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7/12

王女殿下と侍従長の七十三日戦争

対立は、ある月曜日の朝に始まった。

王女エリザベータ・ルイーゼが、朝食の席で宣言した。

「来週から、毎朝の予定確認会議を廃止します」

侍従長フリードリヒ・フォン・アルトハイムは、紅茶を喉に詰まらせそうになった。

「……廃止、ですか」

「はい。無駄だと思うので」

フリードリヒは、六十三歳。王室に四十年仕えてきたベテランである。

彼は、冷静に答えた。

「殿下、予定確認会議は王族の日課として、百年以上続いている伝統です」

「伝統であることと、有用であることは、別問題です」

「ですが、一日の予定を確認することは重要です」

「予定表を読めば、分かります」

エリザベータは、手元の予定表を示した。

「毎朝三十分かけて、これを読み上げる必要はありません」

フリードリヒは、表情を変えなかった。

「予定表の読み上げだけが、目的ではありません。殿下の体調確認、重要事項の再確認、急な変更への対応。それらを含めた総合的な準備時間です」

「では、体調確認だけ五分で済ませればいいでしょう」

「……殿下は、王族としての品格を保つ責任があります」

「品格と、三十分の会議に、どんな関係が?」

フリードリヒは、深く息を吐いた。

「殿下、申し訳ございませんが、予定確認会議の廃止は認められません」

エリザベータは、にっこり笑った。

「では、宮内局に申請書を出します」

フリードリヒの表情が、わずかに硬くなった。

「……ご自由に」



その日の午後、エリザベータは宮内局を訪れた。

『王族日課変更申請書(様式第百九十三号)』を提出した。


変更内容:朝の予定確認会議(三十分)を、簡易確認(五分)に変更

変更理由:時間の効率的使用のため

期待される効果:一日あたり二十五分の時間創出


宮内局の担当官、カスパーは書類を受け取った。

「殿下、この変更には、侍従長の承認が必要です」

「侍従長は反対しています」

「では……申請は通りません」

エリザベータは、規定集を開いた。

「『王族日課変更申請規則』第五条によれば、侍従長の承認が得られない場合、宮内局長の判断を仰ぐことができます」

カスパーは、規定を確認した。

「……その通りです」

「では、局長に審査をお願いします」

「承知しました。ただし、局長の判断には一週間ほどかかります」

「問題ありません」

エリザベータは、笑顔で退室した。

カスパーは、溜息をついた。

「……王女殿下と侍従長の対立か。厄介なことになった」



翌日、フリードリヒは宮内局を訪れた。

「王女殿下の申請について、意見書を提出したい」

カスパーは、書類を受け取った。

『王族日課変更申請に対する反対意見書』

内容は、以下の通りだった。



予定確認会議は、王族の健康と安全を守るための重要な手続きである

三十分という時間は、必要最小限である

過去百年間、この制度により王族の日常が安定してきた

ゆえに、変更は不適切である



カスパーは、書類を読んで頷いた。

「侍従長らしい、堅実な意見ですね」

「王女殿下は、若さゆえに効率を重視されるが、王室の伝統には理由がある」

「分かりました。局長に提出します」

フリードリヒは、退室した。

その三時間後、エリザベータが再び宮内局を訪れた。

「侍従長の意見書に対する反論書を提出します」

カスパーは、頭を抱えた。

『反対意見書に対する反論(様式第百九十三号-補)』



健康と安全の確認は、五分で十分可能である

残りの二十五分は、予定表の朗読であり、書面で代替可能

百年続いていることは、正しいことの証明にはならない

時代に応じた制度の見直しは、合理的である



カスパーは、書類を受け取った。

「……殿下、これは終わりがないのでは」

「侍従長が折れるまでです」

エリザベータは、にっこり笑った。

「私、時間はたっぷりありますから」



一週間後、宮内局長ハインリヒ・グスタフが判断を下した。

結論:保留。


両者の主張には、それぞれ理由がある。

ゆえに、試験期間として一ヶ月間、王女殿下の提案する五分方式を実施する。

一ヶ月後、効果を検証し、最終判断を下す。


エリザベータは、通知を受け取って喜んだ。

「試験期間ですが、実質的には私の勝ちですね」

侍女のマリアンネが、心配そうに言った。

「殿下、侍従長は納得されないのでは」

「納得しなくても、局長の判断には従うはずです」

一方、フリードリヒは通知を受け取って、静かに頷いた。

「試験期間か……ならば、五分では不十分であることを証明すればいい」

侍従のヴェルナーが、尋ねた。

「侍従長、どうされるおつもりですか」

「五分の確認で、殿下が困る状況を作る」

「それは……」

「心配するな。殿下の安全を損なうことはしない。ただ、不便を感じていただくだけだ」

フリードリヒは、計画を練り始めた。



試験期間の初日、朝の確認は五分で終わった。

「本日の予定は、午前:慈善事業局との打ち合わせ、午後:書類作業。以上です」

「了解しました」

エリザベータは、満足そうに退室した。

午前十時、慈善事業局との打ち合わせが始まった。

三十分後、エリザベータは気づいた。

「あれ、資料がない」

マリアンネが、慌てた。

「どの資料ですか」

「慈善事業局が事前に送ってきた、孤児院の年次報告書です」

「……確認していませんでした」

エリザベータは、侍従を呼んだ。

「資料を持ってきてください」

「かしこまりました」

十分後、資料が届いた。

打ち合わせは、十分遅れて再開した。

慈善事業局の担当官は、不満そうな顔をしていた。

打ち合わせが終わった後、エリザベータは気づいた。

「……侍従長の仕業ですね」

マリアンネが、頷いた。

「おそらく。従来の予定確認会議では、必要な資料の確認も行っていました」

「つまり、五分では資料確認が漏れる、と」

「そういうことです」

エリザベータは、メモを取った。

「ならば、対策を立てましょう」



翌日から、エリザベータは新しいシステムを導入した。

『王女殿下予定・資料チェックリスト』

予定表の各項目に、必要な資料をリスト化した。

「これで、資料の漏れはなくなります」

マリアンネが、感心した。

「完璧ですね」

三日後、別の問題が起きた。

エリザベータが外出から戻ると、侍従が言った。

「殿下、お着替えの準備ができておりません」

「なぜですか。午後の式典に出席するはずですが」

「式典用の衣装が、洗濯中です」

「……予定を確認していれば、洗濯に出さないはずですよね」

侍従は、申し訳なさそうに答えた。

「侍従長の指示で、定期洗濯スケジュール通りに処理しました」

エリザベータは、理解した。

「なるほど。従来の会議では、衣装の確認もしていた、と」

「はい」

エリザベータは、別の衣装で式典に出席した。

適切な衣装ではあったが、格式がわずかに不足していた。

式典局の担当官は、記録にそのことを記載した。



一週間後、エリザベータは対策を強化した。

『王女殿下週間スケジュール統合管理表』を作成した。

予定、必要資料、必要衣装、必要移動手段、全てを一覧にした。

「これで、漏れはありません」

フリードリヒは、その表を見て、静かに笑った。

「殿下は、私の仕事を自分でやり始めたな」

ヴェルナーが、尋ねた。

「侍従長、これでは殿下の勝ちでは」

「いや、まだだ」

フリードリヒは、次の手を考えた。

「殿下が管理表を作れば作るほど、作業時間が増える。それが負担になれば、従来の方式の価値が分かるはずだ」

しかし、エリザベータは諦めなかった。

管理表の作成を効率化し、毎日十分で更新できるようにした。

「従来の三十分会議より、十分の自己管理の方が効率的です」

マリアンネは、呆れた。

「殿下、もはや意地ですね」

「はい。でも、侍従長も意地でしょう」



二週間後、フリードリヒは新しい手段に出た。

エリザベータの予定に、「緊急の変更」を入れ始めたのである。

「殿下、午後の予定が変更になりました」

「何ですか」

「王立学院からの講演依頼が、来週から今日に前倒しされました」

「今日ですか。急ですね」

「先方の都合です」

エリザベータは、予定表を確認した。

午後は書類作業の予定だったので、変更可能だった。

「分かりました。講演資料を準備します」

フリードリヒは、内心驚いた。

(対応が早い……)

翌日も、緊急変更が入った。

「殿下、孤児院から、本日の訪問を希望されています」

「今日ですか」

「緊急の事情があるとのことです」

エリザベータは、即座に判断した。

「承諾します。午前の予定を調整してください」

「……かしこまりました」

フリードリヒは、作戦を変えた。

緊急変更では、エリザベータは動じない。



三週間後、フリードリヒは最終手段に出た。

「殿下の健康管理記録に、不備があります」

宮内局の定期監査で、彼は指摘した。

「どんな不備ですか」

監査官のレオポルトが、記録を見た。

「過去三週間、王女殿下の体調記録が簡略化されています」

「簡略化、ですか」

「はい。従来は『体調良好、睡眠時間七時間、食欲正常、特記事項なし』と詳細に記録されていました。しかし、最近は『問題なし』の一言のみです」

レオポルトは、フリードリヒを見た。

「侍従長、これは適切な記録と言えますか」

「言えません。王族の健康管理は、詳細な記録が義務付けられています」

「では、改善が必要ですね」

レオポルトは、エリザベータに通知を出した。

『健康管理記録の改善要請』

エリザベータは、通知を受け取った。

「……侍従長、やりますね」

マリアンネが、心配した。

「殿下、これは正当な指摘です」

「分かっています」

エリザベータは、規定を調べた。

『王族健康管理規則』を読み込んだ。

そして、抜け道を見つけた。



「宮内局長、提案があります」

エリザベータは、ハインリヒを訪ねた。

「何でしょうか」

「健康管理記録を、定型化したいのです」

「定型化、ですか」

「はい。毎日の体調を、定型フォームに記入する方式にします。記入は私自身が行います。時間は二分で済みます」

ハインリヒは、提案書を見た。

『王族健康管理記録定型化提案書』

詳細な設計図と、記入フォームの見本が添付されていた。

「これは……よく考えられていますね」

「規定を満たしつつ、効率化できます」

ハインリヒは、承認した。

フリードリヒは、この決定を知って、初めて焦りを感じた。

(殿下は、私の攻撃を全て制度改善に変えている……)



一ヶ月の試験期間が終わった。

宮内局長ハインリヒが、最終判断を下すための会議を開いた。

出席者:ハインリヒ、エリザベータ、フリードリヒ、監査官レオポルト。

「では、検証結果を報告します」

レオポルトが、資料を読み上げた。

「試験期間中、王女殿下の予定は全て問題なく実施されました」

「健康管理記録も、定型化により改善されました」

「資料の準備、衣装の手配、緊急対応、全て適切に処理されました」

「加えて、殿下が自己管理に要した時間は、一日平均十五分。従来の三十分会議より、効率的です」

ハインリヒは、フリードリヒを見た。

「侍従長、反論はありますか」

フリードリヒは、長い沈黙の後、答えた。

「……ありません」

「では、王女殿下の提案を、正式に承認します」

エリザベータは、静かに微笑んだ。

フリードリヒは、深く頭を下げた。

「殿下、私の負けです」



会議の後、フリードリヒがエリザベータに声をかけた。

「殿下、一つお聞きしたい」

「何でしょうか」

「なぜ、ここまで戦われたのですか。三十分の会議、そこまで重要でしたか」

エリザベータは、答えた。

「重要だったのは、三十分ではありません」

「では、何が」

「自分で考え、自分で管理する権利です」

フリードリヒは、黙って聞いた。

「侍従長、あなたは私のために全てを用意してくれます。それはありがたい。でも、私は自分のことを自分で管理したいんです」

「……それは、王族らしくない考えです」

「王族らしくなくても、私らしい考えです」

フリードリヒは、長い沈黙の後、微笑んだ。

「……負けて、清々しました」

「え?」

「私は四十年、王族に仕えてきました。しかし、ここまで主体的に動かれる王族は、初めてです」

フリードリヒは、深く頭を下げた。

「今後も、殿下に仕えさせてください。ただし、殿下のやり方で」

エリザベータは、手を差し出した。

「これからも、よろしくお願いします、侍従長」

フリードリヒは、その手を握った。



翌日から、新しい日常が始まった。

朝の確認は五分。

エリザベータが自分で管理表を確認し、フリードリヒが必要な補足をする。

効率的で、対等な関係だった。

ある朝、フリードリヒが尋ねた。

「殿下、次は何を改革されるおつもりですか」

エリザベータは、にっこり笑った。

「式典の予行演習です。三回もやる必要はないと思うんです」

フリードリヒは、溜息をついた。

「……式典局との戦いですね」

「はい。手伝ってくれますか」

「もちろんです。今度は、殿下の味方として」

二人は、笑い合った。

侍女のマリアンネは、その様子を見て呟いた。

「侍従長、完全に懐柔されましたね」

そして、付け加えた。

「でも、悪くない関係ですね」

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