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ジゴロ探偵の甘美な嘘〜短編集2 ワレスは素敵なジゴロ〜  作者: 涼森巳王(東堂薫)
第五話 ジゴロと少女
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ジゴロと少女5



 翌朝、ワレスはトリスタンに別れを告げることなく、ラ・ベル侯爵家を去った。

 これでまた一人だ。

 身軽なはずなのに、どこか憂鬱ゆううつにさいなまれる。


(いやいや。おれは元来、ガキは嫌いなんだ。いなくなったからって気にしない)


 そもそも一人になりたいから借りている部屋だ。そこに女をつれこむなんて言語道断だ。この上ない失態だった。


 もうトリスタンのことは忘れよう。

 あれ以来、誰かに見張られているようすもなかったし、ジョスリーヌとジェイムズに任せておけば問題ない。


 ワレスは自分にそう言い聞かせて、すっかりおろそかになっていたジゴロ業にいそしんだ。会っていなかった恋人たちのあいだをハシゴした。

 それでも、心のどこかが栓のぬけた噴水のように《《うつろ》》だったが。


「ワレス。今日はなんだか、ようすが変よ。酔ってるの?」

「ひさしぶりにあなたに会えたからさ。シャンタル。美しい赤毛の貴婦人。あなたの夫は愚か者だ。こんなに素晴らしい人をほっといて」


「主人は主人で愛人のところよ」

「おれにはあんな小娘より、あなたのほうが千倍も価値があるけどな」


「うまいこと言って。ほんとにズルイ人ね。あなた。ユイラじゅうにいったい何人の愛人がいるのかしら?」

「ユイラには、おれを必要とする人が多すぎる」


「ズルイとわかっているのに惹かれるわ」

「おれもあなたに惹かれた。だから、おあいこだよ」


 浮ついた言葉とくちづけを飽きるほどなげて、早朝に屋敷をぬけだす。

 そんな日々のくりかえしに、とつぜん終止符が打たれる。

 自宅の扉をあけたワレスは、思わず、買ってきたパンとチーズを床に落としてしまった。


「トリスタン……ここで何してるんだ?」

「ワレス! やっと帰ってきた。だいぶ待ったよ」

「そうじゃないだろう? おまえはジョスのところにいるはずだ」


 トリスタンは前歯の一本ぬけた口をあけて、へへへと笑う。栄養が行き渡って、永久歯が生えてくるのだ。


「だって、おれのうちはここだよ」

「さては、ジョスの屋敷をぬけだしてきたのか」


 まったく自分が命を狙われているという自覚がない。


「ダメだ。帰れ」

「ヤダ。ヤダ。ここにいさせてよ。おれ、掃除だってするし、洗濯もする。料理のしかただっておぼえるからさ」


「ダメだ。ダメだ。ダメだ。おまえがいると、おれの商売のさわりになるんだよ」

「ええ? ちゃんとおとなしく留守番してるから!」


「ジョスの屋敷で教育を受けるほうが、おまえのためなんだ」

「ヤダ。長ったらしいドレス着せられて、ああしちゃダメ。こうしちゃダメって言われてさ。おれはワレスといっしょにいたいよ。ね? いいでしょ?」


 すがりつく目をされると弱い。しばらく言いあったものの、けっきょく——


「一晩だけだぞ? きっと今ごろ、ジョスが心配してる」


 認めてしまった。


 パンとチーズの簡素な食事のあと、ワレスはベッドにあがった。早朝なので眠い。昨晩、一睡もしていないのだ。

 ワレスがよこたわると、トリスタンも布団に入ってくる。


「こら。おまえ、女なんだろ?」

「えへへ」

「えへへじゃないぞ? 女が男のベッドにかんたんに入るな」

「ワレスはただの男じゃないよ」

「じゃあなんだ?」

「お父さん!」

「…………」


 バカ。自分の親父を見て頬を染める娘があるか——と思ったが、そう言われればしかたない。


 とにかく眠くもあったので、トリスタンの頭をグリグリなでまわしたあと、落ちるように就寝する。

 トリスタンも寝ないでワレスの帰りを待っていたのだろう。スウスウと安らかな寝息を消えかける意識で聞く。


 それから、どのくらい時間がたったのだろうか?


 ワレスは自分でもなぜかわからないが、とうとつに目がさめた。

 まぶたをあけると、目の前に男が立っていた。手にナイフを持っている。暗がりのなかで顔は見えなかった。


 あわてて布団をはぎとり、男の頭にかぶせる。わめく男にベッドの上からダイブして、そのまま床に押し倒した。布団の上から何度もなぐりつける。


 男の抵抗がゆるくなったところで、ワレスはトリスタンに声をかけた。


「トリスタン! 無事か? 刺されてないか? おい、トリスタン! 返事しろ!」


 応えがない。

 もしや、すでに殺されてしまったのだろうか?


 ワレスは自分の判断の甘さを悔いた。やはり、誰でも忍びこめる部屋にトリスタンを一晩でも泊めるべきではなかった。むりやりにでも、ジョスリーヌの邸宅に帰せばよかった。


 そうしなかったのは、ワレス自身がトリスタンといたかったからだ。

 愛だの恋だの気兼ねしなくていい相手。自分になついて慕ってくれる存在。同じものを食べ、同じ寝台で安寧に眠り、ともにすごす。


 家族——


 そう。それだ。ワレスがずいぶん前になくしてしまったもの。トリスタンといると、それをとりもどしたような心地になる。

 だから、つい、その安らぎに甘えてしまった。それはトリスタンを危険にさらすことなのに。


 やっぱり、おれはトリスタンの人生にいちゃいけない人間だ。頼む。死なないでくれ。


 もう一つオマケで男をなぐったあと、ワレスは急いでベッドの上をのぞきこんだ。

 トリスタンはよこむきになったまま動かない。


「トリスタン……?」


 恐る恐る、手を伸ばす。

 頬にふれると……あたたかい。その手を少しずつ下にずらしていった。首すじに指があたる。最悪の事態を予想して、一瞬、手を離しそうになった。だが、たしかめなければ。ケガをしているとしても、急げばまだ救えるかもしれない。


「トリスタン……」


 ゆっくりと、指をあてる。

 トクン、トクン……。

 脈があった。


「トリスタン!」


 うーんとうなって、トリスタンが起きてくる。


「あれ? ワレス? どうしたの?」


 ワレスは少女の幼い体を抱きしめたまま、言葉にならない。

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