1.八歳:一人になる(前)
完結までは感想閉じます。
年齢差が27歳なので、苦手な方はお気を付けください。
週一回くらいの更新になるかと思います。
マリオン・ダーシャルは八歳の時に家族を失った。
「ねえマリオン。こうみえても私ね、学校では成績優秀だったのよ」
ライジンク国においては貴族も平民も同じ学校に通ことが通例だ。『貴族という立場に甘えず己自身を常に見直し、国と民に認められる職に就くべく学習せよ』がライジンク国貴族子息子女に課せられた学習目的である。孤児であったが、マリオンの母親は奨学生としてその学校に通ったと話す。
「そこでね、彼に出会ったの」
常に明るい母親エイダが、殊更表情を輝かせて話すその姿がマリオンは好きだった。
「とても綺麗な先輩でね。光に輝く髪も瞳も素敵でね、なんと名門貴族の御子息様だったのよ」
エイダに幾度となく聞かされた母の大好きだった人。その話をするときのエイダは学生時代の少女に戻り、とても幸せそうだった。
「ミゲルというお名前なのだけれど、その人には立場も見た目にもお似合いな綺麗な婚約者がいたのよねぇ。卒業してから私は仕事に就いて、あなたのお父さんに出会って恋をして。家族になってあなたが生まれて。私は幸せよ」
そうは言ってはいたが、エイダが愛した夫はマリオンが生まれて一年もたたない頃に事故で亡くなっており、辛いことも多々あったに違いない。けれど、エイダはマリオンの前では全てを笑顔で隠していた。
父のことは全く知らないマリオンは、物心ついた時からエイダとの二人での生活が当たり前だったからエイダほど父を恋しいと思ったことはない。
共に笑い、泣き、支え合っていた、大好きな母。
そのエイダが父と同じように事故で亡くなった。
父の親戚とは疎遠だったことから、マリオンは一人となってしまった。寂しく悲しくても支えてくれる人はなく、誰の温もりも得られず、同情だけ向けられてただ過ぎていくだけの時間。
花で飾られた墓の前でひざまずきエイダに祈りを捧げていたマリオンは、八歳という年齢でこの先一人で生きていかなければならないという事実と向き合い、同時に未来への不安に包まれていた。三日後までに家賃の支払いをしなければ母と過ごしていた家を出ていかねばならず、けれどわずか八歳という年齢では家賃分を稼ぐことなどできるはずもない。
近所の人は親切心から評判の良い孤児院や修道院を紹介してくれたが、どちらも母や父の眠るこの場所からは遠い場所だった。結局は道賃も移動手段もないので、推薦された場所へ行くことは諦めて、この墓場に縁ある孤児院に行くことにマリオンは決め、今日はその報告をしにここへ来たのだった。
それでも母を失った寂しさでいっぱいになり、涙が零れ落ちた時。
「君がマリオンだね」
足音に気付かず、しかも聞いたことのない声で名を呼ばれたことに驚いて身体を震わせた。けれどその声は優しくて温かくて心地が良くて、何よりもマリオンの心に響いた。涙も拭かずに顔を上げてみれば、
『とても綺麗な先輩でね。光に輝く髪も瞳も素敵でね』
ふと、大好きだった母親がいつも語っていた台詞が思い出された。
―――この人はお母さんの大好きだった人だ。
見たこともないはずなのに、マリオンは何故かそう思った。
目を見開いたマリオンは声を出すことができず、綺麗な顔立ちで背の高い男性をただただ見つめた。
「私は君のお母さんとは知り合いでね。今回のことは非常に残念だ。幼い君を残して逝ったことは彼女にとって心残りだったに違いない」
墓を見つめたまま苦渋に満ちた顔でその男性は言ったが、やや間をおいて視線をマリオンに移してぎこちなく微笑んだ。
「エイダと約束していたのだ。互いの家族が困ったときには助け合おうと。……マリオン、私の家に来ないかい?」
マリオンは子供ではあったが、知らぬ者について行ってはいけないことは学んでいる。母親からも口酸っぱく言われていたことだ。母親の知り合いで、もしかすると恋した相手であるかもしれないが、身元の分からぬ相手からいきなり『家に来ないか』と言われても『行きます』と言えるわけがない。口を固く閉ざして相手をじっと見つめていると、マリオンが身を寄せることを決めた孤児院の職員の男が、息を切らせて駆け寄ってきた。
「ロングラム様。この子がなにか? 私どもの孤児院に近々入る予定の子なのですが」
「その子とは縁あってね。私の所に来ないかと誘っているのだよ。其方の孤児院には私の使いを送ってある」
ロングラムと呼ばれた男は、孤児院の職員にそう告げた。ロングラムの言葉を受け、孤児院の職員はマリオンを見下ろして目を細めた。
「変わらず寛大でお優しい。あなた様の元なら、その子の未来は明るいでしょう」
「わたし、行ってもいい、のですか」
マリオンは思わず孤児院の職員に尋ねていた。すでに孤児院に明後日行くことは決まっており、ここに来る直前まで目の前の職員と共に荷物もまとめていたのだ。それに《ロングラム》という男が自分を本当に受け入れてくれるつもりなのか、安全な環境を提供してくれるのかもわからなかった。
「もちろん。ロングラム様は生まれ育ちやお立場だけではなく、孤児院に寄付もして下さっている、御心も立派な方ですよ。マリオンが行きたいと希望するのであれば、ロングラム様は正式な手続きを取ってくださるでしょう。ロングラム様は信頼できるお方ですからね」
目の前の孤児院の職員は、マリオンに常に事実しか口にしてこなかった。『母親は死に二度と会えない』『家族はもうどこにもいないのだ』『一人で生きる術を身に着けろ』など、厳しい事実さえも躊躇なく言い、マリオンが《夢》を持ってはいけないと思うほど厳しい言葉しかその男からは聞いていない。その彼が信頼できると言ったのならば、それは事実なのだろう。となればマリオンの答えは一つだ。
「わたし、ロングラム様のお家に行きたい、です」
一緒に行けば、誰からも聞くことのできない母の話をしてもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を含んだ彼女の返事に、ロングラムの顔が綻んだ。
「手続きのために後で代理人を向かわせる」
「お待ちしています」
ロングラムの言葉に職員の男は頷いてマリオンの髪を一撫でした後、その場を立ち去った。エイダの墓前にはマリオンとロングラムの二人だけになった。二人はしばらく会話も交わさずエイダの墓の前で佇んでいたが、突然吹いた冷たい風に身を震わせたマリオンに気付いたロングラムが
「ここにいては風邪をひく。さあ、別れを」
マリオンに勧めた。別れの言葉は言いたくなかったマリオンは、母親に『また来るね』と言葉をかけた。