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いつかの日に溺れる  作者: マーシャ
記憶を消したい男
4/8

相川広夢の場合4

 十二月も下旬に入ると風はより冷たくなり、コートなしでは自転車に乗れなくなった。バイト先へも二駅分ではあるが電車を使って移動するようになった。

 記憶を消す技術が発表されてから一か月近く経ったが、未だに時折テレビでは報道がなされており、目にすることがしばしばある。それを目にする度に、僕は泣いていた桜井の姿を思い出す。

 あの日、酷く傷つく桜井を見たあの日以降、桜井とは会わなかった。アパートに電気がついているかいないか、それを確認するだけの日々である。

 まあ、あったばかりの人にあれだけ感情を乱したところを見られてしまったら、会いづらいのかもしれない。ただ、桜井の泣き声を聞くことは一日たりともなかったことは幸いだ。

 大学へ行って、バイトをして、これまでとなんら変わりない日常を過ごすだけだ。桜井がいようともいまいとも、僕には関係のないことだ。

 そう考えるようになった途端に桜井と会ってしまうのだから、世の中とは本当に良くできているものである。


「こんばんは、相川さん」


「あ・・・こんばんは」


 アパートから徒歩十分程度の場所にあるスーパーの野菜売り場で、キャベツを手に持つ僕は唐突に桜井に声を掛けられた。ちょうど晩御飯時の夜七時、主婦はいないが会社帰りのサラリーマンや学生がはびこる時間帯。カップラーメンを片手に、反対の手にキャベツを持つ僕を見て、桜井ははにかんだような微笑みを見せた。


「今から、ごはんなんですか?」


 桜井の持つカゴの中にたくさんの生鮮食品が入っているのを一瞥し、僕はカップラーメンを持っているのが少しだけ恥ずかしくなった。


「はい・・・」


「カップラーメンばかり食べていると、体調を崩しちゃいますよ?」


 ふふふ、と優しく微笑む彼女が少しだけ母に似ていて、胸になにかつかえたような感覚になった。母が忙しいなりにちゃんと食事を作ってくれていたことを、ふと思い出す。


「そうなんですけど、料理が苦手でして」


 苦笑する僕を少し驚いたような目で見た後、桜井は恥ずかしそうに視線を逸らして口をもごもごさせながら小さい声を出した。


「も、もし、もし相川さんがご迷惑でなければ・・・よろしければごはん、一緒にどうですか?」


「え?」


「あの、この前のお詫びと言いますか・・・そんなたいした物は作れないんですけど」


 この前のお詫び、というが、若い女の子が僕のようなよく知りもしない男を自宅に招き入れて大丈夫なのだろうか。

 暫し僕が反応に困っていると、慌てて桜井は付け足すように喋った。


「えっと、大丈夫です!ご迷惑ですよね、突然。お詫びはまた別の形でさせていただきます!」


「いえ、僕は大丈夫なんですが、その、桜井さん彼氏とかいたら僕がご迷惑になるんじゃないかなって思いまして」


 桜井は眉尻を下げて困ったような顔をした後、それならご心配いりませんと言い、また笑顔を見せてくれた。

 二人並んでスーパーを出た後、そのまま真っすぐアパートへ向かった。

 アパートに着くまでの道のりはいつもよりなんだか長く感じて、話が途切れないようにするのにずっと気を巡らせていた。大学に入ってからたくさんの出来事に追いかけられて色恋沙汰には指一本触れたことのなかった僕に、女の子と二人で歩くというこの状況はいささか荷が重い。しかも所々に記憶がない桜井にとって、何の話が凶器になるかわからず、言葉一つにも神経を遣った。

 好きな食べ物は甘い物で趣味は読書、という情報を得てから、僕は何気なく家族構成を聞いた。すると彼女はなんのためらいもなく、母と二人ですと言った。


「あ、別にそんな悲しくはないんですよ。私、ものごころついた時には父はいなかったので」


 あっけらかんとした様子で話す彼女に、僕は勝手ながら親近感が沸いていた。自分と似た境遇にある人だとわかると、少しだけ緊張がほぐれた気がするのだ。


「相川さんはご家族、何人なんですか?」


「・・・僕も、母と二人です」


「私と一緒ですね」


 僕は咄嗟に嘘をついた。というのも、まだ距離感が定まっていないこの状態で僕の身の上話をする必要はないと思ったからだ。僕が天涯孤独であることを知ったら、ややおせっかいそうなこの彼女はきっと凄く気を遣うだろう。

 それからは色々な話をした。

 そこで僕は彼女がすでに大学を卒業していて年上であること、つい最近雑貨屋のアルバイトが決まったことを教えてもらった。

 なんだ、私のほうが年上だったんだ、じゃあ敬語じゃなくてもいいかな、と嬉しそうな桜井を見て、桜井自身もまた緊張がほぐれてきたことを知り、僕もまた少し嬉しくなるのであった。


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