アルルーン
老婆が店を出た後、俺はおもわず疑問を口に出していた。
「しかしまさか最初の依頼人が老婆だったとはな」
「どういうこと?」
アリッサが首をかしげる。
「あの年代にとって、忘れられないほどの事件があったからな……よほどの事がない限り、この店のように変わったところに行くような、挑戦的な行動はしない」
ただでさえこの店は若者も近づかないというのに。
「というと?」
「……『禁じられた聖域』に踏み込んで、そこの主の怒りを受けた年代なんだよ、あの人たちは」
東にある『禁じられた聖域』は、人の手が入っていないにもかかわらず、この地方では見られない植物が生えていたり、まるで誰かの庭であるかのように整えられていたりした、とにかく謎の多い森だった。
ある人はあそこは神の庭だと言い、またある人は自然の奇跡とも言った。
人々は森の存在を不思議に思いつつも、珍しい植物や果物などの、森から受ける恩恵を享受していた。
今から数十年前、人口の増加に伴い、当時の町長はこの森を開拓して町を広げようとした。当然反対意見は多かったが、当時の町長は強引に推し進めた。
……そして、この町にとってのトラウマとも言うべき事件がおきた。
森を開拓しに行った男たちが帰ってこない。
最初はただ森の中で迷ったのだろうと誰も気に留めなかったが、一人、また一人と消えていった。神隠しにあったのではないか、と当時は騒がれたらしい。
強引だった町長も、やがてこう考えるようになった。
――ひょっとしたら、あの森は踏み込んではいけない場所だったのではないか。
……しかし、気づいたときには既に遅かったんだ。
「さて、ここで質問だ。この後、町になにが起こったと思う?」
じっと目を見て、問いかけてみた。
「……わからないよ、そんなの」
続きを、とアリッサは俺を急かす。
「……町を植物が襲ったんだ」
「植物が、町を襲う?」
それは突然やってきた。
大地が砕け、足元から這い出た蔦が人々を襲う。絡みつき、人々を締め上げ、養分とする。
木の葉が舞っていると思ったら、突然人々が木の葉に切り裂かれた。
その様子は、まるで植物が意思を持って動いていたかのようだったらしい。
大地が砕けたことで家屋は倒れ、食べ物となる植物も、近づけば人々に襲い掛かる。
すべてが狂った町は大混乱に陥った。やはりこれは天罰だと人々は嘆き、喚いた。
本来なら人々を纏め上げるべき町長は、いつの間にかいなくなっていた。
「……」
アリッサは、ただただ信じられないといった様子で、俺の話を聞いていた。
「信じられないよな、こんな話。俺だって子供のころは半信半疑だったよ。だが、実際にあったことなんだ」
やがて、すべての原因がわかった。森で消えた男の一人が帰ってきたのだ。……瀕死の重症を負って。
彼は死ぬ間際に一言、呟いたと伝えられている。
アルルーン、と。
「アルルーン……植物の魔物だっけ」
「あぁ。森の全ての謎と、植物の逆襲は、その魔物が原因だったんだ」
森にはアルルーンが住んでいた。本来ありえない植物の生態系も、庭のような場所も、全て彼女が作り出していたのだ。
住処を汚されたので、町を襲ったのだろう。
結局、アルルーンはある男が命を賭けて封印した、と言われている。
言われている、とぼかしているのは、なぜかここだけ詳細な記録が残されていないからだ。
当時の混乱の中で消失したのか、あるいは……それは今となってはわからない。
その後、町は数年かけて復興したものの、今ではわざわざ森に入ろうとするものなどいない。
万が一封印が解けて再びアルルーンに町を襲われると考えると、どうしてわざわざ危険を冒すだろうか。
「今回の依頼の場所も、その被害を受けた場所と聞いている」
「……そうなんだ」
「驚いたか? まぁ、こんなことがあったら、誰でも消極的になるよな。だからこそ今回の老婆には驚かされたわけだが」
「なるほどね……よし、じゃあ準備しようかな」
納得したのか、うんうんと何度か頷いた後、アリッサは現地調査の準備に取り掛かっていた。
――
「話から推測すると……必要な道具はこれかな」
そういいながらアリッサが店の奥から取り出したのは、透明な管が何本かと、中に液体が入った瓶がまとめて収納されている箱。
大きさとしては乳児ならかろうじて入るくらいだろうか。
「……おいちょっと待てよ、もう解決策が思いついたっていうのか?」
まだ現地の様子を見てもいないのに解決しようだなんて、常識的には考えられない。
いくらカガクが素晴らしいものだとしても、そんなことができるのは神か悪魔か、それくらいだろう。
「うん。一応光る植物なら昔研究したことがあったからね。多分それだと思うんだ。まぁ、違っていたらまた別の可能性を探ればいいし、それはそれで楽しそうだからね」
むしろ予想と違ってくれたほうが私としてはありがたいんだけどね、とアリッサは笑う。
ここ一週間『カガク屋』に通いつめてはいるが、やはりこいつの考えていることはよくわからない。
予想通りであったならばそれは計画通りに物事が進められるから、歓迎するべきだ。
だが、予想と異なっていたならば計画はもう一度練り直し、最悪の場合は中止になることもある。
それを楽しそう、と言ってのけるのに違和感があるのは、俺が商家の子だからか、あるいはただアリッサが特殊なだけか。
おそらくは後者だろう。
「……まぁ、俺の時を除けば初めての仕事だし、気合が入るのはわかるけどな」
その気合が変な方向に行かないことをただ祈るだけだ。
「気合が入るのは初仕事だからだけじゃないよ、カイ」
どこから取り出したのか、落ち着いた黒色の鞄に先ほどの箱を詰めながら、アリッサがこちらを見る。
その目からは先ほど老婆に対して見せた、強い決意が見て取れる。
「ほぉう、ならばどんな理由があるんだ?」
実は依頼人が今は亡き自分の祖母と瓜二つだったとか、そんな理由だろうか。
「……この仕事の報酬が入らないと、多分私家賃払えないし、小麦粉とか主食買うお金も必要だし……」
全く違っていた。惜しいどころかかすりもしなかった。こいつに期待した俺が馬鹿だった。いや勝手に期待しておいてなんだという話だが。
とはいえ、ごにょごにょと恥ずかしそうに喋るアリッサの姿はなんとなく貴重に感じたので、余計な突っ込みはやめておく。
「とにかく、生活がかかっているの! 私だって生きるためには必死なの……そう、働かなければ生き残れないんだよ!」
開き直ったのか、悲しい経済状況をビシィッ、という音が聞こえそうなくらい堂々と暴露するアリッサに、俺はただただ呆れるばかりだった。
「……地下で小麦育てればいいんじゃないのか?」
ふと浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「いや、それも考えたんだけどね……この辺りの地下だと水分が多すぎてうまく育たないんだ」
「カガクの力、とやらでなんとかできなかったのか?」
気候を調整する機械もあるのに、水分が多いから、という理由だけで諦めるというのは些か妙な気もするが。
「やろうと思えばできるよ。でも、実行したら多分井戸水とかにも悪影響が出るだろうから……」
「そこまで考えていたのか」
「私のこと馬鹿にしてない? 私これでもカガクの研究の専門は自然なんだよ?」
「いや、知らないがそんなこと」
「うー……」
ぐぬぬ、と感情を隠そうともしないアリッサに対して、実際初耳だから仕方ないだろう、と心の中で抗議する。しかし確かにアリッサのこれまでの店での様子から……いや様子はともかく道具を考えれば自然を専門としているといわれても納得ではあった。
「まぁ、そんなことよりさっさと準備したらどうだ?手が止まってるぞ」
「あ、うんそうだね。ささっと終わらせて『妖精の広場』へ行かないとね」
「だな。俺は準備が終わるまで外で待ってるから、終わったら呼んでくれ」
再び活動を始めたアリッサを見て、俺は邪魔にならないようそっと店を出た。
――
「ばっちり準備できたよ、カイ」
数分ほどぼーっと空を見ていたところを、アリッサの声で我に返った。振り返ると、アリッサが荷物とともに扉の前に立っていた。
「そうか。案外早かったな……ってオイちょっと待てアリッサ」
振り返って目に飛び込んできたのは、アリッサが「ばっちり準備」という荷物達。思わず目を疑った。
目の前には、巨大な塊となった袋が一つ、二つ、三つ……。なんなんだこの山の数は。
サバイバルにでも行くと言われても納得してしまいそうだ。というか本当に行ったとしても絶対余裕で帰還できるだろう。
「どうかしたの?」
思わず思考がフリーズした俺の様子を見てなおアリッサはのんきな声で尋ねる。
「……お前、それはなんだ?」
「見てわからない? 荷物だけど」
ふふん、と胸を張られても困る。荷物だということはわかっている。聞いているのは量についてだ。
「……ちょっと中身見せてもらうぞ」
幾つもある袋の中から、適当なものを選び、中を確認する。
先ほどの箱……必要だな。チェスセット……依頼中にやる気かよ。ぬいぐるみ……なめてんのか。
他の袋も確認したが、あまりに無駄なものが多い。思わずため息が零れる。
「アリッサ」
「何?」
「無駄なものが多すぎる。必要なものだけ一つの袋にまとめろ」
「全部必要じゃ――」
「どこをどう考えたらぬいぐるみやチェスが必要になるんだよ!? しかも確認したら救急箱もなかったよな!? 必要なものもないのに何を言ってるんだ!?!」
のんきというかアホというか……そんなアリッサに、おもわず声を荒げた。
「ご、ごめんなさい」
流石に反省したのだろう、小さくなって謝られた。
「……まぁ、次からは気をつけろ。頼むから常識を身につけてくれ」
これ以上責めるのは酷だろう。まだ依頼も始まっていないのに心を折っても仕方がないし。
その後、本当に必要なものを俺監修の元厳選した上で現地へ向かった。
――
妖精の広場――かつてこの町で最も人を集めた観光地。
昼は美しい花が日の光を受けて輝き、夜は老婆の言ったように、ぼんやりと幻想的な光が辺りを包む。
そこはまさしく、妖精の加護を受けているかのような場所だったらしい。
……しかし、今目の前に広がる光景には、その面影など、探そうとしてもどこにも残ってはいなかった。
地面は荒れ果て、花は一輪も咲いておらず、太陽は異様なまでに大きく育った木々に遮られ、まだ昼だと言うのに薄暗い。
「これは……思っていた以上に酷いな」
もはや妖精の広場と言うより、処刑場だ。
「うわぁ……これは……」
アリッサも言葉を失っていた。
「これは流石に……無理なんじゃないか?」
何しろ、この惨状だ。いくらなんでも……。
「大丈夫……絶対になんとかできる。ううん、なんとかしてみせるよ!」
その目には、やはり強い意志が宿っていた。
ふわり、と優しい風が吹いて、アリッサの銀の髪が揺れた。
風にたなびく銀と静かに燃える翡翠とが合わさったその様子は、まるで本当に――
「……妖精、か」
思わず、口に出していた。
「え?」
「あ、いや、なんでもない。ほら、そろそろ調査しないとな」
「あ、うんそうだね」
あわてて取り繕ったが、なんとか誤魔化せたようだ。