笛吹
あるところに、1人の笛吹きがいました。
その笛吹きはまだ少年でしたが、聴く者全てを魅力すると、街で有名なほどの実力の持ち主でした。
そんな少年の実力を見初めた1人の王宮使いが、少年を王宮へ招待しました。
そして、とある晩餐会でその腕前を王の前で披露しました。
それを聴いた王はとても感動していました。
そして、王は少年に命じました。
「姫の専属の笛吹きになってくれないか」と。
少年は一度はそれを断ろうと思いました。
しかし、こんなチャンスはもう2度と訪れないだろう、と思った少年はそれを引き受けました。
早速、次の日から少年は王宮に住み込みで働くことになりました。
仕事の内容は、「姫の望む時に笛を吹いて聴かせること」でした。
城へ来た少年は執事に案内されて、笛を片手に姫の部屋へ向かいました。
扉をノックすると、奥から「誰?」という声が聴こえました。
「今日から姫の専属の笛吹きになりました、アルトと申します。」
少年、アルトがそう名乗ると、「どうぞ」という許しを得ました。
失礼します、とアルトは姫の部屋へ入りました。
そして、寝台で身体を起こした姫を見て、アルトは言葉を失いました。
姫が、あまりにも美しかったからです。
綺麗な金髪に、それに似合った白いドレス。
そして、姫は固く目を閉じていました。
「ごきけんよう、アルト。貴方が、新しい笛吹きね」
「はい。ご期待にそえられるか分かりませんが、力の限り演奏したいと思います。」
アルトは姫に深く礼をしました。
しかし、姫の目は開きませんでした。
「えぇ。…声からすると、まだ幼いのかしら?今は幾つ?」
「…今年で、15になります」
「私の一つ下ね。ふふふ、弟、ってところかしら?なんてね」
姫はクスリと笑う。
…アルトは、もしかして、と思いました。
姫は、きっと目が見えていないのだと。
「もう気付いたかもしれないけれど、私、目が見えないのよ」
アルトの沈黙に気付き、姫はそう答えました。
「しかも心臓も弱いの。20歳までは生きられないだろう、って、医師に言われたわ」
姫は笑顔でしたが、その表情は少し悲しげでした。
「今まで何人か笛吹きはいたのだけれど、私の扱い方が分からず皆辞めていったわ。だから、貴方が私の最後の笛吹き。もうすぐ、私は死ぬからね」
「…そんなこと、仰らないでください」
「だって本当のことよ?…きっと、貴方もすぐにここを去るのでしょうけど」
姫は、寂しげに呟きました。
その姿は、とても小さく見えました。
誰も味方がいない。
だから、1人で生きていくことしか出来ない…。
だからこそ、アルトは胸に誓いました。
絶対に、姫の笛吹きを辞めないと。
一緒に姫と生きていこうと、決めました。
「そうね、早速吹いてもらっていいかしら?どんなに優しい人でも下手な笛吹きならお断りだからね」
姫は悪戯っぽく微笑みました。
「…力の限り、頑張ります」
アルトは微笑み、そして笛を構えました。
…姫の広い部屋に、アルトの吹く甘い音色が響き渡りました。
姫は微笑みを消し、その音色に入り浸っていました。
広く、高く、どこまでも響き渡るような、そんな音。
姫は、こんなにも心を動かす笛吹きには初めて会いました。
目が見えない代わりに、他の感覚が発達していく姫は、今までの笛吹きが少しでも不安定な音を吹くとすぐに演奏を止めてしまっていました。
そのため、幼い頃から何人も笛吹きが付いてましたが、皆、姫の気に添わず、辞めていきました。
しかし、彼は違いました。
とても、温かい。
音程のズレなど多少あるけれど、でも、それ以上に温かい音。
今まで雇われた笛吹きとは違う。
お金のためじゃない。
名誉や地位のためじゃない。
自分のためだけに、笛を吹いてくれている。
姫は、心の底からそう感じられました。
そして、姫は久しぶりに悪戯や冷やかしでもない、温かい笑顔を浮かべました。
アルトの吹く笛の音が止まりました。
曲が終わったのです。
「…ど、どうでした、でしょうか…?」
アルトがおずおずと尋ねる。
どこか一つの感覚を失うと、他の感覚が異様に発達するということを知っているアルトは、姫の耳が厳しいことも分かっていました。
何人もの笛吹きが、姫に認められず、辞めていったのですから、今度は自分もそうなってしまうのかと、不安になっていました。
しかし、姫は微笑みながらアルトに拍手を送った。
「とても良かったわ。こんな気持ちは初めてよ。ありがとう」
「えっ………」
予想外の賞賛の言葉に、アルトは声が出なかった。
自分の実力なんてまだまだで、未完成なのに。
「あなたの演奏には、とても心がこもっていた。とても優しい音色。きっとあなたもこの音のように優しいのでしょうね…」
「いっ、いえ、そんなことは……」
「でも、まだ技術面に関してはまだまだね。低い音はよく鳴っているけれど、高い音は苦手?音程がよく外れてしまっていたわ」
「うっ…、す、すみません。以後、精進します…」
アルトは図星をつかれ、見ていないのを分かっていながら、頭を下げる。
姫は楽しそうにクスクス笑って言った。
「ふふ、面白い子ね。…合格よ。あなたを、私の専属の笛吹きだと認めましょう。逆に、私からお願いしたいくらいよ」
「…!あ、ありがとうございます!こんな至らない僕ですが、よろしくお願いします」
興奮で声が上がるアルトに、姫はスッと手を差し伸べる。
アルトは少し躊躇い、そしてゆっくり姫の手を包み込んだ。
その指はとても細く、握ればすぐに折れてしまいそうなほど、脆く儚かった。
「…あなたの手、とても綺麗ね。とても柔らかくて、細くて、けれど、力強そう」
姫は、優しく微笑み、アルトに言った。
「…もう一曲、吹いてくださる?できればゆっくりで静かな曲がいいわ」
「よっ、よろこんで!」
「そうね、どうせならベランダでハーブティーを飲みながら聴きたいわ。…カシル、執事のカシルを呼んでもらっていいかしら?」
姫は、とても楽しげにそう提案しました。
それから、半年。
執事のカシルと同じ程に気が利くアルトは、ほとんどの姫の面倒を見るようになりました。
どんな雑用も、嫌がることなくこなしていきました。
姫の我が儘にも、文句一つ零さずにできる限りのことをしてみせました。
笛の方も、姫のアドバイスを受けながら、少しずつ上達していきました。
今では、全ての音域を吹きこなせるようになってきました。
曲のバリエーションも増えていき、自分で作曲をしたりもしています。
姫とアルトの仲は確実に良くなっていきました。
…しかし、それと同時に、姫の病気の発作が多く起こるようになりました。
アルトはその度、苦しむ姫の横に座り、泣きそうな顔をして弱々しくなっていく手を握りしめていました。
「…絶対に、死なないでください。まだ、死なないでください」
ある日、青ざめた顔で眠る姫に、アルトは何度もそう語りかけます。
その目には、今すぐにでも零れそうなほどの大粒の涙が浮かんでいました。
「あなたが本当に満足できる程の演奏が出来るようになるまで、死なないでください…」
姫は、眠ったままでした。
その白すぎる頬は、まるで死人のようでした…。
「…アルト…、アルト、いる?」
「はい、お側に」
目を覚ました様子の姫の手を、アルトが握り、ここにいることを示します。
「…温かいハーブティーを、飲みたいわ」
「分かりました」
アルトは先ほど沸かしておいた温かいお湯を、カップに注ぎ、そして姫の手に持たせました。
「…ちょうどいい温度ね」
「姫に合うよう、少し冷ましたので」
「ふふ。ありがとう」
姫がゆっくりそのハーブティーを口にしていくと、段々と頬に赤みがさしていきました。
それを見たアルトは、ほっと安心しました。
…まだ、大丈夫。
もう少し、姫といられる…。
そう思っていた、矢先でした。
「…アルト」
「はい」
「…私、もう死ぬわ」
姫は、とても柔らかい笑顔で、そう言いました。
「自分でもう分かるの。もう、そう長くは持たない。次、発作があったら、きっと…」
「駄目です」
姫の言葉を、アルトは遮りました。
…その続きを言わせてはいけない。
そう思ったからです。
「…まだ、駄目です」
「………」
「まだ、姫の納得できる演奏が出来てないです。やっと、ここまで吹けるようになれたんです。…だから、お願い、あと少し…」
「アルト」
姫は、手さぐりでアルトの顔を優しく包み込みました。
「私が望む演奏なら、あなたはいつでもしてくれたわ。私のためを思ってくれる演奏は、どれも最上級の演奏だった。音程や音の鳴りなんて、いいのよ」
「でも…」
「ありがとう。私のことを、大事に思ってくれてありがとう。私に、優しさを教えてくれてありがとう。そして…」
姫の頬に、一筋の涙が、伝いました。
「私に、恋を教えてくれてありがとう。大好きよ、アルト」
姫は、アルトをそっと抱きしめました。
…姫の身体は、氷のように冷たく冷えきっていました。
「あなた、こんな身体をしていたのね。もっとひょろひょろしてるかと思っていたけれど、しっかりとしているわ」
初めて会った時より、姫は断然、やせ細っていました。
その細すぎる腰に手を回し、アルトは、涙を流しました。
「嫌です。どこにも行かないでください。僕にはあなたしかいないんです。僕もあなたのことが大好きです。だから、だからっ…」
自分の胸元で泣きじゃくるアルトの頭を、姫は優しく、撫でました。
「…案外、子供っぽいところもあるのね、アルト」
「お願いです。ずっと……、ずっと、あなたのお側にいます。だから、行かないで」
「…そうね、アルト。またあなたの音が聴きたくなったわ。よかったら、吹いてくださらない?」
アルトはしばらく無言でしたが、やがて顔を上げ、笛を手に取りました。
呼吸を整えて、笛を口に当てます。
…曲は、姫に初めて聴かせたものでした。
姫が、素直に褒めてくれた、この曲。
…姫との思い出が、次々と思い浮かびます。
一緒に手を引いて庭へ行ったり、寝付くまでずっと手を握っていたり、ハーブティーを隣で一緒に飲んだり…。
この半年、姫とずっと離れて過ごす日などはありませんでした。
ずっと隣で、歩んできた。
姫の目の代わりになってきた。
なのに、
どうして……?
「…アルト?」
アルトは、姫の専属笛吹きになって初めて、曲の途中で吹くのをやめてしまいました。
「どうしたの?アルト…」
「…ごめんなさい」
アルトは、泣いていました。
「…この曲を吹き終えてしまえば、離れ離れになってしまうと、思って…」
アルトは、柔らかい絨毯の上に笛を落としてしましました。
「…姫と、別れたくないんです。どうしても、別れたくないんです」
「…お願い、アルト。もう諦めて」
「………」
「私だって別れたくないわ。あなたは、私の唯一の光だもの。…でもね、いずれ人はサヨナラをしなくてはいけないの。それが、早いか遅いかの問題だけ」
「…一人は、怖いんです」
「いいえ、あなたは一人じゃないわ。私が死んでも、ずっと隣にいるわ。…気が向いたら、また私のために笛を吹いて。必ず聴いているから。私ことは忘れないで。でも、私への想いは忘れて。ちゃんと家族を作るのよ。あなたの子供、見て見たいわ。それでヨボヨボのお爺ちゃんになったら、私のところへ来て。待ってるから…」
それは、姫の遺言でした。
その時姫は、初めてその目を開きました。
焦点の定まらない瞳。
しかし、その目はとても美しい碧で、どこまでも深い碧の色をしていました。
…アルトは、グッと唇を噛み締め、涙を堪えました。
「…分かりました」
その言葉を聞き、姫はとても柔らかい笑顔を浮かべました。
そしてまた瞳を閉じました。
「よかったわ、分かってもらえて」
…身体を起こしていた姫は、また寝台に横になりました。
「…姫、」
「…眠くなってきたわ。どうせなら、静かな曲を吹いてくださる?鎮魂曲とかがいいわね」
…これが、最期だと。
アルトは思いました。
姫に聴かせる、最期の曲。
アルトは、落とした笛をまた拾い、吹く姿勢を取りました。
「アルト」
「…はい」
「私、あなたのおかげで幸せだったわ。ありがとう」
「…僕の方こそ。大好きです、姫」
「私もよ、アルト。…おやすみ」
アルトは、自分の知っている唯一の鎮魂曲を奏でました。
…その音は、これまでにない程の美しさでした。
姫の最期をかざるのに相応しい音色。
姫のための鎮魂曲は、王宮内に響き渡りました。
…曲を吹き終えた時にはもう、姫は永遠の眠りについていました。
それから、幾年が過ぎました。
王宮の花咲く裏庭に、一人の青年が訪れました。
そこには、今は亡き姫の墓がありました。
「…久しぶりですね、姫」
その青年は、姫の最後の専属笛吹きのアルトでした。
すっかり大人らしい顔立ちをし、背も高くなっていました。
「聞いてください、姫。僕、今度結婚するんです。隣の街のとても綺麗な娘で、僕の笛をよく褒めてくれるんです。…でも、やっぱり姫には及びませんけどね」
裏庭に咲く綺麗な花束を、墓に添えて、手を合わせました。
そして、持っていた笛を構えました。
「…なので、しばらくまた会えないかもしれません。でも、子どもはたくさん作るつもりですよ。そしたらまた、会いにきます」
そう言って奏ではじめた曲は、姫に初めて聴かせた曲でした。
あの日、泣いて吹ききれなかった曲を、今、また吹きました。
星になった美しい盲目の姫へ。
捧げました。
「この曲、実は姫以外には聴かせたことないんです。嫁にもです。…この曲は、姫のための曲。いつかそっちへ行った時、何度でも吹いて差し上げるので、待っていてください。…では」
墓に一礼し、顔を上げた時にはアルトは清々しい笑顔でした。
…墓を見つめると、そこに目を閉じた姫がいるように感じられました。
とても、優しい笑顔で、拍手をしているように思いました…。
アルトは、その笑顔のまま、裏庭を去っていきました。
ずっと愛用していた笛を置いて……。