イントロ~半年前~
早朝、外はまだ薄暗く、空もやっと白んできた時間帯。
少女は自宅の敷地内に造られた彼女専用の道場で、いつものように稽古に励んでいた。
純白の小奇麗な剣道着に身を包み、真っ白な髪を長く伸ばしてポニーテールに束ねた、紅い目の可憐な少女だ。
真剣と同等の重さの木刀で素振りをし、無銘の真剣に持ち替えれば得意の居合でマネキンを切り倒す。
すべてがいつも通りだった。
『それ』が来るまでは。
「お嬢様、一之瀬麻角様よりお手紙が届いております」
音もなく、手紙の入った封筒を手に持った老人が現れた。
元々黒かったであろう髪はすっかり白くなり、身体機能も全盛期に比べると著しく低下してしまったものの、その鋭い眼光は衰えることを知らない。
「お父様から?」
驚いた表情で、もはや家族同然である老人に会釈すると、少女はすぐさま封筒の口を切った。
白髪赤眼の少女・十塚陽夢は、日本最大の封魔機関・蜻蛉機関機関長、一之瀬麻角の娘である。
もっとも、愛人との間にできた子供なのだが。
しかしながら、一之瀬麻角の所有する(・・・・)子供の中では最も霊力やその他才能に恵まれているため、じいやと二人暮らし、人里から離れて英才教育を受けているのだ。
「して、お嬢様。内容は?」
手紙を読み終わって、少し悩ましげな表情をみせる陽夢に、じいやが冷徹な視線で問いかける。
「・・・・・・殺し、です」
「はい?」
「同封されている写真の人物を殺せ、とのことです」
そう言いながら、老人は陽夢に手紙を手渡した。
書かれていた内容は、実にシンプルなものだった。
――存在するはずのない特異点。
――曖昧なままの異形。
――半吸血鬼・朽木七史を抹殺せよ。
「朽木、七史・・・」
じいやはそう呟きながら、同封されている写真を眺めた。
詰襟の学生服を着た、浅黒い肌、学生服と同じ、いや、それ以上に真っ黒な髪の少年が歩いている姿が写されていた。
「朽木七史について、何か知っていることはありますか?じいや」
「・・・私の知っていることは一つ。この少年は三年前、最強の退魔師、東雲亜門に危機を救われた、ということだけです」
淡々と情報を述べる老人に、そう、とだけ言うと、陽夢は再びじいやに問いかける。
「・・・じいや、本当にこの人を殺さなくてはいけないのですか?」
「それは一体――」
「この人、人間ですよ」
陽夢は震える声でつづける。その目は、霊視保有者が能力を使用するとき特有の、深い蒼に染め上げられていた。
「魔力の量が人間と全く変わりませんよ。それだけでも、この人が間違いなく人間だと言える理由となり得ます。見たところ学校に通っているようですし、それに・・・」
「――それは、契約の不履行と。機関に対する反逆とみて、良いのですか?」
あまりにも冷たい肉親同然の男の声に驚き顔を上げた陽夢の見たものは、やはり氷の眼光だった。
世の中の汚れたモノすべてを見てきたかのような、人殺しの目だ。
その瞬間、陽夢は思い出す。自分の目の前にいるこの老人は、組織への忠誠が随一であると自らの父に太鼓判を押された上で、自分の世話役をまかせられていると言うことを。
「ろくな任務を受けたことのない新参者が・・・。いや、新参者だからこそ、かもしれないな、このような戯言が吐けるのも。しかし、この機関はごくつぶしを養っていけるほど慈悲深くないのは、あなたも知っているでしょう」
「・・・・・・・・・・・・はい」
ようやく陽夢が絞り出したその声に頷いた老人は、
「まあ、お嬢様。ゴミ出しと同じようなものですから、そう気負わずともよろしいでしょう」
と、言いつつまた一つ、荷物を持って来た。
紅い布でくるまれた、細長いそれは――
「刀?」
陽夢の言葉に、じいやはコクリと頷く。
朝日を受けて琥珀色に美しく輝くその刀は、清廉というより、どこか怪しくみえた。
「妖刀・獄歌。元々は名刀と謳われていたのですが、ある時を境に妖刀と化したのです」
「名刀から妖刀へ・・・」
名刀から妖刀へ没落した刀、と言えば村正が有名ではあるが、じいやの持つ獄歌は、そのようなものと似た、異質な存在感がある。少なくとも陽夢にはそう思えた。
「殺すしか、ないのですね」
気付いた時には既に、陽夢の手は獄歌を掴んでいた。
「ええ、殺すしかないのです」
対して老人は、無表情に陽夢を見つめていた。
どんな感情にも染まらず、ただただ色のない表情で見つめていた。