王女殿下の結婚申請書
王女エリザベータ・ルイーゼ(二十三歳)の元に、一通の書類が届いた。
『王族婚姻候補者選定開始通知』
差出人は、宮内局婚姻管理課。
「……何これ」
侍女のマリアンネが、説明した。
「殿下が二十三歳になられたので、婚姻候補者の選定を開始するという通知です」
「私の意思は?」
「規定上、二十三歳に達した王族には、自動的に候補者選定が開始されます」
エリザベータは、通知を詳しく読んだ。
選定期間:一年間
候補者数:十名から二十名
選定基準:家柄、教養、健康状態、王室との相性
最終決定:候補者リストから殿下が選択
「……私が選ぶの?」
「はい。ただし、リストは宮内局が作ります」
エリザベータは、規定集を引っ張り出した。
『王族婚姻規則』を開く。
「第三条……『王族の婚姻は、適切な候補者の中から選択されるべきである』」
「はい」
「『適切な候補者』の定義は?」
マリアンネは、別のページを開いた。
「第七条に記載があります。『貴族階級以上、健康、教養あり、王室の品位を損なわない者』」
エリザベータは、考え込んだ。
「……つまり、私が普通に好きになった人が、この条件を満たさなかったら?」
「婚姻できません」
「そもそも、リストに入っていない人は?」
「選べません」
エリザベータは、書類を閉じた。
「これ、おかしくないですか」
「おかしいですが、規定です」
「……改革の余地がありますね」
マリアンネは、溜息をついた。
「殿下、まさか婚姻制度を改革するおつもりですか」
「だって、不合理でしょう」
「不合理ですが、王族の婚姻は国家の問題です。簡単には変えられません」
エリザベータは、にっこり笑った。
「簡単じゃないから、面白いんです」
翌日、エリザベータは王族政策研究会の臨時会議を召集した。
「緊急議題です。王族婚姻制度について」
三人の王子が、集まった。
「姉上、婚姻制度?」
第一王子ヴィルヘルムが、首を傾げた。
「はい。私に婚姻候補者選定の通知が来ました」
「ああ、あれか。僕も去年来たよ」
「兄上、候補者リストは見ましたか」
「見た。二十人の貴族が並んでいた」
「会いましたか」
「三人だけ。つまらなかったので、やめた」
第二王子カールが、笑った。
「兄上、正直ですね」
「だって、本当につまらなかったんだ。全員、『王子殿下、光栄です』しか言わない」
第三王子アルブレヒトが、尋ねた。
「姉上、何が問題なんですか」
「選択肢が少なすぎることです」
エリザベータは、規定を示した。
「候補者は、宮内局が選定します。私たちが自分で探すことは、想定されていません」
「確かに、おかしいですね」
「でも、王族が自由に恋愛するのは、問題があるのでは」
ヴィルヘルムが、指摘した。
「身分の低い者と結婚すれば、王室の権威が損なわれる。それを防ぐための規定では」
「でも、兄上。『身分の低い者』の定義は曖昧ですよね」
エリザベータは、規定を読み上げた。
「『貴族階級以上』とありますが、貴族の定義も変化しています」
「どういうこと?」
「百年前は、爵位を持つ者だけが貴族でした。でも今は、功績により爵位を授与される制度があります」
「つまり?」
「元は平民でも、功績があれば貴族になれる。ならば、その人が王族の婚姻相手として不適切とは言えません」
カールが、頷いた。
「姉上の言いたいことが分かってきました」
「制度が時代に追いついていないんです」
一週間後、エリザベータは資料を集めて分析した。
『過去五十年間の王族婚姻記録』
興味深い事実が浮かび上がった。
婚姻成立件数:十二件
そのうち、宮内局選定リストから選ばれた件数:十件
リスト外の相手と婚姻した件数:二件
「リスト外でも、婚姻できた事例があるんですね」
マリアンネが、記録を見た。
「はい。ただし、特別な手続きが必要だったようです」
エリザベータは、その二件を詳しく調べた。
一件目は、四十年前の王子の婚姻。
相手は、外国の王族だった。
「外国王族は、リストに含まれないので、特例として承認されたのね」
二件目は、三十年前の王女の婚姻。
相手は、功績により爵位を授与された元官僚だった。
「この事例が重要ね」
「なぜですか」
「元官僚でも、婚姻できた。つまり、『貴族階級以上』という条件は、生まれではなく、現在の身分で判断される」
エリザベータは、メモを取った。
「ならば、私が提案すべきは、『候補者自己推薦制度』ですね」
「自己推薦、ですか」
「はい。宮内局が選ぶのではなく、条件を満たす者が自分で立候補できる制度」
マリアンネは、心配そうな顔をした。
「殿下、それは前例のない制度ですが」
「だから、面白いんです」
エリザベータは、提案書を作成した。
『王族婚姻候補者選定制度改革案』
現行制度の問題点:
宮内局が候補者を選定するため、選択肢が限定的
王族自身が相手を探す機会がない
時代に合わない身分基準が適用されている
改革案:
候補者自己推薦制度の導入
推薦資格:貴族階級以上、または国家への顕著な功績がある者
審査:宮内局による書類審査と面接
最終決定:王族本人の選択
宮内局婚姻管理課長、オスカー・ブラントは、この提案書を受け取って固まった。
「王女殿下、これは……」
「問題ありますか」
「問題だらけです」
オスカーは、書類を置いた。
「自己推薦制度など、前例がありません」
「前例がないことは、不可能なことではありません」
「ですが、候補者の質が担保できません」
「審査をきちんとすれば、質は担保できます」
「では、殿下は誰でもいいから立候補させろと?」
「いいえ。『資格を満たす者』に限定します」
エリザベータは、規定を示した。
「現行規定の『貴族階級以上』という条件は、維持します。ただし、選定方法を変えるだけです」
オスカーは、考え込んだ。
「……宮内局長に諮ります」
宮内局長ハインリヒは、提案書を読んで、長い沈黙の後に言った。
「王女殿下は、ご自身の婚姻のために、制度を変えようとしておられるのか」
「はい」
エリザベータは、堂々と答えた。
「おかしな制度だと思ったので」
「だが、この制度は百年以上続いている」
「百年続いていることは、正しいことの証明にはなりません」
ハインリヒは、苦笑した。
「……殿下らしいお答えです」
「検討していただけますか」
「検討はします。ただし、これは王族全体に関わる問題です」
ハインリヒは、立ち上がった。
「国王陛下にも、ご意見を伺う必要があります」
国王リオナルド三世は、提案書を読んだ。
「エリザベータ、お前は自分の結婚のために、制度を変えるのか」
「はい、父上」
「……普通は逆だろう。制度に合わせて、相手を選ぶ」
「私は、普通ではありませんから」
国王は、笑った。
「確かに、普通ではないな」
国王は、提案書を再度読んだ。
「内容は、悪くない」
「では、承認していただけますか」
「いや」
エリザベータは、驚いた。
「なぜですか」
「私が承認すると、『国王の判断』になる。それは、制度の原則に反する」
国王は、提案書を返した。
「宮内局の手続きに従って、審査を受けろ」
「……分かりました」
エリザベータは、退室した。
国王は、窓の外を見て呟いた。
「お前なら、通るだろう」
宮内局は、慎重に審査を進めた。
関係部局との調整、過去の事例の検証、法的問題の確認。
三ヶ月後、結論が出た。
『王族婚姻候補者選定制度改革案・審査結果』
結論:条件付き承認
条件:
自己推薦制度は、試験的に導入する
最初の適用は、王女エリザベータ殿下の婚姻候補者選定のみ
一年後、制度の有効性を検証し、他の王族への展開を判断する
エリザベータは、通知を受け取って喜んだ。
「試験的ですが、承認されました!」
マリアンネが、複雑な顔をした。
「殿下、これで自己推薦が認められましたが……」
「何ですか」
「本当に、推薦してくる人がいるんでしょうか」
エリザベータは、その質問に答えられなかった。
『王族婚姻候補者自己推薦制度』の公示が出された。
王女エリザベータ・ルイーゼ殿下の婚姻候補者を、以下の条件で募集する。
資格:
貴族階級以上、または国家への顕著な功績がある者
年齢二十歳以上三十五歳以下
健康であること
申請方法:
様式第五百二十一号『王族婚姻候補者自己推薦申請書』を提出
審査:
書類審査、面接、身辺調査
期限:三ヶ月
公示が出ると、予想外の反響があった。
一週間で、百通以上の申請書が届いた。
オスカーは、頭を抱えた。
「こんなに来るとは……」
宮内局は、緊急で審査体制を整えた。
審査の結果、百二十三件の申請のうち、資格を満たしたのは三十二件だった。
「三十二人も、面接するんですか」
「規定では、そうなります」
エリザベータは、候補者リストを見た。
貴族の次男、三男が多かった。
しかし、中には興味深い経歴の人もいた。
候補者No.17:ユリウス・シュタイナー
身分:元平民、功績により男爵位授与
功績:東部地方における治水事業の成功
現職:河川局技術顧問
「この人、面白いですね」
「河川局の技術者ですね。十年前の大洪水を防いだ功績で、爵位を授与されました」
「会ってみたいです」
エリザベータは、面接予定者にチェックを入れた。
候補者No.23:フェリックス・ヴォルフ
身分:子爵
経歴:財務局主計課長
特記:休眠制度見直し委員会の委員
「この人も気になります」
「財務局の官僚ですね。殿下の休眠制度研究の時、協力された方です」
「ああ、あの人か」
エリザベータは、リストを見続けた。
面接は、一人三十分の予定だった。
最初の候補者は、典型的な貴族の次男だった。
「王女殿下、お会いできて光栄です」
「こちらこそ。あなたの申請書、読みました」
「ありがとうございます」
会話は、表面的だった。
候補者は緊張し、エリザベータは退屈した。
二十分で、面接を打ち切った。
「ありがとうございました」
次の候補者も、似たようなものだった。
五人目まで面接したところで、エリザベータは疲れた。
「マリアンネ、これ、全員やるんですか」
「規定では、そうなります」
「……つらいわ」
六人目は、河川局のユリウス・シュタイナーだった。
彼は、他の候補者とは明らかに雰囲気が違った。
「王女殿下、本日はありがとうございます」
「こちらこそ。あなたの功績、素晴らしいですね」
「ありがとうございます。ただ、私は元平民ですので、王女殿下の相手として適切かどうか……」
「身分より、あなたが何をしたかの方が重要です」
エリザベータは、身を乗り出した。
「治水事業について、教えてください」
ユリウスは、目を輝かせた。
「はい。東部地方は、毎年洪水に悩まされていました。私は、河川の流れを変える計画を立てました……」
三十分の予定が、一時間になった。
治水の話から、地方行政の問題、防災制度の課題へと話が広がった。
面接が終わった後、エリザベータは気づいた。
「……楽しかった」
マリアンネが、尋ねた。
「殿下、もしかして」
「分かりません。でも、もう一度会いたいと思いました」
十人目の面接は、財務局のフェリックス・ヴォルフだった。
「王女殿下、お久しぶりです」
「あら、覚えていてくださったんですか」
「もちろんです。殿下の休眠制度研究は、私にとって大きな学びでした」
フェリックスは、落ち着いた話し方をした。
「殿下は、制度の矛盾を見つけ、それを改善する天才です」
「褒めすぎですよ」
「いえ、事実です。私は財務局で十年働いていますが、殿下ほど制度を理解している王族を見たことがありません」
エリザベータは、興味を持った。
「あなたは、財務局でどんな仕事を?」
「主に、予算配分の最適化です。どの部局に、どれだけの予算を配分すれば、最も効率的か」
「面白そうですね」
「はい。ただ、各部局は常に『予算が足りない』と言います。その中で、本当に必要な予算を見極めるのが、私の仕事です」
二人は、予算制度の話で盛り上がった。
面接は、一時間半に及んだ。
終わった後、エリザベータは考え込んだ。
「ユリウスさんも、フェリックスさんも、面白い……」
マリアンネが、心配そうに言った。
「殿下、それは恋ですか」
「……分かりません」
全三十二人の面接が終わった。
エリザベータは、リストを絞り込んだ。
最終候補者:五人。
その中に、ユリウスとフェリックスがいた。
「二人とも、もう一度会いたいです」
宮内局は、二次面接を設定した。
今度は、もっと自由な形式で。
ユリウスとの二次面接は、宮殿の庭園で行われた。
「この庭園、美しいですね」
「ええ。でも、排水設備が古いんです」
エリザベータは、問題を説明した。
ユリウスは、興味深そうに聞いた。
「なるほど。では、こういう設計はどうでしょう……」
二人は、庭園を歩きながら、排水改善の話をした。
気づけば、二時間が経っていた。
フェリックスとの二次面接は、宮殿の図書室で行われた。
「殿下、この本を読まれたんですか」
フェリックスが、手に取ったのは『財政学概論』だった。
「はい。予算制度を理解するために」
「素晴らしい。この本の第五章、殿下はどう思われましたか」
「『予算の硬直性』の問題ですよね。一度配分された予算は、削減しづらい、という」
「はい。私も、その問題に日々直面しています」
二人は、財政の話で三時間話し込んだ。
エリザベータは、悩んだ。
「マリアンネ、私、どうすればいいんでしょう」
「何がですか」
「ユリウスさんも、フェリックスさんも、素晴らしい人です」
「では、両方とお会いになればいいのでは」
「でも、婚姻候補者として選べるのは、一人だけです」
エリザベータは、リストを見た。
「それに、私、本当に結婚したいのかも分からなくなってきました」
「と、言いますと」
「二人とも、話していて楽しいです。でも、それは恋なんでしょうか」
マリアンネは、優しく言った。
「殿下、恋に正解はありません」
「……そうですよね」
エリザベータは、決断した。
「もう少し、時間をください」
エリザベータは、制度を調べた。
『王族婚姻規則』を隅々まで読んだ。
そして、抜け道を見つけた。
「第二十三条……『婚姻候補者の選定期間は、一年間とする。ただし、王族の申請により延長可能』」
「延長できるんですね」
「はい。つまり、今すぐ決めなくてもいい」
エリザベータは、申請書を作成した。
『婚姻候補者選定期間延長申請書』
理由:候補者との相互理解を深めるため、さらなる時間が必要
延長期間:一年間
宮内局は、これを承認した。
ユリウスとフェリックスには、事情を説明した。
「私、今すぐには決められません。もう少し、時間をいただけますか」
二人とも、理解を示した。
「もちろんです、殿下」
「私は、待ちます」
一年の延長期間中、エリザベータは二人と定期的に会った。
ユリウスとは、月に一度、宮殿の改善計画を一緒に考えた。
フェリックスとは、月に一度、政策研究会の議論に参加してもらった。
そして、エリザベータは気づいた。
「私、二人とも大切な人です」
「でも、それは恋人としてではなく、協力者としてなんです」
マリアンネが、尋ねた。
「では、殿下は結婚されないのですか」
「分かりません。でも、今は、結婚より大切なことがあります」
「大切なこと?」
「制度を改善すること。国を良くすること」
エリザベータは、微笑んだ。
「それが、今の私の使命です」
延長期間が終わる一ヶ月前、エリザベータは決断した。
「候補者の選定を、終了します」
「誰かを選ばれるんですか」
「いいえ。誰も選びません」
エリザベータは、宮内局に通知を出した。
『婚姻候補者選定終了通知』
理由:現時点で、婚姻の意思がないため
候補者への謝辞:貴重な時間を割いていただき、感謝申し上げます
オスカーは、通知を受け取って驚いた。
「殿下、誰も選ばないんですか」
「はい」
「では、この二年間は何だったんですか」
「学びでした」
エリザベータは、微笑んだ。
「私は、多くの優秀な人に会いました。そして、分かったんです」
「何が、ですか」
「私に必要なのは、配偶者ではなく、協力者だと」
エリザベータは、別の書類を差し出した。
『王族政策研究会・外部協力者招聘申請書』
招聘者:
ユリウス・シュタイナー(河川局技術顧問)
フェリックス・ヴォルフ(財務局主計課長)
役割:政策研究会における専門的助言
オスカーは、呆れた。
「殿下……婚姻候補者を、外部協力者にするんですか」
「問題ありますか」
「……ありません」
ユリウスとフェリックスは、事情を聞いて笑った。
「殿下らしいですね」
「すみません、期待に応えられなくて」
「いえ、私は光栄です」
ユリウスが、言った。
「殿下の配偶者にはなれませんでしたが、協力者になれる。それで十分です」
フェリックスも、頷いた。
「私も同じです。殿下と一緒に、制度を良くしていきたい」
エリザベータは、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
こうして、王族政策研究会に二人の外部協力者が加わった。
国王は、一連の経緯を聞いて、笑った。
「エリザベータ、お前は婚姻制度を改革するために自己推薦制度を作り、候補者を集め、そして誰も選ばなかった」
「はい」
「では、何のための改革だったんだ」
「制度の選択肢を増やすためです」
エリザベータは、真顔で答えた。
「私は、今回は選びませんでした。でも、将来、他の王族が自己推薦制度を使って、良い相手を見つけるかもしれません」
「……つまり、お前は自分のためではなく、将来のために制度を変えたのか」
「半分は自分のためです。でも、半分は将来のためです」
国王は、感心した。
「お前は、本当に……」
「何ですか」
「王族らしくない」
エリザベータは、笑った。
「それ、褒め言葉ですよね」
「最高の褒め言葉だ」
一年後、第二王子カールが婚姻候補者の選定を始めた。
彼は、エリザベータが作った自己推薦制度を使った。
そして、元官僚の娘と出会い、恋に落ちた。
「姉上、ありがとうございます」
「私は何もしていないわよ」
「いえ、姉上が制度を変えてくれなければ、彼女とは出会えませんでした」
カールの婚姻は、無事に成立した。
自己推薦制度は、正式に恒久化された。
エリザベータ(二十五歳)は、ある日、マリアンネに尋ねられた。
「殿下、結婚はされないんですか」
「分かりません。いつか、するかもしれません」
「候補者は?」
「その時に、また考えます」
エリザベータは、書類に目を戻した。
「今は、やりたいことが多すぎるんです」
宮殿の改革、政策研究、地方視察、制度の見直し。
エリザベータの日々は、充実していた。
恋愛は、まだ先でいい。
そう思える程度には。
このストーリーだけ物語上、王女殿下の年齢を明示しています




