蒼と朱
「撤去は出来ない。一時的に罠の機能を停止させるだけだ」
乗降口から列車内で起きた事態の原因を見つめていたタクト=ハインは、背後から聞き覚えがある声に気付く。
「僕、子供達をほったらかしにしてました。直ちにーー」
ーー待て、タクトッ!
罵声と掴む掌の感触に、タクトは身体を震わせる。
「……。バースさん、僕は正直に言えば……。僕は……」
「あったり前だっ! 俺だって、恐ろしいと思ってる。マシュが黙視で確認してなかったら、列車もろとも全員やられていた」
「バースさんらしくないですね?」
「冷やかしは良いから、おまえにやって欲しい事を今から伝える。いいな?」
「……。はい」
タクトはか細く返事をすると、背中を丸めてバースの指示を待ち構えるーー。
ーー俺とタイマンで罠を停止させる。その隙に列車を走らせるが、通過の時間が追いつかない。タクト、おまえの“加速の力”でーー。
『列車の走行速度を増してやれーーーー』
バースの言葉が何度もタクトの思考で木霊する。
〈蜂の巣トラップ〉名の通り、物体を範囲内に感知すると作動する仕組みで、網目状の罠は更に粒子を放出する。例え小石であろうが仕留めるという、補助機能を備えていた。
二本のレールに設置される『本体』を強引に撃破すれば、路線は煽りを食い使えなくなる。当然、護送任務に影響が出るとバースの判断だった。
ーー自分が〈護衛隊〉の責任者。列車に乗せる16名の子供は限られた日程で《サンレッド》まで護送しなければならない。
バースはそう言うと、タクトが見守る中列車を降りるーー。
「バースがおまえと話をしたいそうだ」
タクト=ハインは、列車の最後尾で待機していた。
呼ばれる声に振り向くと、アルマが耳装着式の小型通信機を差し出していた。
『おう、元気か』
左耳に装着と共に、緊張感がないバースの声だった。
「バースさんのあんぽんたん!」
『怒るなよ。俺の話しを聞いてくれ』
バースの珍しい催促に、通信機を握りしめ耳を傾ける。
『子供たちが向かう場所だ。あいつらは俺達と同じく“力”を持っている。育成をする目的で、ある団体主催で集められた』
「この状況と関係しているのですか?」
『大有りだ。理由は分からないが、そんな俺達に邪魔が入ったのさ』
「代わりに、アルマさんに手こずってましたね ?」
『バカチン!妙な突っ込みをするな』
タクトは、赤面するバースの形相を思い浮かべる。
『列車が動き始めたら車両に“加速の力”をぶっ放せ』
バースと通信は止まり「ありがとうございます」と、アルマに通信機を返す。
「馬鹿野郎!」
アルマの罵声に振り返る。
涙、目頭を押さえる仕草。
ーー恋人、想い人。どちらを取ってもバースさんはアルマさんの大切な人。
淡雪のような感覚がタクトの思考に降り注ぐ。
「アルマさん。僕、ありったけの“力”を放します。危ないから、この車両から出てください」
「おまえも私を女扱いするとはな」
柔らかい眼差し、華奢な容姿。ピンクトルマリンの輝きを解き放す左耳下で髪止めでひとつ束ねの緩やかな髪と、春に咲き誇る花の色を思わせる深紅の軍服の袖から見える肌。
タクトは、アルマに向ける涌き水のような想いを懸命に抑える。
アルマが出て車両の扉を閉める姿を確認する。
瞳を澄みきらせて唇を噛み締め、そして……。
膝を曲げ腰を下ろすと、床に両手をかざし“蒼い光”を解き放していったーー。
蜂の巣の物体は、綿飴が溶けるように消える。
列車はタクトの“力”で更に加速を増し、レールの上で駆け抜ける。
キンキンと、耳鳴りと身体に衝撃を受けるタクトは額から床に転倒しても尚、抱腹前進して車窓の枠を掴む。
窓を開き見送る景色の中に、バースが笑みを湛えて敬礼する姿を見つけて腕を伸ばすが、指先さえ触れることなく蜂の巣が再び塞がった。
虚しさが、タクトを押し潰していったーー。
「ご苦労だった。ひとまず、息をつくのだ」
車両の扉が開く音に混じり、アルマが靴を鳴らして声を掛ける。
「タクト」
肩に手が乗る感触を覚えると同時に、身体が左回りをする。
正面にアルマの顔。目を合わせることもなくうつむくと、更に顎に指先が押さえ付けた。
「しゃんとしろ。そんな顔だと、子供たちが不安を覚える」
「バースさんのこと、心配しなくていいのですか?」
「目先の感情に囚われるな!」
「僕、喉がからからです。水分補給していいですか?」
「その程度で私に同意を求めるな」
アルマの手に引かれ、最後尾の車両を後にした。
「飲むのだ」
車両の席に座りアルマから氷が浮かぶ器を受けとるが、やたらと濃くてどろりとした〈黒い液体〉に思わず顎が突き出しそうになりつつも、喉を潤める為と一口啜り込む。
ーーとてつもなく甘い、とてつもなく苦い……。
吹き出しそうになり、頬を膨らませると
「どうした?“力”を使った反動が出たのか」
疑問。初めて聞く言葉に理解が出来ず、タクトは考えた結果こんな事を言う。
「冷たくて、美味し過ぎるから口の中でゆっくり味わいたかったのです」
ーー舌に痺れを覚えた。
混じる本音を、胸の内に苦味と甘味が強調されるコーヒーとともに押し込んでいった。
車窓へと視線を向け、淡い紅色の雲とその隙間から覗かせる陽を 見つめる。
「いつの間にか、陽が沈む時になっていたな。今日の任務は終了して、自由に過ごすのだ」
「そんな、みなさんに迷惑を掛けるだけです」
「命令だ」
笑みを湛えるアルマが額にこつりと、軽く拳を押し込む仕草に『綺麗だ』と、タクトは思いながら飲み掛けのコーヒーを窓枠に置き、瞼を閉じる。
穏やかに走行する列車のレールの響きに心地よさを覚え、笛の音色に似た寝息を、吹かせていった。