大切な存在
店舗配属から3日経ったが、全く以て疲れが抜けない。それは当然に地獄のような外回りに起因する。
俺は真に休みを満喫していた。特に何かをするでもなく、自堕落に布団とお友達になっていた。大学生の頃はこれが当たり前だったことを思い出して感傷に浸る。
そもそも何故人は働くのだ。憲法で規定されている勤労及び納税の義務からか。それとも愛する人を養うためだろうか。単に生きていくためか。
俺には守るものはおろか、納税の義務感なんてものはない。
ずっと寝ていたっていいじゃないか。働かなくたって死にやしない。奨学金だって返せなくなれば、返さなければ良い。信用情報に傷が付こうが知ったことか。そう思いつつも結局働いて、奨学金だってちゃんと返すのだけれども。
くだらない思考がぐるぐる、ぐるぐると頭を往復する。
今は一体何時だと思い、時計を見た。5分ほどズレた汚い時計は午前11時半を指していた。
起き上がり、携帯を取りに行く。
携帯のロックを解除すると、不在着信が3件ほど入っている。確認すると、幼なじみの千紗からであった。研修の間は気を使って連絡を寄越さなかったのであろう。
斎藤千紗は幼稚園の頃から高校までずっと一緒であったが、大学は別の所へ進学した。今は、とある会社で事務員をやっているそうだ。
大学生の頃は、俺がパチンコをやって、雀荘に入り浸ることを母親意外で口煩く言う、唯一の人間であり、なにかと世話焼きで、俺が勉強をしないと家に乗り込んできては、母親を味方によく勉強させられたことを思い出す。
ちなみに母親とも連絡先を交換しており、様々な情報は筒抜けなのだ。したがって今日が休みという情報も、まずバレているに違いない。
だが、俺は連絡を返さない。その理由は一つだ。寝たいからである。
俺の聖域である、お布団を侵す者は決して許さぬ。断固とした決意で布団に戻った。
暫くすると母親が部屋に入ってきた。
「千紗ちゃんから電話よ。あんたまたこんな昼間から布団に潜って。パチンコと麻雀意外で起きることあるんかいなホンマ。とりあえず呼んどいたから、はよ起き」
余計なことをする。
だが、どんなことをしても無駄だ。俺は出ない、そう絶対にだ。
母親の言うことも無視して、布団に居座り続けた。
暫くすると、チャイムがなり足音が2つ俺の部屋へ近づいてくる。
「ゆうくん、入るよ~」
ガラリと、扉の開く音が聞こえたが、俺は寝たフリを続ける。
「どうせ寝たフリしとるだけやから、ええよ千紗ちゃん。ひっぺがしてまい」
ちぃ、このクソババアは余計なことを言う。
「じゃあ、遠慮なく」
掛け布団を引っ張る感触がした瞬間に、俺は布団にしがみついた。
「あ、ゆうくんやっぱり起きてるやんか。往生際が悪いで」
「だまらっしゃい。誰がなんと言おうとここから出ん」
俺がそう言うと、千紗に母親も加勢して俺から唯一無二の親友を取り上げた。俺は敷き布団の上に座った。
「なんやねん休みの日におしかけてきて」
そう言っても、千紗はまるで無邪気な子供のような笑顔を崩さない。さながらイタズラ好きの悪童を連想した。
「せっかくやし遊びに行こうや。4月から1回も会ってないで」
「うるせー。俺は綺麗なお姉さんとしか遊びに行かへんわ、このチビ助」
千紗は150cmくらいで、ショートボブがよく似合う可愛らしい女性、いや女の子といった風貌だ。化粧もほどほどにナチュラルで活発な印象から、異性にはモテる方だろう。
「千紗ちゃんもこんなぐうたら野郎なんかほっといて、違う男の子と遊んで来たらええのにな。千紗ちゃんが不憫やわ」
痛い所を突いてくるもんだ。だが実際その通りなのである。何故俺みたいな自覚有りのクズを気にかけるのか、分からないのである。一度たりとも好きだなどと言われたことがなく、付き合ってもいない。
俺としては嫌いではないし好きだが、好きのベクトルがLoveではない。妹のような感覚だ。
家まで乗り込んできた以上、逃げられない。俺は観念しつ起き上がった。
千紗に促され、洗面から着替えまで急かされながらやる。
途中で煙草に火をつけようとすると、取り上げられたのは納得がいかない。
「じゃあ、お母さん。行ってきますね」
千紗に引っ張られ、家の外に出る。
何処に行こうかと尋ねると、見たい映画があるというので、梅田の映画館に行くことになった。
GW中だけあって人混みは尋常ではない。俺がパチンコ屋の看板を見ていると、千紗が膨れた気がした。
映画館に着くと、チケットを手際よく購入し、ポップコーンとドリンクを買ってやる。
映画はラブロマンスだろうか。全く興味のないジャンルである。こんなもの見るくらいなら、同時刻に上映しているサメが巨大化して暴れる映画を見たかった。そう言うと拗ねてしまうので言わないでおこう。
映画が始まって15分くらいだろうか。申し訳ないが寝てしまった。
気付いたらエンドロールだったが、千紗は号泣していた。
「やばいわこれ。化粧落ちそうや」
「せやな、よかったと思うで」
「はあ? 寝てたくせによう言うわ」
そう言うと、頭を小突かれた。反省はしていない。
普通の女性なら激怒しているんだろうかと考えていた。
映画が終わると、ショッピングモールへ入った。
女性の買い物はどうしてこうも長く且つ飽きないのだろうな。きっと脳構造からして我々男性とは違うのであろうな。まだ外回りしていた方がよっぽど時間が経つのは早く感じる。
相沢だとこの状況なら、最適なエスコートができるし、さぞや女性の扱いが上手いのだろうな。そう考えたが、そもそも相沢の場合は、その紳士的振る舞いは、本命である夜のお遊びに繋げる布石なのだろうと自己完結した。
買い物袋が終わり千紗はご満悦である。
夕食は適当に済ませようと目についた洋食店に入る。味はそれなりで、特段記憶に残るものではなかった。
もう外は暗い。ショッピングモールの展望フロアに行きたがったので連れていった。今日の千紗はいつもと違って違和感がある。言葉では表せないなにかが…
「今日は付き合ってくれてありがとね」
「おう」
俺は一言で返した。
俺たちにはしんみりした雰囲気は合わない。今までもそうで面白可笑しくやってきた。だが空気が張り詰め、いつもの調子に戻らなかった。
「なあ」
「なに?」
俺の呼び掛けに、千紗は夜景に目をやりながら応える。
「お前は楽しかったんか?」
「なんや気持ち悪いな。楽しかったよ」
「なんでお前は俺に構うんや。どうみたってダメ人間やと思うで」
千紗は応えない。暫くの沈黙の後に口を開いた。
「ゆうくん覚えてないやろけど、小学生で私がからかわれて泣いてた時に庇ってくれたときのこと」
正直言うとあまり記憶がない。
それも俺は親が離婚したため、一般的には貧乏と呼ばれる家庭で育ってきた。格安の団地に住み、服はボロボロのお下がりばかりだったため、からかわれるのは慣れていたのだ。
千紗も境遇は似たようなもので、両親が離婚し、母親と団地に住んでいた。
俺よりも辛かったのではないかと思う。男はあまり気にしないが、女は陰湿な虐めが男より目立つものである。
「私が泣いてたときに、ゆうくんが虐めてた子に向かってなんて言ったと思う?」
重ねて言うが記憶にない。
俺は首を傾げた。
「コラー! お前ら俺んちの方がもっと貧乏だぞー。お前ら千紗よりブサイクだからってイジメてんじゃねえぞ! ってボロボロの服を着たゆうくんが追い払ってくれたこと」
そんなこともあっただろうか。それにしてもそのセリフは自分でも恥ずかしく思った。
「もうそれが可笑しくってさ。俺の方が貧乏だぞって。今思い出してもシュールで…」
千紗はこちらを見て笑っていた。その光景を想像すると確かに俺も笑ってしまう。俺の方が貧乏だぞって台詞の意味のわからなさが、何とも言えない。
「その頃からなんか貧乏で新しい服がないとか、どうでもよくなってさ。あの時のゆうくんが居なかったら私学校にも来れなかったかもしれへん。ゆうくんにとっては、取り留めも無いことかもしれんけど、ホンマに嬉しかったんや」
そう話す千紗は涙ぐんでいた。気丈な強いと思っていた女の子の意外な様相に俺はたじろぎを隠せずまた、一言も話せない。
「やからゆうくんが、どんだけパチンコ好きでダメ人間でも一緒にいたい! 好きやもん」
今までなあなあにしていた部分を一気に詰められ、動揺がピークに達する。心臓の鼓動は早さを増し、視野が狭窄していく。まさに自分の身体ではないようである。俺は明らかに冷静さを欠いていた。
ああ、俺はこいつのことが昔から好きだったんだ…
自覚していたのに、それは恋愛ではないと駄々を捏ねていたのだ。それを認めてしまい、駄目な自分が千紗に拒絶され、関係を崩すのが怖かったのだ。
こうして千紗が踏み込んできて、始めて気付かされた。
「も、もう、遅いし、か、帰ろか」
動揺から咄嗟に飛び出した言葉は、なんとも間抜けな言葉だった。
それを聞いた千紗は笑いだし、俺をただ一言で、満面の笑みで罵った。
「ゆうくんのへたれ」
主要キャラクターとして位置付けていますので、1話丸々使いました。