紅い列車
明けの明星が瞬く空の下、何処かを目指すように列車が駆けていく。
東の地平線から昇る陽が深紅の炎の如く、車体を色付かせる。
タクト=ハインは小川のせせらぎに似た子供たちの寝息に耳を澄ませ、食堂車から漂う空腹を覚える匂いに鼻をひくつかせる。
通路の扉が開く音に振り向くと、ベージュの髪と同色の瞳。白を基調にして青いラインが施される軍服を身に纏う青年がホットドリンクのカップを左右の手に持つ姿に、タクトは直立不動の姿勢で敬礼する。
「ご苦労だ、タクト」
笑みを湛える青年が、カップのひとつをタクトに差し出して言う。
「ありがとうございます、バースさん」
一口啜ると苦味が口の中に拡がるを、タクトは懸命に堪えながらもう二口と、啜っていく。
「次の停車駅で物資を積んだら、休憩していいぞ」
「はい」と、タクトの返事と同時にバースが寝台のカーテンに指先で隙間を作る。
『我が子に向ける眼差し』と、言葉にしたらにどんな反応を示すのだろう? と、好奇心旺盛な思考をタクトは膨らませると同時に列車は駅に到着した。
乗降口から降りるバースを、タクトは追って指示された作業を遂行すると、列車は再び走り出して行くーー。
タクトは個室のベッドに横たわって、思い出をスライドさせていた。
ーータクト、おまえもついてこい。
真夏の昼下がり、自宅の庭で幼い弟に水遊びをさせていて、ビニールプールに足をつまづかせ、全身ずぶ濡れ状態で耳を疑った。
バースの行動には拍車が掛かることなく、休日の父親に同意を求め、用意周到といわんばかりの書類にサインと判子の催促に成功すると、必要最小限の荷物をまとめろと、促し、 バースが操作する装置で瞬間にその場に移動した。
待ち構えいたのは、筆記と実技そして面接、身体測定と、息をつく暇もなく押し寄せていた。
漸く解放され、待合室のベンチに腰を下ろしかけていると
「明日から護衛隊の一員として訓練に参加だ。三度の飯と風呂と睡眠はつくから、頑張れよ」
バースの満面の笑みに怒りを膨らませる。
思い出は、そこで止まったーー。
瞼を閉じかけると振動とブレーキ音に眠気が飛び、さらに室内用通信機からバースが呼ぶ。
『子供たちを見ろ』と指示を承けて、タクトは部屋を出る。
「はい、意外と落ち着いている様子です」
子供のみの車両の状況報告をバースに告げ、通信を終える。
「子供たちは無事か?」
凛として、なおかつ澄みきる女性の声に振り向く。
「アルマさん? みなさんと会議中ではなかったのですか」
タクトは怪訝な形相をする。
「私がいなくても、あの馬鹿隊長が勝手に事を進める!」
感情を高揚させるアルマ。護衛隊で唯一の紅一点であり、バースとどんな関係なのかと気になる存在だった。それは、すぐにかきけされ、頭の中に任務中と表示される。
時が刻む感覚はなく、アルマと子供たちの警護にひたすらあたる。動かない玩具を差し出され、直せないと伝えると落胆する子供をなだめ、喉が乾いたとせがまれると、まとめてドリンクを車両に運び込む。トイレだ、おやつだと、そのたびに車両の扉が開いては閉じた。
アルマとは会話はなかった。する間も隙もないというのが正しかった。
列車が急停車した原因を、訊いてみよう。と、息を吸い込み、アルマへと近づく。
「何処に行ったかと思えば、此処で何をしてるのだ!」
バースが険相しながら車両に入り、アルマは背中を向ける。
「でかい声に子供たちが怯える。おまえこそ何しに来た!」
バースとは反対側の通路へと続く扉のノブに手を乗せると、彼も歩み寄る。
「態度で示されても無駄だ。俺の言うことを聞け!」
「おまえがいけない」
アルマはそう言うと、扉を閉じて去っていった。
気になる。口を閉ざし拳を握るバースを車両に残し、タクトはアルマの後を追う。
通路の車窓の景色を見つめるように、アルマはたたずんでいた。
「アルマさん、理由はどうあれバースさんを困らせてどうするのですか?」
「おまえに言わる覚えはない」
棘のような即答にタクトは眉間にシワを寄せる。
「列車がどうして急停車したかも判らず、僕は子供たちを見ていたのです。そこにあなたが来た。バースさんの指示なしだったのは明確ですよ」
「おまえは何が知りたいのだ?」
アルマの鋭い眼差しに身体が硬直する。
「会議中に何があったのかぐらい、教えてほしいです」
「奴の勝手さに頭にきた。それ以外に何があると言うのだ?」
「それは、感情的なことですよね? 僕が言ってる意味、全然判ってくれてない!」
「罠が仕掛けられていたことも知らなかったか!」
叫びと近いアルマの言葉に全身が即、凍りつくような感覚を覚える。
「僕はバースさんの指示通りに従ってたのみです」
「緊急時、隊員は各自で状況判断をする。おまえは受け身で事の事態を把握しなかった。たかが子供の送迎だと、任務を侮っていた。そう、見解する」
反論の言葉は出てこなかった。
子供を理由にすれば、言い訳にしかならないことは目に見えていた。
「だが、子供達はおまえによくなついてる様子だった。親を恋しがる素振りが無かったのが何よりの証だ。そこは感謝する」
思いがけない飴と鞭。男勝りと思えば、柔らかな眼差しを向ける。胸の内に吹き込む蒼い風がタクトを掻き回す。
任務、任務。とにかく今は任務中。湧き水のように吹き上がる感情を抑え込ませる為、頭の中でその言葉に変換させた。
「私に隊長代行を命じたのだ。それは何の意味をするか、おまえでも理解するはずだ」
溜息混じりのアルマの視線をタクトが追うと、乗降口が開いていることに気付き、顔を出す。
レールの上に塞ぐ黄金色に輝く蜂の巣状の物体。空想のような現実に、硝子板が割れるような感覚が迸った。