要するにマヨラー
大衆に良く知られているような、普遍的な一般常識が通じないという事態はままある。
というより稀によくある。
限定されたコミュニティ内では特にそうだが、例えば学校内。年上の人間に多少のタメ口をきいていても軽いノリで済まされていたのが、社会に出るとそうでも無かったり。奥地と言うほどではないにしても、村や地域の風習・慣習が、他から見るとひどく奇異に見えたり。
こういうことは、食事では特に言えることだと思う。虫や蛇を使った料理を食べる集落があれば、食べない集落もある。日本では食べるときのマナーとして茶碗を手に持つけれど、韓国ではその逆。他にも、箸を使うかフォークを使うかという違いもある。
「食」という概念に、常識の埒外という事態は稀によくあるのだ。
「・・・っていってもなぁ・・・・・・」
「言っても、何?どうかした?」
溜息を吐く僕は恨めしげな目で、かわいらしく小首をかしげる目の前の従姉を睨んだ。といっても、睨みたくて睨んでいるわけではない。目の前の惨状から目を逸らしたかったからだ。
風呂はなく、トイレも住民全員が男女問わず共用するおんぼろアパートの一室、僕の住む8号室のちゃぶ台には、ただひたすらに「白」のみがあった。
恐らく、僕の目の前にあるモノは和食だろう。彼女のレパートリーや、皿、碗の種類からもそう推測できる。しかし、
「・・・由美子さん、マヨネーズのせいで何が皿にのってんのか全っ然分かんないんだけど」
目の前の惨状を作り出した主犯、ちゃぶ台に我が物顔で君臨する白、マヨネーズ。その空のボトルを手に持った僕の従姉・柴田由美子さんは、その特に化粧っけのない――一言で言うなら地味な――顔を少し残念そうにし、
「あ、今回はマヨネーズ多すぎちゃったかな。ちなみに今日のメニューは、アジの塩焼き、青菜の白和え、それにご飯とみそ汁よ」
「思いっきりスタンダードな和食じゃん、マヨネーズどう考えても必要ないじゃん!」
「うーん、スタンダードっていうか、七史君にはハイレベルかな?」
「どう考えてもハイレベル超えてルナティックだよコレ!?大体アジの塩はどうしたよ、青菜の白和えもだけど、白けりゃ何でもいいってわけじゃないでしょ!!」
「でも、ご飯とマヨネーズは良く合うと思わない?」
「合う合わないの問題以前にもうご飯が茶碗にあるかどうか視認できないよ、マヨネーズ多すぎて!」
ぬかったあああああ、と心の中で僕は絶叫し頭を抱えた。そうだよ、僕は一体何を期待していたんだ。「近くまだ寄ったから、ちょっと顔見ようと思って」なんて言われるがまま部屋に招き入れるべきじゃなかった、朝食なんて作らせるんじゃなかった!買い物袋の中身からして大学生になってからもマヨラーでいることなんて予測できたはずなのに・・・!
「・・・まだ、朝の五時だよ、由美子さん。流石に朝からこの量のマヨネーズはキツいぜ」
「そう?でも七史君、今日から二年生でしょ?しっかり食べて、体力つけないと」
「うん、始業式からこんな高カロリーな食事を摂らないといけないような運動はしないと思うけどね」
一応、早朝から家に来て朝食を作ってくれる人にこんなことは言いたくはないけれど。と付け加えた僕に、由美子さんは再び笑いかけ、
「別に気にしなくてもいいよ、家族なんだから、ね?」
「・・・有難いよ、本当に」
そう言って僕は、にこりと笑った。
そう、僕には、親戚である柴田家以外に家族がいない。
物心ついたときにそばにいたのは、母親だけだった。その母親の記憶も断片的にしかないわけだが。
十年前に見てしまった、―――――――のせいで。
「そういえば、さ」
油こってりマヨネーズ尽くしの朝食を30分で平らげるという快挙を成し遂げ、恐らく火をつければキャンプファイヤーでは済まされなくなるであろうレベルまで達した僕に、由美子さんは深刻そうな面持ちで切り出した。
「お父さんとお母さんが、やっぱりこっちで暮らさないかって」
「・・・・・・」
ここでいう父母は、僕の叔父叔母に当たる人物だ。
「ここじゃ狭いし、お風呂もないじゃない。トイレも共同でしょ?」
「・・・・・・ここはあくまで寝るための場所だからね。近くに銭湯もあるし、トイレについては不満はない」
「料理できないでしょ?毎日私が通うってわけにもいかないし」
「近くに外食屋がある。それに、別に僕のために出す家賃が足りなくなったとか、そういうわけじゃないんだろう?」
このアパートの家賃、激安だし。それはもう、某通販番組によく出てくる社長が絶賛してもいいレベルで。
そもそもこのアパートには風呂も個別のトイレも付いていない。全面畳張りで天井からぶら下がるのは白熱灯一個。鍵もなぜか南京錠で、防犯対策ワーストクラスの昭和どころか大正にタイムスリップしたかのような気分になってくる。
「それに、このアパートのが高校に近いんだよ。勉強にも集中できるし」
「・・・・・・お父さんお母さんっていう“存在”が嫌ってわけじゃないの?」
「まさか」
るろ剣の左之助がいつも咥えている魚の骨レベルには関心を払っているさ、とは勿論口に出さずに。
そんな僕の本音を知らない由美子さんは、その眼鏡の奥の瞳をスッと細くし、
「・・・そう。十年前のことがずっと気にかかっているのかと思って、心配しちゃったわ」
「ハハ、まさか。トラウマなんて、五年もすれば治るものさ」
父親なんて、大事な時にも傍にいない。
母親なんて、殺されるしか能がない。
ニヒルな笑みに感情を隠し、僕は言葉を紡ぐ。
「さて、由美子さん。僕はそろそろ学校に行かないといけないんだけど、由美子さんもだろ?送って行こうか」
「ううん、気にしないで。それじゃあ――」
またね。
サヨナラ。
由美子さんと僕はそう言って、別れた。
そして僕は、由美子さんが完全にアパートから離れたのを窓越しに見送った後、
台所の流し台に朝食をすべてぶちまけた。
そしてカレンダーを見る。
「4月8日、か」
なるほど、道理で胸糞悪い。
今日は、母さんの命日じゃないか。
「・・・母親みたいなこと、するなよ」
いつの間にか僕は、舌打ちしていた。