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初恋、始めました。  作者: 三咲
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僕の小説


 僕は、束ねられた原稿用紙を一枚捲り上げる。





───彼女は言うのだ。「嬉しい」と、ただ一言。

 秋風が僕達の間を駆け抜けて、思い出を運んでいく。風に靡く彼女の髪は清流のようで、僕の心を誘った。

 彼女は、微笑んでいるような、慈しむかのような、名状し難くも愛おしい表情を僕に見せてくれる

 僕は彼女に『      』と囁いた───


───僕は彼女に囁いた───

────囁いたのだ───


 なんと、囁いた・・・?


─────────────────────────





「知るかそんなもん!!!!」


 僕は勢い良く万年筆を文机に叩きつけた。

 叩きつけた衝撃で、万年筆に含ませていた墨が勢い良く飛び散る。その墨の飛沫は、僕が今書いていた小説の原稿までもを点々と黒く汚した。


 しまった・・・


 そう思ったときには既に遅い。点々と飛び散った墨は僕が書いていた小説の原稿用紙にじんわりと滲み込んでいた。

「ああ、もう!やり直しだ!」

 僕は染みのできた原稿用紙を手酷くぐしゃぐしゃと丸める。同じように丸められた原稿用紙で、今にも溢れんばかりの屑籠へと無理矢理押し込んだ。

 書いて、失敗して、書いて、納得行かなくて、書いて、字を間違えて。

 なんども、なんども、なんども。

 そしてまた、書き直しだ。

 それでも、何度でも筆を執る。


 開け広げた縁側の掃き出しからはツクツク法師なのかヒグラシなのか。兎角、虫と思わせる何かが鳴いている。否、喚いている。

 夏の真っ盛りも終わったというにも関わらずこの日和。8月も終わったのに、処暑はどこへ行ったというのだ。

 この茹だるような暑さに、僕はほとほとうんざりとしていた。


「・・・暑い・・・。こんなんじゃ、筆も進まないな・・・」

 耳障りな、本来ならば季節外れの蝉の音。それと相まってじわじわとした気怠い暑さ。それらに耐えかねて、僕は自分に言い聞かせるかのように言い訳を呟きながら万年筆を放り出し畳に寝転がる。

 真に残念なことだが、涼し気な印象とは裏腹に、汗で湿った肌とイグサで出来た畳とでは圧倒的に相性が悪い。不快感が勝ってしまうのだ。

 寝転がった視線の先にある縁側では、陽炎までもが揺らいでいた。


 ギラギラとした日が地面を照りつけて、先述の通り陽炎揺らめくほどだ。8月も過ぎ、間もなく重陽の節句だというのに汗が吹き出るこの暑さ。

 朝夕などはなにかと肌寒くなって、どこか秋の訪れを感じさせるものの、昼の暑さはまだまだ遠慮というものを知らない。


「・・・・・・・・。」


 大の大人が昼間からなにかと文を書いて畳に寝転がり、庭の木々を見つめている。

 仕事もせずに何をしているのかとお思いであろう?これがある意味全て、僕の仕事なのだ。

 小説家にはこれくらいの小休止、いくらでも必要ではないだろうか。

「恋する男女の気持ちとか・・・書けるわけないだろ編集部の阿呆〜〜!!!」

 僕は寝転がったまま、まるで駄々っ子のように手足をバタつかせる。そして自分で書いた文章を思い返し、不甲斐なさなのか照れ臭さなのか、髪を無造作にぐしゃぐしゃと掻きむしった。


 書けないのだ。

 書けるわけがない。理解できるわけがない。

 お互いを慕う男女の気持ちとか、一人の女性を生涯かけて守る決意とか、男を想う女性の心だとか。

 そんなもの、求められても。

「・・・・僕は元々、怪談作家なのに・・・・」

 低い天井を見つめ、畳の上で大の字になりながら独りごちる。

 こんな愚痴、誰も聞いてはいない、誰も聞いてはくれないだろう。

 もう何度も、編集部には抗議したのだ。


 『自分は怪談作家だ』と。



 それでも、取り合ってもらえない。

 それどころか、代理執筆に回されないだけありがたいと思えなどと言われた。

 今の僕に、主張する権利などない。

 僕は部屋に差し込む日差しから逃げるように、両手で顔を覆った。






 事の始まりは、数年前。僕がまだ学生だった頃。


 趣味で書いていた怪談を、出版社に持ち込もうだなんて思ってしまったんだ。

 そのときはただ、自分の書いていた話がいろんな人に読んでもらえたら。そんな軽い気持ちだった。

 自分の物語がどこまで通用するのか、自分以外の人が面白いと思える文章だったのか、ただそれが知りたかっただけだった。


 それがいつの間にか編集部に持て囃されるようになり、続編をと望まれるままに書いた。いや、今思えば書かされていたのかもしれない。

 そして次第に書籍化の話が出て、あれよあれよという間に僕の本が書店に並ぶようになる。


『新進気鋭の若き作者が生み出した珠玉の作品』


 そんな仰々しい売り文句が付き、僕の名が売れ、出版社が売れ、本は次々と買われていった。


 僕の怪談は売れ行きが好調。一時、有名人となった。


 これからも怪談を書いていくことができる。

 学校を卒業して、僕は大好きな怪談を書いてこれからの生計を立てることができるんだ。

 そう、心踊らせていた時期もあった。


 しかし僕に言い渡されたのは、恋愛小説への路線変更だった。


 僕の若さに強みがある。名前が売れていて人気のある今のうちに世の女性人気を取り込んでおくべきだという、編集部の判断だった。

 恋愛小説で重版できるような人気作品ができたら、また怪談小説で本を出してあげるという無茶な交換条件。

 恐らく、僕が恋愛小説など書けないことをわかった上での交換条件。

 僕の担当が以前言っていた。

 君の本を出したのは、若い作者だったからという年齢的な付加価値だけだ。

 君の怪談がすごいとか、見込みがあるとか、そういう訳ではなかった。


 つまり、僕は使い捨て。


 新人というのは、編集部が推した分だけ爆発的な宣伝力で名が売れる。

 しかしその分、飽きられるのが早いのだ。

 人気の爆発が大きければ大きいだけ、収束は早い。

 本物の才能があれば、その燃えかすでまだ燃え続けることができる。上手く行けば、また爆発を起こすことだって容易だ。

 だが、本物の才能がなければ、爆発の火種は簡単に消え失せてしまう。

 僕は編集部に見放された、圧倒的に後者だった。


        つまり、最初から        

     僕の小説に価値など無かったのだ。



 あの時、もっと抗議していれば。      

 あの時、もっと慎重に動いていれば。    

 あの時、自分だけで楽しめればいいと思えていれば。


僕は              

      僕は

                  

                僕は


        もっと違う人生を      

      歩めたのかもしれない────








「・・・ああ・・・つい、うたた寝を・・・」

 ああでも無い、こうでも無いと考えを巡らせていたら、気付かぬ間に寝入ってしまったらしい。

 昔の、嫌な夢を見ていた気がする。

 僕が惰眠を貪っている間に日は傾き、先刻までジリジリと焦がされていた庭は嘘のように斜陽の柔らかい光に包まれていた。


 嫌な夢を忘れさせるかのように、凪いだ涼風が優しく頬を撫でる。

 幾分か大人しくなった虫の音、風に乗り遠くから聞こえてくる豆腐屋の笛、隣の晩飯の支度の匂い、そしてこの柔らかな風。

 都会の喧騒を忘れさせるこの穏やかな時間は嫌いじゃない。


僕は、つい先日この田舎へ越してきたのだ。


 元々都会住みであったのだが、恋愛小説がいつまで経っても上がらない僕に業を煮やしたのか、編集部が引っ越しを提案してきた。それがここだった。

 担当にネタ作りの為とか、環境を変えてみてはとか言われてホイホイ引っ越しを受け入れてしまったが、恐らくは缶詰代わりの左遷みたいなものだろう。

 それでもいい。

 都会で閉じこもり追い詰められるかのように書くことを強いられていた頃に比べたら、幾分か気持ちが楽だ。


 何も無い田舎町だが、しかしどうして悪い気はしない。

 暑くて、何もなくて、田舎で、路面電車も走っていないし百貨店もない。

 まだまだ我が家は勝手がわからず、余所余所しささえ感じさせる。

 だが先述の通り、この穏やかな日々が嫌いではない。

 むしろ心地いいのだ。


「あら、今年も咲いたのね!」


 穏やかな時間を貪っていた僕の耳に届いた、涼し気な鈴の音。そして弾けるような明るい声。

 少女のように無邪気で、どこか澄んだ透明感のある声。

 チリチリと鳴り、くすくすと小さく笑う声に僕は耳を澄ます。

 そのあどけない声はごく近く、未だ他人の顔をする我が家の庭からだった。

初めまして。

初投稿作品になります。よろしくお願いします。

少しでも楽しんで頂けたなら嬉しい限りです。続編は来週(10/13)辺りにでも出したいと思いますので、よろしければお待ちください。

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