参
やはり俺は夢でも見ていたのだろうか。それとも、今が夢なのだろうか。
死んだはずの由子を目にした俺は、そのまま倒れてしまったようだ。信じられない事実に頭が追い付かず、ショートしてしまったという感じだろうか。
倒れた直後に、中西の声に交じって由子の声が聞こえた。その瞬間に、「目が覚めても、由子がいますように」と願っていた。自分の心配をしなかった自分を、笑ってやりたい。
誰かが運んでくれたのか、俺が目を覚ましたのは保健室だった。
倒れた時に頭を打ったようで、後頭部がずきずきと痛む。
白いカーテンで覆われており、保健室全体の様子は分からないが、誰かがいる気配はない。保健室の先生は職員室だろうか。扉が開く音で目覚めたため、帰ってくるのはまだ時間がかかりそうだ。
――一体、何が起きているんだ?
頭を打っても現状が理解できていない。もし頭が可笑しくなっているのならば、頭を打った衝撃で元に戻らなかったのが悔しい。
死んだ人間が生きているということがあるのだろうか?
命題だ。答えはいいえ。
死んだ人間は生き返らない、それが夢でない限り。だが、昨日の事が嘘であったり夢であったりすることは絶対にない。あの苦しみ、悲しみ、そして悔やみ。俺がもう少し早く屋上へ来ていれば、数学の授業の時に居眠りをしていなければ、由子は落ちずに済んだのかもしれない。落ちる寸前に助けることが出来たはずだ。俺なら絶対に出来た。
なのに、俺は……。
心に渦巻く不穏は、夢にしては現実味のある痛みだった。時に、そんな夢を見る事はある。だが、夢と現実の区別が出来ない訳ではない。悪夢を見て目を覚ました後は、余韻の他に「夢でよかった」と安心することが出来る。
それが、今日の朝にはなかった。
朝から晩まで過ごした。由子が死んだあとは、時間を長く感じた。その全てが、夢?
ありえない。夢? あの全てが? 俺の、妄想?
信じるしかない、あの考えを。もしそうだと思うと、頭が混乱する。そして、俺は自身にこう問うた。
……今日は、何曜日だ?
正常ならば、今日は水曜日だ。
扉が開いて、先生が入ってきた。誰かと話しているようだ。どこかで聞いたことのある声は、今日の曜日を明らかにしてくれた。
月に二、三回ほど火曜日に学校へ来る、スクールカウンセラーの先生だ。
俺の気も知らないで、その先生はカーテンを開けた。
「……あら? 目を覚ましているじゃない」
「え? あら本当だ。西田くん、もう大丈夫なの?」
「……え、あ、はい」
「良かった。もう少し目を覚ますのが遅かったら、病院へ連れて行こうと思っていたところなの。特に異常がないなら、教室へ帰ってもいいよ。中西くんから聞いたけど、小倉さんを見て倒れたんだってね。病気ではないとは思っていたんだけど」
「あ……の、先生」
「ん?」
「……今日って、水曜日ですか?」
先生は眉を寄せた後、言った。
「ううん、火曜日よ」
……ああ。
どうやら俺は、信じなくてはならないようだ――今日が『昨日』であることを。
俺は今、二回目の『今日』を送っている。
一時間目が終わるまで保健室にいることにした俺は、何も考えることなくベッドで瞼を下ろしていた。今頃、体育でバドミントンをしているだろう。いつも俺とペアを組んでいる由子はどうしているのだろうか。
カーテンの向こうからは、先生たちの話し声がしている。十二月に行なわれる生徒会選挙の事やよく分からない専門用語を交えた話をしている。
生徒会選挙は、来年三年生となる二年生が立候補する。俺の学年も去年それを行った。定員に対し立候補者が溢れることが無かったため、全員それぞれの役職に就くことが出来た。高校受験に有利だが、俺は立候補しなかった。そのかわり、委員会に強制的に入ることになった。滝澤という女子生徒が委員長を務める図書委員会だ。
俺は、もうそんな時期か、と時間の経過を感じた。あれから一年にもなるのか。
とは言っても、それはまだ二か月ほど先の話であるが。月に数回しか来校しないスクールカウンセラーの先生ならば、いつの間にかその時期になっている事だろう。
一時間目終了まで、まだ三十分も残っている。眠っていたのは約四十分間というわけだ。数字にしてみると、それほど眠っていないように思える。
「はああ……」
口から出てきたのは、弱々しい溜息だった。
仕方あるまい。終わったはずの『昨日』をまた過ごしており、そして『昨日』死んだはずの由子が生きていたのだから。そういう考えがあったとしても、それをすんなりと受け入れることが出来るはずがない。
漫画や小説では、よくある話だ。
……俺の世界がそうではないのかと思ってしまった自分を貶してやりたい。
ここが漫画や小説の中であるわけがない。それならどうだ、俺はきっといつか『明日』を迎えることが出来るだろう。これが誰かの作った物語ならば、俺は目的を果たして、また由子と過ごすことが出来るのだろう。
そうだ。その通りだ。
俺が由子の死なない『今日』を作り上げることが出来れば、由子が死なない。もしかして、『今日』が繰り返すきっかけになったのは、由子が死んだから? いや、それは都合が良すぎる。もしそうなら、世の中で事故や事件に巻き込まれて死人が出たりはしない。俺だけ、となると、俺は何て都合の良い不思議な体験をしているのだろう。
ふと思う。俺は勘が良い。
すぐに今日が繰り返していると気付けたからだ。普通は夢であると思ってしまう。そして、また同じ日になったところで人は気付く。それなのに俺は二度目の『今日』を過ごしていることに気付いた。
このまま考えていけば、きっと……。
そこまで考えて、俺は思考を止めて全てリセットした。これ以上自分を褒めると、自分大好きという誤解を生みそうだ。
その行動が原因か、俺はいつの間にか眠ってしまっていた。