1. Aside
「わっ!!?」
何かが私を強い力で押し倒した。
「いたたたた・・・」
倒れ込んだ私は、自分の身に何が起きたのか分からず、辺りを見渡した。
そこは真っ白で何もない空間だった。
白銀に光り輝く世界。
まるで暖かい雪に包まれているような、心地よくてうっとりする世界。
「・・・・・?」
さっきまで暗い夜道を歩いていた記憶がチラリと脳裏に浮かぶ。
不思議な気持ちで周りを見渡すと、一人の女性が近づいてくるのが見えた。
瞬時に、自分が天国にいるのだと気付く。
「あぁ、私死んじゃったんだ・・・」
天使のような姿の女性が手を伸ばす。
私はその白くて長い指をつかみ、我が身を委ねた。
「私は死んだの?あなたは天使?」
目の前の女性が私の言葉を聞いてニコリと笑った。
なんて輝かしい笑顔なんだろう。
やっぱりこの人は天使なんだ。そして、私は死んだんだ・・・・。
段々と生きていたときの記憶が浮かんでくる。
私、瞬くんと会う約束をしたんだ。
ずっと好きだった彼に今から会おうって言われて、嬉しくて幸せな気持ちだったのに!
瞬くんのいるカラオケ店へ向かう途中、何かが私を押し倒し、この世界へと連れてきた。
「私、本当に死んじゃったの・・・?」
独り言のようにつぶやく。
もしかしたらこれは夢なんじゃないかと思った。
「私、やりたいことがいっぱいあるのに!!」
天使はただ黙って歩いている。
「何で私は死んだの!?何で私なの!!!?まだ死にたくなんかないのに!!!!!」
さっきまで幸せな気持ちで生きていたのに、こんなことって・・・。
私は握っていた天使の手を振りほどいて立ち止まった。
天使は驚いた顔をして言った。
「・・・自ら命を絶ったのではないのか?」
「!?」
ビックリして目の前にいる美しい天使を見つめた。
見れば見るほど、その姿はとても美しい。
肌の色は白く透き通り、髪の色も金というよりも銀色に近い。
瞳の色も、まつ毛の長さも、鼻も唇も、全てが完璧な女性だ。
ただ、その美しい唇から発せられた声は、女性にしては低く太く感じた。
私は少し彼女と距離を取った。
目の前の“女性の姿をした”美しい天使をまじまじと見つめる。
やっぱり、今まで出会った女性の中で誰よりも美しいと感じる。
指先は、細くて長く女性であってもおかしくはない。
が、よく見るとガッチリした肩と腕。それに薄っぺらい胸。
女性として見ると、なんとなく違和感がある。
「お前は自ら命を絶った者ではないのか?」
さっきよりも強い口調で繰り返す。
その声を聞いて、この天使は女性ではないと確信した。
と、同時に天使の発した言葉に集中した。
「え・・・?」
・・・・・自ら命を絶った?
きょとんとしていると、目の前の天使が話を続けた。
「お前は自殺をしてここへ来たのだろう?誰かを恨み憎しみ、ここへやって来たのだろう?」
私は『自殺』という言葉に驚いて反論した。
「自殺!?私が!??なんで!!」
さっきまで大好きな人に会えると幸せな気持ちでいたのに、なんで自殺なんてしなきゃならないの!
意味が分からなくて必死に気持ちを伝えた。
今とても幸せで、これからもっと幸せになるかもしれないと希望をもっていたこと。
自分から死のうなんて思ったことないし、誰かを恨んだり憎んだりもしていないこと。
今ココで死ぬなんてありえない!!
強く念じるように天使を見つめる。
真っ直ぐ瞳を見つめると、吸い込まれてしまいそうな感覚になった。
どう見ても男性とは思えない。
もしかしたら、天使には性別ってものがないのかもしれない。
天使も私の瞳をじっと見つめ返している。
なんだか恥ずかしい気持ちになった。
私のすべてを見透かさせているような不思議な感覚。
ウソはついていないけど、なんとなく後ろめたい気持ちになった。
このまま見つめ合っていると自分の意志とは違った言葉が出てきてしまうのでは?
視線を逸らそうとした瞬間、天使が瞳を閉じた。
そしてゆっくりと唇を動かした。
「・・・・・・・お前は自殺をしたのではないのだな?」
一瞬、何の話か戸惑いつつ私は強い口調で答えた。
「そうよ!」
表情を変えることなく天使が続けた。
「誰かを恨んでも憎んでもいない・・・・・?」
「当たり前じゃない!!」
今度は戸惑うこともなく即答した。
「生きていたいと強く思っている・・・・・・?」
『生きたい』という言葉を聞いたら瞳がカッと熱くなった。
「生きたい!死ぬなんてイヤ!!」
ボロボロと涙を流しながら天使を睨みつける。
泣きじゃくる私を見ると、天使がため息をついて言った。
「・・・・ダメだ。今のお前には用はない。」
「・・・?」
「ここへ来る人間は必ず、誰かを憎み、恨み、苦しんで自殺をした人間のはずだ。」
天使は楽しい記憶を思い返すようにうっとりとした顔つきで言った。
そして、続ける。
「お前には記憶がないだけで、必ず誰かを憎んでいるはずだ。」
「私は誰も憎んでなんかいない!!!」
天使の勝手に決めつけたセリフに反論する。
心の中を洗いざらい曝け出すことが出来たらどんなに楽だろうか…。
「いや、お前はその記憶が無いだけだ。瞳の奥底には人を憎んだ色が微かに残っている。」
「人を憎んだ色?」
私の質問を無視して天使は続けた。
「もし、お前がその記憶を戻したら、そのときはお前の記憶と……命を奪う。」
天使はまるでカードゲームを楽しんでいるようだった。
「いいわ!!!」
私は怒鳴るように言った。
「だって私、絶対に自殺なんてしてないもの!そんな記憶もないから、あなたには悪いけど 記憶も命も奪えないわ!!」
私には絶対の自信があった。
今まで辛いことや悲しいこと、色んなことがあったけど一度も死のうなんて思ったことはなかった。
どんなに辛くても悲しくても乗り越えてこれた。
もちろんそれは自分ひとりで乗り越えたのではない。
家族や友達に支えられてきたから…。
私には自分を支えてくれる人たちがいるんだもの!!
そんな私が自殺をするなんて考えられない!
きっと何かの間違いで、誰かと入れ替わりかなんかでここへ来ちゃったんだ。
そんな手違いをした天使に対して段々と腹が立ってきた。
「天使のくせにずいぶんと酷いものを欲しがるのね!!!人の憎しみや恨みを欲しい!?何それ!」
天使はそれを聞くと、微笑みながら私の身長に合わせてかがみ、顔を近付けた。
男性だと気付いたからか、距離の近い天使にドキっとした。
天使はこれまでで一番の笑みを浮かべ、とても優しい口調で言った。
「俺は天使ではないぞ。人の命を喰らう悪魔だ。」
ーーーどうやら私は、悪魔と契約を交わしたようだ。