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ジゴロ探偵の甘美な嘘〜短編集2 ワレスは素敵なジゴロ〜  作者: 涼森巳王(東堂薫)
第四話 劇場の魂になるまで
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劇場の魂になるまで4



 白い人影。

 確実に誰かがいた。


 ワレスはステージにあがり、《《精霊》》が消えた舞台袖へと走った。

 カーテンのむこうは出番前の役者のひかえ室だ。誰もいない。ただ、ろうかへ通じる扉がひらいている。たったいま、そこから何者かが出ていったのだ。しかし、ろうかをのぞいたときには人影は見えなくなっていた。


 ワレスは確信した。

 魔物の正体は劇場の魂なんかじゃない。人間だ。夜な夜な、誰かがこの建物に忍びこんでいる。


 舞台に戻って調べてみたものの、何も見つからなかった。


 翌日から、ワレスは劇場に入りびたりだ。忙しく働く人々のようすをながめ、話を聞き集める。


 舞台の袖から上演中の演目を見ていると、端役の女の子たちがみんな集まり、ウットリとながめていた。


 人気女優のロレーナは新婚旅行中で、今はいない。なので、演目のなかで清楚なヒロインを演じるのはサヴリナだ。サヴリナも悪くないが、まだ歌唱力が安定していない。もともとソプラノが出にくいのだろう。高音の伸びがもう一つだ。


 今回の演目は悪魔に魂を売った悪女が夫を殺し、みずから王となり、義理の娘であるヒロインをあれこれの手で追いつめる。最終的にヒロインは自害し、なげき悲しんだ隣国の王子が悪女を滅ぼす、という筋立て。


 悪女役のマリアンヌの圧巻の演技で舞台は成り立っているものの、ヒロインは少し物足りない。もっと儚げでもいいなとワレスは思う。


 それでも、女の子たちは未来の自分がそこに立つことを夢見て舞台を見つめている。とても微笑ましい。


 ワレスは端役の少女たちにまじって、見知った顔があることに気づいた。エルザだ。母の舞台を陶酔した目でながめている。


 舞台の上ではサヴリナが倒れ、王子が泣きぬれている。


 じつは今回、王子と悪魔は一人二役だ。ヒロインの恋人と、悪女を誘惑する悪魔が同じ人物というのは、ひじょうに考え深い。母と娘で一人の男をとりあっているようにも見える演出だ。こういうところ、リュックは天才だ。


 この役も本来なら、劇場の不動の二枚め俳優グランソワーズが演じるべきだろう。しかし、ロレーナの結婚相手はグランソワーズなので、二人はともにハネムーンを存分に楽しんでいる最中だ。


 かわりにまだ少年と言ったほうがいいほどの若手、フローランが代理をつとめている。清冽な演技は王子のときには映える。が、悪魔を演じるにはダークな魅力と存在感が不足していた。


 やがてお芝居が終わり、舞台は拍手に包まれる。


 ところが、そのときだ。

 幕がおりるとほぼ同時に、裏口のほうで悲鳴が聞こえた。

 ワレスは急いでかけていく。


「どうした?」


 裏口前のろうかで人がさわいでいる。かけていくと、男が倒れていた。大道具係の一人だ。かんたんな修繕ならできるので、屋根の雨もりかしょを探していたはずだ。


 門番のマリオが若い下働きに医者を呼んでくるよう命じている。しかし、医者が来るまでもたないかもしれない。男はケイレンをくりかえし、そうとうにマズイ容体だ。


「ちょっと、どいてくれ」


 まわりをかこんでいる数人をどかせて、急ぎ、男のようすを見分する。外傷はないので、この感じなら心臓発作か、あるいは毒——


 ワレスは急いで心臓マッサージを始めた。ケイレンするので、男の上に馬乗りになる。


「手足を押さえてくれ!」


 見物人に言うと、何人かが腕を押さえた。そのとき、男の袖がめくれ、肌があらわになる。ワレスは目ざとく、それを見つけた。親指のつけねあたりが赤くはれあがっている。


(これは……)


 すると、それを見た一人が青ざめる。


「魔物だ。魔物にかまれたんだ!」


 一人がさわぐと、みんながあわてふためく。わあわあと叫んで外へとびだしていく者すらあった。


(違う。魔物なんかじゃない)


 ワレスはこの時点で魔物の正体に気づいた。男がなぜ、倒れたのかも。


「しっかり押さえていてくれ」


 残った者たちに頼むと、まずハンカチで男の手首をしばる。そのあと、短刀をとりだして、赤いはれものに刃を刺しこむ。


「あ、あんた、何してるんだ!」

「チエリをどうする気だ?」


 口々に文句を言う男たちを無視して、傷口から血をしぼりだした。口をつけて吸いだす。それは毒蛇にかまれたときの処置だ。


 しばらくすると、ケイレンがわずかにおさまった。だが、まだ予断をゆるさない。


 そこへようやく、医者がやってきた。ワレスは処方薬を伝える。医者は言われたとおり、ナイフの傷口にぬり薬をねりこみ、さらに経口薬を飲ませた。


「これで今晩を越せば回復するだろう」


 医者が告げた。

 まるでそれを嘲笑うかのように、あの《《魔物》》のうなり声が響く。

 ブブブ、ブブブブブ、と。


「やっぱり今回の公演は呪われてるんだ」

「もうダメだ。おれたち、一人ずつやられていくんだ」


 さわぐ男たちをワレスは叱咤しったする。


「落ちつけ。明日にはおれが魔物の正体をあばいてやる」


 しかし、まだわからないことがある。

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