薄紅蛍
タクト=ハインは頬を這う涙の滴を口に含ませる。苦いものだと、思いながら咽を鳴らして舌の先を下顎の歯茎に付ける。
「はがいかとね?」
ハケンラットが居た。みっともない姿を見られたと、タクトは目蓋を手の甲で拭う。
「いえ、そんなことはありません」
「なら、何であたは泣いてるとね?」
「僕にも分かりません」
タクトは前髪を右手で額に押し当てながら言う。
「あの娘っ子、むぞらしか(愛くるしい)な」
「そうですね、ハケンラットさん。ところでシーサの“習得の力”を今すぐ取り除くというのは出来ないのですか?」
ハケンラットは傍にある椅子に腰掛ける。
「おどんも、ちとおもうた。でも、そっはできん。アネさんもたぶん同じことを考えとったばいた」
「アルマさんが?」
「備われてる“力”ば抜くっとは、命ば取ってしまうと同じくらい罪が重いとばい」
「その“力”で人を傷つけてしまう恐れがあってもですか?」
「そぎゃんたい」
ハケンラットは耳穴に小指を挿してかき回す。抜き取ると息を吹いて絡みつく垢を飛ばす。
「“力”は何の為にあるのでしょうね?」
タクトは苦笑いをしながらハケンラットに訊く。
「タクト『任務』ば考えときなっせ。ばってん、身体ばうっこわすっほどがまださんでよか。あたはまだほんなこつーー」
ハケンラットは焦って掌で口を被せる。
タクトは「ぷっ」と、吹き出し笑いをする。
「でけんな。おどんもアネさんごたんことば、言うところだったばいた」
「ハケンラットさんが気を使うことはありませんよ。僕だってこれ以上みんなに迷惑を掛けたくありませんから」
タクトは頬を両手で挟むように叩く。そして、ハケンラットに「失礼しました」と、敬礼をして救護室を出る。
ーー『任務』ば考えときなっせ……。
七両目の乗降口を潜り抜けて砂地に目掛けて飛んで着地をする最中、タクトはハケンラットが言ったことを前を見る為の理由として思考に刷り込ませていった。
***
陽は海の水平線に沈む。波が朱の光で染まる光景がまるで炎が焚きついているようだとタクトは息を呑む。
列車に戻り、遊び疲れた子供達の点呼をするタクトにタッカが声を掛ける。
「おい、タクト。アルマの姿が無いが何かあったのか?」
おまえ、例のこと喋ったな? とタッカの思わせ振りにタクトは首を横に振り、小型通信機を作動させる。
アルマの応答無しに「僕、直接、呼びに行きます」と、タクトは言う。
「俺が行く」
「タッカさん。アルマさん、個室で休まれているのです。あなたが行くと変な事に成りかねてしまいそう」
「おい、おい。俺が下心丸出しみたいな言い方するな!」
タッカさん。珍しく、焦ってる? 更に追い討ちと云わんばかりにタクトは言葉を思い付く。
「剥きになるようなことは言ってませんけど?」
「冷やかしか!」
「さあ、どうでしょうね?」
タクトは満面の笑みを湛えるとタッカを残して車両の通路を踏みしめて歩き出す。
「やれやれだ、ぞ」
タッカが呟き、髪を握りしめる。
16両編成の列車。倉庫車両を挟み、個室の車両は合わせて二両あった。
後方の車両の一番端にアルマの個室。
「アルマさん、アルマさーん。もうすぐ出発の時間ですよぉ」
扉にノックを三回するが返答が無いことにタクトは溜息を吐く。任務に戻ろうと翻す寸前に扉の隙間から漂う光の粒が飛び散っていることに気付く。
ーー昔はたくさん夜空を翔んでたのよ――。
幼い頃に絵本を読み聞かせる母親の言葉が懐かしいと、頬を掠めて瞬きは消るの光景にタクトは思い出を重ね合わせる。
「其処にいるのは誰だ!」
扉の向こうで叫ぶ声がして、タクトの身体が竦む。
「僕、です。小型通信機で呼びましたけど応答が無いからこうして直接伺いました」
「入ってこい」
扉のロックが解除される音に紛れてアルマの声に「いえ、ですがーー」と、堪らず咽を詰まらせる。
「何べんも言わせるな! 良いから入ってこい」
タクトは生唾を呑みこむと恐る恐る扉のノブに手を掛けるとーー。
開く扉の向こうから室内を埋め尽くす薄紅色の光の粒の煌めきに感嘆するものの、驚愕して何度も扉のプレートに記される隊員の名前を確認する。
変な空間が現れた? それとも《虫》と、タクトは薄紅の空間に目を凝らして見る。
「タクト……」
振り絞る声がして光の粒をかき分けるタクトの正面に白いキャミソール、同色の八分丈のパンツ姿で髪を下ろして靡かせる女性の頬が涙で濡れている。
アルマに間違いないと、タクトは右手を差し出すと頬に綿毛の肌ざわりがして耳元の鼓動の高鳴りに身体を震えさせるーー。
タクトとアルマは抱き締め合う。タクトはアルマから漂う酸味と甘さを含ませる果実の香りを鼻から吸い込んでは頬の内側に溜める。
「感情が高ぶると私の身体から光の粒子が放出される。何時もならすぐに治まるのだが今回ばかりは流石に焦ってしまった。迎えに来てくれたのがタクト、おまえで良かった」
キャミソールの下にアルマの肌。捲って直接触れることが出来るだろうとタクトは指先をアルマの背中で這わせる。
しかし、そんな欲望は愚かだとタクトの中の理性で掻き消すと、あとわずかで剥き出しになりそうなアルマの透き通る肌に被せるように握りしめるキャミソールの裾から掌を離していく。
タクトはバースが気になってしまう。何処で何をしているのは分からないけれど、いつでも迎える準備はしないといけない。
「待って、もう少しこのままでいて」
一歩後退りをしている最中のタクトをアルマが引き寄せる。
まるで駄々っ子だ。タクトは苦笑いをしながらもう一度アルマを抱き締める。
熱くてこそばゆい息がタクトの耳元に吹き込まれていく。
「タクト、私はおまえに侘びなければならない」
「どんな事にですか?」
「解らないなら、言葉にするのは止しとく」
聞く必要はない。聞けば自分との約束を破ることになる。タクトは戯けた振りをすることで今を守るのと、バースとアルマの幸せを願っての事だった。
「あ、もういいのでは?」
天井を仰ぐとアルマの光の粒が消えていく。
アルマは室内灯のスイッチを押すと、照らされる全身に慌て府ためる。可笑しいが仕草はやっぱり女の人。身なりを整えさせる為にと、タクトはは部屋を出ようとして扉まで歩いていく。
「列車が動き出してから良いから私と夕食に付き合って欲しい」
「喜んで、お待ちします」
部屋の扉が閉まり掛ける。その時、アルマのこんな囁きがタクトにはっきりと聞こえる。
ーーバース……。
僕はまだ子供。癪だと思うもタクトは自分に言い聞かせるーー。




