーと濁点を対応させたりもして、目に見える文だからこその内容だ。
画面を見つつ優月は思った。
続いて優月は、月乃のほうを見る。
月乃は、喋る言葉と出す文と画像で、と言いつつ笑い始め、今はもう、ひたすら笑っている。しばらく、笑いの世界から戻ってこないかもしれない。
『話を進めるために、今日は、自重するわ。言葉遊びはしないところ、よ』
キッチンも、月乃の様子に、本格的にこれはまずいと思ったようだ。
握りこぶし付きで決意しているような声で言う。
しばらくして、月乃の笑いがようやくおさまった。
謝る月乃に、キッチンも謝る。
そのあと月乃は優月たちの許可を得て、てきぱきと自分のノートパソコンをローテーブル上に出した。
「ではこちら、キッチンさんの鑑定結果についての文書です。この角度で、お二人、画面見えますか?」
月乃はそう言いながらノートパソコンを動かす。
〈私は、同じ空間というくくりに入る範囲内ならどの位置でも見えるから、優月に見やすい角度でお願いします〉
電子音とともに、タブレットの画面に文字。
このパターンが、この場に浸透しつつある。
「そうでしたね。鑑定結果にも、そうありました」
〈でももちろん、見てもいいときと物しか見ないわよ〉
「信じます。では」
月乃がずずいと、優月に見やすいようノートパソコンを更に動かす。
優月はお礼を言ってから、キッチンの鑑定結果に目を通し始めた。
〈読み終わったわー〉
「私も読みました」
「はい。では、画面失礼します。内容的に、キッチンさんとしては、いかがですか? なにか実感と違う面や初耳のことなどは」
月乃が、ノートパソコンの画面を月乃自身のほうに向け直しつつ、問う。
〈だいたい、鑑定結果と私がわかっていることは一致している感じね。私と建物の境目や、このまま人型化したときの影響がはっきりしないってところまで、一致しちゃっているわね〉
「そのあたり、キッチンさんもお悩みな感じでしたか」
〈ええ。そうなの〉
キッチンが言うには、人型になること自体は、おそらく難しくはない。
けれど、自分となっている、キッチンである部分と、建物のままである部分の境目が、しっかりとわからない。
また、自分となっている部分が人型化した際、そこと接している箇所がどう処理されるかも、わからない。
例えば、壁や天井や床とか、水道とか、ガスとか。人型化したら、そこかしこに穴が空き、水やガスが吹き出し、では大変だ。それに、キッチンの姿に戻ったとき、境目との接続はうまくいくのか。
そういった点が気がかりで、人型化に踏み切れないそうだ。
また、精神体だけの状態で人型化することは、少なくとも現段階ではキッチンには無理らしい。
キッチンは、優月にも前にそう説明してくれていた。
〈なにか別の物に移ってから人型化することは、たぶんできるのだけど……。一度移るとキッチン内には戻れないみたいで、なかなか踏み切れなくて。それこそ、いよいよ取り壊されるとなったら、別の宿り先に移るけれど〉
「あ、そこまでおわかりになっていて、しようと思えば実行も自力で可能でしたら、話はスムーズです」
月乃が早口気味に言う。
「一方通行にならないよう、物に機能付与ができるメンバーがいます。機能付与された物と本体間で、精神体の行き来が可能です」
〈あら、素敵〉
「もしまだ人型化したことがない場合、初回は、テイクが拠点としている珠水村の結界内で実行していただけるよう、お願いしたくて。あとで詳しくお話ししますが、そのことも含めいろいろな理由で、キッチンさんと優月さんに、何日か村に来ていただきたく。その際にも必要になる方法だと思い、お話ししたいと考えていました」
〈そうなのね。そのことについてもぜひ伺いたいけれど、人型化に関しての気がかりが、ほかにもあるの〉
「どういったことですか?」
〈人の姿のまますごしていくことって、できるのかしら。急に現れた存在が、人の姿ですごし始めるわけでしょう? 問題にならないのかしら〉
書類とか、届け出上のあれこれとか。
それに、人の姿ですごしていく場合、生活に関しての費用も、モノのままでいるより、かなり必要になってくるだろう。
仕事に就くことはできるのか、住む場所はあるのか。
〈普段は物の姿でいて、ごくたまーに人になるくらいがいいのかしら、とか、それならずっと物のままのほうがいいかしら、とかも考えているの〉
「ちなみにキッチンさんご自身は、問題がないなら、どの姿ですごしたいとお考えですか?」
〈人の姿ね〉
即答だった。
「わかりました。結論から申しますと、人の姿で、すごしていくことは可能です。問題にならないためのいろいろな対処は、テイクがおこないます。人の姿で生活しているモノの方も、すでに何人もいらっしゃいます」
〈あら! そうなの。心強いわ〉
「働くことや住む場所についても、具体的なお話ができますが、優月さん」
月乃の視線が優月に向けられる。
「はい!」
「優月さんの鑑定結果を、キッチンさんにも伝わる形でお話ししてかまいませんか?」
「はい。大丈夫です」
「ではどちらかというと、優月さんの鑑定結果について先にお話ししたほうが、順番的にはいいかと。そちらの内容にも関わってくる話ですので」
〈そうなのね、ではそちらを先に〉
「ありがとうございます。お二人とも、どうぞ。こちら、優月さんの鑑定結果です」
月乃がノートパソコンを動かし、優月に画面が見えるようにする。
どんな結果で、なにが書かれているのか。
いざ自分のを見る段になって、優月は思わず身構えた。
と、そこに。
『グレーの犬ー』
キッチンの声。
灰色の犬ー、灰犬ー、はいけんー、拝見ー、ということだろう。
気づいて少し、力が抜ける。
月乃の笑いのスイッチはオフのまま、優月の緊張はほぐしていくキッチンの行動。
そもそもどういう結果でも、一緒に受けとめてくれるであろう存在がいる。
そのことをあらためて意識し、優月は安心して文書に目を通し始めた。
お読みくださり、ありがとうございます。
今後もおつきあいいただけますと幸いです。
次の投稿は、6/21(金)夜~6/22(土)朝あたりを予定しております【2024年6/14(金)現在】
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【2025年3/4(火)に改稿しました。よろしくお願いいたします】
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・うちの子たちと同じ
子たち、うちの子たち→三ネコ




