表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三日間の映画の旅と、月と坂にまつわる僕の過去

作者: 三角

 安ホテルというと、おどろおどろとしたイメージがあった。

 だが、いざ泊まってみると、これがいがいと悪くない。トイレは共同風呂はなしだが、近場に銭湯もあるし、トイレなんて外に出れば共同なんてのは当たり前なので、気にはならなかった。

 それに、大好きな横浜という町で、安ホテルに長期滞在する。なんだか、少しだけハードボイルド小説の主人公に近づけた気がして、それだけで大満足なのである。

 さて。話が前後してしまうが、なぜ僕は安ホテルに長期滞在することになったのか。

 ご存じないだろうが(当たり前だが)僕は基本家が大好きで、休みの日もあまり外出しない。

 外出する用事といえば、映画か書店巡りくらいのものであり、時折散歩やら神社仏閣巡りもするけれど、ほとんど家で本を読むか映画を観るかで休日を消費している。

 外に出ようが家にいようが映画と本に触れているのが僕だ。だからといって、別段文学青年だったり映画マニアではない。中途半端なやつなのである。

 話を戻そう。

 そんな家が大好きな僕であるが、ある時、たまたま読んだ映画誌に、横浜でレトロ映画祭が開催されるという記事が載っているのを見つけた。

 その映画祭が、ちょうど冬休みと重なっていた。

 映画祭と言っても、昔からある映画館が主催する小さなイベントで、開催期間も三日だけ。その三日の中で、レトロ映画の時間を設け、上映するとのことだ。

 休みと重なっていて喜んだはいいが、よく見ると、上映スケジュールは朝の九時~十時だったり、夜の九時過ぎだったりして、朝の回にいくには早起きが必要だし、夜の回を観たら帰りのバスがないという問題が持ち上がる。

 いや、早起きしろという意見はもっともなのだが、そこは許していただきたい。

 そんなわけで、僕は別段使う機会もなくちまちまとため続けていたバイト代をまとめて下し、一泊当たり二千円と少しという安ホテルに電話をして、数日ほど連泊することになった。長期滞在と言えるほどではないが、こんな機会は初めてなので、僕にとっては数か月分の冒険気分だ。

 親には事後承諾になってしまったがきちんと報告をし、京急や横浜市営地下鉄の駅のすぐ近くで、コンビニも近くなので、夜道もそこまで危なくないということを説明(両親はいまだにそういう心配をしてくれる。僕も社会人なのでそこまで心配することもと思うが、ありがたいなと思う)し、了承をもらった。

 それから、特に何もない普通の日常を過ごし、冬休みがやってきた。

 皆がどこに行くだの、彼女がどうのと話す、浮足立った空気の渦の中をなんとかかき分け、さっさと家に帰る。

 いつもは部活に行く前の友人と図書室で少し話してから帰るのだが、その日はメールで用事があるからと送り、先に帰った。駅で電車を待っている間に返信がきた。

『映画?』

 と一言だけ。いい友達をもったなと思った。

 電車に乗り、バスに乗り、帰宅すると、すぐに家を出た。

 映画祭は、次の日から開催される。

 今日はホテルに直行し、チェックインを済ませ、銭湯とコンビニに位置を確認した後、銭湯で風呂に入り、弁当を買ったホテルに帰った。エアコンと布団が置いてあるだけで、テレビもラジオもない。古いエアコンなので、暖房をつけると「ゴー」という音がする。

 その音を聞きながら、弁当を食べた。なんだか、いい気分だった。

 その後、公園で歯磨きを済ませ(歯ブラシは持参。アメニティなんてものはこの安ホテルにはないのだ)さっさと寝てしまった。共同スペースで歯を磨けばいいじゃないかと思われるだろうが、無理である。なんというか、落ち着かないのである。

 

 そんなわけで、次の日。


 何もないというのは早起きを促す。寝る前に○○というのがないからだろうか。

 パパッと着替えを済ませ、公園で歯磨きと洗顔を済ませ、そのまま駅へ。

 余裕をもって動きたいので、少し早めではあるが、映画館近くの喫茶店で朝食をのんびりととり、時間をつぶした。

 そして、ついに映画祭が始まる。始まるといってもオープニングセレモニーなんかがあるわけじゃなく、普通に上映開始。この日は懐かしの邦画だった。僕の生まれる前、両親すら生まれて間もないころの映画なので、モノクロで音もどこか荒い。だが、それがレトロの魅力というやつだし、内容は時代など関係なく面白い。古い新しいというのはもちろんあるが、映画の質という部分には、新しいも古いもない。

 オープニングクレジットから、エンディングまで、没頭している間に映画が終わる。エンディングクレジットもなくバシッと終わるのもたまらない。余韻をずっと引きずったまま現実に戻る。外の景色が、きらびやかな横浜の町が、モノクロに見えてくる。白と黒の世界というのは、意外と色彩豊かな景色よりも物を語る時がある。

 ウキウキしながら、一度ホテルへ帰った。

 シンプルな部屋で夜が来るまで詩集を読んで過ごす。幸せな時間だった。

 あっという間に夜が来る。コインランドリーに風呂で使うタオルやらを突っ込み、ファミレスで夕飯をすませる。

 ランドリーでタオルを回収し、バッグを駅のロッカーにしまってから再び映画館へ。

 上映されたのは、フェリーニの勝手にしやがれだった。何度も観た映画だけど、こうしてスクリーンで観れるということが嬉しかった。

 上映が終わり、外に出る。

 横浜の町は、夜が更けてくると輪郭がより明確になるというか、本当の顔を見せるというか、空気ががらりとかわる。いつかはこの空気になじめるのだろうかと考えるが、そんなビジョンはまったく浮かびもしないわけで。

 コートのポケットに手を突っ込み、少しだけハードボイルドに、嫌、ボギーを信奉し人生を駆け抜けたミシェルのように、夜の街を少し足早に駆けた。こんなでっぷりとしたジャン=ポール・ベルモンドは嫌だな。笑いがこみあげる。通り過ぎていく町の景色に、勝手にしやがれのワンシーンが流れているように感じた。


 銭湯で風呂を済ませ、ホテルに帰ると、部屋の明かりを消し、月の光をぼんやり見つめた。

 かっこつけてるなと自分でも思うが、それはナルシズム的な行動というより、もっと内向的というか、自分を見つめ直すための儀式のように感じた。気が早いが、この経験は無駄じゃなかったと思った。


 それから、残りの二日も同じように過ごした。

 僕らは繰り返しの中を生きている。そういう意味では、その時の僕の生活も同じ繰り返しでしかない。

 映画を通じて何かを感じ取るみたいなことを言ったところで、それは青い小僧の戯言にしかならないのだろうと思う。この時間はただの趣味の時間だ。だから、同じ繰り返しの生活でも楽しい。それだけだ。

 ただ、月に照らされながら感じた、この経験は無駄ではないという思いも嘘ではない。

 なんとなくだが、「男なら一度は旅に出ろ」という言葉の意味が分かった気がした。

 まあ、これを旅と言えるかどうかと訊かれたら黙るしかないのだが、このたかだが三日の経験が、大きく自分の心に変化を及ぼしてくれたと感じた。

 出かけること。それも、ただ用事で家を出て帰ってくるなんてことじゃなくて、ふと生じたどこかに出かけようという思い。そして、それに従うことが旅なのではないか。

 ホテルを出る準備をしている時、僕はずっとそんなことを考えていた。


 チェックアウトを済ませ、外に出る。この日はかなり寒く、コートのチャックをきっちりとしめて、体を震わせながら歩いた。

 なんとなく、近くの稲荷坂を駆け足でのぼる。そうすれば、少しは体が温まる気がしたからだ。

 少し足早に急な勾配を行く。すぐに体が熱くなってきた。

 このまま坂を行けば、米軍のキャンプ地がある。そこまで行ってしまおうか。

 だが、心とは裏腹に、体はこれ以上進むのを拒絶していた。

 大きく息を吐いて、坂をくだっていく。

 下のほうにドライビングスクールが見える。

 どんどん坂をくだっていく。

 一番下まで戻ると、一度坂を見上げてみた。

 なぜだかわからないけど、別れの言葉が脳裏に浮かんだ。

 そうして、僕は元の日常に戻っていった。

 

 昔の話だ。でも、大切な思い出でもある。

 ただ、それだけの話だ。

 時々、人生なんてそんなもんだろ? とあの日の僕が坂の上から嘲笑ってくる。

 うん。そんなもんだ。

 だけど、今もそんなに、悪くはない。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ