結(計画準備)
知秋はいつまでも、知らぬ存ぜぬで通していた。己が潰し魔であるということは、認めているというのにである。
「早百合、精神分裂症って知ってる?」
らちが開かない中、皐月が突然訊いてきた。名前や症状は知っていたが、正直メカニズムまではよく解っていないし、実際に患者を見たこともない。そしてなにより、この質問の意味が全く解らなかった。
「で?」
もはやあたしには、先を促すことしか出来ない。
「ふぅ、知秋ちゃん、あんたがそんなだから分裂しちゃったんじゃないの!?」
《!》
あたしのせいで知秋が分裂した?
そんな筈はない。あたしは知秋に対して手下扱いしたことはないし、部下扱いもあまり無い。いつも妹のように接してきたつもりだ。
たあしが原因で分裂するなど、有り得る筈が無いのだ。
「原因は極度のストレス。今のところ、それしか前例は無いの。どうにもならないレベルのストレスをかわすために別人格を引っ張り出して主人格は引っ込んじゃう訳」
……、ストレス……。本当にそうなのだろうか。少なくともあたしの前では人が変わったようには見えなかったのだが。
「主人格と別人格の区別がつかないことって、あるの?」
あたしには区別がつかなかった。あたしと接している間の知秋はいつもと変わらない、よく知っている荒居知秋だったのだ。思い当たる節は、全く無い。
「普通とは逆のパターンかもしれないわね。主人格が受けたストレスを別人格が発散してたのかもしれない」
あたし達は、忘れてしまっていた。ここが取り調べ室というほの暗い非日常の空間における、仲間に対する取り調べであるという、有ってはならない状況だからなのだろうか、知秋の存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「あたしは病気なんかじゃない、あたしは狂ってなんてない、あたしは潰し魔なんかじゃないいぃぃ!」
知秋は黙って聞き続けてはくれなかった。耳を塞いで大きく頭を振りながら、必死に抵抗している。
「うーん、らちが開かないわね」
そんなことは言わなくても解っていることなのだが、ついつい口から出てしまう。全くどうすればいいというのだろう。このまま押し問答のみで留置期限を使い切る訳にもいかない。
「ポリグラフ、かけてみよっか……」
皐月が秘密兵器の投入を提案する。だが、一つ問題があった。容疑者をポリグラフ(嘘発見器)にかけるには、容疑者自身からも承諾を得なければならないのだ。
今の知秋が受け入れるとはとても思えない。
「あたしは狂ってない……、あたしは狂ってない……」
案の定、耳を塞ぎながら虚な目で一点を見つめ、囈のように繰り返している。
どうか落ち着いて考えてほしい。そしてポリグラフを受けてほしい。そう願いながら、切り出す。
「知秋ちゃん、受けてみる気、無い?」
それは、知秋にとってはある意味で究極の屈辱となるだろう。ポリグラフを受けるということは、自分が狂人であることを認めてしまうことに繋がるのだ。いい返事が来ることは、頭から期待していない。
「嫌です、そんなもの絶対に受けません!」
やはりというか、案の定というか、ムキになって拒否してきた。おそらくは物凄い……。
《!》
そうか、そういうつもりだったのか。ここには監視カメラがある。そこに、豹変した知秋が映っていたならば、究極の物証になってくれるのだ。
つまりポリグラフはただの餌でしかなく、この提案の真の目的はストレスを与えることによって潰し魔をカメラの前に引っ張り出すことではないのかと気付いたのだ。
目をかけている部下を騙すために地球上で一番嫌いな女に荷担するのは癪だが、ここは知秋のためにも、皐月の策に乗った方が良さそうだ。
「ごめんね知秋ちゃん、あたしにも分裂してるようにしか思えないよ」
そう発言すること、それは、あたし自身にとっても自分が分裂の元凶だと認めたことになってしまうのだが、この際は已むを得ない。
「違います、違います!
誰かがみんなを騙すために、物証をでっち上げたんです!」
しまいには一時認めていた物証の信憑性に、再び難癖を付始める有り様だ。ここまでくると本気で記憶に無いとしか思えないのだが、それを証明するにはポリグラフを受けてもらうしかないのが現状なのである。
「そこまで嫌がるならしゃあないか。今日のところは引き下がるけど、明日また来るからね。もう受けるしか手が無いんだから、一晩頭冷やしてよーく考えといて」
そう言い置いて目配せしてきた皐月に促され、取り調べ室をあとにする。
取り調べ室とは違い、蛍光灯の光を燦々と浴びている所轄署の廊下はとても眩しく思えた。あたし達と別れて留置場に戻る知秋は、いったいどんな気持でこの眩しい廊下を歩いているのだろうか。
捜査は、皐月が正式にチームに加わりあたしとコンビで取り調べに臨むことになっている。とは言っても、物証は揃っているしその信憑性を知秋自身が既に認めているのだから、残る作業は知秋が精神分裂症であることを証明するのみなのだが。
「で、次はどうすんの?」
作戦はもう読めていたのだが、首謀者が皐月である以上は彼女のペースに足並みを揃えなければならない。一々指示を仰ぐのも癪に障るが、作戦の指示を待つ。
「うーん、どっちの方が……、美人かなぁ……」
突然の意味不明な言葉にめが極限まで開いてしまったのが、自分でも判った。おそらくは瞳孔も開いていることだろう。
「なにが、言いたい訳?」
訊き返すしか術は無かった。こんなときにどちらが美しいかなどというテーマで戦っても意味がない。
「ん?
女のシリアルキラーが女を襲うときってのはね、九割六分が美人潰しなんだよ」
……、そうだったのか……。正直それは、知らない情報だった。美人。そう一言で言っても受け取り方は様々ある。知秋の顔立ちは、紛れも無く美人だ。あたしが隣に居ても、ただの引き立て役程度にしかなれないレベルで、際立って美しい。だが、あたしだってブスではないのだ。
美人のボーダーラインがどこを基準に引かれているかによって、自分に出る幕があるかどうかが決ってくる。
とは言っても、化け物であるかのように年齢を感じさせない皐月と比べると、やはり足元に平伏すしか無いのだが。
AB型の質問のしかたは二通りある。状況をそれなりに説明してから質問するタイプと、いきなり質問だけガツンと言ってくるタイプだ。ことに頭脳労働者は自分が常に二、三歩先を読んだ思考を巡らせているがために他の人もそうなのだろうと説明を端折りがちになるらしい。皐月の場合は、典型的なそれである。
だから、いちいち訊き返さなければならないのだ。
「あのさ、いっつも先に説明してから訊けって言ってんでしょ!?
美人って、誰と比べて誰がなのさ!?」
たぶん、【知秋に対して皐月が】なのだろうが。
「あ、ごめん。知秋ちゃんに対してわたしが」
やはりそうか。頭からあたしの出る幕は無いというわけだ。
「どっちもどっちなんじゃないの?
大した差があるようには見えないけどね」
かなりの高レベルではあるが、差という概念においては、本当に全くと言っていいほど、無い。云わばクレオパトラと小野小町を比べて優劣を付ける様なものである。おいそれと返事を返すことなど出来なかった。
「まあなんであれ、あたしと比べりゃあんたの方が綺麗なんだから、囮になるならあんたしか居ないよ」
これが結論だった。
「じゃあ、わたし引き返すから。早百合はモニター観ててくれるかな。あ、録画もしといてね」
作戦会議終了。
残るは、首尾を待つだけとなった。




