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おクルマの営業  作者: たんぴん
11/13

未達の意味

 

 春と夏の境目に差し掛かり、暑い日や涼しい日が織りまざり、鬱陶しい時期である。

 6月も中盤を迎え、登録台数のことで営業がピリピリする時期であった。旭店は6月度店舗ノルマとしては28台を設定されていた。

 毎月佐々木係長の圧倒的な数字により、他のスタッフは助けられており、係長としては最低7台が求められる中で、毎月15台以上の登録は、もはや考えられない数字である。それも多数の登録書類を回しつつ車を売るのだから別次元の存在だ。


 だが、そんな佐々木係長も今月の登録台数は苦戦しており8台であった。それで苦戦というのは不適切だろうとは思うが。

 俺は未だに初受注を取れないでいるし、須藤さんも今月は0台。平川さんが踏ん張って10台、宮田さんは4台である。また、支店長も2台挙げたがそれは佐々木係長の数字となる予定だ。そう、現在登録見込みとしては、24台につき4台足りないのだ。


 そのせいか、今週の支店長は怒り狂っている。

 今週の土日で、在庫者且つ登録書類を迅速に用意可能な4台を売らねばならない。まさに危機的状況なのは間違いないと、俺でも感じ取れるようにはなった。

 怒りの矛先は俺にはまだ向かないが、営業の雰囲気は入社以降で最も険悪だった。


「おい須藤! なんやねん商談する相手もおらんって。お前なめとんのか?」


 巻き舌気味で他の営業にも飛び火する。


「宮田ぁ! お前もあと2台意地でも取れ。上がいつも頑張っとるんや。たまにはお前らが助けて見せろや!」


「はい!」

「わかりました…」


 宮田さんと須藤さんは対称的な返事をした。


「榊原君は皆さんの手伝いをしてください。一元客が来たら私に知らせるように。佐々木係長か平川に商談してもらいます」


 先ほどまでの怒鳴り口調ではなくなっていた。今結果を求められても俺だって困る。だが、車は売れない代わりに、車検などのその他項目で、必死に頑張っている自負はある。同期では既に5台の新車を売った人間がいるらしいが、車検のトップは俺だ。支店長もその点は非常に評価してくれていた。

 また、俺の手法を他店の同期が真似て、外回りをしているという話も谷部長から伝え聞いた。

 それでも新車が売れないのは、自動車販社の営業の本分からは逸れており、歯痒い思いも感じている。



 暫くして、支店長は谷部長からの電話を受け、更に機嫌が悪くなった。


「はい。はい。はい。必ず。はい。今4台は交渉中です。はい。必ず。失礼します」


 支店長は電話を叩きつける。営業事務の女の子がビクッと反応した。舌打ちが聞こえボソボソと、何か不満を漏らしていた。

 部長からの電話は概ね想像がつく。


「まだ? はよ売れや」


 差詰めこのような所だろうか。


 事務所内の空気は張り詰めている。土日のアポイントを得るため繰り返し電話をかける者、お客さまへの提案内容の見積りを忙しなく作る者、様々な動きをとっている。誰一人無駄口を叩く者はいない。この絶対王政の独裁空間で、反逆できる人間など、居やしないだろう。


「お先に失礼します!」


 そんな中で俺は帰る。ゆとりと言われようが、支店長が帰れと言うのだから仕方がない。


「おつかれ…」


 各々俺に構う余裕がないのか、あまり聞こえなかった。俺はあの空間から脱出出来ただけでも安堵した。


 そういえば、米田と相沢とはよく連絡をとり、互いの状況を報告し合っていた。相沢は4月に1台、5月にも1台を売ったそうだ。米田については、5月に初受注で1台を売ったようだ。二人とはライバルでありながら、友達だった。誰かが結果を出せば喜ぶし、刺激し合える良い仲間なのだ。



 ついに、土曜日を迎える。

 平日での受注は佐々木係長が挙げたものの、珍しい車体色とオプションが譲れなかったお客様だったようで、登録は7月となる車両だった。

 それについては、支店長が非常に不満気なのは印象的だ。売って怒られるとはこれ如何に…


 そうして、運命の二日の戦いの火蓋が切っておとされる。

 俺は忙しい現場の洗車を手伝い、また次々と入庫されるお客様を誘導したり、違う意味で忙しかった。


 彼方此方行ったり来たりしていたが、裏口から見慣れぬ車両が入ってきた。俺は猛ダッシュで飛び出した。


「いらっしゃいませ!」


「あの、MSMの赤色の試乗車があるって聞いたんやけど」


 一元客だ。俺はすぐさまショールームへ案内し、支店長の元へ向かう。


「あの、MSM見たいって人が来てます」


 そう言うと支店長はショールームへ飛び出して挨拶に向かった。佐々木係長が商談するよう指示を受け、早速ショールームへ向かっていった。皆が売れるよう祈ったに違いないだろう。


 すると、ものの1時間で契約内容をまとめ、在庫車を売るというオマケまでついてきた。事務所に戻ってきた佐々木係長はVサインである。


 さすが佐々木係長は違う。頼もしすぎてどう形容すべきかわからない。


 だが、その後は続かなかった。支店長が喜んだのも束の間だった。他の営業は商談がうまく纏まらない。


「奥さんに聞かないと決められないと言われました」


 須藤さんは落ち込んだ様子で支店長へ報告した。


「は?」


「すいません…」


「いやいや、すいませんちゃうわ。奥さんおらな、決まらんことぐらいわかるやろコラ! ダラダラやってんちゃうぞ!」


 凄まじい剣幕だった。反論の余地がない。

 近頃の須藤さんを見ていると辞めるんじゃないかなと、ふと感じてしまう。雀荘のバイトで、負けが込んでアウトを残して飛んだ人と重なって見えた。


 結局のところ、土曜日は佐々木係長の1台のみで幕を閉じた。

 明日売れなかったらどうなるのだろう。あれ以上怒る支店長は、どうしても想像が出来なかった。



 ―翌日―


 朝のミーティングでは、支店長は予想外に静かだった。


「えー、あと3台です。絶対に挙げましょう。以上」


 昨日とは、トーンが違うのだ。何かこう、覚悟を決めたような表情だった。


 俺はというと、相も変わらずに雑用のオンパレードである。一元客が来ても俺が担当する隙は一分も無いだろう。今は新人に経験を積ませている場合ではない。だが、無心でこなせるような、何の責任感も無い仕事は、総じてつまらないものだ。


 だが、昼過ぎのこと。風向きが少し変わる。

 定期点検で来店していたお客様が、立て続けに新車の話に乗ってきたようだ。

 どちらも佐々木係長のお客様であった。だが、佐々木係長の身体は一つ。そうすると、支店長が片方のご老人に提案をしに行く。合間合間では佐々木係長がご老人にも話を聞きに行き、ショールーム内を行ったり来たりしていた。

 同時商談とは、全く驚きの光景である。


 そして、期待を裏切らずに2台とも決める所が流石であり全社員No.1たる所以だろう。格好が良すぎる。それ以上に言いようがない。



 だが、どうしても他の営業は決まらない。端から見ている俺も歯痒い気分を味わう。支店長の歯軋りが、こちらまで聞こえて来るようだ。


 そして午後6時。絶望的であった。

 もはや商談する相手もおらず、佐々木係長も、もはやこれまでといった表情が窺えた。

 谷部長にはなんと報告するのだろうか。出来ませんでしたで済むとは到底思えないのである。


 すると、支店長と佐々木係長は徐に見積りを作り出し、印刷し始めた。

 そして、どこかに電話をし始める。


「春日井です。お疲れ様です。あ、はい。ギリギリでしたが売れました。はい。車種はMS6です。ザックリ言うと、はい。佐々木係長です。はい。了解しました、失礼します」


 俺はここでノルマ未達の真の意味を知ってしまったのかもしれない。

 売れてはいない車を売ったと報告している。事務所の悲壮感からは、その一見理解不能な行為が何を意味するのか。俺のような馬鹿でも推測は容易かった。


 推測できることは、一度誰かの名義で登録し、それをすぐさま売却して差額は営業が払うのだろう。中古車サイトには不自然に少ない走行距離の新古車を頻繁に見かける。そのなかにはこのようなケースもあるのだろうかと、自分なりに察した。


 旭店はさながら地獄のような様相を呈している。


 俺は定時まで残り5分の時計をチラッと見て、いつものように帰る準備を進める気にはなれなかった。



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