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王女殿下と様式第五百十七号の謎

王女エリザベータ・ルイーゼは、ある雨の日、奇妙な発見をした。

宮殿の古い書庫を整理していた時のことである。

「殿下、こんなところで何を」

侍女のマリアンネが、驚いて声をかけた。

「書庫の整理を手伝ってるんです。昨日、図書管理局から『王族の私物と公文書が混在している』って指摘されたので」

「それは図書管理局の仕事では」

「でも、私の部屋の延長みたいなものですから」

エリザベータは、古い木箱を開けた。

中には、黄ばんだ書類の束が入っていた。

「これは……古い様式見本?」

一番上の書類には、『様式第五百十七号:王族個人研究助成申請書』と書かれていた。

「王族個人研究助成……こんな制度、聞いたことありません」

マリアンネも、書類を覗き込んだ。

「私も知りません。いつの時代のものでしょう」

エリザベータは、日付を確認した。

「四十三年前……祖母の時代ですね」

書類の説明欄には、こう書かれていた。


王族が個人的に学術研究を行う場合、年間銀貨百枚を上限として助成金を申請できる。

対象:歴史、自然科学、文学、芸術、その他学術的価値のある研究

審査:学術審査委員会による


「これ、今も使える制度なんでしょうか」

「分かりません。調べてみますか?」

エリザベータは、書類を抱えた。

「はい。面白そうです」



翌日、エリザベータは財務局を訪れた。

「様式第五百十七号について、お聞きしたいのですが」

担当官のオットーは、書類を見て首を傾げた。

「……様式第五百十七号? すみません、存じ上げません」

「四十三年前に使われていた、王族個人研究助成の申請書です」

オットーは、古い様式目録を調べ始めた。

十分後、彼は困った顔で戻ってきた。

「ありました。確かに、様式第五百十七号は存在します」

「今も使えるんですか」

「……理論上は、使えます」

「理論上、ですか」

オットーは、別の冊子を開いた。

「この様式、廃止された記録がないんです」

「では、現行の制度ということですね」

「はい。ただし……」

「ただし?」

「過去四十年間、一度も使用された記録がありません」

エリザベータは、目を輝かせた。

「つまり、忘れられた制度?」

「……そう言えるかもしれません」

「面白い。使ってみます」

オットーは、青ざめた。

「殿下、本当に申請されるんですか」

「はい。ちょうど、研究したいテーマがあるんです」

「何を研究されるおつもりで」

エリザベータは、にっこり笑った。

「『本家国における忘れられた制度の実態調査』です」

オットーは、頭を抱えた。



一週間後、エリザベータは完璧な申請書を作成した。

『王族個人研究助成申請書(様式第五百十七号)』


申請者:王女エリザベータ・ルイーゼ

研究テーマ:本家国における休眠制度の実態調査と活用可能性の検討

研究期間:一年間

申請金額:銀貨百枚

研究概要:現在使用されていないが、廃止もされていない制度(休眠制度)を調査し、その活用可能性を検討する。これにより、制度の効率化に資する知見を得る。


マリアンネは、申請書を見て溜息をついた。

「殿下、またですか」

「だって、面白いじゃないですか。四十年間誰も使ってない制度が、実はまだ生きてるんですよ」

「でも、この申請、どこに出すんですか。『学術審査委員会』なんて、聞いたことありませんが」

「そこが問題なんです」

エリザベータは、別のメモを見せた。

「調べたところ、学術審査委員会は三十年前に解散してるんです」

「では、申請できないのでは」

「いいえ。規定には『審査委員会が存在しない場合、財務局が代行する』と書いてあります」

マリアンネは、諦めた顔をした。

「……財務局が、また大変なことになりますね」

「それも、研究対象です」



財務局に申請書が届くと、局内は予想通り混乱した。

「王女殿下が、様式第五百十七号を使用された」

「学術審査委員会は存在しない」

「では、我々が審査するのか」

「だが、学術研究の審査基準が分からない」

オットーは、局長のフリードリヒに報告した。

「殿下は、完全に規定通りに申請されています。却下する理由がありません」

フリードリヒは、申請書を読んだ。

長い沈黙の後、彼は笑い出した。

「……殿下は、天才か」

「と、言いますと」

「殿下は、忘れられた制度を使うことで、制度そのものの問題点を明らかにしようとしておられる」

フリードリヒは、申請書を置いた。

「これは、承認する」

「ですが、審査基準が」

「ならば、作る」

フリードリヒは、立ち上がった。

「緊急で学術審査委員会を再編成する。メンバーは……」

「どこから集めるんですか」

「王立学院から、適切な学者を招聘する」

オットーは、メモを取った。

「了解しました」



二週間後、臨時学術審査委員会が設置された。

メンバーは、歴史学者、法学者、行政学者の三名。

委員長を務める歴史学者のテオドールは、申請書を読んで感心した。

「これは、興味深い研究だ」

「興味深い、ですか」

財務局の担当官が、尋ねた。

「はい。制度の『化石化』は、行政学的にも重要なテーマです。使われなくなった制度が、なぜ廃止されずに残るのか。それを調査することは、制度設計の改善に繋がります」

法学者のヴィルヘルムが、頷いた。

「加えて、王女殿下ご自身が研究者になられることで、王族の新しい役割を示す可能性もある」

行政学者のクララが、付け加えた。

「この研究が成功すれば、他の休眠制度の見直しにも繋がるでしょう」

テオドールは、審査票に記入した。

「承認します」

三人とも、同じ判断だった。



一ヶ月後、エリザベータに助成金の支給通知が届いた。

同時に、財務局から別の書類も届いた。

『研究成果報告義務について(様式第五百十七号-付)』


助成を受けた研究者は、研究終了後、成果報告書を提出する義務がある。

報告書は、学術審査委員会による評価を受ける。

評価結果は、公開される。


「……公開されるんですか」

マリアンネが、心配そうに言った。

「殿下の研究が、公に評価されるということですよ」

「面白いじゃないですか。本物の学術研究みたいで」

エリザベータは、研究計画を広げた。

「では、本格的に始めましょう」



エリザベータの研究は、予想以上に本格的だった。

彼女は、まず財務局、法務局、宮内局の古い文書庫を訪れた。

「過去五十年間の様式目録を、すべて確認させてください」

図書管理局の職員は、驚いた。

「すべて、ですか。それは数千ページになりますが」

「構いません」

エリザベータは、三ヶ月かけて、すべての様式を調査した。

その結果、彼女は驚くべき事実を発見した。

全様式の約十五パーセント、二百三十八の様式が「休眠状態」だった。

つまり、廃止されていないが、過去二十年間一度も使用されていない様式が、これほど多く存在していたのである。

「これは……大変な数ですね」

マリアンネが、リストを見て呆れた。

「はい。でも、なぜこれらが廃止されなかったのか、それが重要です」

エリザベータは、さらに調査を続けた。



休眠様式の調査を進めるうちに、エリザベータはパターンを発見した。

休眠様式は、大きく三つに分類できた。


第一類:制度は残っているが、需要がなくなったもの

例:『騎馬伝令費用申請書(様式第八十二号)』

理由:街道と定期の書状便が整えられ、急使として早馬を差し立てる必要がほぼ失われたため。


第二類:手続きが複雑すぎて、誰も使わなくなったもの

例:『小規模修繕事前承認申請書(様式第三百四十四号)』

理由:承認に必要な印が十八個もあり、小規模な修繕には不向き。


第三類:代替の様式が作られたが、古い様式が廃止されなかったもの

例:『王族個人研究助成申請書(様式第五百十七号)』

理由:後に『一般学術研究助成制度』が創設されたが、王族専用の制度は廃止されなかった。

エリザベータは、これらの分類を報告書にまとめた。



研究開始から八ヶ月後、エリザベータは中間報告会を開いた。

学術審査委員会の三人と、財務局、法務局の担当官が集まった。

「では、中間報告を始めます」

エリザベータは、調査結果を発表した。

「休眠様式は、二百三十八件。これは、全様式の十五パーセントに相当します」

「驚くべき数だ」

テオドールが、呟いた。

「これらの様式が休眠状態になった理由は、先ほどの三つの分類に整理できます。重要なのは、これらの様式を維持するコストです」

エリザベータは、次のスライドを示した。

「休眠様式も、様式目録に掲載され、定期的な見直し対象となります。しかし、実際には使われないため、見直しの優先度が低く、結果として放置されます」

「つまり、無駄なコストが発生している」

ヴィルヘルムが、指摘した。

「はい。私の試算では、休眠様式の維持コストは、年間銀貨三百枚程度と推定されます」

財務局のフリードリヒが、身を乗り出した。

「それは、無視できない金額だ」

「ええ。そして、私の提案は、『休眠様式の定期的な廃止手続き』の導入です」

エリザベータは、提案書を配布した。

「過去二十年間使用されていない様式は、自動的に廃止候補として審査する。必要なら復活できる仕組みも作る。これにより、様式の数を適正化できます」

クララが、頷いた。

「合理的な提案です」

テオドールが、質問した。

「殿下、この研究の最終的な目標は何ですか」

エリザベータは、微笑んだ。

「制度の新陳代謝を促すことです。古い制度を捨てることで、新しい制度を作る余地が生まれます」



一年後、エリザベータは最終報告書を提出した。

『本家国における休眠制度の実態調査と活用可能性の検討』

全二百ページの大作だった。

学術審査委員会は、満場一致で「優秀」の評価を下した。

テオドールの評価コメントは、こうだった。


本研究は、行政学的に極めて価値が高い。

王女殿下は、実証的な調査により、制度の問題点を明確にされた。

提案された『休眠様式定期廃止手続き』は、実用性が高く、

速やかに導入されるべきである。


財務局は、この提案を採用した。

翌年から、『休眠様式見直し委員会』が設置され、毎年、使われていない様式の廃止が検討されることになった。

最初の年に、八十三の様式が廃止された。



報告書が公開されると、予想外の反応があった。

王立学院から、エリザベータに講演依頼が来たのである。

「王女殿下に、『制度の新陳代謝』についてご講演いただきたい」

学院長の手紙には、そう書かれていた。

マリアンネが、心配そうに言った。

「殿下、王族が学術講演を行うなど、前例がありませんが」

「だから、面白いんです」

エリザベータは、即座に承諾した。

講演当日、会場は満席だった。

学生、官僚、学者が集まった。

エリザベータは、壇上に立った。

「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。私は、王女エリザベータ・ルイーゼです。同時に、今日は一人の研究者として、ここに立っています」

会場から、拍手が起こった。

「制度は、作られるだけでは意味がありません。使われ、見直され、時には捨てられることで、初めて生きた制度になります」

エリザベータは、研究の成果を語った。

一時間の講演が終わると、会場は大きな拍手に包まれた。

質疑応答では、鋭い質問が飛んだ。

「殿下、制度を捨てることに、抵抗はありませんでしたか」

エリザベータは、答えた。

「ありました。でも、使わない制度を残すことは、新しい制度を作る妨げになります。過去への敬意と、未来への責任。そのバランスが重要だと思います」



その夜、国王がエリザベータを呼んだ。

「講演、成功したそうだな」

「はい、父上」

「お前は、王女でありながら、学者にもなった」

エリザベータは、微笑んだ。

「様式第五百十七号のおかげです」

「あの忘れられた制度か」

「はい。でも、忘れられていたからこそ、私はそれを使うことができました」

国王は、複雑な表情をした。

「お前は、制度の隙間を見つけるのが上手いな」

「隙間ではなく、可能性だと思っています」

「……そうか」

国王は、窓の外を見た。

「お前のような王族は、過去にいなかった」

「それは、良いことでしょうか」

「分からない。だが、面白いことは確かだ」

エリザベータは、笑った。

「ありがとうございます、父上」

翌日、エリザベータの元に新しい書類が届いた。

『王立学院客員研究員任命通知』


王女エリザベータ・ルイーゼ殿下

貴殿の学術的貢献に鑑み、

王立学院行政学部の客員研究員に任命いたします。

任期:無期限


マリアンネが、驚いた。

「殿下、これは……」

「やりましたね」

エリザベータは、通知書を眺めた。

王女であり、外部協力者であり、そして今、客員研究員でもある。

肩書きは増えたが、彼女の本質は変わらない。

制度の矛盾を見つけ、それを面白がり、改善する。

それが、エリザベータ・ルイーゼという王女だった。

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