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5.

今回で完結です。

ブックマーク、評価、お付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。





「なぁに、さっきの言葉。エリザの造語なの? 聞いたこともないわ」


 無音になった室内でアンジェリカの声が響いた。

 エリザが口にした『呪文』に対してアンジェリカが不可解な表情をしており、それを見て侯爵は唖然とする。


「……あの日、あの言葉を私に言ったのはアンジェリカではなかったのか? 書斎で眠ってしまいあの朝あの言葉で目覚めた時に見たのはアンジェリカの金髪…いや顔は見えなかった…光が窓から差して……」


 過去の記憶を追うように呟き一人納得する侯爵は、書斎に差す光の加減で髪の色を見間違えたことに気付いたようだ。しかし、長年信じ続けてきた事実をそう簡単には覆すことはできず、震えた声でアンジェリカに問うた。


「アンジェリカ。以前私が訊ねた時、お前は『自分が言った』と…」

「そんな昔のこと、いちいち覚えていないわよ」


 口を尖らせ、頬を膨らませてアンジェリカが答える。


「だいたい呪文だとかお母様との約束とか、今はそんなものどうでもいいじゃない」

「どうでも、いい?」


 アンジェリカの表情や仕草は可愛らしいが、その言葉は心無いものだった。

 侯爵は愕然とした。アンジェリカの発言でアルベットの思い出を引き継いだのはエリザであったこと、躊躇なく母のことをどうでもいいと言えるアンジェリカの性根を突き付けられたからだ。

 平静を失った父のことも顧みず、アンジェリカがエリザに詰め寄った。その勢いに押されてエリザは一歩足を下げ、思わずヨルクと繋いでいる手に力が入った。


「エリザが陰気だから年寄りばかりの晩餐会は高評価だったのよ。私の晩餐会は若者向けにしていたのだから私の友人だけを招待していればよかったのに!」

「ア、ンジェリカ…」

 

 侯爵による悲痛の呟き。

 この発言は晩餐会が如何なるものかをアンジェリカが理解していないことの証明にしかならない。次第に暴かれていく愛娘の本性に、侯爵の表情は苦しみと悲しみに歪んでいく。


「私のドレスは誰よりも豪華で華やかで、会場も豪華絢爛にしてどの晩餐会よりも目立つようにしていたわ。それなのに食器は古臭いものを選ぶし、斬新な料理はつくらないし客人は年寄りが多いし! しかも皆と学園での噂話をして楽しもうとしたら年寄りたちは私たちを睨んだのよ。エリザのせいで散々な晩餐会だったわ。どうして年寄りをあんなに呼んだのよ。私の晩餐会の評価が下がってしまったじゃないのっ」

「―――アンジェリカの晩餐会は、エリザが開催したのも同然だったのだな」


 主人ホステスとしての立ち振る舞いも子供同様だったと知った侯爵の悲しみを含んだ呟きは、新たなる侵入者によって返された。


「だから私がそうだと申したでしょう」

「ヴィヴィア様」


 エリザは驚いて名を呼んだものの、ヨルクがここにいるとなれば同伴してきたヴィヴィアもまた近くにいて当然だと思い至った。しかし、礼を重んじる彼女が玄関の扉を閉じた館の書斎にまで足を運んできたということは、それなりの話があるということだろう。


「ヨルク。今回も私を待たせ過ぎです」


 ヴィヴィアに一瞥されて、ヨルクは苦笑して肩を竦める。

 視線を侯爵に戻したヴィヴィアは、口元に微笑を浮かべ懐かしむ表情を見せた。


「そうそう、侯爵様。あの呪文は『私は貴方の傍にいつでもいます。私はいつでもいつまでも愛しています』という意味ですよ」


 思いがけないヴィヴィアの言葉に、侯爵は目を見開いた。


「何故あなたがそれを…」

「あれは異国の詩の一文でしてね。私がアルベット様の晩餐会に出席した時にお教えしたのです」

「あなた、が、アルベットに?」

「彼女の晩餐会はとても素敵でしたのでね。お礼にとお教えしました。その後アルベット様からお手紙を一度いただきまして『あの言葉のお蔭で愛する人と出会えました。あの言葉は私には幸せの呪文です』としたためてありました」

「アルベットは…私の傍に……」


 侯爵は力なく項垂れた。

 アルベットのことを愛していると言いながら、彼女の思いを理解していなかった自分にほとほと呆れた。しかも今までの娘たちへの振る舞いを考えればなおのこと―――


「アルベット様は姿形をアンジェリカ様に、思い出や心根はエリザ様に残されたようですね。侯爵様は今しがたまで片方には全く気が付いていなかったようですが」


 ふう、とわざと音を立てて息を吐き、ヴィヴィアは誰にも口を挟ませない勢いでそのまま言葉を紡いだ。


「このような時で申し訳ないのですが、侯爵様のエリザ様への態度が少々気になりまして。我がマルセルム家でぜひエリザ様を受け入れたいという話が持ち上がったのです。そこで、侯爵様に許可を頂きたく参上しました」


 ヴィヴィアが切り出せば


「私はまだまだ未熟な人間ですが、いずれエリザを私の妻に迎えたいと思っています」


 ヨルクもここぞと強い口調で、けれど信実をもって侯爵に申し出る。

 唐突に続く話にエリザは唖然としていたが、ヨルクの発言に怒りに震えるアンジェリカを目に捉えた。

 ヨルクやヴィヴィアの支持はとても心強い。しかし、元々は自分と父とのいさかいであり、その終結は自分と父とでつけるべきだ。ヨルクやヴィヴィアに任せきりにするべきではない。

 今なら、繋いでいる力強い手からヨルクの力も借りることができる。

 エリザは無言になった父に向き合い、真摯に言葉を紡いだ。


「今日の晩餐会がお母様と同じような形でしたのなら、私は心から嬉しく思います。ただ、お父様の言うようにお母様の晩餐会のことを誰かに聞いたり、お母様の思い出をぶり返してお父様を懐柔しようなどということは思ってもおりませんでした」


 一息吐いて。


「私の晩餐会の件でトーヴィルの名に傷をつけたことは理解しております。本日をもって私はこの家を出ることにいたします」


 エリザの言葉に侯爵の口と手が動いた。しかし、言葉にならず彼が何を言いたいのかは本人以外わからず、手も宙を掻いただけであった。


「ですが、使用人たちには一切罰せませんようお願いします。今宵、私の晩餐会が成功したのはアンジェリカに次いで行ったので使用人たちが経験を踏んでいたおかげです。決してアンジェリカの晩餐会を疎かにしたわけではないことだけは、どうか……」

「―――わかっている」


 小声ではあったが了承の言にエリザは安心した。

 この場には言質を取ることのできるヨルクやヴィヴィアがいるのだ。それがわかっていて不用意に了承の言葉を口にするはずがない。きっと父は自分との約束を守ってくれる。


「ありがとうございます。今までありがとうございました」


 丁寧に頭を下げてからエリザはヨルクと共に書斎を出た。後に続いたヴィヴィアは後日正式にエリザの待遇を話し合いに来ることを告げてから書斎の扉を静かに閉じた。

 静まり返った室内に残ったのは、事の成り行きに納得がいかずに怒りで全身を震わせている若い娘と、娘たちにしてきた己の過ちを振り返り打ちのめされている男であった。


「エリザ様」


 書斎を出れば、憂いの表情の使用人たちが集まっており各々がエリザの名を口にした。書斎の扉は先ほどまで開いていたので、漏れ出る会話を聞きながら扉の外でエリザのことを心配していたのだろう。


「皆様には感謝の言葉しかありません。至らぬ私に尽くしてくださり今までありがとうございました」

「エリザ様…」

「私、この館を出ることにしました。必要なものは持って出ますが、後日取りに戻りますのでまとめておいてもらえますか」

「出て、いかれるのですか」


 肩を落として呟いたのは、エリザが部屋に閉じ込められた際にヨルクに居場所を示してくれた男だ。


「いつかはこの館を出る、と思っていました。少し時期が早くなっただけです。あの、ヨルク様。すぐに戻りますのでお待ちいただいても……」


 荷物は概ね纏めてある。元より明日にでも侯爵に出て行く旨を伝えるつもりでいたからだ。

 ヨルクは無言でうなずき、ヴィヴィアと共に先に馬車へ向かった。

 エリザの当面の荷物が使用人数名によって馬車へ運ばれ、ヨルクとエリザ、ヴィヴィアは涙ぐむ使用人たちに見送られて館を後にした。


「大変申し訳ないのですが、私をランディ様の所まで送っていただけないでしょうか?」


 馬車が動くなりエリザが行先を依頼したので、怪訝な顔でヨルクはエリザを見た。


「なんでランディ?」

「私、ディオノレ領に行こうと考えていまして」

「なんでこの流れでディオノレ領に行くことになるんだっ」


 エリザは怒鳴られる意味がわからないという風に首を傾げた。


「その、私トーヴィル家を出た場合に備えて、ランディ様にディオノレ領での勤め口をお願いしておりまして」

「だから、どうして君は……っ! 大叔母様や僕の言っていたことをちゃんと聞いていたのかい?」


 エリザはきょとんとしてヨルクを見る。そして先ほどの会話を振り返った。


 ―――そういえば。書斎でヴィヴィア様やヨルク様が言っていた……


『マルセルム家でエリザを受け入れる』

『私の妻に迎えたい』


「え、あの、はい。私が家を出やすくするためにいろいろと話を合わせてくださって助かりました」

「いや、あれは本当のことなんだけど」

「あ、そうですね。お母様の棺の前で私に晩餐会を成功させろと言ってくださったのはヨルク様で……」

「いや、そこじゃなくて。君と結婚前提の付き合いをしたいと言う話なんだけど」

「え、は?」

「マルセルム家は君の後見になることを了承している。大叔母様が父を説得してくれて」

「私は単にエリザ様は貴族の嫁になるにふさわしいと言っただけですよ」

「そうですね。それに大叔母様はエリザに“教育”をしたくて仕方がないようですし」

「当たり前です。以前私は言ったはずです。『エリザ様、覚悟なさい』と」

「は、…ええ?」


 ヨルクとヴィヴィアの話している意味を理解しないエリザに二人は根気よく説明を繰り返し、自分に輝く道があることを彼女が理解したのは夜半過ぎのことだった。





 その後、トーヴィル家とマルセルム家においてエリザの処遇について正式な話し合いが行われ、学園の卒業を条件にエリザの後見人にマルセルム伯爵が立ち、その身はヴィヴィアの元に寄せることが決まった。

 それが知れ渡るとマルセルム伯爵とのつながりを持ちたい者や、ヨルクやランディに近寄りたい者、ティアーネやルーパートと話をしたい者などがエリザに近づくようになった。様々な人に声を掛けてもらえるようになり嬉しくは思ったが、エリザは心眼を開いて相手を見極めて友人を選んでいった。

 また、学園ではアンジェリカが怒鳴りたてている姿が目立つようになっていた。感情の起伏が著しく、彼女の取り巻きは戸惑うばかりで統制が図れず、以前のように執拗にエリザを孤独に追い立てるようなことはなくなっていた。彼女の癇癪はトーヴィル家で始まった再度の躾によるものらしい。侯爵は“常識”と“我慢”をアンジェリカに覚えさせることから始めたようだが、幼少より全てにおいて甘やかされてきたアンジェリカにはそれを覚えることさえも苦痛だったのだ。そんなアンジェリカは学園の中でも外でもエリザには近寄らず目も合わせず言葉も交わさない。彼女はエリザを無き者とみなしたようだ。

 反して侯爵はエリザを気にかけているようで、エリザと同席の場では視線が交わることが増えていた。しかし彼は沈痛な面持ちを見せるだけでエリザに声を掛けることはなかった。

 学園での教育と同時にヴィヴィアの教育が厳格に行われてはいたが、穏やかに時間は過ぎ。

 ヨルクと婚約を交わすことが決まったのはエリザが学園を卒業する直前であった。


「エリザと出会うのがもっと早ければ、彼女は僕が手に入れていたのに」


 婚約の報告の際ランディが悔しそうにしていたとヨルクがエリザに話すと、エリザは面白いことをと一笑に付した。それを見てヨルクがホッと息を吐いたが、エリザが手にしている招待状を見て顔を曇らせた。


「本当に招待するのかい?」

「はい。だって、ヨルク様がおっしゃったではないですか。私に“お母様に自慢できるように”と。お母様は私とお父様の仲違いは望んでいないと思うのです。それにお母様の言った通りあれは幸せの呪文で、私はヨルク様と運命の巡り合わせがありました。ですからお母様と同じように幸せになる私の姿を父にも見てもらいたいのです」


 そう言って笑んだエリザに、ヨルクが額にキスを贈る。


「君の勇気にはいつも参るよ」

「私の勇気はヨルク様にいつも支えてもらっています」


 言い合い二人はクスリと笑い合う。使用人たちはそんな風景を微笑ましく見ていた。

 トーヴィル家への招待状は侯爵とアンジェリカ双方に送ったが、婚約パーティに参加したのは侯爵だけであった。仲睦まじい主役二人をトーヴィル侯爵が涙を浮かべながら見ていたが、別れ際侯爵と婚約した二人が手を取りあっている姿があった。





 月日は流れ。





『Siempre estoy a tu lado. Yo en cualquier momento, incluso te amaré por siempre』


「――― アルベット?」


 トーヴィル侯爵の耳に入ったのは愛しい妻が居眠りをする自分を起こすために幾度となく口にしていた言葉。そして二人が出会うきっかけになった言葉だ。


『それはなんていう意味なんだ?』


 妻に何度も尋ねたが、『秘密』と最後まで答えをくれなかった。その意味を教わった時、自分が妻に捕らわれすぎて周囲を全く見ていなかったことを痛感した。

 “アルベット”は常に自分の傍にいたであろうに、目で見えるものを全てとしていた自分が恥ずかしかった。

 ぼんやりとした意識を明瞭にすべく軽く頭を振ると。


「あたりー。こんにちは、おじいさま」


 高くて明るい元気な声が耳に入った。

 目の前で金に近い茶色の髪の、目鼻立ちのはっきりした可愛い少女が彼を覗き込んでいた。


「こんにちは、アルベット。エリザはどこだい?」

「おかあさまはおとうさまといっしょに、おうせつま」

「そうか。では行こうか」

「はい。てをつないでいきましょ」


 差し出された柔らかい小さな手をトーヴィル侯爵は軽く握った。

 二人は手を繋いだまま並んで応接間に向かう。


「アルベットは魔法の呪文をエリザに習ったんだね」

「はい。おかあさまはおとうさまを、わたしがおじいさまを。おひるねしていたら、まほうのじゅもんでおこすことをやくそくしたの」

「そうか」

「まほうのじゅもんはしあわせのじゅもんなんでしょ? おとうさまもおかあさまもわたしもしあわせだもの。おじいさまは?」


 首を傾げながら大きな瞳がまっすぐ侯爵を見つめる。

 トーヴィル侯爵は亡き妻に似た幼い孫に優しい微笑を向けた。


「私も幸せだよ」






 こうして“約束”は受け継がれていく―――




お読みいただき、ありがとうございました。


アンジェリカの『その後』はご想像にお任せします。

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