イチジク
高校を卒業した後のことだ。
僕は一人暮らしを始める事にした。
前々から考えてた事だ。
不良仲間と深夜まで遊び歩く僕は一人暮らしをしようと考えていた。
遊び歩く僕と両親の喧嘩が絶えなかったからだ。
そこで自由に暮らしたいと思い僕は家を出ることにした。
大喧嘩したあげく親子の縁を縁を切られたが些細な事だ。
住む所を探し不動産を回った。
そこで抽選で借りられる市営住宅の存在を知った。
六月の中旬に格安で借りられる市営住宅の抽選に当たった。
相場より安い部屋を借りられることになったのだ。
運が良いのだろう自分は。
月額二千円。
格安市営仮設住居募集に当選した結果だった。
市営住宅としては破格の物件だ。
月額二千円。
その数字は、この場所で起きた『何か』の代償としては、あまりに安すぎた。
当然だ事故物件だからだ。
そんな事を気にしない僕には関係ない事だが。
だが僕は「事故物件」と言う物を甘く見過ぎて居た。
後で後悔する事になるが。
四世代が住める長屋。
その一室が我が家だが奇妙な事に気が付いた。
他の長屋には人の気配はする。
我が家が有る長屋の隣り合った家には人の気配が無い。
嘗て住んでたであろう生活臭は分かる。
コンクリートで舗装されてない剥き出しの敷地。
滑り止めの砂を撒いた上に有る人の足跡。
自動車の轍。
それがクッキリと敷地に残っていたからだ。
恐らく最近の物だ。
他の家を見える範囲で中を覗いてみた。
何もない。
タンスも何もない。
家庭電化製品も無い。
辛うじて電球のみが残されてるだけだ。
それが一棟の長屋丸ごと同じだった。
おかしい。
おかしいが理由が分からない。
偶々かもしれないが理由が分からない。
とはいえ気にするほどでもない。
ふと長屋に有る我が家を見る。
豆柘植で作られた生垣。
小さな庭園と呼ぶには烏滸がましい庭。
イチジクの木が植えられている。
立派なイチジクの木が生い茂っていた。
太く大きく。
見事なイチジクの木。
何か破けた紙が貼られていた。
何だろうか?
そう思った。
イチジクの木の根元には燃え残った炭と灰が無造作にかけられていた。
灰の中に混じっていたのは、半焼けの和紙だった。
そこには、どろりとした朱色と、生乾きのようでいてどす黒い墨汁で、理解を拒むような図形がびっしりと書き殴られていた。
習字の練習などと一瞬思ったが違った。
そんな生易しいものではない。
それは、何かを必死に抑え込もうとした物。
「祈り」の成れの果て――御札だった。
「御札?」
破けた御札が燃え残っていた。
破けた御札をイチジクの木に合わせてみた。
紙の破けた所が合ってる。
御札を破いて焼いてたのか?
何で?
誰が?
……。
庭に破れた御札があった?
ということは、前の住人や市役所が「何か」を封じ込めようとしていた証拠だよな?
御札を破いたのは誰だ?
前の住人が、実を食べたいがために邪魔な御札を破り捨てたのか?
或いは「木の中に閉じ込められていたもの」が内側から破って出てきたのか?
まさかね。
考え過ぎだろう。
……。
まあいい。
少し不気味だけど気にしても仕方ない。
庭は家庭菜園の畑としても使える様に多少広く作られている。
肥料として使う気だろう。
残飯が土と混ぜられイチジクの近くにぶちまけられていた。
かなり大量に。
肥料と思うが多分違う。
ぶちまけて何かを隠すかのようにも見える。
気のせいかもしれないが。
イチジクの木を見上げる。
太い幹に人の手で剪定されたのだろう。
木の枝が何本か切られている。
独特の匂いを放つ大きく分かれた葉。
イチジクの実は付いてない。
前の住人が実を食べたのだろう。
破れた御札の跡が有るイチジクの木。
嫌な感じがする。
まあいいや。
荷物を片付けよう。
そう思い我が家の玄関に積まれた布団や日用雑貨を眺めた。
生活に必要な布団や台所用品は餞別だと親がくれた。
ついでに幾らかの生活費をくれるかと思いきや、其処まで甘くなかった。
うん。
木造モルタル塗りの古い長屋みたいだ。
指後の残る樹脂で雑に制作された嵌め殺しのガラス窓。
かなり粗雑な作りだ。
というか夏暑く冬寒いだろう此れは?
本格的なマンションを建てるために作られた仮設建築だ。
数年持てば良いと言う作りだ。
住居として使える期間は二年。
住める期間は短いが節約になる。
荒いつくりをした建築。
建築基準を考えればお粗末な代物。
とはいえ住むだけなら十分実用性に耐えられる筈。
此れから二年間だ。
住めば都と言うし。
明日から頑張るぞっ!
初めての仕事だっ!
今日は寝よう。
その日の夜。
夢を見た。
夢を。
夢の中で一人の男の夢を見た。
無理心中をしたらしい男の夢を。
僕が見ている夢の中の出来事だ。
先ず幼い子を縄で絞め殺し。
部屋の隙間をテープで貼り密閉し練炭を炊き妻と心中した。
だけど男だけは生き残ったらしい。
仮設住宅の荒いつくりの壁が原因だ。
壁が罅割れていて男がいた所だけ密閉出来ていなかったのだ。
それが助かった原因だ。
男の理由はどうあれ人を殺したのは事実。
責任の追及を恐れ男は家のイチジクの下に埋めたらしい。
子供と妻の遺体を。
そのまま男は逃亡。
全てを捨てて逃げたのだ。
数日後。
近隣の住人から誰も住んでいない家の庭から異臭が漂い警察に通報。
警察が家の庭を掘り返し遺体が埋められた事が発覚。
男を全国指名手配した。
数日後。
ホームレスと化した男は逮捕されたらしい。
話は此処で終るはずだった。
遺体が埋められたと憶測が飛び交ったのだ。
憶測は噂になり近隣に広まった。
とはいえ噂は噂。
真実とは限らない。
だけど実際に死人が出たらしい。
という事実は自然と広まった。
本当かどうかは兎も角。
完全な事故物件だ。
近くの住人は気味悪がって逃げるように引越しした。
市は事件の事故物件だという事を隠し住居者を募集。
ところが募集者は殺到するが直ぐに引っ越ししていた。
謎の体調不良。
異常な騒音。
それらに悩まされたからだ。
気味が悪い。
変な音がする。
寒気がする。
そんな噂が立ち始めた。
このままでは不味い。
市が極秘に霊媒師を呼んだという噂が流れた。
その日を切っ掛けに怪現象はピタリと止んだらしい。
表面上は。
だから家賃を破格の値段にした。
その結果募集が殺到。
そこで三十代の男が新たに住むことになった。
男が見た新居は、驚くほど真っ白だった。
壁紙は貼り替えらたばかりだし。
清潔感のある白さだった。
違和感がした。
奇妙な違和感。
見渡す限り何もない。
その筈だった。
だけど何か違和感がした。
庭の近くに行った時に違和感が酷くなった。
寒かったのだ。
異常なまでに。
断熱材が無い家だから寒いのは分かる。
断熱材のない部屋の室温は気温に左右されやすい。
真夏の昼なのに異常なまでに寒い。
酷く寒い。
何故か。
男が不気味に思いながら夕飯を取り早めに就寝した。
ザクッザクッ。
ザクッザクッ。
月夜の晩。
カーテンの隙間から外を覗く。
人影が見えた。
人影が。
体格で男と分かる。
男は何かを埋めていた。
家に不法侵入し不法投棄していた。
何かを。
そうナニカを。
家のイチジクの木の近くに。
何を?
大きな人型の様な何か。
マネキンのようだ。
本当に?
僕が見ている夢の中の男は絶叫しそうになるのを堪えた。
男は何故か嫌な予感がしたからだ。
嫌な。
嫌な予感。
嫌な汗が出た。
翌日。
男は庭を見回した。
当然だが不審者はいない。
見渡すかぎり何も変わった様子が無いように見える。
だけど何かが違った。
何かが。
何が起こったか分かった。
イチジクの実が一つ出来ていたのだ。
奇形のイチジクの実が。
変化は其れだけだった。
一見。
だが目が離せなかった。
イチジクの実から。
イチジクの木の下に何かを埋めているのは分かっている。
だからイチジクに近づかず警察に通報した方が良い。
そう考えていてもイチジクの実から目を逸らせなかった。
木の枝から垂れ下がるイチジクの実。
薄く柔らかい革に甘い果実が詰まってるのが分かる。
実の尻の方は裂けていて熟してることが分かる。
見ただけで美味しそうだと言うことが分かる。
ゴクン。
思わず生唾を飲んだ。
匂いだけで美味しそうだと言うことが分かる。
イチジクを一つ捥いだ。
重い。
ずっしりとしてる。
実が詰まってる証拠だ。
それでいて軽く掴んだだけで皮が破れそうだ。
熟れてるからだ。
よく見れば人の形に見える。
だけどイチジクで間違いない。
口に含んだ瞬間に薄くイチジクの皮の表面に有る毛も一緒に食べる。
塩で洗い毛を取り除くのが普通だが気にせず食べた。
というか我慢できなかった。
イチジク特有の甘い香りに。
口に含んだ瞬間広がる甘い果汁。
嚙んだ瞬間鼻腔に突き抜ける風味。
美味かった。
気が付いたら丸ごと一つ食べてしまっていた。
甘露とは此れの事を言うのだろう。
今まで沢山イチジクの実を食べた事が有るが此れは別格だった。
食欲の赴くままに食べた。
その後で警察に通報した。
犯人は遺体遺棄の罪で逮捕された。
男は事件の起きた場所で暮らしていける気がせず引っ越した。
引越しした先で男はイチジクの味が忘れられなかった。
あの後で、買い求めたイチジクはあの時食べた実より美味くなかった。
何が原因か?
イチジクの木を庭に埋めて実を食べたが美味くなかった。
僕の夢の中の男は考えた。
肥料が悪いのだと。
通報したはずの男が、あの味を忘れられずに自ら手を染めた。
こうして第二の殺人が行われた。
「うわああああああああああっ!」
深夜僕は悪夢で目を覚ました。
嫌にリアルな夢。
あれは僕が見ている夢の中の出来事だ。
その証拠に今見てる此の手は僕のだ。
夢の中の男の手ではないっ!
「ハアハア」
あれは僕が見ている夢の中の出来事だ。
僕が見ている夢の中の出来事。
そう夢の中の出来事だ。
落ち着け。
動悸が止まらない。
ザクッザクッ。
ザクッザクッ。
音がした。
聞きなれた音が。
夢の中で聞いた音が。
濡れた土をえぐる「ザクッ、ザクッ」という湿った音。
それが、現実の耳の奥にまで響いてくる。
カーテンの隙間から見えた人影が見える。
月光を背に受けて真っ黒な逆光になり、一心不乱にスコップを突き立てていた。
顔は見えない。
その背中の動きは人間味を感じられなかった。
まるで何かに取り憑かれた機械のようだった。
人影は男だと思う。
体格で分かる。
男は何かを埋めていた。
家に不法侵入し不法投棄していた。
何かを。
そうナニカを。
マネキンの様なナニカを。
ふと。
ふと嫌な予感がした。
カーテンを開け庭のイチジクを木を見た。
そこには一つの実が生っていた。
まだ時期じゃないはずなのに、異常な早さで実がなっている。
イチジクの実が生っている。
カーテンを引いた先に。
月光に照らされた庭にそれはあった。
その実は、昨日の夕方には影も形もなかったはずだ。
枝からだらりと垂れ下がったそれ。
熟れすぎて赤黒く変色し、まるで内側から血が噴き出しているかのような実。
先端の割れ目から滴る白い液。
甘い香りがする。
とても甘い香りが。
だが、どこか死体から漏れ出す体液のような卑しさを孕んでいた。
その実はまるで土の下の死体から栄養を吸い上げ、一晩で熟したかのようだった。
悲鳴を上げた僕は男の不意を突き我が家から逃げ出した。
仕事も荷物もどうでもよくなった。
夜通し走り実家に転がり込み、震える手で110番した。
実家で僕は両親に土下座し実家暮らしを再開した。
一人暮らしはもう懲りた。
本当に。
後日。
僕が逃げ出した晩に不法侵入した男は逮捕された。
罪状は死体遺棄だった。
そういえば……。
実家に逃げ帰った後、祖母に顔を真っ青にされて教えてくれた。
祖母の住んでいた地域ではイチジクは漢字で「無花果」と書き、花を咲かせずに実をつけるように見えるため、古来から「不吉」や「死者の魂を吸う」という伝承が有るらしい。
他にも「庭に植えると病人が絶えない」や「根が家の土台を突き破る(=家を壊す)」という忌み言葉を教えてくれた。
そういえば………
「僕」が逃げ出した後、実家でふと自分の体から「イチジクの匂い」がしてくる……。
熟れすぎて腐る寸前の甘い、どこか血なまぐさい匂いが。
両親や知人には分からない匂い。
この匂いは「イチジクの実に魅了される呪い」なのかもしれない。
自分もあの『肥料』の味を求めてしまうのではないか?
スーパーの果物売り場でイチジクを見るたび、僕は思う。
あれほど旨い、甘露のような実は、もうどこにも売っていない。
……そして、自分の爪の間に、いつまでも消えない「泥」の汚れが残っているような気がして、何度も指を洗うのだ。




