三話目
グダりそう…(泣)
冬眠しようかな。眠たいしもう食欲もないし。動くのも億劫なくらいだるい。でも昼間の日光は気持ちいい。うとりうとり、何も考えずにいつもみたいに寝ていた。
顔と手は甲羅の中に入れていたが、警戒心の無さが足を伸ばさしていた。だらしなくくつろいだ格好。それが俺の最期の姿だったはずだ。
そんなもの見て気分が良くなるはずがない。ドアの手前に置かれている水槽にそれがいることは知っているが、あえて見ない。
しかし、困った。
「ドア、閉まってる、よな」
行く手を立ちはだかるようにあるドアを見上げる。開け方は知らないし、そもそも亀の俺に対してデカすぎだ。この段差すら上れないんじゃねぇか。
途方に暮れる、とはこのことか。
「あ、まだいたの?」
慌てて顔を上げた。ツキゲが出てきたのかと思ったのだ。しかしそこにはガラスに反射した青年の姿があった。
「君に名前を聞くの忘れてたみたいなんだよね、ってどうしたの?」
さっき出会ったばかりの、そして別れたばかりの青年だった。安堵とも脱力とも言えぬため息が口からもれた。
「中に入りたいんだが、入る方法がなくて困ってたんだよ。あと俺はタトルだ」
「あっそーなんだ。俺はメイ。よろしくなタトル君!!」
青年はメイと名乗った。そして少し何かを考える仕種をしたかと思えば、次の瞬間には軽々と俺を持ち上げていた。
「なっ!? おい、何をする!!」
「何って人助けだよー。あ、君は人じゃないから亀助けって言うのかなあははっ」
そのまま俺を片手に、やつはドアに向かって歩き始めた。何も躊躇うことなく進んでいく。あまりに簡単にやってくれるおかげで反応が遅れたが、慌てて手足をばたつかせて制止させようとする。
ドアはもう目の前だ。
「バカやめろっ!! いきなり見も知らないお前が入ってきたら、」
ツキゲが驚くだろうが!!
しかし続きを言えなかった。思わず息を飲む。
ドアが後ろにあった。
「え?」
閉まっていたドアは一度も開くことなく自分たちの後ろにある。それは、つまり、通り抜けた? そんな………。
「ん? 何か言ってた?」
やつのとぼけた声が頭上から降ってきた。そろりとそちらを窺う。お前、今何をしたんだ?
そこには先程の笑顔がなかった。真剣な目つきが俺に刺さる。
「あのさ、君分かってる? 俺らはもう生きてないの」
もう………ない?
死んだ、と言われた時よりその言葉は胸を貫いた。顔の血の気がなくなるのを感じる。視界が真っ白になった。
そのまま意識を手放せたら、そして目が覚めた時には全てが夢だったとしたら、どんなに良いか。死んで初めて後悔をした。しかし今、俺はやつの手の中にいる。もう生きていない者同士………。
やつの表情はふっと和らいだ。さっきみたいに、しかしどこか辛そうに寂しそうに、笑っている。
「生きてた頃の気分のままだとここではやってられないよ。君みたいなタイプにはつらすぎることばかりに感じるから、早く切り替えな。もう………ないんだから」
もう………ない。
同じ言葉を繰り返すことを避けて伏せたのだろう。でもそれはかえって鋭く刺さる。その空白に入るのは自分の命だけじゃないんだってことだ。
「ツキ、ゲ………」
もう『あの優しい手に触れられ』ない。もう『ツキゲに見つけてもらえ』ない。もう『二度と』ない。
「ねぇタトル君、良い匂いだと思わない? 何だろクッキーかなぁ」
その声にハッと我にかえった。
「どこからか匂うと思ってたら君の家からだったのかぁ」
鼻をひくひく動かしてうっとりとした顔をしている。その動きは前に一度見たことがある何かと似ていた。
「きゃっ!! 美味しそっ!!」
歓声とともに小走りで机に駆け寄って行く。その手に捕まれたままの俺も一緒に、いつしか部屋の真ん中へと進んでいた。
「メイ、これは、」
「呼び捨てはやめてよぉ」
「………メイさん、これは何だ?」
「それはクッキー、あっそっちはカボチャだ!!」
カボチャ? しかも顔がついている。これはたしか、前にツキゲに教えてもらった………。
目をつぶれば浮かび上がる、いつかの会話。
『あのね、タトル。十月三十一日は何の日か知ってる?』
『カボチャに穴をあけて顔にするの、じゃっからんたん!!』
『クロネコとか魔女に仮装してね、家を回ってお菓子をもらうんだ!!』
『トリックオアトリート、お菓子をくれなきゃいたずらするぞぉって』
『答はね、』
そっと目を開く。
メイさんは机の上にあるクッキーを楽しそうに眺めている。様々な形をしたクッキーが散らばってる。
そこに答はあった。
「………ハロウィンだ」
H・A・L・L・O・W・E・E・N
クッキーでかたどられたその文字をじっと見つめた。
十月三十一日、俺の死んだ日。
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