その1
布団に潜り込み、目を閉じた。
―――気づくと、白人の少年になっていた。
ある日父が突然おかしくなった。
今まで、僕が産まれる前に死んだと聞かされていた祖父が、どこかで生きていると知った。祖父から、父宛てに手紙が届いたのだ。何が書いてあったのか、僕は知らない。しかし確かにそれは、祖父からだったのだ。母が郵便受けから取ってきた朝刊と共に、朝食をとる父の目の前に、黙って置いた手紙の送り主の名前を僕ははっきりと見た。父は驚いた顔をして、その手紙を握りしめて書斎へと駆け込み、しばらく出てこなかった。
やっと父が書斎から出てきたのは、その日の夜だった。その顔はまるで別人だった。何が起こったのか僕には分からない。父は涎を垂らし、目には光がなく、感情を一切失ってしまったようだった。ゆっくりとした足取りでリビングへと歩いてくると、食事をしていた愛猫を見つけて突然噛み殺した。一瞬の出来事だった。死んだ猫の前脚を掴み、まるで寝ぼけて起きてきた子どもが毛布を引きずるように、その血だらけの猫を引きずって天井を見つめていた。母は泣き叫んで、その場に座り込んでいた。しばらくすると、父は猫を引きずって書斎へと戻って行った。
僕は混乱して泣きじゃくる母を宥めて、寝室へと連れていった。寝室へ入ると僕は鍵をかけた。母はベッドに横になると、泣き疲れて寝てしまった。僕は母の寝顔を見て始めて呼吸をしたような気がした。脳に酸素が行き渡ると、父のおかしくなった様子が鮮明に目に浮かび、全身が震えた。父に何が起きたのか。きっかけはあの祖父からの手紙だ。手がかりはそれだけだった。
どのくらい時間が経ったのか分からないが、カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。身体の震えはいつの間にか止まっていた。そっと寝室の扉を開けて様子を伺うと、父は猫の脚を右手に握りしめたまま、左手で手掴みで乾いた昨夜の夕食を頬張っていた。その様子に釘付けになっていた僕の後ろに母が立っていたことに気づかなかった。母は無表情のまま、僕に黙っているようにジェスチャーをすると、リビングへと歩いていった。母は父から猫を取り上げた。父は宝物を取り上げられた子どものように発狂した。
暴れて怒り出す父を見て僕は危険を感じ、母に近づいた。母は子どもを叱りつけるような顔をして父を見つめていた。そんな母の手を握り、逃げようと促したが、母は1歩も動かなかった。父は、猫を抱く母の腕に噛み付いた。僕は父を止めようとするが、大人の力には敵わない。母の細い腕は真っ赤に染まった。抵抗する様子のない母に、さらに父は噛み付いた。愛していたはずの妻を、簡単に噛み殺してしまったのだ。父は倒れた母から猫を奪い取り、満足そうにしていた。
機嫌が良さそうな雰囲気で、父は玄関へと向かった。僕は止めることも出来ず、ただただ後ろをついて歩いた。外へ出ると、僕の目の前で起きている怪奇な出来事とは裏腹に、暖かい日差しが、街中に積もった雪を照らしてキラキラと美しく輝いていた。