1. Dside
また人間がやってきた。
どうして人間ってやつは自分で命を捨てるのか?
俺には理解できない。
まぁ、理解したいとも思わないが。
こうやって人間がこっちにやってくるたびに面倒な気分になる。
自分の仕事ってやつも、どうも好きになれない。
人間の恨みや憎しみを喰らいながら生きていくなんて、面白くもなんともないのだ。
自分の姿を保つために仕方なくやっているだけのこと。
もちろん、この仕事を愉しんでる奴もいる。
中には人間そのものに興味を持つ奴までいた。
まあ、そんな奴らのことなんてどうでもいいことなのだが。
俺にとって人間の命に価値があるとは思えない。
自殺するような人間の過去にだって興味はない。
今までだって、色んなクズを見てきたが、こっちにやってくる奴らはみんな同じだ。
自分は頑張ってると勘違いしている。
『頑張っていたのに認めてもらえなかった。』
『自分が可哀想だった。』
『生きていても死んだような気分だった。』
みんな意味の分からないことを言う。
ここへ来て“やっと幸せになれた”と言い出す奴までいる。
馬鹿な人間共。
俺から見たら人間なんて、そこら辺で捨てられている紙クズのような存在なのだ。
俺の仕事はそんなゴミ回収に過ぎない。
やってきた人間を迎えに行く途中、馬鹿馬鹿しくてつい笑ってしまう。
人間を見下した俺の笑みを見て、ここへきた奴らは皆同じ事を言う。
その言葉を聞くのが唯一の楽しみだった。
俺はつい先ほどこの世界にやってきた馬鹿な人間の元へと近寄っていた。
その行動すら面倒ではあった。
なぜ俺様がクズの元へと行かなければならないのだ?
自らここへ来たのなら、奴らの方から俺の足元へやってくるのが道理ではないのか?
ダラダラと人間の方へと向かいながら、今度はどんな奴が来たのかと想像を膨らます。
光加減を見ると若い人間であることは分かるが……
俺は人間の姿を見たことがない。
俺の眼に映る奴らはただの光の塊だ。
ここへきた人間共はこちらの世界の姿となる。
くすんだ光を放つ、ゴミだ。
年齢は遠くからでも感じ取ることが出来た。
若い人間の光は強く、年老いた者の光は微かなものなのだ。
ぼやっと人間の形に光るその塊の上部には、なんとなくそいつの表情が見て取れる。
光の主は女のようだった。
最近は歳を取った男が常連だったので、今日は久しぶりに特別な笑顔を作ってやることにした。
人間の女は俺の笑顔を見ると若返るのだ。
俺には詳しい理由は分からないが、そいつの人生の中で一番幸せだった年齢に戻るらしい。
だから、俺は男よりも女のほうが“回収”するのが愉しかった。
そいつの人生ってやつが一瞬で見えるからだ。
どいつもたいした命でもないくせに、どうだ、と言わんばかりに若返って光を強くする。
くすんだ光を一生懸命燃やしているのがバカバカしくて笑えるのだ。
本当にくだらない種族だ。
こいつは俺の美しさに腰でも抜かしているのだろうか?
倒れこんでいる女に手を差し出してやった。
いちいち面倒な存在だ。
死んでも尚、迷惑なゴミ。
女は俺の手を掴むとこう言った。
『あなたは天使?』
――――そう、俺はこの言葉を聞くのが唯一の楽しみなのだ。
人間共は皆、悪魔である俺様の美しい姿を見て眩しそうに『天使』と間違える。
俺は予想通りの言葉を聞くと、可笑しくて更に笑みが浮かんだ。
さぁ、この女はどんな姿へと変わる?
こいつの中で一番輝いていたと“思い込んでいる”姿はどうだ?
今でも十分若く感じるが……生まれて間もない姿にでも変わるのか?
じっとその女の顔の辺りを見つめる。
だが、その女の姿は変わる様子がなかった。
姿が変わらないのと同時に、不思議な表情がうっすらと見て取れた。
今までは、やっと死ねたと歓喜する人間共しか見たことがない。
何がそんなに楽しいのかと思うほどの笑顔の人間ばかり見てきたのだ。
それなのにこの女は不満げな表情をしている。
『私、本当に死んじゃったの・・・?』
女がつぶやいた。
・・・・・?
俺は耳を疑った。
今の言葉はこの女が発したのか?
それとも聞き間違いか?
『私、やりたいことがいっぱいあるのに!!』
女は突然怒り出した。
今までにない反応に混乱する。
しかし女は俺の動揺をよそにべらべらとしゃべり続けた。
『何で私は死んだの!?何で私なの!!!?まだ死にたくなんかないのに!!!!!』
死にたくないと言ったように思えたが……こいつは自ら命を絶ったのではないのか?
俺が夢中になって考えを巡らせていると、女は急に黙り込み俺の手を振り放った。
!?
なんということだ!
今までにない出来事だ!!
ここで俺の傍にいて幸せだという人間はいても、俺の傍から離れていく奴はいなかった。
何が起きたのか整理してみる。
冷静さを失いかけている自分に気付く。
こんなに取り乱すなんて、俺様らしくない。
何が原因かは解らないが、納得できない気持ちが膨らむ。
心の奥底からモヤモヤした塊が大きくなって自分を包むのを感じた。
妙な敗北感。
必死でこの女に出会ってからのことを思い返す。
この女の行動、発した言葉、そのひとつひとつを思い返した。
俺はその中で疑問の種が見つかると、冷静になるように一呼吸置いた。
下等な人間に対して感情的になるのは俺のプライドが許さない。
『・・・自ら命を絶ったのではないのか?』
今までの人間との違いはそこだ。
この女は自分が死んだことに疑問を抱えていた。
ここへ来る人間は、必ず誰かに憎悪を抱いて死んだ者だ。
どんな死に方にしろ、自ら命を絶った者だけがここへとやってくるのだ。
にもかかわらず、この女は自分の死に疑問を抱いている。自殺したのではないのか?
それに……この女から憎しみをまるで感じない。
何故だ?
何故俺はこんな女を迎えに来ているんだ?
何かの手違いか?それならばどんな手違いなのだろうか。
俺が他のテリトリーに来てしまったのか?
まさか!俺がそんなミスをするはずはない。
色々な可能性を巡らせるが、答えが出てこない。
女は驚いた様子のままだ。
さっきよりも少し離れた場所で俺の様子を窺っている。
普段なら笑顔のひとつでもくれてやるのだが、今の俺にはそんな余裕はない。
だが無言のままなのも癪に障る。
やっとの思いで女に質問をした。
『お前は自ら命を絶った者ではないのか?』
!!
らしくない!さっきと同じ質問をしているではないか!
体の芯が熱くなるのを感じる。
悔しさと怒り、それに・・・・・
この感情は感じたことのないものだ。
『え・・・?』
女は不機嫌そうな顔をする。
というより、俺の言葉の意味が分かっていない様子だった。
「お前は自殺をしてここへ来たのだろう?誰かを恨み憎しみ、ここへやって来たのだろ?」
頭の悪い女のために、ゆっくりと質問した。
きっと今まで出会った人間の中で、一番馬鹿な頭の持ち主なのだろう。
『自殺!?私が!??なんで!!』
女は強気で言い返してきた。
―――――――!?
この女は自殺ではない!!?
理解できない。理解できない。理解できない。
俺としたことが、この状況が全く理解できない。
こんなことでは・・・!!
俺が混乱していると、頭の中で声がした。
父上だ。
―――――この女の回収は中断する。
この女には憎悪の感情が見当たらない。
だが、ここへ来たからには必ずその感情が生まれたはずだ。
お前はその感情を引き出し、この女の命を貰い受けねばならぬ。
お前が接触した人間の命は、必ずお前が担当しばければならない。
そこに我々が手出しは出来ない。
お前は、その女の命と共に人間の世界へと行き、その女の記憶を取り戻せ。
それがお前の仕事だ―――――
そこで父上の声が消えた。
チッ!
こんな屈辱は初めてだ。
今まで何の問題もなくこなせていたのに、こんな女のせいで!
今この場で記憶が取り戻せたら手っ取り早い。そんな気持ちが俺を焦らせる。
俺様がクズ共の住む世界へ行かなければならないなんて!
―――だが、父上のお言葉には逆らえぬ。
「・・・・・・・お前は自殺をしたのではないのだな?」
逆らえぬが、納得は出来ない。
ここへ来たのなら、必ず…必ずこいつは自殺をしたのだから。
『そうよ!』
女は偉そうに言い放った。
気に入らない。が、苛立ちを抑え込む。
『誰かを恨んでも憎んでもいない・・・・・?』
諦めきれずに俺らしくない、女々しい質問をしてしまった。
『当たり前じゃない!!』
女は俺の質問を聞き終えると同時にすごい勢いで答えた。
この女、段々と強気になってくる。
腹立たしいにも程がある。
下等な人間のくせに。
「生きていたいと強く思っている・・・・・・?」
俺はなぜこんなバカバカしい質問をしているのだろう。
軽く笑いが出そうになった。
女の声が震え、瞳に涙を浮かべているのが感じ取れた。
『生きたい!死ぬなんてイヤ!!』
じゃあなぜここへ来たのだ?と、声にする気力もなくなっていた。
そもそも、それを聞いたところでこいつには何も期待できない。
俺が途方に暮れていると、女は大粒の涙を流し始めた。
……本当にくだらない。
人間の存在も、この女自身も、こいつの涙も。
意味のない、空っぽの塊だ。
俺は思わずため息をついた。
自分でも意外だった。
この俺がため息をつくなんて…。
「・・・・ダメだ。今のお前には用はない。」
記憶を持たない人間になんて用がないのだ。
記憶さえ戻れば、こいつの命と、こいつの中にある憎悪を奪うことが出来るが…。
女は俺の言葉の意味が分からず不思議そうな顔をしている。
見れば見るほど腹が立つ女だ。
「ここへ来る人間は必ず、誰かを憎み、恨み、苦しんで自殺をした人間のはずだ。」
絶対にこの女の記憶を喰らってやる。
その日が来るのはそう遠くないだろう、俺様が引き受けた仕事だ。
「お前には記憶がないだけで、必ず誰かを憎んでいるはずだ。」
―――そもそも、ここへ来るのはそういう輩だからな。
『私は誰も憎んでなんかいない!!!』
女は尚も反論を続けた。
「いや、お前はその記憶が無いだけだ。瞳の奥底には人を憎んだ色が微かに残っている。」
俺は女の瞳をじっと見つめながら言う。
そう、微かに見覚えのある色がちらついているのだ。
「もし、お前がその記憶を戻したら、そのときはお前の記憶と……命を奪う。」
この女の本当の最期を想像する。
『いいわ!!!』
怒鳴りながら、続ける。
『だって私、絶対に自殺なんてしてないもの。そんな記憶もないから、あなたには悪いけど 記憶も命も奪えないわ!!』
女から涙の気配が消えていた。
人間のくせに生意気だ。
なんでこんな面倒な女の相手をすることになったのか…。
今まで出会った女共が恋しく思えた。
『天使のくせにずいぶんと酷いものを欲しがるのね!!!人の憎しみや恨みを欲しい!?何それ!』
女は敵意むき出しで言った。
その姿が余りにも滑稽で、こらえ切れずに笑ってしまった。
俺はとびきりの笑顔を女に向けながら言った。
「わたしは天使ではないぞ。人の命を喰らう悪魔だ。」
俺が悪魔だと知った女は、目を丸くして驚いていた。