2.
評価、ブックマークありがとうございました。
また、多くの方にお読みいただき嬉しく思います。
ストックなしの状態なので、投稿が遅く申し訳ありません。
三話で終える自信が無くなりました。後日、サブタイトル変更するかもしれません。
『よろしく頼むよ』
寝床に入ってもエリザの耳にルーパートの声が繰り返される。すでに何度もしている寝返りを打ち、テーブル上の暗闇に隠されてしまっている封筒をじっと見た。
昨日のやり取りでヨルクはきっともう自分のことなど構わないだろうと思っていたのに、今日も変わらず図書室で
「やあ。今日は何を読んでいるんだい?」
そう笑顔で声を掛けてきたことに驚いた。気まずさも、困惑も何も感じさせない会話を交わした。
あまりにも以前と変わらないので、会話を終えて気抜けしたエリザの方が思わず苦笑いしてしまった位だ。
ルーパートの婚約パーティは明後日。もしヨルクを誘うのであればその機会は明日しかない。
一応、お声をかけた方がいいのかしら。
ヨルクは婚約パーティに欠かすことはできない人物だ。
ルーパートはエリザにああ言ったが、実はヨルクの手元には招待状があるはずだ。
万が一。
ルーパートの言った通りならば、ヨルク様のパートナー……入場だけの同伴者となり、会場で別行動をとればいいのではないのだろうか。会場にはアンジェリカがいるだろうし、ヨルクと踊りたい女性は多いから会場内で彼と一緒にいることはないだろう。エリザがヨルクを誘うだけでルーパートの目的は果たされる。
“もし”ヨルク様をパートナーとしてお誘いするようなことがあれば、そうお父様に説明しましょう。
結論を出したエリザはようやく訪れた睡魔に身を任せた。
『――― それがお約束? わたし、それならお約束できる!』
『じゃあ、お約束に必要な呪文をエリザに教えるわね』
『呪文?』
『そう、幸せの呪文。お約束の時にはこの呪文を唱えるの。それにお父様とお母様はこの呪文で知り合ったのよ』
あの時優しい笑顔で母に教えて貰った“幸せの呪文”。それをエリザは今までに二回、口にしたことがあった。
一回目は母の葬儀の時に母の棺に向かって呟いた。勿論母が生き返ることなどあるはずもなく、父の心は母の元に留まり子供たちに見向きもしなくなった。
その父に呪文を唱えたのが二回目。この後父はアンジェリカを溺愛するようになり、エリザとの距離はこの時から微塵も近づくことができなくなっている。
母から教わった“幸せの呪文”はエリザにとって幸せが遠ざかるだけの呪文。
それでもあの呪文は忘れられない。母と約束したという大事な思い出のひとつなのだから。
目の前にいるヨルクにその呪文を唱えたら、彼もまた時分の傍から離れてしまうのだろうか。言わなくても離れるつもりなのだろうか。
「……僕に何か言いたいことでも?」
ヨルクの言葉で我に返ったエリザはいつの間にか彼を見ながら思い耽っていたことに、思いの外彼の顔の距離が近いことに頬を染めた。
彼は今日も変わらず図書室でエリザに声を掛けてきていた。それはエリザにとって嬉しくもあり、戸惑うものでもあったのだが、彼に確認をしなくてはいけないことをひとまず聞くことにする。
「殿下の婚約パーティの招待状をお手にしていないというのは本当ですか?」
そんなことがあるはずはないと思いながらもヨルクに尋ねてみる。
「うん。ルーパートは渡してくれていないね。誰かが誘ってくれない限り僕は彼の婚約パーティには行けない」
婚約パーティは明日なのに平然と返されて驚く。
ルーパートが招待状を渡していないと言っていたのは冗談ではなかったのだ。
国王の側近の息子であり自身の親友であるマルセルム伯爵子息がパーティに出ないとなれば、ちょっとどころではない騒動になるだろう。
「どなたかからのお誘いは……」
「今のところないね。僕が誰をパートナーにするのか気にしている人はいるけど」
それがどうしたという顔をされる。彼が招待状を手にしていないと、誰が思うだろうか。彼が女性を誘うことが当然と誰もが思っている。よって、彼をパートナーに誘う女性はいないだろう。
エリザは困った。
誘っていいものか、どうなのか。昨晩出した結論でいいのだろうか。誘っても断られるのではないだろうか。
逡巡し……
「……え?」
ヨルクが聞き直した。何故かエリザは呪文を呟いていたのだ。母にとっては幸せの、エリザにとっては悲しいだけのその呪文をヨルクに向かって。
その呪文を打ち消すようにコホンと空咳を一つし、一息置いて。
「――― ヨルク様。私、何の準備もしておりませんでしたのであなたに恥をかかせてしまうかもしれませんが、宜しければ明日のルーパート様の婚約パーティでのパートナーになっていただけませんか」
少し震えたその言葉に一瞬目を丸くし、すぐにヨルクは破顔して頷いた。
「喜んで。では明日16時、君を迎えに行くよ」
エリザはヨルクとのことを父に報告するのは夕食後とした。なぜなら夕食前には父は帰って来ないことを知っていたし、夕食時において父がアンジェリカとの会話をエリザが遮ることを許可しなかったし、エリザの話がアンジェリカと父の不興を招くことも理解していたからだ。だから食堂から退室する前に
『お父様。三十分後書斎でお話したいことがあります』
とだけ伝えた。エリザの言葉に父の返事はなかったが、眉間に皺が寄ったので声が耳に入ったことは間違いないとエリザにはわかった。
エリザは言葉通りの時間に書斎に赴いた。
そこにはアンジェリカもいた。彼女は書斎のソファに座っていた。大好きだった美しい母と父が二人でこんな風にお茶を嗜みながら談笑していた光景が甦る。その時と同じ光景がそこにあった。
書斎に入っても父からの言葉はなく、視線だけで話をしろと促される。
エリザは早まる鼓動を落ち着かせるべく静かに大きく息を吸い、言葉を紡いだ。
「お父様、明日のルーパート様の婚約パーティのことなのですが…」
「それは私とアンジェリカが行くことになっている」
「はい。わかっております。実は私、殿下から招待状を直々に賜りまして」
アンジェリカが勢いよく立ち上がった。信じられない、といった風だ。それを横目で見ながら、この先を告げればアンジェリカと父が機嫌を損ねることを覚悟する。
「それで、ヨルク様が私のパートナーになってくださると……」
「ふざけないで!」
アンジェリカが眦の吊り上がった険相な顔つきで叫んだ。
それでも気が張っているうちにと言葉を続ける。
「ヨルク様は16時にお迎えに来てくださると仰ってくださいました。私、ヨルク様とパーティに参加させていただきたく…」
「ヨルク様が貴女のパートナーなんてこと、あるはずがないわっ!」
「その通りだ。お前は一体どんな汚い手でヨルク殿をっ」
「ですから、入場の同伴だけで会場では……」
エリザが説明しようにも、聞く耳持たない二人からの怒声が飛び交う。
「私がヨルク様を慕っているのを知っていて、どうしてそんなことができるのっ」
「アンジェリカが努力した甲斐あって晩餐会でヨルク殿はトーヴィル家の親しい付き合いに了承されていた。お前はアンジェリカの思いを踏みにじるのか?」
「貴女はヨルク様に相応しいドレスも装飾品も何も持っていないじゃない! そんな貴女がヨルク様のお隣になんて、恥ずかしいと思わないのっ」
「そもそもお前が手にした招待状というのは本当に殿下から賜ったのかっ!? まさか、盗んだのではっ」
父に言われてエリザは震える手で持っていた自分の名入りの招待状を差し出した。二人の感情が怖いというよりも、父から盗みをする娘と思われていることが悲しかった。
父の疑いが晴れることを祈りながら緑色の封筒を彼に渡した。エリザの願い通り確かに父はそれに目を通し“招待状は本物である”と、とりあえずは信じたようだったが
「お父様、貸してっ!」
「――― やめてっ!」
エリザの制止も聞かず、アンジェリカは父の手からそれを奪い取り、千切ってしまった。
「こんなもの、偽物に決まっているわ! 大体、晩餐会もしていない貴女が殿下のパーティに招待されるわけがないでしょう?」
「……そうだな。規律を重んじるルーパート様だ。きっとルーパート様はお前ではなくアンジェリカに渡すおつもりだったのだろう」
「そうよ、そうに決まっているわ! あなた、名前を書き換えるなんて……なんて酷い妹なのっ!」
止まる気配のない二人の怒号にエリザは思わず耳を塞ぎたくなるが、唇を噛み拳を握ってそれを何とか耐えた。
招待状を破かれて涙が零れそうにもなっていたが、とにかくエリザは我慢していた。
そして結局我慢ができなくなったのはアンジェリカだった。
「お父様、エリザを罰して! 私からヨルク様を奪おうとするなんて身の程知らずなそんな人、私の妹じゃないわっ!」
その声に応じて、父は使用人たちに命じた。
アンジェリカを傷つけた罰としてエリザを二晩部屋から出さないように、と。
屈強な男性の使用人二人に抑えられてエリザは自室へ強制に連れられた。二人とも昔からトーヴィル家に仕えている者たちだ。
「エリザ様、すみません…」
部屋に押し込まれる前に、双方の使用人が囁くように謝罪した。表情はみえなかったが、意にそぐわない行為を自覚している様子ではあった。
それでも容赦なく扉は閉じられ、外側から扉が開かないように“なにか”で塞がれた。
エリザの部屋は二階にあり、外界へ繋がる出入り口は閉ざされてしまった扉と人が通れない小さな窓しかなかった。エリザ1人ではこの部屋から出ることはできない。
扉を何度か叩いてみたが、誰もこの部屋から出してくれそうになかった。
彼らにも生活がある。主人の意向に逆らうわけにはいかないことはエリザだってわかっている。自分が口にしてはいけない“呪文”をヨルクに唱えてしまったせいでこうなったのかもしれない。
それでも。
どうして私の傍には“誰も”いてくれないの?
どうして“幸せの呪文”が私には効かないの―――
最後に思い切り扉を叩きつけ、エリザはその場で泣き崩れた。
アンジェリカの晩餐会の時とは異なる装いで、約束の時間通りにエリザを迎えに来たヨルクはトーヴィル家の応接間で辟易としていた。
「何度も申し上げていますが、私が迎えに来たのはエリザです」
トーヴィル侯爵がパーティの同伴はアンジェリカでしょうと何度も言い、ヨルクが違うと同じ数だけ返している。
これだけの押し問答をしているにもかかわらず一向にエリザの姿はなく、ヨルクはじりじりとする。
確かにこのトーヴィル家で行われた晩餐会で、今後トーヴィル家とは親しい付き合いになるとは言った。しかし、アンジェリカと個人的に親しくするとはひと言も言わなかったのに、二人ともそれが当然とばかりの物言いだ。
エリザが常に控え目で慎ましく一人で過ごしていたのは、人の話を真っ当に聞かない家族のせいと今さらながらに胸を痛ませる
こんな家族に囲まれていたら、自分ならきっと一年もたたずに己を見失っているだろう。
「私は殿下から招待状を渡されたエリザにパートナーの誘いを受け、承諾しました。エリザは今どこに?」
「エリザは体調を崩して休んでいますのよ。私に代わってほしいと言っておりましたわ」
笑顔で静々と応接間に入ってきたのはダークレッドのドレスとルビーとダイアモンドを使ったネックレスを着けた華々しいアンジェリカだった。
「今エリザはベッドで伏せておりますの。直接お詫びできず申し訳ないと……ヨルク様?」
アンジェリカの話の途中ではあったが、我慢の限界に来ていたヨルクは応接間を出るべく二人に背を向けた。
驚きのアンジェリカの声に構わず、ヨルクは平静な声を装い彼女とその父に断言する。
「エリザを探します」
「ヨルク様? 待って! どうしてエリザ!? ねえ、お父様っ!」
アンジェリカの金切り声が聞こえるがそれを無視する。侯爵は癇癪を起したアンジェリカを落ち着かせることを優先したようで、ヨルクを止めに来ることはなかった。
先日この館を訪れたとはいえ、ヨルクが知るのは晩餐会が始まるまで待機していた応接間と会場であったホール、それから厨房だけだ。
エリザは一体どこにいるのだろう?
ヨルクが周囲をぐるりと見渡した時、柱の陰に中年の使用人の姿が見えた。その使用人と目が合うと、彼はヨルクにだけわかるように階段を指差していた。
階段……上か。
ヨルクは頷くことで感謝を示し、階段へ向かった。
階段を上がると、“エリザの居場所”がすぐに分かった。廊下には不相応な重々しいチェストが置いてあり、それで塞がれた扉があったのだ。
「――― エリザ」
ヨルクは人が通れる分だけチェストを退かして扉をノックした。
「……ヨルク、さ、ま?」
小声だけれど、エリザの声だ。
「入ってもいいかい?」
返事はない。
「エリザ?」
「今日のパーティですが、私ご一緒できません」
「どうして?」
「招待状を……失くしました。申し訳ありません。ですから、どうかもうお引き取り……」
「入るよ」
返事を待たずに扉を開けた。
室内を見れば、さほど広くない部屋で質素な家具に質素なベッド。まるで使用人の部屋のようだった。机に上には見たことのある書物…昨日エリザが手にしていた本が置いてあり、見覚えのあるエリザの私物もいくつか目に入った。
まさかここがエリザの部屋?
思わずヨルクの眉根に皺が寄る。
「エリザ」
「ヨルク、様」
名を呼べばベッドの上で人が動いた。目は充血しており瞼は腫れ頬には涙の後が残っている。一目で泣いていたのだとわかった。
「パーティに行くだろう? 約束通り迎えに来たよ」
手を差し出すヨルクにエリザは横に首を振った。
「やはり私がパーティに行くなどあってはいけないことです。どうか、今日はお引き取りください」
「どうして? 君には今日のパーティに参加する資格がある。招待状を受け取ったろう?」
エリザはただ静かに首を振る。
「君を待っている人もいる」
「待っている、人?」
そんな人物などいるはずもないという思いを含んだエリザが呟くように繰り返す。
「そう。招待状を君に渡したルーパートと、君と友達になりたがっているティアーネ王女。それからこの間君も会ったヴィヴィア様。面白くないけどランディもね。もちろん僕もだけど」
「そ、んなこと……」
「あるはずないと思う? でも本当だよ。皆君を待っている」
「でも、私は何も準備していませんし、招待状も……失くしました」
「ドレスはこちらで準備した。招待状は今朝ルーパートから届けられた」
ヨルクの言葉にエリザの目が見開かれる。
彼女が何の準備もしていないことは想定済みで、だからこそ迎えの時間を早めに設定して伝えていたのだが、その事実をエリザが察していた様子はない。ただ目を潤ませヨルクを見つめるだけだ。
「でもまずはその泣いた跡を何とかしないとね」
ヨルクは指でエリザの目元を拭った。その行為にエリザが不思議そうな表情をした。昔を懐かしむような、そんな瞳をしながら。
ヨルクは抵抗を忘れたエリザの手を取って部屋を出た。
廊下には使用人たちの姿がちらほら見えたが、皆遠くから二人を見ているだけだ。その中に先ほどヨルクに階段を示してくれた男性の姿もあり、閉じ込められたエリザのことをずっと気にかけていたのであろう彼は安堵に満ちた表情をしていた。
エントランスまでくれば、怒りをなんとか抑え込むトーヴィル父娘が待ち構えていた。
「ヨルク殿」
「ヨルク様っ」
「トーヴィル侯爵。今宵、エリザ嬢をお借りします。責任を持って送り届けしますので、ご安心を」
鋭い目でヨルクを見る侯爵、怒りを含んだ目つきのアンジェリカにも臆することなく、ヨルクはおろおろするエリザを優しく誘導して共に馬車に乗り込んだ。
お読みいただき、ありがとうございました。
この話はヨルクとエリザがパーティ行ったよバージョンです。