緑の空に灰は舞う
「タッカ、こいつを見ろ」
「《探り虫》ではないか! 何故こんなものがいるのだ」
目を灰色の前髪で被せる細面の隊員が差し出す掌の中の固体にタッカの顔が萎えていく。
「何ですか? それ」
タクト=ハインは列車から運び込んできた料理が詰まるケースを簡易テーブルの上に置くと、タッカが両手で挟んだ黒色を帯びる潰れた塊を見つめて言う。
「見た目は虫だが刺した相手の情報を転送する道具だ〈戦〉で使用されていた」
タクトの鼓動が激しく高鳴る。
数日前の緊急事態を思い出す。ルーク=バースとタイマンが列車から降りてまで護衛隊の任務を優先にした。
バースさんがいない今、もしもの事態にどう立ち向かえば良いのだろうと、タクトは震えるーー。
「一匹だけか? バンド」
「今の処はな」
タッカとバンドがお互いに目を合わせて険相をする。
「俺はテントに“防御の力”を放つ。バンド、おまえは引き続きそいつを発見して潰しまくれ!」
「昼飯抜きでかよ?」
「もたついてる間に取り返しがつかない事態が発生したらどうする!」
「例の事件もまだ記憶にあるからな。解った、言われた通りにする」
バントは足元を灰色に輝かせ、空を目指して飛翔をする。
「あれがバンドさんの“力”?」
「ん? 初めて見るのか」
タッカは両手をテントに翳すと“緑の光”を解き放つ。
「タッカさんは“防御の力”の使い手か」
「見とれてくれるのはありがたいが、この一部始終はアルマには伏せとくのだ」
「何故ですか?」と、タクトは訊く。
「例の事件と結びつけられたら動揺なんて隠すことが出来ない。そうなれば止めることなんて俺達では無理だ。止められるのは、バースだけだ」
子供たちの昼食の世話の最中、タクトの頭の中はもっぱらタッカの言葉だった。
ーー止められるのは、バースだけだ。
まるで自分の考えを読んだ言い方だったと、タクトは思う。けしてそういうわけではないだろうがどうしても結び付けてしまう。
タクトの中ではアルマへの想いが溢れていた。言葉にするタイミングを何時にしようと思いはするが、踏み込めない理由がバースだと知れば知るほど心が萎んでしまう。
一昨日のアルマの唇の感触。そして、眼差しが夢の中の出来事だったのだろうと、タクトは思考を掻き回していくーー。
「そういえば、ザンルはどうした?」
茶を啜るタッカが昼食の後片付けをするロウスに尋ねる。
「ずっとおまえの側にいたぞ」
ロウスが指差す方向に背中を丸めて膝曲げるザンルにタクトが「具合が悪いのですか?」と、恐る恐る声を掛ける。
「アタシ、絶対にアルマちゃんにぶっ飛ばされる」
「今日一番活躍したのに、アルマさんがそんなことするわけないですよ」
タクトはザンルの背中に掌を押し当てる。
立場が逆転した。いや、かなり通り越しての状態に陥っている。うっかりと笑うのならば自分が危ないかもしれないと、タクトは葛藤をする。
「あの女のコ。ワタシの“力”習得してるみたい」
ザンルの蚊が鳴くような声にタクトは我に返る。そして、ザンルが震えながら指を差す方向を見る。
砂浜で膝の位置迄隆起しては元にもどる砂に手をかざす女児の姿。
タクトは「まずは、アルマさんに診てもらいましょう」と、女児に駆け寄り抱き上げると、赤い列車へと向かって行くーー。
「マシュさん、アルマさんは何処にいますか?」
五両目の乗降口から入ると、通路にモップを掛ける運転技士のマシュに声を掛ける。
「アルマさんなら娯楽学習室にいるぞ」
素っ気ない返答と青白い顔。
任務開始から正面となってこの人を見るのは初めてだ。と、タクトは思う一方、タイマンさんと列車の運転を交替しながらのはずがずっと運転室にいたのだろうと、臆測をする。
しかしーー。
「俺、自動運転モードで列車走らせていたことがアルマさんにバレてさ。それで今ツケを払ってる処なんだ」
数日間この人は運転室で何をしてたの? と、呆れるタクトは抱き抱える女児と共に、五両目を後にした。
娯楽学習室に入ると目の前では真剣とした形相のアルマがハケンラットと娯楽に興じている。
ドミノ? と、室内の床を並んで占める駒にタクトは困惑する。
「アルマさん。この子を診てもらえませんか?」
「こっちにいらっしゃい」
アルマが女児に腕を伸ばして歩幅を広げる。すると褄先が並ぶ駒に当たり、個体がぶつかる音を響かせる。
女児は一度タクトと目を合わせると肩から両手を離してアルマの腕の中に移る。
アルマは女児を抱き上げると甘くふくよかな息をこぼす。更に面持ち柔かにと含ませていく。
「名は、なんという?」
「シーサ」
「歳は?」
「よん、さい」
「ハケンラット、救護室に行くぞ」
アルマは目蓋を綴じて溜息を吐く。
***
救護室に入ると、アルマはシーサを椅子に腰掛けさせる。そして、頭上に両手を翳すと“薄紅の光”を絹糸のように輪にさせて解き放つ。
室内に漂う光は車窓から溢れる陽の光と結び合い溶けてゆく光景は幻想だと、タクトは心を踊らせる。
「アルマさん、どうですか?」
光が消えて室内が蛍光灯の明かりで灯されると、タクトは我に返って言う。
アルマが横目でタクトを追いながらシーサに柔らかに言葉を掛ける。
「いい子にしていた。シーサ、他の子供たちの処に戻りなさい」
「おねえちゃんといる」
アルマは首を横に振る。
「今日だけお外で思い切り遊べるの。たくさん身体を動かして、この景色の色々な物を目で見て手で触れてきなさい」
「詳しいお話しを後程伺います」
タクトはシーサを抱き抱えてアルマに一礼をすると列車を降りて再び海岸へと脚を運ぶーー。
「ロウスさん、ありがとうございます」
「さすがに慣れないから、扱い方に少し戸惑ってしまった」
男児と相手しながら苦笑するロウス。タクトが抱くシーサと目を合わせる。
「その娘の容態はどうだった?」
「まだ、訊いてないのです」
ロウスに会釈をすると、タクトはシーサを砂地に降ろして列車へと引き返す。
「ご苦労だ。海岸と列車を行ったり来たりで、さぞかし目が回るだろう?」
「いえ、いい運動になってます」
「それは、頼もしいことだ」
「ハケンラットさんは?」
「ザンルを娯楽学習室でカウンセリング中だ」
「あの人、かなり思い詰めていましたからね」
「ああ、きゃあくたびれたばいた」
肩に手を押しあて疲労を滲ませるハケンラットの声にタクトは振り向く。
「ザンルの様子はどうだった?」と、アルマは訊く。
「ショック状態がひどかけん“力”ば、入れて寝かしつけた」
いびき高らかに響かせるザンルの姿をタクトは想像をする。
「アネさん。あの、娘っ子」
ハケンラットの催促。
アルマ、息を大きく吐く。
「思った以上に深刻だ」
「シーサ、悪い病気にかかってたのですか?」
「“力”を植え付けられていた」
まさか? とタクトは先程のタッカとバンドのやり取りを思い出していく。
――アルマには伏せとくのだ。
タッカの言葉がもどかしい。タクトは深呼吸をするとアルマを見る。
「“習得の力”だ。目視した“力”を自身のモノにする。生まれつきに持つと植え付けられていたではかなり使い方に差が付く。そして、抑制は効かない。ほっとけば更に“力”を次々に習得していく」
アルマの震える声にタクトは緊迫感を覚える。
「どうすれば、いいのですか?」
「応急措置でシーサに“力”をロックする器具を装着させている。しばらくは“習得”は出来ないが念の為隊員達も“力”の使用を控えて貰う」
「誰が何の為にシーサにそんな仕打ちをしたのでしょうか?」
「そんな事も解らないのかっ!」
アルマの鋭い目にタクトは唇を噛み締める。
「その言い方酷いですよ」
「タクト、おまえはまだ子供だ」
アルマは靴を鳴らして「少し、疲れた。個室で休む」と、言いながら救護室を出る。
扉が閉まる音がして後から静寂が訪れると、残るタクトの目が涙で滲み、雫は頬を掠めて床へと滴るーー。