バレンタインの伝説
学校の校門前に立った私は、お腹に手を当てて深呼吸し緊張を和らげた。そして顔つきを引き締め、気合いを入れる。
普段はなんでもないようなこの場所だが、この日だけは特別。異様に緊迫した空気に満ちていた。
二月十四日。
今日は女子にとっての重要な一日、バレンタインデーなのだ。
私も憧れの先輩にチョコを渡そうと、この日の為に前々から準備をしてきた。
だが彼にチョコを渡す事に緊張している訳ではない。原因はその前に立ちはだかる問題。
持ち物検査だった。
私の学校は校則に厳しい。
お菓子の持ち込みは問答無用でアウト。バレンタインであっても、チョコなんて見つかれば没収の上に罰則だ。
そして校則違反者が多いこの日。彼らを取り締まるべく、学校側は昇降口で持ち物検査を行っている。
徹底的な本気のチェック。潜り抜けるのは至難の技だ。
だが、その難易度の高さ故、ある伝説が生み出された。
試練を突破して意中の相手にチョコを渡せた場合、その二人は幸せが約束される、というものだ。
その為、困難であってもわざわざ持ち込もうとする者が後を絶たない。無論校外でチョコを渡す者もいるが、そちらは少数派。
毎年毎年、学校側と生徒側で熱い戦いが繰り広げられているのである。
学校側の中心人物、栄光への道に立ちはだかるのは生徒指導の先生。ベテランでゴリラなどとあだ名されるいかつい顔の人物である。
過去のバレンタインで、私を含めた数多くの夢見る乙女を退けてきた強者だ。
貴重な十代の青春なのだから情けくらいかけてくれればいいのに、まるで容赦がない。全く女心が分かっていない堅物。
なのにこの先生には年下の可愛い奥さんがいるというから驚きである。いや、驚きというより最早謎。この学校の七不思議の一つに入れてもいいと思う。
その先生が、私のいる列の後方にまで届く大声を張り上げた。次いで前の方が騒がしくなる。
どうやら誰かのチョコが見つかったようだ。今年初めての検挙者らしい。
流れてくる声を聞いたところ、鞄を改造して二重底にする手口だったようだ。
そのあまりにもお粗末な隠し方に私は失笑してしまう。
こんな使い古しの手段でチョコを持ち込もうだなんて考えが甘過ぎる。
一年生なのだろうが、下調べが全然足りない。この程度で聖戦に挑戦しようなどとは、全く嘆かわしい限りだ。
去年の私は上級生にレクチャーを受けた上、更に独自に研究。そね結果、分厚い辞書の真ん中を切り抜き、中に隠すという手口を選択していた。
自信はあったが、それでも去年は先生に見破られてしまったのだ。生半可な思いでは到底やっていけない。
二重底の彼女には厳しい処遇が待っているだろうが、それは真剣勝負を侮った代償というものだ。
それからも検査は続き、数人の女子が捕まった。手口はペンケースやメガネケースに隠したりキーホルダーに偽装したりなど様々だ。
ただ、二人目以降は一人目程のざわめきも無く淡々と進んでいたのに、しばらくするとまた騒がしくなった。
気になったので列から首をのばして見てみると、その理由に納得する。
今度捕まったのは男子だったのだ。
男子がわざわざチョコを持ち込む理由はない。校外で貰ったならすぐに食べてしまえばいいし、そもそも貰えるような外見ではない(失礼)。
よって彼は「運び屋」だろう。
彼ら「運び屋」は報酬と引き替えに仕事を請け負う。持ち物検査を通り抜けた後で依頼人に返却するのだ(これは余談だが、大抵は普通では貰えないような人物が行っているケースが多い)。
彼らを雇う利点としては時間や労力をかけずに済む事、それからリスクの回避が挙げられる。
もし運び屋が失敗したとしても依頼人は罰則を受けない。勿論運び屋が裏切らなければ、の話だが、これまでそんな話は聞いていない。
現に今の運び屋も先生からの詰問に口を割らないでいる。報酬分は信頼出来るという事だろう。
この後も持ち物検査は続いた。
数多くの一般生徒を通し、少数の校則違反者を勝者と敗者に選り分ける。
時折止まりながらも順調に列は流れていき、そして、
目の前から人並みが消えたそこは、もう先生の前。
遂に私の番だ。
今年は辞書以上の手を用意してきた。自信はある。けれどどうしても緊張してしまう。
再びお腹に手を当て、深呼吸。
それから前を向くと、先生と目が合った。互いの間で火花が弾ける。
検査が始まった。
先生はまず、中身を全て出した鞄をひっくり返し、裏返し、あらゆるポケットまで丹念に確認した。それから辞書や教科書にルーズリーフの束までもめくって中を見る。更に、ペンケースを開けてはペン一本一本を調べ、財布を開けては硬貨一枚一枚を調べる。
前科があるせいか、やたら入念に調べられた。
だが、私のチョコは見つからなかった。
当然だ。先生が探したところにはないのだから。
今回の隠し場所には絶対的な自信がある。見つけられるはすがない。
とはいえ流石は先生。歴戦の経験が告げるのか、尚も怪訝な目で見てくる。
だが、あくまで疑惑止まり。最終的に通過を許された私は涼しい顔で歩いていく。
完全勝利。
どこか悔しげな先生を背後に、私は抑えきれない微笑みを浮かべていた。
そして場所は移り、校内。
私は急いでいた。
学年が違う先輩に渡せるチャンスは限られているからだ。朝、授業が始まる前のこの時間は逃せない。
三年生の教室がある階へ赴き、先輩を探す。
「先輩!」
「ああ、おはよう。僕に何か用かい?」
運も私に味方してくれているのか、さほど時間をかけずに今日も相変わらずイケメンな先輩を発見した。
はやる気持ちを抑え、落ち着いて周りに教師がいないかどうか見渡す。持ち物検査を突破しても、現行犯で捕まっては意味が無い。
しっかり安全を確認。それから私はようやくチョコを取り出そうとする。
とっておきの隠し場所へと手を伸ばして、
「うっ……おっ……あうっ…………はうっ!」
口から吐き出した物を受け止めた。
それはビニール袋に包まれた小さな塊。何重にも巻いてあるビニールを外すと、綺麗にラッピングされた箱が現れる。
これが私の本命チョコ。
これこそが絶対に看破されない隠し場所。
この時の為に一年近くずっと練習して会得した技だった。
あとはこれを渡すだけ。
「はあっ……はぁっ……先輩……受け取って下さい!」
私は高揚した気持ちと共に、持ち込みに成功したチョコを勢いよく差し出した。
ドキドキしながらしばし待つ。
しかし先輩が箱を受け取った感覚はなく、返事すらもない。
一秒が過ぎ、十秒が過ぎる。まるで時間が止まったかのよう。
私は恐る恐る先輩の様子を上目づかいでそっと見上げる。
外見だけでなく内面もイケメンな事で有名な先輩は勿論私のチョコを、
「………………ごめん。気持ちだけ受け取っておくよ」
ひきつった顔で拒絶した。
いや、彼だけではない。
辺りを見渡してみると、近くにいた他の上級生達は言葉も無く距離をとっており、先輩以上に顔をひきつらせていて――
全員ドン引きしているのはどこからどう見ても明らかだった。
その後話は瞬く間に全校へと広まり、私は「バレンタインの人間ポンプ女」として後々の世代にまで語り継がれる伝説となったのだった。