伸ばした手の先 2
どうしよう。
思わずドアの前で立ち止まってしまう。
職員室に行って、用事を済ませたら、別の先生に手伝いを頼まれて。今日は部活が無い日だから、いいかな、と思って手伝って。
手伝い自体はたいしたことじゃなくて、1時間くらいで終わったので、帰ろうと鞄を取りに教室まで戻ってきて…固まってしまった。
中から聞こえてきた男子たちの声。それだけだったら、別に気にせず入っていけたんだけど…。問題はその内容。立ち聞きする気は全く無いけど、必然的に耳に入ってきてしまう…クラスの女子の品評会。
確かに、私たちだってしますけどね。でも、もう少し時と場所を選びますよ。
生徒の姿が無くなったって訳ではない時間帯に、自分たちのクラスでしますか?普通。でも、こんなところで突っ立っているわけにはいかない。事実固まって動けない私の後ろを何人かが怪訝そうに通り過ぎていったのだから。
意を決して、扉の取っ手に手を掛けたとき。
「んじゃ、次…えと、木村?」
なんで、このタイミングで私!?掛けた手を引っ込めて、思わず一歩下がってしまった。
「木村ぁ?誰?それ?」
…え?
「お前なぁ、クラスメートの名前くらい覚えろよ」
「いや、まじで。へ?同じクラスにそんなのいた?」
「あ~あれだ。よく井澤としゃべっている奴」
「あ~、あの。…ってどんな顔だっけ?」
彼らの言うことも判る。際立って目立つタイプじゃないし、成績だって学年の真ん中くらい。スポーツだって得意、というわけでもない。
大衆に埋もれるタイプ。
自分でもちゃんと判っていることだけど、実際に聞くのは少し…辛い。
「なんかさ、井澤と一緒だと、なんての、引き立て役、みたいな」
「あ~、それ言えるかも」
わはははは、と笑い声が聞こえる。手を握り締める。
(私と一緒だといいことないよ?)
優ちゃん。
彼女の呟くような言葉を思い出す。うん、知っている。同じような苦労をした友達がいるから。
それでも、一緒に居ることを選んだのは私。
どこかで時間をつぶしてから、もう一度来よう。気持ちを落ち着けて。その頃には彼らの話も終わっていると思うから。そう考えて、教室を離れかけて、もう一つの影に気が付いた。
別の扉の前に立っていた姿…久住くん。彼がゆっくりと私の方に向って歩いてくる。そして、私の肩を軽く叩いた。
「俺は知っているから」
耳元ですれ違いざまに囁かれた言葉に、はっとして顔を上げると、彼はそのまま教室に入っていった。急に静まり返る教室。私の姿は見えていないはず。ドアのところから少し離れているから…だから、彼らは急に入ってきた久住くんに驚いたんだと思う。
ゆっくり息をすう。
大丈夫。
深呼吸をする。1回、2回。よし。
少し間をおいて入ってきた私に中いた男の子たちが固まった。無理もないと思うけど、何も知らないって顔をして、鞄の中に荷物を詰めだした。
ぽん、と再び肩を叩かれ、振り返ると久住くんがそこに居た。といっても、背が高いから、私の目に入ったのは肩の辺りなので、ちょっと首を上げる。
「じゃあな、木村」
普段ならこんな挨拶はしない。された挨拶には言葉を返すけど、彼が自分から言うなんて、『彼ら』以外なかった。気遣ってくれているんだと、すぐに気が付いて。嬉しくなって自然と笑顔がこぼれる。
「うん、ばいばい、久住くん」
一瞬驚いたように軽く目を見開いて、それからその瞳をわずかに細めて…彼は教室から出て行った。多分、正面から顔をあわせていた私しか見れなかったけど…久しぶりに見た久住くんの笑顔。中学を卒業して以来見ることが無かった『それ』に、思わず呆けちゃったけど。
さて、帰ろう。
「じゃあね、さよなら」
こっちには笑顔なんで向ける必要性ないから、普段通りに挨拶する。
『あ、ああ』
どこか呆然とした彼らの事を、わたしは久住くんが居た所為だと信じて疑わなかった。
だから、彼らがこの後交わした会話なんて想像もつかないものだった。
「見たか!?今の、すっげぇ可愛かった~」
「っていうか、あの久住にあんな顔できるなんで、いい度胸しているよな」
「俺、もう一度あの表情見たい」
「あ、俺も、俺も…って無理かなぁ」
「多分、聞いていたよな俺たちの会話」
「可能性は高いけど…それでもいい!もう一度あの顔見たいっ!」
「そうだよな!見たいよな!」
「…気持ちは判るから。まぁ頑張れ」