4. Aside
「アコ!ちゃんと挨拶して!」
パパの言葉で我に返る。
「あ、えっと・・・。」
どんな態度で接したらいいのか分からずに口ごもっていると、悪魔が自己紹介を始めた。
「タチバナ マサヨシです。これからお世話になります。」
それは今までの偉そうな態度とは違って、とても感じの良い紳士的な振る舞いだった。
目の前にいるのがあの悪魔なのか、それとも、とてもよく似た普通の人間なのか…。
「どうも・・・。」
やっとの思いで返事をする。
気まずい空気が流れたが、それはすぐに電話の音でかき消された。
ママがパパを呼び出す。
「ちょっと待っててもらえますか?」
そう言って、パパはママの呼ぶ方へと向かった。
パパがいなくなると悪魔は見慣れた表情に戻る。
悪魔と私は言葉を交わさずに、表情だけでやり取りをした。
私は、なんでアンタがここにいるの!?といった表情で睨みつけた。
悪魔は偉そうに私を見下ろしてくすりと笑う。
しばらくするとパパが戻ってきて、持っていた書類とアパートの鍵を私に押し付けた。
「ごめん、アコ、急患だ。あとは部屋に案内するだけだから!」
パパは私にそう言うと悪魔に「あとはうちの娘が・・・」と軽く説明した。
二人は慌てて家を飛び出した。
バタバタとふたりがいなくなった我が家には、私と悪魔だけが残されていた。
私のパパは、産婦人科の先生だ。
アパート経営はもともとおばあちゃんがやっていたが、おばあちゃんが他界したためパパの弟が管理するようになった。
でも、その弟が自由奔放な性格なので、引っ越しシーズンが終わると海外旅行へ頻繁に出かけてしまう。
なので、パパの弟がいないときの対応はうちのパパやママが代理で対応してるのだ。
私も小さな頃から色々な仕事を任されていた。
と言っても、まだ子供だった私に出来ることは部屋の掃除や修理箇所の捜索くらい。
中学生の頃はおばあちゃんと一緒に契約が完了した人を部屋まで案内することもあった。
その頃おばあちゃんは、私に経営を継がせたいと思っていたらしい。
でも遺言にはパパの弟に任せるとあったので、私はちょっとだけ裏切られた気持ちになったのを覚えている。
私はパパから強引に渡された書類を確認する。
そこには、悪魔の名前や生年月日などが書かれていた。
「橘・・・正義・・・せいぎ!?」
悪魔には不似合いな文字を見て声が裏返る。
「タチバナ マサヨシ。この身体の持ち主の名前だ。」
そう言うと、悪魔は玄関へと向かう。
「それって、人間の命を奪ってアンタがここにいるってこと!?」
私は悪魔の背中に向かって怒鳴った。
いくら悪魔でも、そんなことをするなんて酷過ぎる。
関係ない人の命を奪うなんて!
「その男は寿命で死んだんだ。俺がわざわざ下等な人間の命を奪ったりはしない。」
悪魔は私に背中を向けたまま言った。
それを聞いて私は「じゃあ、なんで私の命を奪うのか」と言おうとした。
すると、「お前は自らの意志で死んだんだ、俺はそれを回収するだけだ。」と、悪魔は強い口調で言った。
一瞬、心を読まれた気がして、自分の胸に手を当てる。
「私、自殺なんてしてませんから!」
ちょっと弱気で答える。
もし心の中を読める能力があるのなら、自殺していないのは分かるはずなのに…。
そんな私の様子を見て、悪魔が鼻で笑う。
「お前、分かりやすいな。」
馬鹿にされているようでイラっとしたけど、悪魔には心を読む力はないと分かり安心した。
安心すると同時に胸に当てていた手を下ろす。
すると、悪魔はまた鼻で笑った。
「心を読まれるとでも思ったか?それも、お前のその手でふせげるとでも?」
悪魔はこらえ切れずに笑い声を上げた。
悪魔の高笑いが玄関に響いた。
玄関を出てすぐにアパートが見える。
悪魔はその2階、201号室へとやってきた。
確かここに住んでいた人は今年の春からこっちに就職したばかりで、仕事もうまくいっているように見えていた。
いつの間にこの部屋を出ていたのだろう。
もしかして?と思って悪魔のほうを見た。
悪魔もこちらを見て「さぁね」といった風に、とぼけた顔でにやりと笑った。
その様子を見て、これは間違いなく悪魔の仕業だろうと私は確信した。
鍵を開けて、室内の様子をふたりで確認する。
このアパートの中で、私は一番この部屋が好きだった。
日当たりもよく、ベランダからはちょこっとだけど、海が見える。
私が小学生のときにこの部屋に住んでいた人は、よくベランダでタバコを吸っていて、そこから海を眺めていた。
久しぶりに入ったその部屋からは、以前のように海が見えていた。
懐かしい気持ちで外を眺めていると、悪魔が言った。
「いつまでここにいるんだ?」
振り返ると、悪魔は服を脱ぐフリをしてこちらを見ていた。
私は慌てて悪魔のいる部屋から飛び出すと背後から悪魔の笑い声が聞こえてきた。
なんだか負けた気持ちで悔しくなる。
自分の部屋に戻ると、自分がまだパジャマ姿だったことに気付く。
二度寝しようと思っていたけど、完全に目が覚めてしまった。
そういえば、退院してからバイト先に連絡をしていない。
もちろん、私が入院している間にママが状況説明をしてくれているけど…。
服を選びながら、今日はバイト先に行って挨拶をしようと思いつく。
その途中にリコの働くケーキ屋さんがあるので、そこで差し入れを買おう。
リコに余裕があったら、瞬くんのことを相談して、今日もまたうちで一緒にごはんを食べよう。
どうせパパもママもあの様子だと帰りは遅い。
「ピザでも頼もうかな~」
そんなことを考えながら鼻歌まじりに準備を始めた。
家を出るとき、ちらっと悪魔の住む部屋を見る。
天気が良いのにカーテンは閉めたまま。
せっかくの日当り良好物件が台無しだ。
そんなことを思いながら私の足はバイト先へと向かった。
バイト先はチェーン展開をしてるファミリーレストランで、家からは歩いて20分くらいの場所にある。
夏休みのおかげで、私が入院してる間もうまく人手を確保できていたみたいだ、とママから知らされた時はほっとした。
リコの働いているケーキ屋さんは、そのレストランから5分くらい離れた場所にあった。
ケーキ屋さんに近付くと、リコが店先でポップを貼っているのが見えた。
リコも私の姿に気付いて手を振っている。
「あれ?もうバイト出るの?」
「ううん、まだ。これからあいさつに行こうかと思って。」
ポップを貼り終えたリコと店内に入る。
「こんにちわ、アコちゃん。もう大丈夫なの?」
声をかけてくれたのはこのケーキ屋の店長さんで、桐島 豊さん。
リコの恋人だ。
「はい!もう元気です。っていうか、もともと元気です!」
私は胸を張って答える。
実際、事故には遭ったがこれといってどこにも異常はないし怪我もかすり傷程度だった。
「ホント、元気そうで良かったよ。」
豊さんは笑顔でそう言うと「はい、どうぞ」と、試食用のケーキをくれた。
「ありがとうございます。これ、新作ですか?」
受け取るとすぐにケーキを口の中へ運んだ。
ここのケーキは私の大好物で、誕生日やクリスマスなどのイベントには欠かせないものだった。
「いや、新作ではないんだけどね。今までのチーズケーキをちょっと変えてみたんだ。」
「あ、カラメルソース?」
私は食べながら答えた。
「そうそう。今までのチーズケーキにカラメル乗っけただけ!秋に向けて、なんとなくね。」
豊さんは「ちょっと遊び心で」と付け足して笑う。
リコも隣で笑う。
その様子を見て私は、きっと言い出したのはリコなんだろうと思った。
「これからバイト?」
豊さんがちょっと心配そうに言う。
「いいえ、バイト先のみんなに迷惑かけたから・・・。ちょっとご機嫌取りにケーキでもと思って!」
みんなで一斉に笑う。
私は、チーズケーキとチョコレートケーキのプチサイズを5個ずつ買って行くことにした。
ケーキを手にして、リコに今晩ピザパーティーをしようと提案する。
豊さんが「行っておいで」と優しく言ってくれたおかげで、リコは早上がりして我が家に来ることになった。
「また後でね!」
そう言うと、手を振ってお店を出る。
私は自然と鼻歌を歌っていた。
機嫌がいいと無意識に歌ってしまう。
ママもいいことがあると鼻歌を歌う癖があるので、ママ譲りの癖なんだろうと思った。
信号待ちをしていると、すぐ後ろで声がした。
「おい。」
振り向くと、そこには悪魔が不機嫌そうに私を見下ろしている。
今まで機嫌の良かった私も、その姿を見て一気に嫌な気持ちになった。
「なによ。ストーカー?」
私は悪魔の顔を見ないで言った。
悪魔は少し黙ってから鼻で笑うと、「お前には興味がない。」と憎たらしく言った。
いちいち腹が立つ言い方だ。
「さっきの男はなんだ?」
今までの雰囲気とは違う様子で悪魔が質問した。
何のことだろうと一瞬思ったが、すぐにそれが豊さんのことだと気付く。
「ああ、豊さんのこと?」
「豊?・・・あいつは何者だ?」
お互いに目を合わす事もなく会話が続く。
というより、なんとなく悪魔の方を見るのが怖かった。
「え・・・?」
悪魔の質問はちゃんと聞こえていたが、聞こえなかったフリをした。
信号が青に変わったので、私は答えることなく歩き出す。
と、悪魔が力強く私の腕を掴んで引き止めた。
「あの男はリコにとってどんな存在なのだ!?」
今までの冷静な態度とは違う。私は思わず悪魔の顔を見てしまった。
怒りに満ちた瞳が、まっすぐ私を見つめている。
私は恐怖に襲われながら小さく答えた。
「・・・リコの、彼氏。」
そう言って悪魔から視線を逸らす。
私の腕を握る力が強くなったのを感じた。それでも、痛いとは口に出せなかった。
青信号が点滅して、赤信号へと変わる。
何度か、信号が赤から青へ、また、青から赤へと変わるのを感じた。
どのくらいの時間が過ぎたのかは分からない。
色んなことを考えて、何か言わなければと思った瞬間、ふと腕にあった悪魔の感触が消えた。
恐る恐る悪魔がいた方へと視線を向ける。
そこには誰もいない。
辺りをきょろきょろと見回す。
それでも悪魔の姿はどこにも見当たらなかった。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、胸が痛んだ。
悪魔がリコを気に入ったと言ったときに「リコには恋人がいる」と答えていたら…。
いや、あんな話、誰が信じた!?勝手に話を進めて、勝手にこっちに来たんだから私には関係ない!
……そう思うようにしたけど、悪魔の瞳を思い出すと自分を責めずにはいられなかった。